8
一人の男が外を眺めている。徐々に降り積もり始めた雪を少し愛おしげに眺めながら目を細めているその姿は、かつてそこにあったものを憶うようにも見えた。雄大な土地が広がっていたユートは、その大半を埋め立てられ地下開発による蒸気の煙。無機質なレンガの建物が庭の柵のように置かれている。その建物の中でひときわ大きく、まるで石の棺桶のような造形の大きな建物が街の中心に我が物顔で居座っていた、四方の入り口には大きなディストの旗が不気味にはためき、常に街を歩く人々を見下ろしていた。
「すまない、遅れてしまったかな?」
「何、まだ五分前だ。気にするな」
そんな石造りの棺桶の中で、特に豪華でも何でもないただの部屋に軍服を着た男が二人。正確には一人が扉から入り部屋の中が二人となったわけだが、顔を合わせた彼らは互いの肩を叩きあい体を寄せる。
「二年ぶりか。ロベルト、また老けたのではないかね?」
「何、こっちでやることが多すぎるのさ。神経すり減らせばシワも増える」
「そうかそうか。奥さんはどうかね? 元気にしてるかな?」
「いや、最近家に帰ってなくてな。早く帰ってこいと言わんばかりに電話が多い」
「なるほどな、ともかく元気そうで何よりだ」
眼帯をしているロベルトとビクターの視線からは鷹の目のような鋭さがあった。その様は例えるなら軍服を纏った野獣とも言えるだろう。かつて二人があげた戦果は数知れず、二人の軍服に輝く勲章の数がまさにそれを証明していた。
ビクター=ウィンチェスターは、ロベルトとはディストの士官学校出身であり、ユート占領計画の重要人物となった軍人である。ロベルトは軍指揮の天才であるのならば、ビクターは銃器の扱いにおける指導、および戦闘のスペシャリストであり、互いの協力無しにであは強国ユートを打ち倒すことは叶わなかっただろう。
「さて、状況を整理しようか。ビクター」
ビクターが座るのと同時に白髪混じりの金髪がゆっくりと揺れ、大きな部屋の中に二人が生み出す独特の空気が重々しくねっとりと絡め取った。
彼が座るのを確認するとロベルトが片手に持った、ファイルをテーブルの上に放り投げる。ファイルからこぼれ出た資料を見たビクターは、先ほどまで柔和な笑みを浮かべていたその眼を、細くし、獲物を狙う鷹のような鋭さを見せ始めた。
「ここ、ユートの制圧から三年が経った。それまで、我々ディストはこの土地の開発を進め、奴隷制度の導入、住民の移住が今日で大体四割完了している」
「君にしては進みが遅いのではないかね?」
「中々に残り火の処理に手間取ってな。何、いまはその息も絶え絶えで今後新たな炎を生むことはないだろうさ」
「ふむ……」
話を進めよう、とロベルトが机の上に広げた資料の一部をスライドさせ展開させる。それはファイルに閉じられていた紙の中でも一際古く黄ばんで変色していたものだ。そこに描かれているのは、円や四角などを重ね合わせ複雑な図形と難解な文字で作られた魔法陣。
その魔法陣は、見るからに毒々しく、禍々しいオーラを帯びていた。
「これの起動さえ叶えば。現状よりも、もっと早く作業が進む」
「また……懐かしいものを出してきたものだ。ロベルト」
「そうだな。三人で働いていた時代が懐かしい」
ビクターの目が一瞬だけ、優しさの色が戻る。しかし、その色はすぐさま消え、冷淡な表情へと戻っていった。
「彼が死んでからも、これは未だに起動させるに至らず。か」
「そう、この魔法陣の設計はほとんど彼のやったことだからな。いやはや、惜しい人間を亡くした」
「それで、こいつの起動をさせる算段はついたのかな?」
「あぁ。もちろん、だからこそ。これを今君に見せてるんだよ」
ロベルトは、そう言うと紙に描かれた魔法陣の端の方を指でなぞる。そこには、文字こそ判読はできないものの等間隔に離れて三つの単語が並んでいるようにも見える。
「これは?」
「ユートにも優秀な魔術師がいてね、今となっては奴隷だが。この文字の意味なんだが、どうやら我々の名前らしい」
「すなわち、どういうことかな?」
「つまりだ。この魔法陣を作成した人物たちの血液を媒体に発動するように設計されていたのだよ、これは」
「……ほぉ、それは困った。このうちの一人は、すでに死んでいるからな」
ビクターは深くため息を吐き、懐から葉巻を取り出しライターで火をつける。口から吐き出した白い煙は、天井に昇ってぶつかると空気に溶けて消えて行った。それを見て、ロベルトは軽く目を閉じるとファイルの中に資料を戻してゆく。
「ロベルト。なぜ、彼を殺したのかね?」
「ふむ……そう聞かれると、実に困るのだがね。ただ、彼のあり方はいずれ障害になる。そうなる前に、消したまでだよ」
「……同感ではあるがね」
まとめ上げたファイルをビクターに渡す。葉巻を加えたまま受け取ったビクターの表情は、『それだけでは終わるまい』と言わんばかり表情をしていた。このユート占領における最大の要であるはずの情報がまさか、こんな結果で終わるはずがないだろうと。旧知の仲であるビクターはそれを察していた。
「だが、もう一つ。この魔法陣には秘密があることがわかってね」
「ほう」
「この術式は、発動するまで。術者の魂を現世に縛り付ける制約があるそうだ」
「つまり?」
「あぁ、彼は。もしや、どこぞの誰かの体を借りて生きながらえているかもしれないと言うことさ」
ビクターは再びファイルから魔法陣の紙を取りだし、先ほどロベルトが指でなぞった場所を哀愁にも似た目で眺める。
ロベルト=リワード
ビクター=ウィンチェスター
そして、
「そういえば、君が気にかけていた狂犬は見つかったかね?」
「すでに場所はわかっているとも。だが、彼はダメだ。もう牙の抜かれたただの飼い犬さ」
「なんだ、つまらない。君が気にかけるのだから、骨のあるやつかと思ったのだが」
「そうだな、この動乱をくぐり抜けても尚。私に噛み付く覚悟があったのであれば、気にもかけていたが、なにぶん。見込み違いだったようだ」
ゆらゆらと頭を振り、呆れたと言わんばかりのロベルトを見ながらビクターは変わらない友人の悪癖に苦笑いを浮かべ、再び魔法陣の描かれた紙に目を落とす。
「知っての通り、この魔法陣が一度発動すれば。この国土にいる国の管轄に置かれた全ての奴隷を意思の持たないただの傀儡にすることができる。おまけに、その体が朽ちるまで全力以上の力を出し切ることをおまけにな」
そして対象者は、政府の管轄にある奴隷。総勢4万人以上、全て。
「すぐにでも、彼を探し出す必要があるな。我々の計画のためにも」
「あぁ。もちろん、今総出で探しているとも」
「見つけたら報告をくれたまえ、しばらくは私もこの街にいる」
「帰らなくていいのかな? 人のことは言えないが、しばらく帰っていないのだろう?」
「いや、ここでいい。気がまぎれる」
ビクターの顔が一瞬だけ曇ったのを、ロベルトは見逃さなかった。そして、旧友にごまかしは聞かないということをわかっているビクターは、さらに言葉を続けた。
「殺されたよ、奴隷に。半年前だ」
張り詰めた空気に亀裂が入るような音が聞こえた気がした。ビクターの表情は相も変わらず無表情で、そこにはすでに無くなったものを見捨て次の道を見ている男の表情をしていた。そこに交わす言葉などあるはずもなく、ロベルトは席を立つビクターの後ろを見送る。
「ロベルト、必ず。成功させよう」
「……あぁ、必ず」
魔法陣に書かれた三人の名前、ロベルトはそれを思い出しながらビクターの背中に背を向け、部屋を出ると廊下をカツカツと音を立てながら進んでゆく。
ロベルト=リワード
ビクター=ウィンチェスター
そして、
アルム=マフタン
彼の抱える書類の魔法陣が、一部怪しく光ったような気がした。
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