『君の膵臓をたべたい』を読んでいると二度美味しい作品だと思います。随所にオマージュが見られ、読み手としては『君の膵臓をたべたい』の文脈とこの『立つ鳥跡を濁す』自体のストーリーの両方を楽しむことができます。また、二重カギ括弧によって定められた呼び名には、その発言者の心情が反映されているので、読者にとっては多角的な読解が可能となります。以上の2つから、この作品にはさまざまなレイヤーがあると言え、それゆえに「奥行き」や「厚み」が感じられます。
ストーリーや文章からは強い感情が読み取れました。地の文のひねくれた言い回しも、人の死を他の『偽善者』とは違ってコンテンツ化することができない「ふつうではない」「マジになっちゃっている」「ダサい」主人公の性格にマッチしていました(ただ、それが若干読みづらさに繋がっている部分もありました。私としては、凝った言い回しはここ一番の場面に取っておくのが、その言い回しの破壊力も最大化されますし、いいと思うのですが、ただ、好みの問題でもあると思います)。いつだって本当の当事者というものは、直面した信じ難い事実に対して、向き合ったり受け止めたりすることが精一杯で、感情に身を委ねる余裕すらないものですよね。涙は遅れてやってくる。そのことにあらためて気付かされたような気がします。