Note:02 歪の話

「今日のデータ、ここに置いときますよ」

 

 ナルの検診を終え、コーヒーを飲んで一休み。

 それから数十分ほどパソコンに向き合って、出力したデータをナナミは持って向かう。

 向かった先にある部屋――ディスプレイ光だけが部屋を照らす、不健康に暗い部屋の中、影と後ろ姿だけを見せる彼女に、一応声はかけておいたが、

「あぁ、ご苦労様」

 よくもまぁ、そんな分かりやすい仮面付きの言葉を吐けるものだ。

 タイピング音に掻き消される程度の溜息を吐きつつ、ナナミは辛うじて空いているスペースに書類を置いた。汚い部屋、ではないのだろう――ただあまりに物が多い。書類棚や本棚、パソコンとディスプレイ、コーヒーメイカーに冷蔵庫。その辺までは理解できる。医務室にも置いてあるものばかりだ。

「また増えてる……」

 だがこのは何に使うのだろう。

 五つ揃える合体ロボットは、ファンシーな色合いのステッキは、その他それらに関連した細々としたアイテムの数々は――施設の子供達に触らせている光景なんて見たことがないので、全部自分用の玩具を、一体どう仕事に活用しようというのか。

「ちょっと」

 私もサボテンとか置いてるけど――玩具を前に考えを巡らせていたナナミを、ふとすぐ近くで響いた声が正気に戻す。驚いて視線を向けると、ナナミの胸辺りまでしかない矮躯。いつの間に動いたのか、彼女――博士が不機嫌ここに極まった表情で書類を凝視していた。

「なに、このデータは」

「何って……今日のナルのデータですけど」

「そんなの見ればわかるわよ。存在じゃなくて内容について訊いてるの」

 不機嫌になるようなことが書いてあっただろうか、とナナミは書類を読み返したが、別段普通の内容だ――少なくとも博士が、急に目くじらを立てた理由は見当たらない。

「ナルは至って正常ですよ、博士。心配するようなことは何も」

でどうするのよ――欲しいのは正常なサイキックなんかじゃない。マギが創りたいのは、絶対的な兵器としてのサイキックだけよ。そこらへんにいくらでも転がってる程度にしかならないのなら、破棄してしまったって全然問題ないんだから」

 博士はそう言うと、ナナミの手元から書類を奪い、とある箇所にペンで丸を描いた。心理グラフ――特に感情の起伏などを記録したモノである。その中で少し、平坦だったグラフが尖った箇所。そこを刺すように指し、ナナミを睨むように見上げながら、


「それを踏まえた上でもう一度訊くわよ――このデータは何?」


 博士の声が段々と大きく、上ずってきている。

 ここで答え方を間違えれば、おそらく怒鳴り散らされる。博士の癇癪癖ヒステリックは今に始まったことではないし、その見た目故に怖くはないのだが――恐いのは、彼女がこの施設の全権限を持つ者であり、正体不明のサイキックであるということだ。

 指先一つでナナミの首は、社会的にも物理的にも飛ぶ。

「え、えーっと……」

 脳を必死で回転させ、ナナミは該当データが一体何を意味しているのかを考えた。どんな質問をしたときに観測された起伏か、どんな会話をしたから起こった変化か――時間をかけても逆鱗に触れそうなので、それはもう高速回転の末に、やがて。

「……あっ」

 思い至った――自分がなんという質問をして、ナルがどう答えたのか。

 特に変わった質問ではない、世間ではそれこそ、世間話に類する程度のモノ。

 ナルの答えも特殊には程遠くて、質問したナナミ自体も忘れていた程度のモノ。


『わかりません』

『わからないけれど――タミといる時は』

『タミと話している時は、楽しいです』


「最近嬉しかったことは――そう質問した時のグラフ、です」

「で、なんて答えたの」

「わからないけど、タミといる時は楽しいって」

「そう……そういうこと――」

 スッとナナミから離れた博士は、天井を見上げ、ふぅと一息吐く。

 ひどく見覚えのある動作に、ナナミが戦慄を覚えた次の瞬間、


「――この役立たず!」


 強い憤怒を滾らせる瞳が、ナナミの姿をまっすぐ捉えた。

 それとシンクロするように、弦を弾いたような音が聴こえた。

 その一連をナナミが認識したのと――彼女の髪が落ちたのは同時。

「……っ!?」

 反射的に触った首筋は、まだちゃんと頭と繋がっていた。

 加減無しで放たれていたら――落ちたのはきっと、ナナミの頭だった。

「どうしてそれを一番に報告しないの!? どうしてそれに何の疑問も抱かないの!? マギはね、マギは――!」

 正体不明のサイキックが、激昂の言葉と共に炸裂する。

 書類が上から刻まれていき、舞い散る紙吹雪がさらに細かく寸断される。

「究極のサイキックを創る! 兵器に感情なんていらないのよ!」

 それほど広範囲に亘って作用しているにもかかわらず――雑多に置かれた玩具や、部屋の備品には一切傷が付いていない。およそ冷静からは程遠い精神状態に在りながら、コントロールだけは最低限の理性でしっかり行っているのだ。

「このマギがあんなやつに! あんなやつに頭下げて、PSY-CODEとデザイナーベビーの技術を譲ってもらったのは、その為だけなの! だからいつか絶対見下せなきゃいけないのよ! 普通の子どもなんか育てたいなら、学校の先生にでもなってなさい!」

 ついには個人的な怨恨まで爆発させて、博士はサイキックを行使する。

 こうなったらもう止まらない――何かの間違いで首が落とされないことを必死で祈りつつ、ナナミは目を閉じて耐え続けた。


「はぁ……はぁ……――くそっ」

 やがて癇癪が治まったのか、それともサイキックの使い過ぎで疲労したのか、あるいはそのどちらもか――博士は肩で息をしながら、悪態と共にソファーに座ろうとして。

「きゃっ!」

 桜の花弁のように散った書類で足を滑らせ、尻から勢いよく着席。そんなに柔らかいソファーではないのか、ひどく痛そうな鈍い音が響いたが、博士は涙目になるだけで何も言わなかった。

「……あの、おしり大丈夫ですか」

「……他の検体に、ナルへの必要以上な接触は避けさせなさい。あの子にそんなモノ必要ないわ。感情なんて、思い出なんて――定着の邪魔にしかならないもの」

「サイキックの開発に、感情や想像力は必要不可欠では」

「PSY-CODEの開発者、鎹榛名かすがいはるなはそう言ったわね――だから不要だって言ってるのよ。そんなもの無しで究極のサイキックは創れる、と証明してやる為に」

 あの澄ました顔を踏みつける為に――天井を睨みつける博士に、ナナミは内心吐き捨てる。

 歪んだ動機と価値観だ、と。


 マギ=ラルヴァンダード・ホルミスダス・グシュナサフ――博士がこの施設を造り、サイキックの研究を始めたのは、あまりに下らない個人的怨恨が根底にある。大学時代の同期である鎹榛名という人物に、あらゆる面で負けまくった博士は、それ故彼女が開発したサイキックの分野で下剋上を果たそうというのだ。

 その技術を借りるのに、その憎き彼女に頭を下げる羽目になりながら。

 

「どんな状況であっても一定以上の力を発揮できる、それが理想形なんだから――感情なんてものに左右されて、ぶれる程度の強さは求めてないの。タミ、だったかしら。その検体をナルに近づけさせないこと、いいわね」

「さすがにそれは!」

「マギが覚えてないんだから、そいつ雑魚でしょ。ナルは最高傑作ハイエンドモデルになるんだから、腐る前に隔離するべきよ――余計な感情を自覚する前に」

「……結論が早すぎるんじゃないですか、博士。ナルはタミと一緒にいることが楽しいって言っただけです。仲が良い相手なら普通の好感度ですよ。それだけで恋だとか感情の振れだとか、そういう判断を下すのは」

「恋よ、データは嘘をつかないもの。平坦続きで何にも執着を見せなかったナルが、あれだけの変化を見せたなら、特別を見つけた以外の何だって言うのよ」

 まぁ、あんたみたいな人間には、きっと分からないでしょうけど。

 どこか嘲るような笑みを向ける博士に、ナナミはふっと目を細めた。

「何よ、文句でもあるなら」


「――変わっちゃったね、。昔はそんなやつじゃなかったのに」


 その言葉に博士は――マギはピクリと眉を顰めた。

 怒られるかもしれない、と思いながらも、ナナミは言葉を紡ぎ続ける。

 今度こそ本当に首が飛ぶかもしれなくとも、どうしても伝えたかった。

「自信家で傲慢でも……けど誰かの想いを蔑ろになんて、絶対にしなかった」

「あんたの目が節穴だっただけでしょ。マギはずっとこうよ。他人に興味なんてないくせに、たかが三年程度の、しかも思春期過程の付き合いで何が分かるっていうのよ」

「節穴はどっちだよ――いつからそんな、何も見えなくなっちゃったのさ」


 歳を重ねた。

 大人になった。

 現実を見据えるようになった。

 たとえそうだとしても、あの頃のマギを知っているナナミには。

 中学の教室で、瞳を輝かせながら理想を語る彼女を見てきたナナミには。

 失望せざるを得なかった――失望なんて、したくなかった。


 そのまま首を飛ばされる覚悟もしていたが、マギは何もしてこなかった。

 ただ大きな溜息を吐いて、零すような口調で、

「……生きていれば、自ずと限界が見えてくるわ。届かない星にも、渡れない岸にも遭遇する――変わったわけじゃない、ただ夢から醒めただけよ。マギはもう、誰にも負けない」

「マギ……」

「いつまでタメ口きくつもり?」 

「……失礼します、博士」

 ナナミは背を向けて、博士の部屋を出た。

 後ろから斬ってくれないかとも思ったが、扉が閉まる音が聴こえただけだった。


 足を踏み鳴らしながら歩きたいのを必死で我慢して、やがて医務室に辿り着くと、

「――もうサイボーグの研究でもしてればいいのに」

 精一杯の悪態を吐き、コーヒーメイカーのスイッチを入れる。

 稼働するコーヒーメイカーの唸り声を聴きつつ、ナナミはタブレットで少し前のナルのデータの閲覧を始めた。確かに見比べると、あまりに大きな変化だと言える。無菌室から出たばかりの彼女に比べれば、幾分感情が豊かになり、そして。

「……恋、か」

 特定の誰かの名前を呟く時、感情のグラフが大きく動く。

 これを恋と言わずしてなんと呼ぶのか――それはナナミにも分からない。


 あんたみたいな人間には、きっと分からないでしょうけど。


「……私にだってわかるよ、そのくらい」

 脳でうるさくリフレインする言葉を振り払い、ナナミは呟く。

 感情無くして命は成立しない。

 彼女だってきっとそうだ。あれほどの執着、あれほどの怨恨――どれだけ自分勝手な逆恨みだろうと、その感情が生きる糧になっているのは間違いない。ナルの最終地点が兵器であるとしても、生体である以上、やはり必要性が皆無などとありえない。


「分からなきゃ――こんな職場、とっくに辞めてるよ」

 

 そして気付かないほど、彼女は馬鹿ではないはずだ。

 仮にもかつて、天才と張り合った秀才であるならば。

 あの日、あの時、あの場所で、ナナミに理想を語った少女であるならば。

 自分がどれだけ迷走しているか――振り返ることだって、できるはずなのに。


「あっ、トマトが」

 

 フォークが皿を打つ音に続いて、ころころとプチトマトが転がる。

 テーブルの上から転がり落ちる前に、トマトはその場で固定されたように停止した。

 微動だにしないトマトを恐る恐る突きながら、タミは「ほぅ」と息を呑んだ。

「これもナルの力なんだ――すごい」

「そうかしら」

 タミがしっかりトマトを摘まんだタイミングで、ナルは拘束を解除する。あるだけで価値を見出せない自身のサイキックだが――こうして彼女の好物を守ることができるなら、持っているのも悪くない。


「よっ、お二人さん」


 パンを頬張るタミを眺めながら、ナルはサラダの緑を掻き分けていた。

 その頭上から声が聞えるより先に感じた、聴き慣れない音に首を傾げながら。

「ここ空いてるか? よかったら一緒させてほしいんだけど」

 そう言ってニカッと笑った彼女は、確かシズだったか――直接の面識はあまりなくて、せいぜいタミと仲がいい程度にしか把握していない。

 ただ聴こえる音に悪い印象はなかった。

「いいよ、ナルもいいよね?」

「タミがいいなら」

「サンキュ」

 普段からタミと二人で食べている空間に、こうして三人目が入り込むのは初めてだ――何か話すべきだろうか、と考えるナルを尻目に、シズは一人で勝手に喋り出した。

「昨日の開発結果、タミはどうだった?」

「微妙だった……成長してないって」

「私も――そもそもどういう基準で判断してんだろうな、あれ」

「……サイキックの評価は、その応用力で評価される」

 急に喋ったからだろうか、シズがえらく驚いていたが、ナルは構わず話を続けた。

「単純であればある程、できることの幅が広くなる――だから評価が高くなる。逆にどれだけ強いサイキックでも、やれることの幅が狭ければ、評価は低くなる。成長は応用力の拡大と、効果範囲の拡大を以て判断される」

「お、おう……詳しいな」

「先生が言ってた」

 だから成長の為には想像力が欠かせないらしい、とも。

 応用はそれ即ち、どこまで解釈して知恵を絞りだせるか。

 知恵と能力があっても、想像力の蛇口がないと、結局は宝の持ち腐れとなる。

「そうなんだ――じゃああたしはダメダメだなぁ。弱いし、応用きかないし」

「タミはタミ、それでいい」

 不貞腐れたようなタミの頭を軽く撫でようとした、ナルのその手は。

「そうそう、十分いいサイキックじゃん」

 スッと横から伸びたシズの手に、ピタリと空中で停止した。

「むえー」

「私の方がよっぽど役にたたねぇから安心しろって」

 タミの頭を撫でている手。自分の手じゃない、少し日に焼けた手。

 まるで力を使ったかのように動かなくなった手を、ナルはゆっくり引っ込めた。

「……?」

 そしてそのまま、真っ白な掌を眺めて首を傾げた。

 なんてことはない、ただシズの方が速かっただけ――それなのに。


 あの柔らかく少しウェーブのかかった髪の毛を、自分以外の手が触れていた。

 いつもしているかのように自然な手つきで、タミの音を和ませた。

 あのふにゃりとした笑顔を、何もせずに眺めていた。


 ただそれだけの光景に、酷く自分の音が歪んで聴こえた気がした。

 その一瞬だけ、胸の奥に鋭い痛みが走ったような気がした。


「どうしたの、ナル」

「……いえ」

 次の瞬間には霧散した幻痛に軽く戸惑いながら、ナルはパンを毟った。

 聴こえるのは三人分の音。

 タミの音、シズの音――そして自分の音。

 どの音も不快な音ではない。

 自分の音は少し苦手だけれど、タミと一緒にいる時だけは、彼女の音と合わさって、まったく気にならないほど心地良く聴こえた――なのにどうしてだろう。


「なんでも、ない」

 

 重なった三つの音が、酷い不協和音となってナルの脳に響いていた。

 どこか漠然とした、不快感を伴って。

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