陽が沈む寸前に、レオンはホームレスの暮らす路地裏へと帰ってきた。あの後、鉈は無事見つかり、その日の依頼を終えていつも通りその日の食料を確保することができた。しかし、厳密に言えば、一人分その食料が多い。

「なんだ。今日はいつもよりおそ……なんだ。その娘っ子は?」

「ナナキ。あんたに頼みたいことがある」

 いつも通り酒の瓶を片手にレオンの帰宅を見ていたナナキだったが、いつもとは違うレオンの様子と、その隣で薄手の奴隷装束を纏った一人の少女を、彼は見逃さなかった。しかし、そんなナナキの質問に答えることなく、レオンは懐から麻袋を一つ取り出しそれをナナキに手渡した。

「おい、なんだこりゃ……っ!?」

「これで、ここにいる人間全員の毛布、防寒着を揃えて欲しい」

「こんなもん……どこで手に入れやがったんだ?」

「拾った。それでナナキ。できるな?」

 ナナキに手渡した麻袋の中には、ナインから手渡された金がまとめて入っている。相当額で、余裕でここ全員の防寒着や毛布を購入でき、お釣りまで帰って来る。それさえあればこの冬でここのホームレスが全員凍え死ぬことはないだろう。それらをまじまじと見つめナナキは麻袋とレオンの顔を交互に見ながらそれを懐にしまい込んだ。

「どうして俺なんかに頼むんだよ。持ち逃げするかも知れないぞ?」

「この中でホームレス全員の顔を覚えていて、古株のあんたが一番信用できる。それに、持ち逃げしようものなら確実に見つけ出して引きずり戻してやる」

 レオンの言葉を聞いた瞬間、飲んでいた酒を口からこぼしながらななきは寒空に大きく響くような笑い声を上げた。そして、その全てが空一面に広がる星に吸い込まれたところで大きく息を吐いたナナキ、隣に座ったレオンと目を合わせる。

「三日でやってやる」

「助かる」

「それで、その娘っ子はどうした? 見た所、獣人か?」

「拾った」

「……ほぉ、ケッタイな落し物もあるもんだな」

「深くは聞くな。察してくれ」

 レオンの隣に、正座でちょこんと座っているナインのことを先ほどと同様舐めるようにジロジロと眺めるナナキの視線から外すようにレオンは左手で庇うように奥へと引っ込ませた。

「お前さん。なんかあったか?」

「……いいや。何も」

「そうか、なりゃいい」

 そう言って、先ほど零した分の酒を口に戻すようにラッパ飲みで酒を口に含み一気に飲み干してゆく。酒臭い息を深く深くナナキが吐くと、それは白く濁り、街中に立ち上る黒い煙とともに、空へと消えて言った。

「生きるには光が必要だが。ここじゃ、光が絶えないな」

「……そうだな」

 街の空には工場から漏れた光と、街灯の光が夜の闇を明るく照らしている。だが、それらは大勢の命を燃やして生み出している光だ。こんな世界になってから、レオンはこれらの光景を美しいだの、綺麗だのと思ったことはない。

 ナナキが再び大きく白い息を吐くと、空から小さな綿のようなものが舞い降りてくる。それは、ここで身を寄せ合いながら暮らしているホームレスの頭の上にゆっくりと降り積もってゆく。その光景を眺めながらレオンは体をさらに小さく縮め込めた。

「二日でやってやるよ」

「……ありがとう」

「何、困った時はお互い様だ。先に寝る」

「あぁ」

 ナナキはしばらくして、大きないびきと共に酒瓶を抱き込んだまま眠ってしまった。そして、レオンの隣にずっと正座だったナインも疲れていたのか、小さな寝息を立ててレオンの肩に保たれるようにして眠ってしまった。

『いい爺さんじゃないか』

「……あんただって相当な年だろ」

『そうだな。まぁ、こんなになる前は七十近かったなぁ』

「ディストで神に届くと言われた老槍兵。そんな人間が、どうして俺の右腕の鎧なんかに入ったんだ」

『さぁな。儂が知りたいくらいだ、全く』

 レオンの右腕の鎧がギシギシと寒さで鉄を軋ませ手首をぷらぷらと動かしながら「さっぱりわからない」と言わんばかりにジェスチャーをする。当然ながら、レオンの頭の中に聞こえてくるアルムの声はレオン以外に聞こえていない。

『覚えてるのは、なんか。こう。でかい光の塊がグーって近づいてきて』

 アルムは右腕を必死に動かしジェスチャーをするものの、レオンに理解できるわけがなく。そして、必死に動かしているせいかレオンと鎧のつなぎ目に軽く痛みが走っていた。

『んで、気づいたら坊主のその腕の中にいたってわけよ』

「でも、あんた死んでるんだよな? 戦死か?」

『……いや、確かに死んだのには間違いないんだが……なんで、死んだんだ。儂?』

「覚えてないのか?」

『……あぁ、なんか。いや、戦争があったことは覚えてるんだ。だが……死んだ瞬間のことが、こうポッカリ抜けてて』

 何かを思い出すようにカタカタと音を立てている右腕の鎧を見ながら、レオンは必死に過去の記憶を掘り起こそうとするものの、アルム=マフタンの戦死については知ってはいて、それ以上の情報を持っていないことに気づいた。

「まぁ、どうでもいいが。それで、どうしてディストの人間が俺の右腕に取り憑いてるかだ。問題は」

『人を幽霊呼ばわりするんじゃねぇよっ!』

「幽霊のようなもんだろうがっ!」

 一瞬頭に血が上り、興奮気味に肩で息をするレオンだが何も無理のない話だった。今まで三年間、右腕を切り落とされ代わりにすげ替えられた敵軍の鎧の右腕を忌々しく思いながら生活をしていたのだ。それが急に言葉を話すようになったり、動くようになったりすれば混乱もする上に、何より薄気味悪いと思うのは当然のことだ。

 そして、何より。

「俺たちの仲間の仇、あんたにぶつけたところで何もならないが。覚悟はできてるんだろうな」

『……ほう?』

 鎧の姿になったとはいえども『ディスト』の人間であることには変わりない。そして、この男が『神槍』と謳いながら『ユート』の兵を、レオンの仲間を何十人と葬ってきたに違いないのだ。それ故に、レオンはその気味の悪さ以上に憎しみが強く心の中で支配していた。

『んで、鎧姿の俺をどうやって殺す? バラバラに解体でもするか?』

「それもいいかもな。試してみるか?」

 鎧の右腕の拳が硬く握り締められる。同時に、レオンの左手も右腕の鎧の手首を抑えにかかろうとする。しかし、鎧の拳がレオンの顔面に迫る寸前。そして、レオンの左手が鎧の手首を抑えにかかった瞬間。

「……ん」

 ナインが身をよじらせ、レオンのそばへと寄る。先ほどに振動で軽く目が覚めてしまったか、少し頭を持ち上げ、辺りを見渡すと再び眠りついた。

『……子供の前で暴力はしない主義だ。この件はお預けだ、坊主』

「……同感だ」

 互いに拳を下ろし、再び一息。

 レオンの口から白い息が吐き出され、頭の上に積もり始めた雪を軽く左手で払い落とす。ふと、レオンが横をみれば、右腕が軽くカシャカシャと音を立て隣で眠るナインの頭を優しく撫でていた。右腕はレオンの意思と反して動くため、レオンが目を離した後もその右腕の鎧は動きを止めることはない。

『こんな子供が奴隷だなんて、嘘みたいな話だぜ。全く』

「……あんたは、ディスト側の人間だろ。奴隷を使役させるなんて日常茶飯事だったんじゃないか?」

 アルムの動きが止まる。何かを我慢するように、鎧の鉄が擦れる音が軽く響き、ナインの額を軽く親指の腹で撫でた後レオンの膝の上に収まる。

『坊主。ディストの全員が全員、命を道具のように扱う奴らばかりじゃない』

「あんたは違うって言いたいのか?」

『あぁ、違うね。あんな血生臭い連中と一緒にしないで欲しいね』

 プラプラと手を振りながら右腕の鎧は答える。その言葉が何を意味するのか、レオンにはわからなかったがナインの接し方を見ていて、アルムという人間が少しではあるが見えてきたのである。「……寝るか」

『応、寝とけ。明日も早いんだろう?』

「……そうだな」

 より体を縮ませ、体の熱が逃げないように。レオンは、瞼を閉じ意識を手放してゆく。あまりにもいろんなことがあり過ぎた一日ではあった。同時に、いろんなものに出会った一日だった。そして、同時にレオンは思った。

 明日は何をしようと、考えたのはいつぶりだろうかと。

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