「っ……」

「今日も魘されてたね。あんた」

「……そういうあんたは、相変わらず酒か」

「お前さんも飲むかい? 少しは気持ちよく眠れるかもだぜ?」

「俺は酒が飲めない」

 節々がキリキリと痛む体を起こし、男は空を見上げる。都市開発で大きく成長した結果。美しかったはずの青い空はすでにどこか遠く、灰色の煙に巻かれてどこかくすんで見える。

「レオン、今日はどうするんだい?」

「……いつも通り、山に行って薬草集めだ。暗くなる前には戻るさ」

「そうかい、せいぜい道でおっ死んでくれるなよ。その右腕を売りに出せなくなっちまう」

 レオンは左手に持った杖で体を起こすと、ホームレスの吹き溜まりである路地裏を後にする。先ほどまで話していた男に名前はない、だが一番の古株の老人である彼は周りの人間から『ナナキ』とよばれ親しまれている。そして、ここには様々な理由で家を失った人間が集まって身を寄せ合って生きている。それも、三年前の戦争で北が負けたことにより、多くの人間が路頭に迷った。

 南の『ディスト』と北の『ユート』の戦争。奴隷制の復活を望む南の勝利により、北に住む人間は階級を失い、平民もその土地の多くを奪われ、都市開発が進むのと同時に文明の進化が進んで行った。『スチーム』と呼ばれる水蒸気で大きなものを動かす技術がこの都市を支配し猛威を振るうと同時に、南側の政策により、奴隷制を復活。物の生産を上げさせ、タダ働き同然で奴隷たちを酷使させ使えなくなったら、必要がなくなったら道にゴミ同然に放り捨てられる。そんな時代に世界が動いていた。

 レオンの隣を黒い蒸気をあげながら道路を工場行きの『スチーム』で動く路面機関車が通り過ぎて行く。黒い鉄の棺桶のような見た目のそれは、死んだ目をしている奴隷を道路に引かれた鉄のレールの上をガタゴトと走りながら運んで行く。そんな姿を真横で眺めながら、どこか諦めたような表情でレオンは赤いレンガの建物の間にある小さなドアの中へと入る。

「本日の依頼はこちらになります」

「……どうも」

 町外れのひっそりとしたギルドにて、いつも通り僅かなやり取りで依頼を受け取る。それぞれが個人的に企業を立ち上げ販売、買収をしている今の時代ではすでに化石のような存在のギルドだが、それでもそのパイプラインは未だに存在している。全くの文無しよりかは幾らかマシな稼ぎにはなるし少なくとも、一日生きるのには十分だ。

 レオンの仕事は基本的に薬草狩り。山に入って、薬に使える薬草を取って持って帰るという簡単な仕事のはずだった。しかし、都市開発で土地を広げていることにより徐々に山は削られてゆき、やがて薬草を取ることも難しくなるということをレオンは理解していた。そして、それがこれから到来する冬で生き延びることはできないということも。

「のたれ死ぬくらいなら、自分で……」

 重い体を引きずりながら、ギルドからの支給品である錆びついた鉈をジッと見つめる。せめてここで死ぬことができたらと、何度思ったかわからない。だが、死のうと願えば願うほど自然と生きることから手を離すのが難しくなる。

 諦めたように、鉈を喉から離し。森の中へと進んでゆく。

 山の中は、鬱蒼としていて。しかし、都市開発の影響かここに巣食っていた魔物や動物達の姿は見えない。右腕が使えない身として、これほどありがたい話はないが、いずれここに訪れることもできなくなる。

「……ドクダミ200、カミツレ300。富裕層の風邪薬か、笑えるな」

 自嘲気味に鼻から息を漏らしたレオンは、ここで初めて自分の息が白いことに気づく。すでに冬は近い、ホームレスの連中のだいたい四人くらいがこの季節で凍死する。唯一、聖典の文句が言えるレオンの身としては、自分が死んだら誰が弔ってくれるのだろうと思ったところで頭を振り考えるのをやめた。

 国を守ることのできなかった自分が弔われるなど、思い上がりも甚だしい。

 それからは、レオンは一心不乱に何も考えないように薬草を麻袋に詰め込み山を降りた。その日の稼ぎで買えるのは小さなパン一つと、果物一つ。一日を生き抜くには十分な食事だ。

「なんだ、生きて帰ってきたのかい。つまんないねぇ」

「ナナキ、あんたはどうやって酒を手に入れてるんだ?」

「なんだい。飲む気にでもなったかい?」

「……いや、忘れてくれ」

「ヘッヘッヘ。歳食ってから教えてやるよ坊主」

「言ってろクソジジィ」

 いつも通りの侘しい食事を終え、レオンはナナキに本日の依頼内容にあったカミツレをいくつか手渡す。冬の寒さには耐えられずとも、乾燥させたものを煎じれば立派な風邪薬となる。何も無いよりはマシだった。

「なぁ、お前さん。前は北で騎士やってたんだろ?」

「……さぁ、もう忘れた」

「もう一度、剣を握ることはないのか?」

「この腕でか?」

 ナナキの質問に、レオンは右腕に巻かれたボロ布をゆっくりと剥がしてゆく。そこには、銀色に輝く鎧の腕。肩までがっちりと嵌められたそれは、重々しく所々掘られた装飾と、南軍を示す赤い紋章は相当な値打ちものだということが一目瞭然だった。

 しかし、その鎧の中にはレオンの右腕は入っていない。

 空っぽの右腕をレオンは持ち上げ、ブラブラと振るとガシャンと大きな音を立たせて地面へ落とす。

「今更剣を持ったところで、何と戦えばいい。もうとっくに戦争は終わってるんだよ。俺たちは負けた、だからこんなところで凍え死ぬのを待ってる。守るものはもう何もないんだよ」

 三年間、レオンが自問自答し続けて出た答えはこれだった。

 負けたから今がある。

 防ぐことのできた今を、防ぐことができなかったから今がある。

 全ては、自業自得だ。

「俺は寝る。せめて死なないように酒飲んで体を温めておけ」

「ガキのくせに一丁前に他人の心配するんじゃねぇよ」

 なるべく体を縮こませて熱が逃げないようにした後、レオンはゆっくりと瞼を閉じてゆく。

 どうせ、見る夢などいつも同じだ。

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