第23話 あなたが与えるものならばたとえ痛みだって愛おしい

「お嬢様、もうすぐフォートリエ侯爵邸でございますよ」


 ミストラル公爵家の馬車に揺られながら、ぼんやりと考えごとをしていた私はリズの言葉にはっと我に返った。リズが手にしている小さなかごからは、葡萄の豊潤な香りが漂ってくる。無論、葡萄が好きなエリアスのために準備したものだ。


 早いもので、祝祭のあった年から3年が経ち、私は15歳になっていた。社交界デビューを控えたこのところはそれなりに忙しくしているが、エリアスとの交流も天使様との逢瀬も以前と変わらず――否、両者とも頻度が増しているのではないかというくらいには、仲睦まじくしていた。


 以前の時間軸では、12歳から15歳にかけてのこの時期は特別大きな事件も事故もなく、穏やかに過ごしていたはずなのだが、今回は訳が違った。それもすべて、あの美しい天使様の策略のせいだ。





 祝祭の夜、天使様と一緒にいるところを神官に見られてしまった私は、間もなくして高位の神官の方々に面会を求められてしまった。あんな僅かな会話でよく私に辿り着いたものだと思わず感心したが、灰色の髪とコレットという名を持つ少女と言えば、「ミストラル公爵家の失敗作」として有名なのだからそう難しいことでもなかったらしい。加えて、湖に置き忘れた靴の材質と製造方法からも私に辿り着いたらしく、神殿の執念の凄まじさに言葉もなかった。


 面会を求められた私は、天使様の存在を否定するような真似は避けたものの、「聖女」扱いされることは徹底的に断った。大変光栄なことであるし、本来ならば一生を捧げるに相応しい大任だと分かっていたが、目立つのは御免なのだ。何より、宗教的な活動に追われていたらエリアスを幸せにするために奔走できなくなる。


 天使様も天使様で別に私を「聖女」に祀り上げようだなんて思っていないらしかった。「君がずっとそばに居てくれるならそれもそれでいいけどね」なんて笑いながらも、彼はあの行動の本当の意図を明かしたのだ。


 天使様がわざわざ神官の前で私の髪に口付け、愛の囁きにも似た甘い言葉を紡いだ理由。それは、私の灰色の髪と深紅の瞳への評価を改めるため、という何とも些細で、それでいて天使様らしい過保護な部分が見受けられる策略だった。天使様が私の髪と瞳を褒めている場面を神官に印象づけることで、世間の私に対する評価も変えられると考えたらしい。天使様は、以前の時間軸からずっと私が自分の髪と瞳の色を気に病んでいることを、覚えていてくださったのだろう。


「これで、少しは君の美しさが正当に評価されればいいんだけど……」


 天使様はどこか自信なさげに笑いながら、そんなことを仰った。正当な評価どころではない。天使様のおかげで、今度は過剰なまでに褒め称えられるようになってしまった。巷では、わざわざ灰色の髪に染めようとする者が出てくるほどだ。


 弟妹達の白銀の髪やエリアスの漆黒の髪に憧れるだけの、子どもじみた嘆きだったのに。天使様は私のそんな些細な悩みにまで真剣に向き合ってくださった。結果的にやっていることは大仰だけれども、あくまでも私を幸せにしようとする天使様のお優しいお心に、涙が出そうになったのは事実だ。


「私は、天使様に与えられてばかりですね」


 何をお返しすれば、この恩に報いることが出来るのか。本来ならば何もかもを投げ打っても返しきれない深い恩に、時折焦燥感にも似た複雑な想いを抱いてしまう。


「それが天使の役目だろう。僕はただ、君の自己評価の低さを改めてほしいだけだ。君に、君自身の幸せを願ってほしいんだよ。そのためなら、なんだってする」


 私自身の幸せ。そう改めて考えてみて脳裏を過るのは、やはりエリアスの笑顔だ。彼が幸せでいてくれたらそれでいい。それに全く嘘はない。

 

 でも、多分天使様はその答えでは満足しないのだろう。そこからもう一歩踏み出した望みを抱くことを、天使様は願ってくださっているのだ。


 正直に言えば、私にだって具体的な望みはある。あまりにもおこがましくて、口に出せないだけで。


 それは、出来ることならばもう一度、エリアスと一緒に人生を歩みたい、というものだった。彼に会うたび、私は彼に恋をしている。でもこの想いがエリアスの幸福への障壁になるくらいなら、身を引きたいとも思っている。


 天使様はきっと、そのあたりの私の葛藤のことを言っているのだろう。私がエリアスと一緒に生きていきたいと思うのならば、胸を張ってその望みのために行動できるようになってほしいと思ってくださっているのだ。


 難しい話だ。彼と一緒にいたいけれど、私の存在が彼を不幸にするのは耐えられない。でも天使様は、エリアスの幸福よりも私の望みが叶うことを願ってくださっている。


 そもそも私がエリアスと一緒にいたいという望みと彼の幸福が相反するのかどうかを確かめなければ話にならないのだけれど、「私と一緒に生きたらあなたは幸せになれる?」なんて好きな人に気安く聞けない。タイミングを掴めぬまま、いつの間にか15歳になってしまった。


 でもひとまずは、それよりも先に考えなければならないことがあるのも事実だ。


 15歳、この年は以前の時間軸でも波乱の年だった。あらゆる出来事が起こったが、その最たるものはやはりエリアスの毒殺未遂事件だろう。


 その舞台となった社交界デビューの夜会は、もう目前に迫っている。彼が毒を含まないよう防ぐことは簡単だが、この先、彼に降りかかる危険を排除する意味でも、ここで犯人をあぶりだしたいところだ。


「お嬢様、お屋敷に到着しましたよ」


 馬車の扉が開かれ、冬の気配がする風が吹き込んできた。目の前でにこにこと笑うリズの姿に、ひとまずは気分を切り替えようと頬を緩めた。


 去年、以前の時間軸と同じようにミストラル公爵家の庭師と結婚したリズは、近頃顔が輝いているような気がする。やはり、恋は女性を美しくするのだな、と実感しながら私は豪奢な馬車から降りた。




 フォートリエ邸では既にメイドが私たちを出迎えるために待機していた。私がフォートリエ侯爵邸に訪れるのも慣れたことなので、すっかり屋敷の構造なども大体把握してしまっている。


 この3年の間に、以前の時間軸には無かった変化がもう一つあった。それは、エリアスの幸福を願う私としては大変嬉しいことで、エリアス自身にとってもとても喜ばしいことだった。


 メイドの案内に従って、私はエリアスの私室へ足を踏み入れる。すぐに、ぴい、と小鳥の可愛らしい鳴き声が聞こえてきた。


「エリアス様、そのように乱暴に餌をお与えになっては小鳥が怯えてしまいます」


「乱暴にしているつもりはない、こいつがおとなしくしないからだ」


「知性を持っている人間が、小鳥相手にムキになってどうします」


 今日も今日とて、聞き慣れたやり取りが聞こえてきて思わすふっと笑ってしまった。すぐに、会話をしている本人たちの姿が視界に飛び込んできた。


 大きな窓の傍で、金色の籠の中の小鳥に必死に餌を与えているのは、ラフなシャツ姿のエリアスだった。3年前、祝祭で買ったあの翡翠色の小鳥が籠の中でばさばさと翼を広げて暴れている。ルネと名付けられたその鳥は、相変わらず私にしか懐かないが、エリアスは何だかんだ言いながら甲斐甲斐しく世話をしていた。


 そして、エリアスの傍にいるのは、何と、以前私がエリアスを見舞った際に、「お嬢様も物好きな方ですね」と言い放ったあのメイドだ。彼女の名はサラといい、以前の時間軸では最後までエリアスを冷遇していた使用人だったのだが、祝祭で買ってきた小鳥をきっかけにエリアスに関わるようになったのだ。


 どうやらサラは、実家で何羽も飼うほどに鳥が大好きらしいのだ。図鑑が頭に入っているのではないかと思うほど、彼女は鳥に詳しい。試しに窓の外の鳥の名を尋ねてみたら、即答した上に生態系まで教えてくれた。


 そんな彼女だから、鳥に関しては初心者の私とエリアスが右往左往しているのを見ていられなかったのだろう。彼女は小鳥に相応しい餌が何か、籠の環境をどのように維持すべきかを丁寧に教えてくれた。それを機に私たちと彼女の距離は段々と縮まっていったのだ。


 亜麻色の髪をきっちりと結い上げたサラの見た目は、どことなく冷たそうで、以前の時間軸でもあまり積極的に関わろうという相手ではなかったのだが、その仮面の下に隠された素顔に驚いたものだ。


 何より、小鳥をきっかけに彼女がエリアスにちゃんと向き合ってくれたことが嬉しい。今では若干の軽口を交えながらエリアスと会話をしているくらいだし、彼女は完全にエリアスの味方になったと言ってもいいだろう。


 また、小鳥を飼い始めたことがきっかけでエリアスの交友関係も広がった。何でも、侯爵閣下と共に出掛けた御茶会で、梟を飼っているというバルテ伯爵子息や金糸雀を育てているルクレール侯爵令嬢という面々に出会ったらしく、鳥の話をきっかけに会話が弾み、今ではすっかり友人関係を築いているという話だ。


 これは、本当に喜ばしいことだった。友人が出来てからエリアスは明らかに楽しげに笑うことが増えたし、人と関わることにも慣れてきたようだ。確実に、以前の時間軸よりもエリアスの世界は広がっている。


 祝祭の小鳥が幸運を運ぶ、という話はあながち迷信ではなかったわね、と一人頬を緩める。小鳥がきっかけで、エリアスはフォートリエ侯爵邸の中に味方が出来、友人まで得ることが出来たのだから。


 私たちを案内していたメイドが、エリアスに私の訪れを告げると、彼は金色の籠からこちらに視線を映し、穏やかに笑った。


「コレット、よく来てくれたな。早速だけど、ルネが暴れて餌を食べないから手伝ってくれ」


「ええ、分かったわ」


 私が近づくのと同時に、サラは部屋の隅へと下がっていく。リズもそれに合わせて控えていた。


「ほら、ルネ、おいで」


 金色の籠にそっと手を差し入れて、ルネの前に差し出せば、ルネはすぐに私の手に飛び乗った。3年もの間、エリアスの甲斐甲斐しい世話を受けてかなり丸みを帯びた気はするが、手に収まるほどの小ささであることに変わりはなかった。


「本当に、コレットの言うことなら聞くんだな。流石は聖女様」


 私のすぐ隣でルネの様子を眺めながら、エリアスは笑った。限りなく、記憶の中のエリアスに近付いてきたこの頃の彼は、まじまじと見ていると照れてしまうくらいに素敵だ。ラフな白いシャツ姿だからか、陽光に照らされた彼はとても健やかで眩しいくらいだ。


 これでいて、夜会用の漆黒の正装に身を包めば、月光の似合う、身震いするほどの美青年に変身するのだから敵わない。以前の時間軸では、18歳のエリアスはただ微笑むだけでも怪しげな色気が漂っていて、彼と目が合ったご令嬢は例外なく頬を真っ赤に染めていたものだ。


 思えば、よく私はあんな壮絶な色気を前に平静でいられたな、と思わず過去の自分を褒め称えたくなる。もっとも、不安定な彼の心を支えるのに精一杯で、彼の魅力に酔いしれる暇がなかったのも事実なのだが。


「もう、聖女だなんて……からかわないで頂戴」


 ぴい、と泣き声をあげるルネの頭を撫で、私はエリアスに軽く拗ねるようにして反論した。彼はことあるごとにこうして私を「聖女様」と呼んでからかうのだ。


 そんなエリアスだったが、私が神官たちに「聖女」として祀り上げられそうになったとき、あらかじめ天使様の存在を知っていたとはいえ、多少の動揺を見せた。


 「聖女」として活動するなら、それはそれでいいじゃないかと口では応援してくれたけれども、そう告げた際の彼の紺碧の瞳は妙に不安げに揺れていた。


 彼の不安の理由が、私が彼から離れて行くことを恐れている、という類のものなのか、それとも天使様という未知のものに対する畏れなのかは分からなかったが、「聖女」になるつもりはないと告げれば、彼は酷く安心したように笑ったのだった。


 もっとも、今ではこうして私をからかう材料に出来るのだから、かなり安定していると思う。隣で穏やかな表情で微笑むエリアスの顔を見つめ、小さな幸せを噛みしめた。


 ルネを腕に乗せたまま籠から出してあげると、ルネは翡翠色の翼を大きく広げた室内を飛び回った。私がいるときは、必ず私の元へ戻ってくるので逃げ出す心配がないのだ。餌は、一通り好きなようにさせてから与えればいいだろう。


「そうそう、エリアスに葡萄を持ってきたのよ。取り寄せたものだから、ミストラル公爵領のものではないけれどね」


「手ぶらで来ても構わないのに。何だかコレットに餌付けされてる気分だ」


 エリアスはふっと笑いながら、さりげなく私をエスコートした。窓際のティーテーブルに案内され、エリアスの手で引かれた椅子にそっと座る。本来ならば椅子を引くのは従者の仕事だが、彼は、私と二人で過ごすときにあまり人を呼びたがらないのだ。同席するのは、いつも決まって私の付き人のリズと、エリアスのメイドのサラだけだ。

 

「ルネはともかく、エリアスを手懐けるのは至難の業でしょうね」 


「どうだろうな、案外ルネより従順かもしれないぞ」


 私の一挙手一投足を敏感に観察し、私の些細な一言で病んでいた以前の彼を思えば、まあ、あながち間違いでもないのかしら、とも思うが、支配されていたのは間違いなく私の方だった。苦い思い出が蘇って思わず曖昧な笑みを浮かべてしまう。


「従順なエリアスなんて、何を考えているのか分からなくて怖いわね」


「ひどい言われようだ」


 他愛もない会話の間で、くすくすと笑い合う。以前の時間軸では想像もできなかったほど、安定した落ち着いた距離感の時間が、とても居心地よかった。


 間もなくして、別のメイドから引き継いで来たらしいティーセットをサラが運んでくる。この部屋に来る前に渡しておいた葡萄も、綺麗に飾り付けられて一緒に出てきた。仕事が早い。


 目の前で紅茶を口に運ぶエリアスの優美な仕草に、思わず見惚れてしまう。やっぱり、世界で一番素敵な人だ。息をしているだけで愛おしい。


「どうした?」


 エリアスはティーカップを置いて柔らかな表情で問いかけてくる。その紺碧の視線に射止められ、思わず私は視線を逸らしてしまった。


 どくん、と二重の意味で心臓が脈打つのが分かった。一つはもちろん、大好きなエリアスに見つめられたから。


 そしてもう一つは、以前の彼と過ごした息もできないような時間が一瞬脳裏を過ったからだ。


 近頃のエリアスは、確実に少年から青年への過渡期にあって、日に日に大人の色気を醸し出している。それに見惚れている私だけれども、一つだけ困ることがあるとすれば、それは今のエリアスが、以前のエリアスの最も病んでいたときの姿に近付いているということなのだ。


 基本的に不安定なのが以前のエリアスだったけれど、彼の病みが加速したのは15歳を過ぎてからだ。私が他の男性と話すだけで首筋に跡をつけられたり、温室に監禁されそうになったり、と彼の病みを体現したような出来事は15歳から結婚するまでの3年間で起こったのだ。


 もちろん、今のエリアスはそんな真似はしないだろう。でも、成長したエリアスの姿は、どうしても、ふとした瞬間に以前の彼の凶行を思い起こさせてしまう。


 だからと言って、それを理由にエリアスから離れるような真似をするつもりはないが、こうして、ふとした瞬間に彼から視線を逸らしてしまうことが彼に申し訳なくてならない。余計な心配をさせてしまいそうだ。


「……あなたがあんまり綺麗だから、見惚れていたのよ」


 エリアスに視線を戻して微笑めば、今度は彼が視線を逸らす番だった。嘘は言っていない。不自然な間を上手く誤魔化せたと、ほっと一息をつく。


「相変わらずの直球な物言いだ。俺以外の前でそんなことを言うと勘違いされるからな」


「あら、私に口説かれて揺らぐ男性がいるとは思えないわ」


「もう少し自覚を持て、コレット。君は噂の聖女様なんだ。社交界デビューしたら、君の前に虫みたいに大量の男が湧くのは確かなんだぞ」


 はあ、とエリアスは溜息をついて葡萄を口に運んだ。虫みたいに、とは酷い言いようだ。思わずくすくすと笑っていると、呆れた視線が返ってきた。


「そういうわけで、君に贈り物がある」


「贈り物?」


 思わずきょとんとしてエリアスを見つめ返すと、すぐさま私の傍にサラが近寄ってきて繊細な装飾の施された小さな箱を差し出した。サラはゆっくりと小箱の蓋を開けて中身を私に見せる。


「まあ……素敵な髪飾りね!」


 フォートリエ侯爵家の特徴のアジュールブルーの小さな台座の上に載っていたのは、鈴蘭と青い薔薇をモチーフにした繊細な髪飾りだった。陽光を反射してきらきらと煌めいている青と白の宝石が眩しいくらいだ。


 しかし、婚約者ならいざ知らず、幼馴染に贈るには少々値が張りそうな代物だ。どうしたものかと言葉に迷っていると、エリアスが先に口を開いた。


「婚約者でもないのに、青薔薇をモチーフにした髪飾りなんておこがましいかとも思ったが……嫌じゃないなら受け取ってほしい」


 青い薔薇は、フォートリエ侯爵家の家紋にも使われている花だ。高位の貴族ならば、青薔薇を見ただけでフォートリエ侯爵家を連想するだろう。以前のエリアスは、必ず私に青薔薇をモチーフにしたアクセサリーを身につけさせたから、私もよく覚えている。


「嫌じゃないわ、エリアスが選んでくれたんでしょう?」


「選んだ、というよりは作らせた。虫よけにはちょうどいいだろう」


 確かに筆頭侯爵家であるフォートリエ侯爵家を思わせる装飾品をつけている令嬢を、無闇に口説くような真似をする愚かな人間は少ないだろうが、それにしたって牽制としてはやりすぎな気もする。それくらい、「聖女」として有名になってしまった私のことを、彼は心配してくれているのかもしれない。


 それに、彼が私のことを考えて注文をしてくれたことが嬉しくて嬉しくてならなかった。鈴蘭は私の好きな花だ。その鈴蘭とフォートリエ侯爵家の青薔薇が並んでいる姿を見るだけで、言い知れぬ幸福感を覚えてしまう。


 どんな思惑があれ、これはエリアスの好意の証だ。ありがたく受け取ることにしよう。そう決意して、私は改めてエリアスを真っ直ぐに見つめた。


「ありがとう、エリアス。私、一生大切にするわ!」


「一生って……相変わらずコレットは大げさだな」


 エリアスは紺碧の瞳を細めて、ふ、と笑ってみせた。その柔らかい表情に、やはり心はときめいてしまう。


「大袈裟じゃないわ。あなたから貰うのならばなんだって私の宝物よ」


 そう言いながら、サラから小箱ごと髪飾りを受け取る。何気なく小箱に刻まれている紋章を見てみれば、王都で大流行中の宝飾店の名が刻まれていて思わず目を丸くした。


「エリアス、これ、プレヴェールの宝飾店で作ったの……?」


 あまり宝石に興味がないので詳しいことは知らないのだが、御令嬢たちの間でそれはそれは流行っており、噂によれば3か月先まで予約が埋まっているほどの人気店だという。私よりこういった流行のものに疎いエリアスが、わざわざそんな店で髪飾りを作らせるとは驚きだ。


「ああ、今アクセサリーを作るならプレヴェールの店だってルクレール嬢が言っていたからな」


「まあ、そうなのね」


 わざわざ手間をかけて、そんな人気店で贈り物を用意してくれたことが嬉しかった。自然と頬が緩む。


 だが、それと同時にエリアスが何でもないことのように口にしたルクレール侯爵令嬢の名に、ちくり、と胸の奥が痛むのを感じていたのも確かだった。


 ルクレール侯爵令嬢は、エリアスが鳥の話題を通じて知り合った、とても可愛らしいご令嬢だ。私は何かの機会にお姿だけ拝見したに過ぎないのだが、淡い金の髪と琥珀色の瞳が美しい可憐な方で、人当たりも良いと聞く。


 近頃、エリアスの口から彼女の話題を聞くことが多くなっていた。お互いに小鳥を育てていることもあり、会話が弾むのだろう。


 エリアスが一緒にいて居心地がよいと思える方が増えたのは本当に何よりだ。それを嬉しく思う気持ちに嘘は無いけれど、私が抱き続けているエリアスへの恋情が僅かにその想いに影を落とす。


 そうか、エリアスが他の人を選ぶときはこの何倍もの痛みに耐えなければならないのね。


 今更ながら、それを実感する。きっと涙が止まらないほどに切ないだろうけれど、彼の幸せがそこにあるというのなら私は身を引かなければならない。その想いに変わりはなかった。


 心臓を抉られるのと、果たしてどちらが痛いかしら。


 我ながら自虐的な比喩ね、なんて心の中で自嘲気味な笑みを零しながら、私はエリアスの瞳をまっすぐに見据えた。


「そんな人気店で作るなんて大変だったでしょう。ありがとう、エリアス」

 

 胸の痛みを悟らせないように笑えば、エリアスも穏やかに微笑んでくれる。エリアスの隣に並び立つ人が誰であれ、彼と過ごすこの一分一秒が大切であることに変わりはない。


 少しだけ感傷的な想いを抱いていると、好きなように飛び回っていたルネが私の腕に止まった。くりくりとした潤んだ瞳でこちらを見つめている。


 ルネの翡翠色の翼を撫でながら、私はそっと窓の外を見やった。


 15歳の冬、私たちを取り巻くあらゆるものが、少しずつ動き出す季節がやってきたのだ。

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