第39話 待ち遠しく思っているのは、君だけじゃないって気づいているかな

「それじゃあ、またお会いしましょうね。コレット様、エリアス」


 夕刻、私よりも一足先にフォートリエ邸を発ったセシルとアルベリクを玄関で見送って、私はエリアスと共に四人でお茶会をした客間に戻ってきていた。お茶会の途中から客間に運び込まれた翡翠色の小鳥のルネの鳥籠が、夕焼けを反射して金色に輝いている。


 ルネは上機嫌に可愛らしい声で歌っていた。エリアスの過保護なお世話によって、更に丸みを帯びたルネは近頃飛ぶのが少し遅くなったんじゃないかと思う。


 鳥籠の中に手を入れれば、ルネはぴいぴいと歌いながら私の手首に飛び乗って来た。今日もおとなしくて可愛らしい子だ。


「ふふ、エリアス、ルネに餌をあげすぎじゃないかしら。そのうち飛べなくなってしまいそうよ」


「成長するにつれ、食べる量も増えているんだ。お腹を空かせたら可哀想だろ」


 私の隣を陣取って、エリアスは頬を緩めながらルネを見つめていた。薄々勘付いていたことだが、エリアスは自分が庇護する対象にはとことん甘い。メイドのサラに叱られるくらい、エリアスはルネを良く構っている。


「少し運動も必要ね。エリアス、ちょっと離れてくれる?」


「またあれをやるのか……。ルネの態度の差を実感して空しくなるんだけどな」


 そう、このところルネは一つの芸を覚えたのだ。


 ルネは、室内に放しておけば自然と私の元へ舞い戻ってくる。それはもともとできたことなのだけれども、ここ最近、ルネは私とエリアスの間を往復することを覚えた。


 私から離れたがらないルネをしつけるのはなかなか大変だったが、今では渋々と言った様子で私とエリアスの元を往復してくれる。早速私はルネの止まっている右手を大きく振り上げ、「エリアス」と叫んだ。


 エリアスの名前を呼べば、ルネは翡翠色の美しい翼を広げて真っ直ぐにエリアスの元へ舞い降りる。エリアスの腕に止まったルネは、私といるときほど上機嫌に歌ったりしないが、エリアスのことを餌をくれる主人だと分かっているのか、一応は大人しくしていた。


「ルネは賢いな。後で甘い果物を入れておこうな」


 ルネに顔を近づけて頬を緩めるエリアスを見ていると、この人は子供が生まれてもこのくらい甘やかしそうだな、なんて考えてしまった。普段は厳格な雰囲気を漂わせるかもしれないが、心の内では溺愛に溺愛を重ねそうだ、と幸せな溜息をつく。


 そこまで考えて、エリアスとの将来の家族像をごく自然に想像してしまったことに、今更ながら妙な気恥ずかしさを覚えた。以前の時間軸ではエリアスの想いに応えることで精一杯で、家族が増えることを想像する余力もなかったが、今は違う。今のエリアスとなら、幸せな家庭を築けそうだと確信している私がいた。


「なんだ? コレット。妙に機嫌がいいな」


「ふふ、幸せを噛みしめているのよ」


 エリアスの合図で私の腕に戻ってきたルネを手首に止まらせながら、頬を緩める。彼もまた私の隣に歩み寄ってきて、そっとルネの背中を撫でた。


「それはこちらの台詞だな。……今でも夢みたいだ。コレットと、こうして穏やかな時間を過ごせるなんて」


「長い夢になりそうね。死んでも醒めないかもしれないわ」


「だといいんだが」


 エリアスは、ふ、と笑いながらルネを両手で包み込むと、金色の鳥籠の中へ戻した。エリアスのことだ。後できっととびきり上等な果物をルネに与えるのだろう。メイドのサラに、ほどほどにするよう見張っておいてもらわなければ。


 エリアスにエスコートされるようにして、先ほどまで四人でお茶をしていたティーテーブルにつく。いつの間にか新しいハーブティーが準備されており、一息をついた。私とて、そろそろお暇する時間なのだが、ぎりぎりまでこうしてエリアスと過ごすのが習わしだった。


「……結婚式まで、もうすぐだな」


 エリアスは、ティーカップを置くとどこかしみじみとした様子で切り出した。なんだかんだ言って、私とエリアスの結婚式まであとひと月もないのだ。


 偶然にも、結婚式の日取りは以前の時間軸とぴったり同じだった。この国では、祝い事を催すべき日取りがある程度決まっていることを考えると、そう不思議なことでもないのだが、私としては特別な気分だ。

 

 今度こそ、私はエリアスと共に朝を迎えられるだろうか。私の知らない、美しい朝日を二人で眺められるだろうか。


 今のエリアスとなら、以前の時間軸で起きたような悲惨な事件はまず起こらないだろう。エリアスは確かに今も歪んでいる部分はあるけれど、私を傷つけるような病み方はしていない。どちらかと言えば、その歪みの矛先はエリアス自身に向けられる傾向があるので、ちょっとした出来事で彼が彼自身を傷つけないよう見張る必要があるくらいだ。


「なんだか、今から緊張してしまうわ。上手くできるかしら」


 結婚式は一度挙げているとはいえ、以前の時間軸ではほとんどエリアス任せだった。以前の彼は、ちょっとした装飾品の打ち合わせでも私が他人と話すことを嫌がったため、ドレスの採寸など、どうしようもない場合を除いてはあらゆる準備をエリアスが行っていたのだ。


 その点、今回は私の責任で準備した部分も多々ある。専門の職人に頼んでいるので、まず大きな失敗をするようなことは無いと分かっているのだが、それでもどこか心配に思わずにはいられない。


「大丈夫だ。コレットが朝寝坊したりしなければ、全部何とかなるさ」


「一生に一度の晴れ舞台でそんな真似しないわよ!」


 エリアスにからかわれて軽く口を尖らせれば、彼はくすくすと愉しそうに笑っていた。やはり、恋人というよりは友人同士のような雰囲気の漂う私たちだが、とても居心地がよかった。


 とはいえ、この調子でいきなり初夜を迎えるのもある意味心配ではあるのだが。私はともかく、エリアスは私をいきなり妻として見ることが出来るのだろうか。


「ああ、そうだ。結婚式と言えば、コレットに見せたいものがあるんだ」


「見せたいもの? 何かしら」


 エリアスはサラを呼びつけると、彼女からリボンの切れ端のようなものを受け取った。彼はそれをティーテーブルの上に乗せると、私によく見えるように差し出してくれる。


「つい昨日、職人から試作品が上がって来たんだ。この間言っていた、青い薔薇と鈴蘭の模様を織り込んだ布だ。これで良ければ、ドレスの最終仕上げにこのまま使いたいとのことだった」


「綺麗……」


 きらきらと煌めく青の糸と、銀糸で繊細に織り込まれた花模様は、一目で特注品とわかる素敵な代物だった。青薔薇と鈴蘭が織り込まれているのだが、決して派手ではなく、目を凝らしたり光の加減で模様が浮かび上がるような粋な仕様になっている。これを、ドレスのちょっとした部分や、髪を結う時に使おうという話になっているのだ。


「素敵だわ……。でも、とっても贅沢なドレスになってしまいそうね」


「コレットの花嫁姿は一生に一度なんだ。どれだけこだわっても足りないだろう」


 お父様やフィリップを見ている限り、基本的に女性の服装に無頓着なのが男性だと思っていたのだが、エリアスはこういった細かな相談にも喜んで乗ってくれる。決して「どちらでもいい」と言わない彼が好きだった。


 むしろ、放っておいたらエリアスとセシルあたりで話を進めて、私のドレスがどんどん華やかになっていきそうで怖い。デザイン案が上がる度に、華美になり過ぎていないか確認するのが私の務めだった。


「このリボン、つけてみてもいい?」


「ああ」


 私は以前エリアスから貰った宝石が散りばめられた青薔薇と鈴蘭の髪飾りを取ると、腰まで伸びた髪を緩く編み始めた。難しい髪型はリズに頼まなければならないが、三つ編みくらいなら私一人でもできるのだ。


 ゆっくりと灰色の髪を編んでいると、エリアスが立ち上がり私の前に影を落とすように歩み寄ってきた。そのまま編み終わった灰色の髪の毛先にリボンを結ぶと、穏やかな微笑みを浮かべる。


 夕焼けを背負って立つ彼の色気溢れる微笑に、何だかどぎまぎしてしまった。それも、なかなかの至近距離で見てしまったので心臓の音が煩い。


「よく似合ってる」


 エリアスにしては素直な言葉を口にしたかと思うと、彼はそのまま編んだ髪にそっと口付けた。ゆったりとしたその仕草に、ますます鼓動が高鳴ってしまう。


「な、何だか恥ずかしいわ……」


 天使様に似たようなことをされても、温かい気持ちになるだけでこんなに胸が苦しくはならないのに。やはり、恋の力は強大だ。


「ちょっとずつ慣れてもらわないとな。一月後に、緊張でコレットの心臓が止まったら困る」


 以前の時間軸では、確かにエリアスの手で止められたものね、と天使様にしか通じない冗談が思い浮かんだ一方で、鼓動がどんどん早まっていくのを感じた。確かに、この調子では一月後に極度の緊張で動けなくなってしまうかもしれない。


 それだけは、避けなければ、今度こそ私はエリアスと共に、麗しく幸せな朝を迎えたいのだから。


 そう思い、意を決して色気のある微笑みを浮かべるエリアスを見上げると、彼の腕を軽く引くようにして二人の距離を縮め、エリアスの形の良い唇に口付けた。もちろん、触れるだけの優しい口付けだ。


 別れ際にする口付けとほとんど変わらないが、決定的に違うところは私からしたところだろうか。それがエリアスにとっても衝撃だったのか、彼は暫く呆然と私を見つめた後、どこか悪戯っぽく笑みを深める。


「意外に積極的だな。お望みに答えようか、聖女様?」


 からかうような台詞を口にしたかと思うと、彼は私の肩に手を乗せて再び私に口付けた。その優しい感覚に酔いしれていると、口付けが次第に深くなっていることに気づいた。


 いつもとは違う感覚に、比べ物にならない気恥ずかしさを感じてしまう。思わず涙目になるも、エリアスはなかなか離れてくれない。こういう口付けも以前の時間軸ではしていたはずなのに、呼吸の仕方も忘れてしまって、どうしていいのか分からなくなってしまう。


 僅かな苦しさを感じて私が軽く身じろぎしたのに気づいたのか、エリアスはようやく私から離れ、どこか蠱惑的に微笑んだ。赤い舌先を僅かに覗かせて唇を舐めるエリアスの壮絶な色気に、もうまともに彼の顔を見ていられない。


「頬が熱いな」


 恥ずかしさのあまり、軽く俯いた私の頬に触れるエリアスの指先は、確かに冷たく感じた。それだけ、私の頬が熱いという証明なのだろう。耳の奥で煩いほどに鳴り響く鼓動の音を聞きながら、逃がしきれない戸惑いに今にも力が抜けてしまいそうだった。


「ゆ、夕焼けのせいかしらね……」


 頬に帯びた熱を誤魔化すように軽く頬に触れれば、エリアスはどこか余裕たっぷりに微笑んでいた。先ほどまでいかにも幼馴染、という顔を覗かせていた彼はどこに行ったのだ。ちゃんと夫婦らしい関係になれるだろうか、なんて心配していた数分前の自分の肩を揺さぶって目を覚ましてあげたい。


「案外強がりなんだな、コレットは」


「そ、そんなことも無いわ」


「夕焼けのせいなら、もう一度口付けても構わないな?」


 再び私と距離を詰めるエリアスを前に、私は何も言い返せなかった。これから訪れる夜と同じ色の前髪から覗く、深い紺碧の瞳に囚われて身動きが出来なくなる。


「そんな目で見るな、冗談だ」


 エリアスは酷く楽し気に笑うと、いつの間にか潤んでいたらしい私の目から涙をすくった。その所作の一つ一つが私を惑わせる。


「……一月後が楽しみだな? コレット」


 私に縋って泣いていたエリアスは過去のものだと分かっていたが、これはこれで心臓に悪すぎる。一月後、私はあまりの恥ずかしさと戸惑いで朝日を楽しむ余裕なんてないのではないか、と心配になりながらも、甘ったるいほどの幸せに酔いしれるのだった。 

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