夢を見ている。

 夢を見ている。

 夢を見ている。

 でも、それは想像でも、妄想の産物ではない。全て、現実だった出来事だった。三年前、長きに渡る戦争に決着がついた。自由と平等を謳い、戦った。北軍『ユート』最強の男、レオン=イデアルもその一人であった。

 その素早い立ち回りで繰り出す剣撃と、大量の魔力を使用したエンチャントの力強さはまさに一騎当千。多くの北軍の人間が、レオン=イデアルが戦争を終結させると確信していた。しかし、南軍『ディスト』にも切り札があった。奴隷制の導入で発達した文明の『スチーム』で動く最新の駆動兵器、それらには火薬を用いた大砲などが積まれており、一台で一個小隊分の火力を持っていた。そして、南軍の兵士一人一人が持っていた同じく火薬を使って小さな金属片を射出する兵器は、剣で戦争を行う北軍を徐々に追い詰めていったのである。 

 そして、全てが終わったあの日。

 レオンは、体全身に傷を負いながら。戦場に南軍『ディスト』の旗を立てる一人の将校の前で組み伏せ座らされていた。空を灰色が覆い尽くし、戦場では焦げた匂いと炎の色が支配する。そして、かつては美しい草原が広がって、緑豊かだった土地は焼け焦げ土色に広がり、そこら中に大きな穴が空いていた。そんな土の上で座らされているレオンのすぐ横では残党狩りと称した処刑が行われており、泣き叫び命乞いをするかつての仲間の首を容赦無く跳ね飛ばす姿が視界の端に映った。

 故に、切に願った。

「……死なせろ」

 その言葉は、血とともに吐き出され。それを見た、一人の将校はニタリと笑う。レオンは、その表情を今の今まで忘れたことは一度もなかった。年齢は五十を行くかいかないか、白髪混じりでそんな彼の潰れた左目を覆い尽くしていたのは、真っ黒な眼帯。その男は、レオンの前にしゃがみこみ、絶望に打ちひしがれている表情でもその笑みを崩すことはない。

「嘘だね。君」

 南軍『ディスト』の将校、ロベルト=リワード。この南北戦争において『スチーム』を用いた近代戦争を実現させ、高い指揮能力で南軍を勝利へと導いた南側史上屈指の名将。そんな彼は、跪いたレオンの前でいまだに微笑みかけている。

「ここで、逃げるのかね?」

 頭の中身が全て弾け飛びそうなその言葉に、レオンは噛み付いた。しかし、必死に抵抗をしようにもレオンの体を押さえつける兵士を跳ね除けることはできない。ロベルトは、そのレオンの姿を躾けのなっていない犬を見るような目で見下ろす。

「私は君を買ってるのだよ、ハウンド君。ここで死なすには実に惜しい、ぜひ私の右腕に欲しいな」

 ロベルトが片手を挙げる。その背後から兵士が二人近づいてくる。その内、一人は南軍が身にまとっている鎧の片腕を、そしてもう一人は魔道書のような厚みのある本を。これから何が起きるのか、全く何も考えつかないといった表情のレオンは無理やり体を起こされ、組み伏せられていた兵士に右腕を抑え込まれる。

「君、こちら側に来る気はないかね?」

 ロベルトの言葉に一瞬、レオンが止まった。体が震え、噛み締めた口から血が溢れる。すでに、この後ロベルトに吐き出した言葉をレオンは覚えていない。だが、その口汚く罵った言葉を受けても、いたって涼しい顔をしていたロベルトの表情をレオンは今でも覚えていた。

「そうか、それは残念だ」

 次の瞬間、レオンの押さえつけられていたはずの右腕が姿を消した。悲鳴をあげようとするレオンの口に布が押し込められる。そして、鎧の片腕を持った一人の兵士が、血が流れたままの右腕の切断面に鎧を押し付けた。

「さて、死にたい。だったかな? いいとも、君を殺してあげよう」

 押し付けられた鎧と、切断された右腕の接している接合部。一人の男が魔道書を開き、呪文を唱え始めると鎧が赤く光り始め、レオンの腕の肉を焼き始める。その衝撃的な痛みに、口に押し込められた布ごしでも苦悶に似た悲鳴が響き渡る。それは戦場の各地で響く悲鳴と混ざり合い、灰色の空の向こうへと消えていった。

「さて、君の唯一の存在意義を殺された上で。まだ、その闘志が消えないのであれば。私は、喜んで君を忠実な猟犬として歓迎しよう、願わくば。君が時代に押しつぶされないことを祈ろう」

 鎧の右腕に挿げ替えられたそれは、力なく地面に落ちる。肩と鎧の腕は無理やり繋ぎとめられ、その鎧の肩には南軍の印が彫られていた。

 拘束が外され、レオンの目の前で背中を向けたロベルトの姿を何もすることなくただぼんやりと眺めていた。今、立てば確実にロベルトの背中を刺して殺すことができた。しかし、右腕が動かない。そんなことを理由に逃げたレオンの目の前から、ロベルトの背中はどんどん離れていく。 

 何もできなかった、いや。何もしなかった。 

 そのことに気づいたレオンの口からは、悲鳴ではなく。喉を締め上げるような、笑い声が漏れ出した。こんなに滑稽なのは、いつぶりだろうか。戦場に悲鳴が消え、笑い声が代わりに炎や灰色の空を舐め取るように響き渡る。そして、笑い終わった後。レオンは、夢遊病者のように立ち上がりフラフラと鎧の右腕を抑えながら、戦場を歩いてゆく。

 行くあての無いまま、歩いて行く。

 行くあての無いまま、歩いて行く。

 行くあての無いまま、歩いてきた。

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