第21話 このままどこまでも飛んでいけたら、僕らはずっと一緒にいられるのかな

 エリアスと共に祝祭を巡った翌日の夜、私は、ミストラル公爵家宛ての手紙をしたためていた。


 今回の旅にはリズを始めとしたミストラル邸の付き人が大勢ついてきているとはいえ、両親を伴わない私一人での旅行はこれが初めてなのだ。心配症のお父様は、旅の途中で手紙を書くように、と私に念を押した。


 帰路のことを考えても、あと一週間後には顔を合わせているはずなのだが、約束は約束だ。祝祭がいかに美しかったか、エリアスと過ごす時間がどんなに楽しいかをありのままに綴った。


「こんな感じかしらね……」


 リズが用意しておいてくれた道具を使って、封蝋を施す。ミストラル公爵家の象徴のワインレッドがとても綺麗だ。明日の朝にでも、リズにこれを託そう。


 ふう、と一息ついたところでガタガタと窓ガラスが鳴った。その音にバルコニーの方を見やれば、純白の翼を広げた天使様の姿が目に映る。能天気で妙に親近感の湧く天使様だが、この瞬間だけはいつも星鏡の天使らしい神々しさを纏っていた。


 私はペンを置き、急いで天使様を招き入れた。前回の不安定な姿を見ていたせいで天使様のことを心配していたのだが、今夜の天使様は普段通りの穏やかな表情をなさっていた。


「こんばんは、コレット。何か作業をしていたの?」

 

「来てくださって嬉しいですわ、天使様。今、ちょうど手紙を書き終えたところですの」


 お父様に手紙を送るよう言われている旨をお話したところ、君の御父上は相変わらず過保護だね、と私の頭を軽く撫でて笑った。


「今夜は、ご気分は如何ですか?」


 天使様が私の頭を撫でる心地よさに酔いしれながらも、そっと伺うように天使様を見上げた。その視線に応えるように、彼はごく自然に微笑んでくださる。


「心配かけてごめんね、コレット。もう、大丈夫だよ」


 あれだけの取り乱しようだったから、心の底では大丈夫ではないのだろうが、いくらか安定していることに変わりはないようだった。天使様の穏やかな微笑みを見て、少なからず安堵している私がいる。


「何なら、コレットを祝祭に誘いに来たくらいだ」


「私を、祝祭に……?」


 あれだけ祝祭に拒絶反応を示していた天使様らしからぬ発言に、その意図を図りかねる。天使様は私の身長に合わせるように跪くと、恭しく私の手を取って笑みを深めた。


「僕とコレットの二人だけの祝祭だよ。日が昇るまでには必ずここへ送り届けるし、後悔はさせない。一緒に来てくれないかな」


 二人だけの祝祭、一体どんなものだろう。真摯な態度で誘ってくださる天使様の姿も相まって、乙女心がくすぐられた。


「ええ、喜んで、天使様。二人だけの祝祭、とても気になりますわ」


 私も私でドレスの代わりに白いネグリジェを軽く摘まみながら、令嬢らしく礼をした。まるで舞踏会で踊る前のやり取りのようだ。


「よかった。そうと決まれば早速行こう」


 天使様は椅子に掛けてあった淡い水色のストールを私に羽織らせると、そのまますっと私を抱き上げた。私が来ているネグリジェはレースが幾重にも重ねられていて、見ようによっては白いワンピースのようにも思えるが、このまま外に出るなんて考えてもいなかった。思わず、ストールを胸の前で掻き合わせる。


「僕の首に腕を回した方が安定するよ」

  

「やはり、このまま飛ぶのですか?」


「もちろん、さあ、早く」


 何となく察していたが、私は天使様に抱えられて空を飛ぶらしい。想像もできない体験に、期待と緊張で脈が早まった。


「では、お言葉に甘えて……」


 天使様に抱きつくように、そっと彼の首の後ろへ腕を回した。天使様はどこか満足げに笑みを深めると、そのままバルコニーへ足を踏み出す。


「怖くない? 大丈夫?」


「ええ、天使様がいてくださるのですから、怖いことなんてありませんわ」


「嬉しいことを言ってくれるね」


 天使様は屋敷の前庭を見渡して人目がないことを確認しているようだった。やがて、悪戯っぽい笑みを浮かべて私を強く引き寄せる。


「それじゃあ、行くよ」


「はい!」


 天使様のその声で、私たちはバルコニーから飛び立った。夜の風が、灰色の髪を撫でて行く。その勢いの強さに、思わず目を瞑ってしまった。天使様の首に回した腕に力を込めて、ぎゅっと体を寄せる。


「あはは、ちょっと風があるかな。でも大丈夫、ゆっくり目を開いてごらん」


 数十秒後、明らかに風が安定したころ天使様はそう仰った。彼の言葉通りに、恐る恐る目を開いてみる。風に何度か瞬きをしながらも、次第に視界に飛び込んできた絶景に思わず息を飲んだ。


「まあ……! 綺麗、とっても綺麗ですわ! 天使様」


 眼下には、橙色の灯りが散らばっていた。夜も遅いので人影は見受けられなかったが、それでも街道沿いに並べられた色とりどりのランタンが、まるで星空のように美しかった。


 当たり前だが、こんなにも高い場所から街を見下ろしたことなんて一度も無い。見たことも無かった絶景に、私の胸は感動で打ち震えていた。


「お気に召したならよかった。ここの祝祭は特に綺麗だよね」


「こんなに素敵な景色を見せていただけるなんて……。本当にありがとうございます」


 天使様の腕の中で興奮冷めやらぬまま礼を述べれば、天使様は意味ありげにふっと微笑んだ。


「礼を言うのはまだ早いよ。僕が君を連れて行きたい場所はこの先にあるんだ」


「この先、ですか?」


「着いてからのお楽しみかな。今は街の景色でも見ているといいよ」


 こんな絶景を見せていただいたのに、これ以上何があるのだろう。気になって仕方がないのだが、大人しく天使様のお言葉に従うことにした。






 街の絶景を堪能した後、私と天使様は深い森の中に降り立っていた。ざわざわと木々が騒めくような低い音に混じって、梟や虫の鳴き声が静かに響き渡っている。


 新月から間もないので、夜空に浮かぶ月はまだとてもか細い。満天の星空から降り注ぐ光が、辺りを淡く照らし出していたが、星明かりだけでは足元がおぼつかなかった。それに、暗い場所は少し苦手だ。思わず天使様の腕に縋りついてしまう。


「ごめんごめん、ちょっと暗いね。もうすぐだからね」


 暗闇を恐れている私の心情を察してくれたのか、天使様はそっと私の肩を抱いてくださった。見た目の年齢相応に怯えている自分が情けない。


「コレットは、君を殺したあいつのことは怖くないのに、暗闇は嫌なんだね?」


「暗闇と比べられるなんて、エリアスも不憫な人です」


 茶化すような天使様の言葉に、思わずふっと笑みが零れた。他愛もない話をして、私の緊張を和らげようとしてくださっているのかもしれない。


「そういえば、エリアスに天使様のお話をしました。彼は、天使様にお会いしてみたいそうです」


 星明かりを頼りに、天使様のお顔を見上げて打ち明けてみる。すぐに、天使様の口元が嘲笑うように歪むのが分かった。


「僕が、あいつに? 会ったら殺しちゃうかもよ。それでもよければどうぞ、って伝えておいて」


 その言葉に刻まれた深い憎悪に、一瞬身震いした。4年が経って、天使様のエリアスへの評価はいくらかマシになっていると思い込んでいたが、どうやら思い違いだったようだ。根本的な部分で天使様が彼に向ける憎悪は、少しも薄れていない。


 それくらい、彼が私を殺したことが許せなかったのだろうか。それだけ、私のことを考えてくださっていたということなのだろうか。


 本来ならば、私が天使様のようにエリアスを憎むべきなのに。何だか妙な話だ。


「エリアスを殺してしまったら、私は幸せになれませんよ?」


「それを分かっていても尚、僕はあいつを前にしてまともでいられる気はしないな。生きたまま君の心臓を抉るような狂気が、あいつの中に眠っていることは確かなんだ。今だって、出来れば君にはあいつから離れてほしいって思っているよ」


 今のエリアスは以前のエリアスとは違うのに。彼の存在そのものを、天使様は恨んでおられるのだろう。以前のエリアスが私にしたことを思えば、それも仕方のないことなのかもしれない。


「……ああ、もうすぐ目的の場所だよ。コレット、目を瞑って。ここからは僕が手を引いて行こう」


 確かに私たちの先には、森の中よりもずっと明るい何かがあるようだった。天使様の言葉に従い、私はそっと目を閉じる。すぐに天使様の温かい手が私の手を取った。


「ふふ、何だかどきどきしてしまいます」


「きっと驚くよ。気に入ればいいんだけど」


 天使様の手に導かれるまま、ゆっくりと足を進めて行く。徐々に光が強まるのを瞼越しに感じ、私は期待に胸を膨らませた。

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