第七夜

 むかし、むかし、あるところに、かわいそうなおうさまがいました。おきさきさまにうらぎられ、きずついたおうさまは、そのあと、はなよめをむかえるたびに、いちにちで、はなよめをころしてしまう、おそろしいおうさまになってしまいました。

 そんなおうさまに、こころをいためた、ひとりのおひめさまが、おうさまのはなよめになるときめました。

 そのなは……。


「わたくしシェーラザードが、シャハリヤール王の花嫁になります」


 そう宣言した時、父を含め多くの人が反対した。また王に殺されてしまうと。

 記憶が戻った時には信じられなかった。あれほど気高く澄んだ瞳の彼が、人殺しになるなんて。それでもここは千夜一夜物語の世界。ジークフリートがシャハリヤール王で、私が大臣の娘シェーラザードなら、彼を止められるのは私だけだ。

 初夜の夜、ジークフリートと会うのが恐ろしい。この世界の彼に何があったのか。震えながらその刻を待つ。

 柔らかな絨毯を踏みしめ、神秘のベールをめくり上げ、王が部屋へと入ってくる。

 初めて王を見た時に、思わずぞっとした。王の周りを黒い霧が包み込み、あの気高く澄んだ瞳は輝きを失って、黒く濁った目になってしまった。

 まさしく呪われた王……そのものだ。


「わざわざ俺に殺されにきたのか? ……シェーラザード姫。いや……」


 そう言ってから、王は私の顎に手をかけてすくいあげ、間近で囁いた。


「かぐや姫、白雪姫、シンデレラ、オデット、ラプンツェル、オーロラ……どの名でお前を呼んだらいいのか」

「ま……まさか……貴方、前世の記憶を持って……」


 思わずがくがくと震え、声に怯えが混じる。今まで一度も、ジークフリートが前世の記憶を持った事はなかったのに、今生では覚えているの?

 くっくっと、皮肉気に王は笑って私の頬を撫でた。


「ああ、覚えているよ。お前が私を置いて月に帰ってしまった時は理由がわからなかったが……今やっとわかったよ。お前はなぜかは知らないが『前世』の記憶だけでなく、『来世』の記憶もあるのだろう? 俺が……次の人生どうなるか、知っているんじゃないか?」

「え、ええ……」

「どうせ……ろくでもない人生なんだろうな。今生でこれだけ罪を重ねているのだから」

「そ、それがわかっていながら、どうして……どうして花嫁を殺すの?」


 王は私の頬から手を離し、窓の外の月を見て、鼻でせせら嗤う。


「俺が花嫁殺しをするのを知ってて、それでも花嫁に志願する女は多いんだ。皆『妃になれば幸せになれる、自分だけは特別だ』そんな顔をして。死ぬ間際になって後悔の言葉を零す……そんな姿を見るのは非常に愉快だ」


 歪んだ心の王が、流し目で私をちらりと見る。ぞくりとするほど大人の色気が漂った。


「前世にもたくさんの女どもがいたな。王子に選ばれれば、何もしなくても幸せになれると妄信する女どもが。そして自分が選ばれなければ俺を恨む身勝手な女どもが。あの頃は解らなかったが、今ならはっきり解る。あの女どもの声が呪いとなって、俺の命を奪おうとしていた。だから……これは全ての女達への復讐さ」


 王の目に、言葉に、重い想いが込められて、その業の深さに目眩がした。そうか……何も知らないからこそ、ジークフリートは今まで純粋でいられた。どれほど呪いをかけられようとも、その気高さを失わず、まっすぐに、愚直に正義の王子様でいられた。


 愛しのジークフリートは、愚かだけれど輝く様な少年の心を失って、賢いけれど醜い大人になってしまったのだ。

 知ってしまったから……彼は女を恨む事しかできない。


 今生で花嫁を殺し続け、呪いを増やした。次の人生こそ、あの野獣の王子だろう。ここで王を救わなければ、野獣の命は救われない。私はジークフリートを助ける為に今まで生きてきたのではないか。ぎりっと奥歯を噛み締め言葉を紡ぐ。


「貴方が……今までの人生で、どれほど苦労し、苦しんできたか。私は知ってるわ。今までもこれからも、私は貴方を愛しているの。だから呪いから貴方を救いたい。その為にここにきたの」


 王は軽く目を見開いて、じっと私を見つめた。その後唇の端をつり上げて嗤った。


「俺の呪いを解くというのか……面白い。俺の呪いが解けるのが先か……それともお前が殺されるのが先か……勝負といこうか。シェーラザード姫」


 私の首に手を添えて、軽く締め付ける。まるで私を脅すように。私はそんな仕草にも怯まずに、しっかりと王の目を見据えた。

 千の夜をかけて、彼と語らいあおう。王の歪んだ心を救う為に。野獣の王子を助ける為に。



 それから毎晩、王と話をした。かぐや姫から始まった、前世の私達の想い出話を。王は私に話をさせて、ただ黙って聞いていた。私が側にある品々を見せて説明した時、初めて興味深そうに言葉を返す。


「生まれ変わる度に、引き継ぐ品がある……か。俺には何も無いがな」


 不死の薬の入った壷を覗き込み、窓の外の馬車を眺め、ガラスの靴をつまらなそうに放り投げ、白い羽を手に取って弄び、金の鎖に触れようともせず、薔薇の鉢植えだけ興味深そうにじっと見つめた。


「これだけは……何か運命を感じる気がする。俺にとって重要な物なのかもしれない」


 そう言って、壊れ物に触れるかのように、繊細な仕草で固く閉じられた薔薇の蕾に触れた。その時の王の表情を見て、ふと野獣を思い出した。何か言いたい事があるのに、飲み込んで私を送り出してくれた野獣の最後の姿を。

 野獣の呪いを解く為に……そう思って不死の薬を手にとろうとして取り上げられた。


「ラプンツェルの時に俺に命を与えすぎて、オーロラは深い眠りについてしまったのだろう? そしてオーロラを助け出す為に、俺はさらに呪われた。所詮限られた命を互いに分け合うだけ。そしてそのしわ寄せが俺にきてより呪われる。……無意味で無価値だ」


 そう……なのかもしれない。今までの私はジークを救えなかった。でも……私の努力が無意味で無価値だと断言されるのは悔しい。


「人は皆、自分の不幸を嘆くが、ある日突然救世主が現れて、何の努力もせずに救われる。そんな御伽話を夢見ているのだろう?」


 人を小馬鹿にしたようなシニカルな笑みが心に突き刺さる。私も……ただ救世主を待ってるだけの愚かな女だ。そう言われている気がした。ベルであった頃、無邪気に御伽話を楽しんでいた頃はそうだったかもしれない。でも……今は違う。


「御伽話なら。でも現実はそんな一方的に見返りを求めない愛などないわ。誰かを救った分、救われなければいけない。そうでなければ……救世主は世界中の人々を救い続けて、いつか力尽きてしまうわ」

「それが……俺だと?」

「そうよ……力尽きた救世主さん」

「お前は、自分だけは違う、特別だと言いたいのか?」

「私は貴方を救う為に生きてきた。ただ待ってるだけで、何もしないで幸せになれるなんて夢を見ていないわ」


 私の言葉にどんな言葉を返すのか……じっと見つめていたら目をそらされた。王の伏し目が切なく揺れる。王の頬を包んで私の方を向かせようとして……抱きしめられた。耳元で掠れた声が囁く。


「俺の呪いを代わりに引き受けてくれるか? 重くてたまらない」

「いいわ……私が貴方の重荷を分かち合いましょう? 愛し合うってそういう事でしょう? 幸せも苦労も二人で分かち合う。どちらかがどちらかを、一方的に幸せにするものではないわ」


 私は自分の身を投げ出す様に、唇に唇を重ねた。触れるだけのつもりが、顎を掴まれて、激しい口づけに変わる。

 口の中に苦い味が広がって、急速に体がだるくなる。体中に駆け巡る負の怨念が木霊した。


『タスケテ』

『ワタシヲエランデオウジサマ』

『シアワセニシテ』

『ドウシテエランデクレナイノ』


 ぐるぐると体中に駆け巡る思考の渦に飲み込まれない様に、ぐっと堪えて目をつぶった。しばらくしてやっと呼吸ができるようになって目をあける。すると王が皮肉気な笑顔のまま、目元に涙を滲ませた。


「お前の体の周りに、黒い霧が見える。これが……呪いなのか?」

「そうよ。貴方には見えてなかったのね。今の貴方にもまだ残っているけど」


 王の周りの黒い霧は薄まったが、まだ残り続けていた。全部引き受けてあげたいけれど……私だけが一方的に引き受けるのは、また来世のジークフリートの負担になるかもしれない。

 王の目尻から雫がこぼれ落ちる。その雫が金の鎖に落ちると、鎖が突然私と王の体に絡み付いた。まるで私達をつなぎ止めるみたいに。ぎゅっと締め付けられた後、鎖は光の粒となって消えて行った。その光の眩しさに目がくらんだ後、瞬きをして王を見る。


「霧が……少し薄くなった気が……するわ」

「俺にもそう見えるな」

「この品達も……貴方への呪いになっていたのかしら?」

「あるいは……呪いを解く鍵なのかもしれない」


 よく見れば、薔薇の蕾がわずかに膨らんでいた。この薔薇が……ジークを救う鍵なのだろうか?


「私に与えられた力を返すわ。だから……貴方の呪いが解けます様に」

「お前が前世までに努力してきた力が……俺を救ってくれるのか?」


 王は半信半疑という表情を浮かべたが、その後も毎夜私との時を刻んだ。

 羽から白い鳥を生み出せば、私達の霧を吸って黒い鳥になり遠くへと羽ばたいていった。

 二人でガラスの靴を手に取ると、ガラスは黒ずんで砕け散った。

 二人で馬車に乗って出かけたら、いつの間にか馬車が消えてしまって、帰りに困って二人で笑って歩いて帰った。

 そんな1日1日を繰り返すうちに、ジークフリートの昏い目が輝きを取り戻していって、胸が熱くなる。繋いだ彼の手に温かさを感じて、微笑みに優しさが滲んで。

 そうして……千と一夜目。二人で分け合って、不死の薬を飲んだ。彼と私の体を包んでいた霧が、全て宙に消えたのを見届けた頃に急速に力が抜けて行く。


「何度生まれ変わっても、貴方に会いに行くわ。そして貴方の重荷は私も共に分かち合うの」

「重荷だけでなく……幸せも分かち合おう」


 繋いだ手にぎゅっと力を混めて……そのまま二人で倒れ臥した。そのまま目覚める事無く、今生は終わりを告げた。美しく花開いた大輪の薔薇を残して。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る