0ーPostludiumー
目を覚ました時、そこは夜の森だった。近くに温かなたき火の熱を感じて、そちらに目を向ける。
「目覚めたか……ベル」
父が心配そうに私を起して抱きしめた。
「前世は……どうだった? 彼を救えたのかい?」
「わからない……わからないけど、精一杯生きたわ」
「そうか……7日も眠っていたから心配していたんだよ」
「7日間?」
そう言われて思い出した。野獣との約束を。7日のうちに帰ると言ったのに。慌てて愛馬のフィリップへと飛び乗る。
「お父さん、彼を助けに行くわ。色々ありがとう」
「お前の幸せが私の願いだ。幸せになりなさい。愛しい我が娘」
父に見送られ、夜の森をフィリップが駆け抜ける。私はこの世界の御伽話を読んでいない。だから結末が幸福なのか悲劇なのかもわからない。それでも……わからないからこそ、自分の手で運命を切り開かなきゃと力強く思う。
嗚呼……彼の澄んだ眼差しは、気高い想いは、こんな暗闇の中でのひたむきな希望だったのかもしれない。きっと素晴らしい未来があると信じ、未来は自分で作るのだと覚悟して。
夜明けが訪れる前に、やっと城にたどり着いた。
「帰ってきたわ。どこにいるの? ジーク」
私が叫ぶとポット夫人が跳ねながらやってきて言った。
「嗚呼……ベル様。やっとお帰りになったのですね。急いで薔薇の温室に。王子が……」
その言葉を聞いて駆け出した。一度だけ温室の前に行った事がある。その時は彼に止められて、中に入る事を拒まれた。あそこに彼の大切な物があるのだろう。
走ると埃が舞い、石畳につまづきそうになって、靴を脱ぎ捨てて駆けた。そして……やっと温室にたどり着く。
「ジーク!」
温室の中で野獣は倒れ臥していた。あの薔薇の鉢植えが側にあり、一枚だけ残された花びらが、今にも儚く散ってしまいそうだ。
慌てて温室に入ろうと、ドアノブをひねった瞬間、ぱっと景色が変わった。
何も見えない完全なる暗闇。闇が私の皮膚へと忍び込み、体の中で叫び続ける。
『タスケテ』
『ワタシヲエランデオウジサマ』
『シアワセニシテ』
『ドウシテエランデクレナイノ』
嗚呼……あの呪いの固まりがここなのか。思考の渦に飲み込まれ、窒息しそうだ。頭の中を前世の記憶が駆け巡る。
かぐや姫の世界で、私の元へ駆けつけてくれた必死な彼。
白雪姫の世界で、私の口づけに林檎のように頬を赤く染めた彼。
シンデレラの世界で、荒れた私の手をとって「君は君だ」と言ってくれた彼。
白鳥の湖の世界で「オデットの呪いは僕が解く!」と言い放ち、必死で戦おうとした彼。
ラプンツェルの世界で、私を抱きしめ、庇ったまま崖下へと落ちた彼。
茨姫の世界で、どれほど傷つこうと、歩む事を辞めなかった彼。
千夜一夜物語の世界で、世界の女を呪って歪んだ彼。
全部違うけれど、全て彼なのだ。彼を助けたい。強く願ったらいつの間にか私は馬車の中にいた。馬車を覆う透明な障壁が、黒い霧から私を守ってくれる。白い鳥が飛び立って馬車を先導してくれた。
「この先に彼がいるのね」
手元にあった不死の薬をぎゅっと握りしめる。闇の中を突き進むと、茨だらけの空間に出た。空間の中心に茨の蔓が絡まり合って、繭玉のように丸くなった大きな物体がある。白い鳥はその塊の上に舞い降りた。
「その中に……彼がいるの?」
私が茨の塊に手を伸ばすと、腕から金の鎖が伸びて茨に絡み付く。鎖を掴んで塊の元へと歩み出す。床が一面茨の棘だらけだけど、ガラスの靴が私の足を守ってくれた。
やっと茨の塊にたどり着き、棘が突き刺さる事も厭わず、必死に茨の蔓を引きちぎる。手が血まみれになっても、もう迷わない、諦めない。この中で彼が私の助けを待っているのだから。
「ジーク!」
私の叫びが茨の蔓の壁を突き破った。穴から覗き込むと、塊の中でジークフリートが眠る様に丸まっているのが見えた。腕の中にガラスの器を抱え、その器の中に一輪の薔薇が見える。たった1つの花びらが、今にも散ってしまいそうだ。
穴の中に手を差し入れ、精一杯手を伸ばす。
「ジーク! 貴方を助けに来たわ」
固くつぶられたジークフリートの瞼がぴくりと動く。
「約束したでしょう? 何度生まれ変わっても、貴方に会いに行くと。そして貴方の重荷は私も共に分かち合うと」
待ってるだけの自分は捨てて、眠り続ける過去の自分を叩き起こして、貴方に会いに行くと決めた。その想いを貫く意志は、貴方が教えてくれた。
無謀という名の勇気、愚者という名の勇者。何も知らず、何も持っていない。それでも私は私らしくあり続け、心の奥にある愚直なまでの気高さを持って、貴方に会いに行く。
ジークフリートの睫毛が震え、ゆっくり目を開けた。ぼんやり漂う視線が私を捕え揺らめく。
「き、きみ……は」
「私は……貴方を救いに来たお姫様よ!」
眠れる森の王子を助けるお姫様がいたっていいじゃない! 私が延ばした手に、ジークフリートも手を延ばし指と指が触れ合う。
「助けてくれてありがとう……僕の……俺の……私の……姫」
眩い光が世界を一瞬で変えた。
気がつけば私は温室の中にいた。野獣の唇が震える。
「今……想い出したよ。前世までの記憶を。私を救ってくれてありがとう……ベル。だが……私は前世の罪の報いを受ける刻がきたようだ」
「ダメよ! 約束したでしょう? 共に分かち合うと。これからも一緒に生きて、幸せも重荷も分かち合うのよ」
倒れた野獣の体を助け起してぎゅっと抱きしめる。毛むくじゃらの頬を撫でて彼の瞳を覗き込んだ。どこまでも澄んだ瞳。私の愛した彼がいた。
「貴方を……愛しているわ」
「私もだ。ベル」
私が眼をつぶってそっと口づけると、甘さと苦さが入り交じった味がした。力をわけあい、呪いをわけあい、長い長い口づけをする。眼をつぶったままでもはっきりわかった。手に触れていた毛の感触が消えて行く。私の体を抱きしめる彼の腕が形を変える。
そっと眼を開けた時には、彼は野獣から人の姿に変わっていた。
丁度外から夜明けの光が差し込み、城を照らし始める所だ。埃を被って死んでいた城が、まるで息を吹き返した様に眠りから覚める。シャンデリアが明るく部屋を照らして、遠くから歓声が聞こえた。
「呪いが……解けたのね」
「君のおかげだ……ベル」
「貴方のおかげでもあるわ。言ったでしょう? 二人で分かち合うのだと」
まだだるさの残る体で立ち上がり、二人で支え合う様に歩き出す。一歩一歩、歩く度に、体の重さが解けて行く。体にまとわりついた黒い霧が宙へと消えて行った。
「ねえ……この世界の物語の続きを知っている?」
「さあ……私は知らないね」
「私も知らないの。だから……二人で作って行きましょう。新しい物語を」
「それを君が書いて本にするのかい?」
「ええ、私は本が大好きだから。本を書く仕事がしたいわ。お姫様が王子様に幸せにしてもらう……そんな御伽話じゃなくて、姫が王子を助けるそんな物語を書いてもいいわね」
「それは頼もしいね」
くすくすと二人で笑って囁いて。呪いが解けて物から人へ戻った使用人達が、喜びのあまり、歌い踊り始めた。私と彼もその和に混じって二人で踊り出す。
踊り疲れる頃には、澄み渡る青空の中で、太陽は強く光り輝いていた。その光を浴びて、私と彼は昼寝をする。今生がいつ終わるのか知らないけれど、知らないからこそ精一杯生きよう。
幸せも悲しみも分かち合って、二人で道を歩くのだ。貴方と幸せになりたい。
プリンセス・ジャンクション 終わり
プリンセス・ジャンクション 斉凛 @RinItuki
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