第8話
温かい布団、温もり、手の平の体温が温かい。やはりこの空間はくすぐったくなかなか慣れない。
ココは境がこの場所に来た時に豊に用意してくれた部屋。
低めのベッドの上に薄っぺらい布団が敷いてある。
せんべい布団と言ったらそうなのだが、道路や木の根のぼこぼこした所に段ボールを敷いて新聞紙を身体の掛けて眠っていた豊にとってはココは天国のような所だった。
ベッドで起き上がった豊は隣に安らかに眠る未羅の顔を見つけてうろたえる。
昨日はあのまま帰ったら真夜中で未羅を部屋に止めたことを思い出した豊だった。
二人でしゃべり疲れてそのまま同じベッドで眠ってしまったんだっけ……。
隣で眠る未羅の寝息に顔を赤くし少し距離を取る。
僕がこんな温かい場所で生活できるなんて今でも信じられない。
未羅を起こさない様、布団から出てベッドから下り、机に座りリュックサックから豊はハードカバーぐらいの厚さの本を取り出した。
2cmぼどの分厚いその本。これも豊にとっての宝物だった。
本の色は赤茶一色。随分古い本なのか少し痛み、太陽の光で中の紙が茶色く染まっていた。
見た目は少々不気味なその本は題名が汚れて読めなくなっている。
表面の真ん中部分の下の隅に六角形の穴が三つ空いていた。その穴は石がはめ込めそうな大きさだった。
この本は幼い頃、唯一一人だけ豊に読み書きを教えてくれた闇という名の老人が居たのだがその人から貰った本であった。
もらった当初、中には闇の家族らしき人の写真が挟み込まれていた。本の様だが中には何も文字が書いていない様だった。
豊はゆっくりとその本を開く。その本には豊の今まで起きた辛い事、悔しい事、色々な物が詰まっていた。
いわいる日記と言ってしまえばそうなのだが、それだけでは語れないほどの思いがこの本に詰まっていた。悔しさ悲しさをここに綴れたからココに吐き出せたから、豊は辛いことの後でも笑顔になれた。
生きて行こうと思えたのだ。
また豊はその延長で言葉を紙の切れ端に乗せて歌も作っていた。趣味程度の物だが、そうしてあの辛い一人きりの孤独な日々を何とか乗り越えてきたのであった。
あれはいくつだっただろう。
豊は今現在も子供だがあの当初はもっと幼かった。
その当初、豊の見た目は三歳ぐらいに見える幼子だった。
その日、豊は子供には見えない鋭い面構えである屋敷をにらんでいた。
その屋敷は豊が住んでいた古い大木から数キロ離れた隣町に立っていて、その町は豊が寝起きしている所とは違い優雅な暮らしをしていると聞いていた。
中からヘコヘコお辞儀をしながらみすぼらしい衣装を着た老人が出てきた。
豊は老人が近くに来るまで塀の裏の隅に隠れていた。
傍まで来た老人が豊に声をかける。
「坊主、また来たのかい」
老人は眉間にしわを寄せ豊に目線を合わせた。
「闇さん、今日は文字を教えてくれるって言ってたから」
幼子である豊のまっすぐな瞳とたどたどしい言葉に困った表情を浮かべる闇という老人であった。
「坊主、約束守れなくてスマンな。明日私の寝床に来なさい。何でも教えてあげるから」
この当初の家族と呼べる者は闇という老人だけだった。
家族といっても二年程の事、名前も付けて貰えることもなく、ずっと坊主と呼ばれていた。
所詮は他人である。
都合の悪い時は側に居られては困るのだろう。
しかしひどい熱で倒れている時など助けてくれていたのはこの闇という老人であった。
そして歌と言う生きる希望を与えてくれたのもこの老人であった。
最後に豊が闇と会ったのはこの本そしてそれと一緒に鉛筆を渡された時だった。
その当時は闇と会って二年の月日が流れており豊も闇の事を信頼し始めていた。
そう、闇との別れの日は突然やってきた。
大勢の黒い服を着た大人達が大勢やってきて闇を取り囲み連れて行こうとしているのが見え当時の豊は幼いながらも必死で闇のもとに駆け寄ろうとした。
当時の豊には闇は家族とまではいかないが豊にとってとても大事な人であった。
黒服の大人達の群れを縫って闇の方へ近づく。
豊の手がもう少しで闇に届きそうな所で隣にいた黒服の大人に腕を掴まれた。
「勝手に何をやっている!汚いがガキが入ってくるんじゃない!」
黒服の大人の怒鳴り声に豊は震えあがった。
当時の豊には鬼に見えた。
闇が此方に気が付き、声を張り上げた。泣きそうな声だった。
「その子は関係ねー!手を出さないで下さい」
その後、落ち着いた声で闇は周りに頭を下げ黒服の大人に囲まれながら豊の傍まで歩いてきた。
闇は手元に本を持っていた。
豊はその本の事を知っていた。
闇が大事そうに持っていた本を。何が書いてあるのだろうとずっと気になっていた。
「闇さんどういう事、何があったの?」
豊の震える声に闇は優しく笑い首を横に振り豊にその本を差し出した。
古びているがどこか不気味で風格のある三つの穴が開いたその本を。
思い出したように闇は一度出した手を自分の胸元に戻した。
そして本に挟んでいた自分の家族の写真を取り出しそれを自分の服の内ポケットに入れる。
そしてその本と一緒に鉛筆を豊に渡した。
豊は納得いかないままだが闇に促され本を開くと中には何も書かれていなかった。
何の意味か分からず豊は闇に目線を向けた。
「坊主」
闇は豊に目線を合わせて本と鉛筆を握っている豊の手を両手で握った。
真剣な表情の闇に戸惑いを隠せない豊だった。
「良く聞け。ワシはもうこの年じゃ。どうなってもかまわん。一回しか言わんぞ。お前の事が心配だ。このおいぼれは、人間全てが信じられなかった。どんな奴も汚い。どんな奴の声も聞こえても反対の耳から消えていく様じゃった」
闇は豊の手から片手を離し、優しく豊の頭を撫でた。
「お前の言葉だけは胸にスッと入ってきて聞くことが出来た。初めはお前の事面倒なガキだと思っていた。だがいつの間にか目の離せない存在になっておった」
闇の優しい言葉に豊の目からは涙がこぼれた。
片手は豊の手を握ったまま、もう一方の皺だらけの指で闇は優しく豊の涙を拭う。
「もうお前に会うことはないだろう。塀の中で一生を終える筈じゃ。じゃが坊主、お前はこれからも長い時間生きていかなければならない。誰も保護下のないこんな場所で、なんと惨いことだろう」
闇の目は赤く充血していた。
豊は闇がこのままでは自分の前から居なくなると分り胸が裂かれる思いでいっぱいになった。
そして、本と一緒に闇の手も離さないという様に強く握りしめた。
「坊主、死にたくなった時、生きてて良かったと思った時、これに全て書け。憎しみや何もかもをこの本にぶつけろ。私は実は昔の記憶がない。写真はあるが、誰の事か分からない。だけど写真の中の私は笑っている。何の本か分からなかったが私はこの本とそれに挟んである写真をずっと持っていた。何故だか分からないが、持ってなくては駄目だと思っていた。今は坊主に持っていて欲しいと思った。今での私の心残りはお前だけだから」
そう言うと闇はもう一度優しく笑いそっと豊から手を離した。
「嫌だよ!闇さん、闇さん」
豊は今まで出したことない様な大きな声で叫んだ。
黒服の男達は闇を車に乗せ行ってしまった。
サイレンの音とともに後を追いかけて必死に走る豊だったが車は見えなくなってしまった。
その後頭が空っぽのまま何とか生活していたら近くの情報通のホームレスに豊は話を聞いた。
闇は何か悪いことをした訳ではなかった。
造園業の仕事で行っていた隣町の洋館の息子がした盗みを、闇のせいにされたのだそうだ。
隣町でのこの罪はたいして大きな事にはならないが、ココに住んでいる者がやった事は大きな問題になる。
ココはそういう所だと豊はそのホームレスに聞いた。
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