第19話 会うたびに、私はあなたに恋をしているのかもしれない

「エリアス、次はあちらへ行きましょう! きらきらしていて綺麗だわ」


「分かった、分かったから。離れようとするな、コレット」 


 空が橙色に染まり始めるころ、私はエリアスと共に祝祭を訪れていた。街は噂通り色とりどりのランタンに彩られ、道行く人も華やかな色を身に纏い、普段より洒落込んだ格好をしている。至る所に甘い香りが漂い、人の熱気と賑やかな声に気圧されながらも、私は人混みを縫うようにして好きなように動き回っていた。


 この日のために仕立てた淡い水色のワンピースは、動きやすいように少しだけ裾を短くしておいた。柔らかい革靴も、少しの痛みもなく私の足を守ってくれている。ちょっとやそっとのことじゃ転んだりはしないだろう。

 

 エリアスもまた、飾り気のない白いシャツに堅苦しくない淡い灰色の上下を合わせている。一見すれば確かに街の少年という格好なのだが、高貴な漆黒の髪と紺碧の瞳のせいか、どうにも貴族然とした部分が拭いきれていない。


「うーん、やっぱりジャケットは無かった方が良かったかもしれないわね。明らかにお忍びの貴族子息、って感じよ、エリアス」


「コレットにだけは言われたくないな。どこからどう見ても屋敷から抜け出してきたお嬢様にしか見えないぞ」


 はしゃぐ私の隣に追いついたエリアスは、私の頭から足の先まで眺めて溜息をついた。私としては、これ以上ないくらいの完璧な変装だと思っていたのだが、エリアスの目にはそうは映らなかったらしい。

 

 そんな私たちのやり取りを、紺色のワンピースを纏ったリズがにこにこと微笑みながら眺めている。私たちの保護者という設定のリズだが、彼女も彼女で浮いている気がする。メイドとしての完璧な身のこなしが板についているせいか、とてもじゃないが呑気に祝祭を楽しんでいる若い女性には見えないのだ。


「大丈夫ですよ、お二人とも。今日はきっと皆さん大目に見てくださいます」


 確かに、道行く人は皆、屋台の品や祝祭ならではの食べ物を楽しむことに夢中だ。小奇麗な格好をした12歳の少年少女のことなんて、さして気にも留めないだろう。


「それもそうね。ねえ、エリアス、あっちに行きましょう! 私、『星影の大樹』の葉を模った飴を食べたいの!」


 折角祝祭を回るのだ。迷信だと分かっていても、祝祭の名物はすべて楽しみたい。


 日が暮れて、一斉にランタンの灯りが消されれば、皆ゆったりと星の光を楽しむことになるのだ。食べ物や雑貨などを見てまわるならば、夕暮れ時の今の内だ。


 急ぐ必要はないが、なるべくたくさんのものを見てまわりたい。そう思い、早速人混みの中に突き進もうとした私の手を、背後からエリアスが掴む。


「ああ、もう、さっきの俺の話を聞いていたか? この人混みじゃすぐにはぐれるぞ」


 そのままエリアスはしっかりと私の手を握り直すと、飴を並べているらしい屋台の方を見やった。


「案内するから一人で行動するんじゃない。折角の祝祭を迷子探しに費やすのは御免だ」


 エリアスは紺碧の瞳でじっと私を見つめ、呆れたような表情でそう注意をした。彼の言うことはもっともだが、それよりも私はごく自然な流れで繋がれた二人の手が気になって仕方がない。


 今までもエリアスに触れたことはある。基本的に無愛想な彼だが、何かあれば必ず私をエスコートしてくれる紳士だから、手が触れ合うこと自体は日常茶飯事だと言ってもいい。


 でも、エスコートと手を繋ぐ、という行為は似ているようでまるで違うのだ。手の触れ合い方も、密着具合も。


 以前の時間軸では、手を繋いでどこかへ歩いていくなんてことは殆どなかった。エリアスは人目のあるところを嫌っていたから、二人で過ごすときはいつも私たちだけの狭くて甘い世界に浸っていたのだ。


 それも決して悪くなかったけれど、こうしてエリアスと手を繋いで歩けるなんて何だか嬉しい。だらしなく頬が緩んでしまいそうだった。


「嫌にご機嫌だな。そんなに祝祭がお気に召したか?」


「それも勿論そうだけれど、エリアスと手を繋げることが嬉しくて」


 飴を販売する屋台へゆっくりと歩き出しながら、私は隣を歩く彼を見つめて素直に告げた。いずれは見上げるほどに背が高くなる彼だが、12歳の今はほとんど同じ視線で会話をすることが出来る。


「手なんていつも繋いでいるじゃないか」


「エスコートとこれは別よ。私、こっちの方が好きだわ」


 そっとエリアスの手を握り返しながら、彼の温もりを噛みしめる。天使様と違って私の手を包み込むような大きさではないけれど、とても愛おしいと思った。


 ああ、やっぱり私はこの手を血に染めたくないわ。


 以前と同じように、この手が私の血に染まることが彼の幸福ならば、もちろんそれはそれでいいけれど、出来ることなら彼には綺麗な手のままでいてほしい。我儘かも知れないが、密かにそう願うことだけは許してほしかった。


 

 

 


「とっても美味しかったわ。これでしばらくは健康でいられるわね!」


 「星鏡の大樹」の葉を模った飴を無事に食べ終えた私は、祝祭にまつわる迷信の一つにあやかれたことに満足感を覚えていた。当の天使様があの調子だから、これは本当に迷信の域を出ないものだとよく分かってはいるのだが、こういうものは雰囲気が大切なのだ。祝祭でエリアスと一緒に食べれば、それだけで楽しい。


「これは……やっぱり数年に一度で充分だな」


 一方でエリアスはというと、苦々しい顔でようやく飴を噛み砕いたところだった。甘いものが苦手な彼に強制したわけではないのだが、「祝祭の飴を食べると健康になれる」という迷信を教えたところ、私に付き合って一緒に食べてくれたのだ。エリアスの性格からして、まず迷信なんてものを信じるはずもないのに、私に合わせてくれた彼の優しさがただただ嬉しい。


「ふふ、これでエリアスもしばらくは健康に心配はいらないわね。星影が守ってくださるわ」


 実際、エリアスはセルジュお兄様と違って健康だった。むしろ気を付けなければならないのは、毒やら刺客やらの外的な要因だ。3年後に迫ったエリアスの毒殺未遂事件を思い出して、少しだけ気が引き締まる。


「折角の迷信だ、そう信じておくことにしよう」


 エリアスはふっと笑って、ごく自然に私の手を握った。夏とはいえ、夜が近づいているせいか少し指先が冷たい。


「それより、飴は一つだけで良かったのか? 随分悩んでいたようだったが」


「ええ、いいのよ」


 色とりどりの飴を前に、クリスティナとフィリップにも食べさせてあげたいと考えたが、ミストラル邸に帰るまでに溶けてしまうと予想されたため断念した。代わりに、「星影の大樹」の葉を模った水晶の飾りをお土産に購入した次第だ。

 

「それは弟妹達にだろう? 君はいつも誰かのことを考えているんだな」


 エリアスはなんだかんだ言って私のことをよく見ていてくれている。私が購入した揃いの水晶の飾りを見て、自然とクリスティナとフィリップのことを思い出したのだろう。


「その言い方だと、私は随分健気な女の子みたいに思えるわね」


「大方外れていないだろう」


 私は私の我儘でエリアスや弟妹達の幸せを願っているだけなのだから、捉えようによっては自分のことしか考えていないともとれるのだが、エリアスは私のことを過大評価しているようだ。

 

 その瞬間、頬を小さな風が霞める気配があった。驚いたのも束の間、右肩に加わった僅かな重みと小さな羽の音に目を丸くしてしまう。


「えっ、ちょっと、エリアス、私の肩に何か止まった?」


 正直、虫の類だったら悲鳴を上げかねない。肩を確認するのも怖くて、咄嗟にエリアスに助けを求めてしまう。


「落ち着け、そのまま右腕を伸ばしてみろ」


「ええ……」


 珍しくくすっと笑ったエリアスの言葉に従い、そっと右腕を伸ばしてみる。それに合わせて小さな重みが指先に向かってとんとん、と移動した。そこでようやく私はその重みの正体を知ることになる。


「まあ」


 私の肩に飛び乗ったのは、可愛らしい小さな小鳥だった。美しい翡翠色の羽を持つその小鳥は、まず見かけない色合いだ。「祝祭の小鳥」として商人たちが持ち込んだ品なのだろう。


「可愛いわ、人懐っこいのね」


 12歳の私の手にも十分に収まりそうなほどの大きさだ。きっとまだ生まれたばかりなのだろう。くりくりと首を傾げ、ビーズのような丸く黒い瞳でこちらを見上げるその姿に、何とも庇護欲が掻き立てられる。


 以前の時間軸を合わせても今までに動物を飼ったことは無いが、機会が無かったというだけで興味がないわけではなかった。特に、こういった小動物は見ているだけで癒されるから、こうして眺めるのは大好きだった。


 そっと左手を軽く丸めて差し出せば、翡翠色の小鳥はすっぽりと私の手の中に収まってしまった。ふわふわした羽の感触に、完全に心を奪われてしまう。


「見て、エリアス……とんでもない可愛さだわ……」


「本当におとなしいな、どこの屋台の売り物だろうな」


 エリアスが小鳥の前にそっと指先を差し出すと、小鳥は勢いよく彼の指先をつついた。先ほどまで見せていた人懐っこい様子とは打って変わって、攻撃的な態度を示す小鳥を前に、エリアスはさも可笑しいとでも言うようににふっと笑う。


「どうやらコレットに懐いているだけのようだな……」


「ま、まだ小さいからいろんなものが怖いのよ、きっと……」


 さりげなくエリアスを庇うも、私の手の中に満足そうに収まる小鳥を見ていると、エリアスの言葉もあながち嘘ではなさそうね、と思い始める。人を選ぶほどの知性が鳥にあるとも思えないが、波長のようなものが私と合うのだろうか。


「すみません、お嬢さん、うちの鳥が逃げ出してしまって……」


 ふと、背後から息を切らせた声に呼び止められ振り返れば、まだ年若い商人風の男性が駆け寄ってきた。ようやく足を止めるなり、苦しそうに肩で息をしている。余程焦ったのだろう。


「こちらの鳥ですか? 可愛らしいですね」


 商人の男性の前に翡翠色の小鳥を差し出したものの、小鳥は男性の方へ飛び乗る気配もなく、私の手の中が巣だとでも言わんばかりにのんびりとしている。人懐っこいのは躾られているためかと思ったが、どうやら違うらしい。


「うわあ、これは珍しいですね。こいつ、滅多に人に懐かないんですよ。うちの店一番の別嬪さんですけど、手を焼いていましてね」


 ほら、戻れ、と言いながら金色の籠を取り出す商人を前にしても、翡翠色の小鳥はびくともしない。


 これも何かの巡り合わせだ。迷信の一つでもある「祝祭の小鳥」として、ここで買ってみるのも手かもしれない。


 そう思い、背後に控えるリズを呼び戻そうとしたとき、エリアスが先に口を開いた。


「彼女がこの鳥を気に入ったようだから、このまま貰い受けよう」


 この返しは予想していなかったらしく、商人はぱちくりと瞬きをしてみせたが、エリアスの姿を見て平民ではないと察したのか、ぎこちないお辞儀をした。


「それはありがたいお話です。正直、値が張りすぎて売れないと思っていたもんですから……」


 小鳥の値段の相場がいくらくらいなのかは分からないが、この翡翠色の小鳥に関しては、ちょっとした宝石と同じくらいの金額がやり取りされた。確かに手の中の小鳥は、どんな絵具でも再現できないような繊細な翡翠色の羽を持っているから、その分価値が高いのかもしれない。


「この鳥は『星鏡の大樹』の傍で稀に見られるものでしてね。ほら、宗教画なんかで聖女や聖人の傍に描かれている翡翠色の鳥があるでしょう。あれですよ」


 そう言われてみれば、私のベッドの天蓋に埋め込まれている絵画にも翡翠色の小鳥が描かれていることを思い出した。大きさも色も、絵の中の小鳥とそっくりだ。


「この鳥は聖女や聖人に懐いた、という文献がありましてね。お嬢様はもしかすると星鏡の天使の祝福を受けておられるのかもしれませんよ」


 あくまでも商売の中の世辞なのだろうが、あながち嘘とも言い切れないので思わず苦笑いを零した。天使様との関わりが深い小鳥だというのなら、懐かれる理由も頷ける。


「ふふ、あなたは天使様にお会いしたことがあるのかしらね」


 手の中にすっぽりと収まった小鳥の頭を撫でる。おとなしくていい子だ。


「エリアス、祝祭で小鳥を買うと、幸福が訪れるという迷信もあるのよ。何か素敵なことが起こるといいわね」


「この鳥は二人で育てよう。コレットが名前を付けるといい」


 俺たちに幸運を運んできてくれよ、と指先で小鳥を撫でるエリアスの姿に少なからず驚いてしまう。


「随分、私を甘やかすのね。嬉しいけれど、何だか悪いわ」


 商人から受け取った小さな金色の籠の中に小鳥を放しながら、エリアスを見つめる。買ったのはエリアスなのに、私に名前を付けさせようとしてくれるなんて。言葉通りの申し訳なさを感じている私に、彼はふっと微笑みかけた。


「コレットに会う口実が増えたと思えば、安い買い物だ」


 エリアスにしては珍しい甘い言葉に、何だか頬が熱くなってしまう。基本素直ではないエリアスだが、ごくごくまれにこういう言葉を恥ずかし気もなく言ってのけるから心臓に悪い。祝祭の開放的な雰囲気が彼の気も緩めたのだろうか。


「おやおや、その小鳥が小さな恋のキューピッドになったとは……話の種がまた一つ増えました」


 商人はふっと笑うと改めて礼をしてみせた。今度は先ほどよりいくらか滑らかな動きだ。


「星影の煌めきと、大樹の美しき祝福がお二人に注がれますよう」


 祈りの文言を恭しく口にして、やがて商人は去って行く。金色の籠の中で可愛らしい鳴き声を上げる小鳥に、エリアスは穏やかな微笑みを向けた。


 その横顔を見ていると、やっぱり頬が熱くなってしまう。いつもは私がエリアスをからかっているというのに、全く逆の立場だ。


「コレット、頬が赤いぞ。どうしたんだ?」


 エリアスに余裕たっぷりの笑みを向けられ、思わず私は視線を逸らした。まるで初めてエリアスへの恋情を自覚したときのように落ち着かない気分だ。


「……そう? 夕焼けのせいかしら」


 下手な誤魔化しを口にしながら、私は沈みゆく夕日を見つめた。


「そうか、それは余計なことを言ってしまったな」


 どこか勝ち誇ったように微笑むエリアスは、私の手から金色の籠を受け取るとリズに預け、空いた私の手をそっと握ってくれた。


 温かい、熱い、くらいに。


 紫紺に染まる空を見上げながら、祝祭の本番が幕を開ける気配を感じ取る。一年で一番美しい夜が、今まさに訪れようとしていた。

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