生きる

心憧むえ

生きる

 お母さんが大好きだった。お父さんを早くに事故で亡くして、女手一つで、私に不自由させまいと、早朝から夜中まで働いていた。

 お母さんの笑顔が大好きだった。愚痴ひとつこぼすことなく、私と話すときはいつも笑顔だった。

 今、遺影に映るお母さんの笑顔も、とても大好き。



 ※



 死因は、過労。葬式は密葬で執り行った。哀傷は私を通り越したのか、はたまた私が哀傷を通り越したのか、不思議と涙は流れなかった。お母さんの笑顔がまた見たい。何度そう願っても、もうそれは叶わない。

 お母さんの両親は亡くなっており、お母さんの妹である叔母が、もろもろの手続きをやってくれた。



「叔母さん、この度は色々とお世話になりました」



 深くお辞儀をすると、叔母は「気にしなくていいから」と言って、私を抱きしめた。私はこれから、叔母に引き取られるらしい。



「これからは家族になるんだから、なんにも遠慮しなくていいんだからね」

「ありがとうございます」



 住み慣れたこの一軒家とも、もうすぐおさらばだ。



「それでなんだけどね、今度、ここにいってごらん」



 そう言うと叔母は、私に名刺のようなものを差し出した。目を通すとそこには、心療内科の名前と、医師の名前や電話番号が記載されていた。



「今は心が疲れてるでしょう。ここに行けば、今より少しは楽になると思うわ」

「わかりました。重ね重ねありがとうございます」



 私はそれを受け取り、さっそく電話をかけて、翌日に予約を取り付けた。



  ※



 記載された心療内科へ赴くと、さっそく奥の部屋に通された。質疑応答の後、心理テストを行って、それから別室へと連れられた。



「こんにちは。始めまして」



 物腰柔らかい男の医師は、私を椅子へ促し、質疑応答と心理テストの結果を淡々と述べていく。



「君にとって、お母さんの存在はとても大きいようだね。時間をかけて、ゆっくり治療していきましょう」



 一体何を治療するというのだろう。



「先生。一つ、聞いてもいいですか」

「はい、なんでも聞きますよ」

「生きるって、何ですか。何をしていたら、生きていることになるんですか」



 お母さんのような人になりたかった。対等に話しをしたり、愚痴を聞いたり、笑い合いたかった。でもそのお母さんはもういない。そんな世界で、どうやって生きるのか、私は、知らない。



「生きるという事は、電車で長旅をするようなものです。目的地に向かうために、何度も何度も、電車を乗り換える。乗換駅は、いわば目標地です。目的地に向かうために、目標地を目指し、辿り着けばまた別の目標地を目指す。その積み重ねが、生きるという事です」


「生きる目的がないと、生きてちゃだめってことですか」


「そんなことはありません。小さな目標だけでもいい。例えば、明日学校に行く、行けたら次は、帰って宿題をする。そんな些細な目標でも構いません。その積み重ねが、おのずと目的を照らし出します。時には立ち止まることも必要です。長旅に、疲れは付き物ですからね」



 お母さんがいなくなって、私は一層、自立しなければいけないという思いが強くなっていた。お母さんが今までやってくれていたことを、私が肩代わりしなければいけなかった。

そう思うと、お母さんのように毅然にふるまわなければならなかった。



「疲れを癒すコツって、ありますか」

「あなたの場合はそうですね、周りを頼りにすることです。私もその周りの一人です。遠慮せず、いつでも頼りにしていいんですよ」



 先生の言葉を聞くと、はらりと涙が頬を伝った。どうやら、私が哀傷を通りこしていたようだ。今になって、追い付いてきた。

 それから私は、泣いた。駄々をこねる子どものように、わんわん泣いた。先生は何も言わず、ずっと背中をさすってくれた。

 しばらくして、ここが病院であるという事を思い出して、我に返った。



「ず、ずびばぜん。もう大丈夫でず」



 先生はティッシュを差し出してくれた。



「今日はもう予約は入ってないから、ゆっくりしていきなさい」



 それから十数分、さらに私は泣きじゃくった。そしてようやく冷静さを取り戻し、叔母の元へ帰ることにする。



「今日はありがとうございました」

「またいつでも来てくださいね。私はずっとここにいます」

「ありがとうございます」

「どうですか、目的を見つけることは出来そうですか?」



 私は扉に手をかけて、開きながら目的について考えた。そして開ききったあと、身を翻して先生に言った。



「目的ならもう、見つけています」

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