第17話 許さない、星影も祝福も穢らわしいお前のことも

 フォートリエ侯爵夫人を前に、私もエリアスも咄嗟に立ち上がり、息を飲んでいた。想像もしていなかった人物の来訪に驚いていることはもちろん、付き人一人連れずに現れた彼女の異様な雰囲気をお互い見抜いていたからだ。


 よくよく見れば、夫人のドレスは外出するには少々心許ない、軽装の部類に入るものだった。セルジュお兄様を失ってから心を病み、療養中であることを考えればそう不自然な格好というわけでもないのだが、外出時に肩掛けの一枚も羽織らないことには妙な違和感を覚える。


 意味もなくにこにこと微笑む夫人の表情は、確かに噂に違わぬ美しさだったが、痩せこけた頬が痛々しい。よく見れば、ドレスから覗く首元は鎖骨が浮き上がっているし、手首も華奢だと言う範囲を超えた細さだ。あまり、食事を摂れていないのだろう。


 それくらいに、セルジュお兄様の死が夫人に与えた影響は大きかったということだろうか。子どもを失った母親の気持ちの全てを推し量ることは出来ないけれども、想像もつかないような絶望が彼女を襲ったことは確かだなのだろう。

 

 しばらく夫人の姿に呆気に取られていた私たちだったが、エリアスが軽く礼をして先に挨拶をする。


「……義母上、こちらは、ミストラル公爵家の令嬢、コレット・ミストラル嬢です。此度の祝祭を案内するために、お連れした次第です」


「お前に義母と呼ばれる筋合いはないわ。それより、その汚らわしい手をお嬢様からお放しなさいな。この方を誰と心得るの?」


 夫人はにこにこと微笑んだまま、淡々と表情に似合わぬ毒を吐いた。頭を下げたままのエリアスは特別表情を変えたりなどはしてないかったが、心配そうな眼差しが横目で私に注がれていた。


「随分お久しぶりねえ、コレット嬢。わたくし、ずうっとお待ちしておりましたのよ?」


 エリアスの手から半ば強引に私の手を引きはがすと、夫人はか細い両手で私の手を包み込むようにして笑った。視界の隅で心配そうな表情をしたリズが、駆け付けようかと迷っているような仕草が見えたので、目配せをして控えるように伝える。


「フォートリエ侯爵夫人、長らくお目にかかれず申し訳ありませんでした」


 夫人に手を取られたままなので、片手でドレスを摘まみ令嬢らしく礼をする。夫人はにっこりと微笑んで、軽く私の頭を撫でた。


「ふふ、そう硬くならないで、可愛いコレット嬢。わたくしは、あなたの未来の母なのですから、もっと仲良くなりたいですわ。あなたを娘と呼べる日を待ち遠しく思っておりますの」


 その言葉に、思わず表情が引き攣った。まともに考えれば、エリアスの義理の母としての言葉とも受け取れるが、エリアスに「義母上」と呼ばれることをついさっき拒絶したばかりの彼女が発するには、あまりに不自然な言葉だった。


 フォートリエ侯爵夫人は心を病んでいる、とは聞いていたけれど、それはどれほどのものなのだろう。私の手を握る夫人の手の冷たさが、今になって嫌に生々しい病みの証のように思えてくる。


「今日は、セルジュに会いに来てくださったのでしょう? あの子も首を長くしてあなたを待っているわ。可愛らしいコレット嬢に夢中なのよ。ああ、セルジュはあなたの今度の誕生日には何を贈ろうかとっても迷っているの。よろしければ、セルジュのために、わたくしに助言を下さらない?」


 虚ろな深緑の瞳に見つめられ、私は言葉を忘れていた。ただ、夫人に握られた指先が、かたかたと震えていることだけは辛うじて認識できる。


 夫人の中では、セルジュお兄様はまだ生きているのだろうか。彼女の心を蝕んだ病みは、想像以上のものだったようだ。返す言葉もないまま、夫人は更に私に詰め寄ってくる。


「セルジュはね、次にあなたにお勧めする本を何にしようか、一生懸命悩んでいたわ。わたくしとしては、あなたのような可愛らしい令嬢にお勧めするにはちょっとお堅い本ばかり選んでいるように思えたけれど、どうか読んでやって下さいね。読み終わった暁には、セルジュに感想を教えてくださると嬉しいわ。あなたとお話をした後のセルジュは、とっても嬉しそうなのよ」


「……フォートリエ、侯爵夫人……」


 ドレスの裾が触れ合うような距離にまで迫った彼女を前に、軽く後退ってしまう。だが、私の肩を掴むように置かれた夫人の両手がそれを許さなかった。


「ねえ、早くセルジュの元へ行きましょう? ご案内するわ。こんな汚らしい娼婦の息子なんて放っておいて、屋敷へ戻りましょう? あなたはセルジュの可愛いお姫様なんだから、綺麗なものにだけ囲まれていなくちゃ駄目よ。ね、そうでしょう? コレット嬢――」


「――義母上、おやめください!」


 私を庇うように引き寄せたエリアスの手によって、私はフォートリエ夫人から引きはがされる。気づけば、控えるように目配せしたリズも私の傍に駆け付けていた。それくらい、夫人の言動に危うさを感じたのだろう。


「義母上……おやめください。コレットは、フォートリエ領の祝祭を見に来たのです。兄上に会うためではない。それに……兄上は、もう……」


 圧倒的な病みを前に、現実を突きつけるのが正しい対処なのかエリアスも悩んでいるようだった。夫人にも、私たちの背後にある「セルジュ・フォートリエ」と刻まれた墓標は見えているはずなのだが、人間は都合の良いものしか視界に入らないらしい。夫人が墓標のことに触れる素振りは無かった。


「コレット嬢から手を離しなさいと言ったはずよ。その子はセルジュのお姫様なの。それとも、穢れた娼婦の子どもには叩いて言って聞かせないと分からないのかしら」


「申し訳ありませんがその命令には従えません。コレットを、あなたの妄想につき合わせる義理はない」


「妄想……? それは、何のことを言っているのかしら……?」


 夫人はエリアスに詰め寄りながら、底冷えするような深緑の瞳で彼を睨んだ。緊迫した雰囲気に、思わず息を飲みながらも私は傍に控えたリズに耳打ちする。


「リズ、急いで屋敷に人を呼びに行きなさい。フォートリエ侯爵夫人がお困りのようだと伝えて頂戴」


「かしこまりました」


 囁き声で会話を終えるなり、リズは紺色のドレスの裾を軽く持ち上げながら、屋敷に向かって走り始めた。屋敷の者たちにとっても、夫人がここにいることは本意ではないはずだ。ここまで心を病んでいて、付き人の一人もつけずに外出させるのはやはりおかしい。今頃、夫人のことを探しているかもしれない。

 

「現実を突きつけた方がよろしいですか? 妄想の中で幸せにお暮らしになりたいのでしたら、どうぞこのまま離れに戻って頂きたく――」


「――随分生意気な口を利く子だこと。やはり、痛みを与えなければ分からないようね……」


 そう言って振り上げられた夫人の手を見て、エリアスの背後にいた私は思わず彼を庇うように抱きしめていた。だが、一歩遅かったのか夫人の平手打ちがエリアスの頬を掠める。


「エリアスっ」


 私に引き寄せられたことで体勢を崩したエリアスを抱きしめるようにして、彼の頬に手を伸ばす。エリアスの左頬には、僅かに赤い跡がついていた。


「大丈夫だ、コレット、大した力じゃない」


「っでも――」


 確かに唇が切れたりはしていないようだが、目の前で大切な人に暴力を振るわれて冷静でいられるわけがない。思わずぎゅっと守るようにエリアスを抱きしめ、彼の頭に頬を寄せた。


 その瞬間、背後でざっと靴が滑る音が響く。私はエリアスを抱きしめたまま、咄嗟に半身振り返って夫人を見上げた。これ以上、エリアスに暴力を振るうのは許せない。


 だが、見上げた夫人の表情には先ほどまでの鬼気迫ったような迫力はなく、夫人はただ茫然と虚ろな瞳で私たちを見下ろしていた。


「……どうして?」


 ぽたり、と夫人の深緑の瞳から零れ落ちる涙を見て、私は言葉を失った。


「どうして、セルジュだったの?」


 夫人はふらふらと墓標に歩み寄り、「セルジュ・フォートリエ」と刻まれた名前の部分をか細い指でなぞった。


「星影は残酷だわ……わたくしもセルジュも、あんなに敬虔な信者だったのに……わたくしの可愛いセルジュを、連れて行ってしまうなんて……」


 夫人の虚ろな深緑の瞳が、ゆっくりと私たちに向けられる。ぞわり、と背筋が粟立つほどの狂気を携えた瞳だった。思わずエリアスを抱きしめる腕に力を込める。


「フォートリエ侯爵家も、この領地も、コレット嬢も……何もかもあの子のものになるはずだったのに……どうして、汚らわしいお前がその全てを手にしているの?」


 ゆらり、と、こちらに距離を詰め始めた夫人を見て、リズに人を呼びに行かせたのは失敗だったかとという不安が過った。エリアスを抱きしめたまま後退るも、所詮は12歳の子どもの足だ。着々と距離を詰める夫人の前ではたかが知れている。


「コレット、俺から手を離せ。義母上は俺を恨んでおられるだけだ。コレットは関係ない」


「嫌よ。生憎、大切な幼馴染が傷つけられるのをみすみす眺めているような性格はしていないの」


「本当に離せ、このままじゃコレットも巻き込まれるぞ」


 エリアスの言葉とは裏腹に、私は彼を抱きしめる腕に更に力を込めた。リズが早く人を呼んで戻ってきてくれることを願いながら、ただただ夫人を見上げることしか出来ない。


「ああ、コレット嬢。あなたまでその汚らわしい娼婦の息子の味方をするの? そう……あなたはもう、セルジュの可愛いお姫様じゃないのね。そんな汚らわしい者に絆されるような子だったのね」


 濡れた深緑の瞳に射抜かれ、まるで体が凍り付いたかのような感覚だった。エリアスを連れて逃げるべきだと分かっているのに、足が竦んで動かない。


「……もう、あなたもいらないわ。セルジュから何かを奪っていく人間はいなくなるべきなのよ。ねえ、そうでしょう? あなたもそう思うでしょう? コレット嬢――」


「――義姉上!!」


 その瞬間、ブロンドの髪を揺らして駆けよって来た男性の姿に、私は思わず目を見開いた。恐らく、エリアスも同じ思いだったと思う。


 夫人を取り押さえるようにして駆け付けたその男性は、フォートリエ侯爵閣下にそっくりだったのだ。いや、落ち着いてよく見てみれば、フォートリエ侯爵閣下の方が整った見目をしているのだが、ぱっと見た限りでは本当によく似た雰囲気を持っている男性だった。


「義姉上、落ち着いてください。離れに温かい紅茶を用意してありますから、戻りましょう」


 夫人の肩を抱き、男性は酷く優し気な声音で彼女を宥めていた。私たちに迫っていた時とは打って変わって、一瞬で脱力したような彼女は、数十秒の沈黙の後に僅かに口を開く。


「……セルジュは、セルジュはいる?」


 虚ろな目で縋るように男性を見上げる夫人の姿はあまりに痛々しかった。男性は一瞬眉を顰めたが、すぐに穏やかな笑みを浮かべて夫人の言葉を肯定する。


「……ええ、セルジュ殿は母君をお待ちですよ。早く行って差し上げましょう」


「そうね……早く、戻らなくちゃ……」


 ふらふらとした足取りで歩き始めた夫人を、男性の後ろからついてきたらしいメイドたちが支えた。


「……夫人は任せた。私は、こちらの対応をしておく」


 男性は短くメイドたちに指示を出すと、私たちの方へ向き直り、困ったような笑みを浮かべた。


「……こんなことに巻き込んで済まなかったね。立てるかい?」


 差し出された手に素直に手を重ねようとしたところ、先に立っていたエリアスにその手を引かれてしまう。エリアスは、どこか警戒するような眼差しで目の前の男性を見上げていた。


「おやおや、とんだ独占欲だ。社交界に出てから苦労しそうだね?」


 最後の言葉は私に向けられたものなのだろう。私は曖昧に笑みを浮かべながら、目の前の身なりの良い男性の正体を探っていた。明らかに貴族であることは確かなので、会ったことのある相手ならば、それなりの対応をしなければならない。


「……お久しぶりです、叔父上。おかげさまで助かりました」


「いや、いいんだよ。まさか義姉上がこんなところまで抜け出すなんて考えていなかったからね。私たちにも非がある」


 エリアスは軽く私の方へ向き直ると、硬い面持ちで目の前の男性を紹介してくれた。

 

「コレット、こちらは父上の弟君のオードラン伯爵だ。叔父上はオードラン伯爵家に婿入りして、伯爵領を再興したやり手の経営者なんだよ」


 褒めている割には感情がこもっていない辺り、何ともエリアスらしい対応だ。社交辞令が苦手なのは、以前のエリアスと共通している部分のようだ。


 オードラン伯爵と言えば、社交界に滅多に姿を現さないことで有名な方だ。オードラン伯爵令嬢とは、一月前の御茶会で一悶着あったばかりだが、オードラン伯爵ご本人にお会いするのは、以前の時間軸を合わせてもこれが初めてのことだった。


 私はドレスに付いた土埃と軽く払い、令嬢らしくお辞儀をする。


「お初にお目にかかります、オードラン伯爵閣下。ミストラル公爵家の長女、コレット・ミストラルと申します」


「これはこれは……あのミストラル公爵家のお嬢様にお目に書かれるとは……。噂に違わぬ美しさですな」


 オードラン伯爵は愛想のよい笑みを浮かべてそんな言葉を口にした。単純な誉め言葉とも、私を「ミストラル公爵家の失敗作」と知っての嫌味ともとれるが、それを判断することが出来るほど、私はまだオードラン伯爵のことを知らない。


 それならば、素直な誉め言葉として受け取っておいた方が波風が立たずに済むだろう。そう思い引き攣った笑みを浮かべようとしたそのとき、エリアスが颯爽と助け舟を出してくれた。


「そうでしょう、僕はミストラル公爵家の方々全員にお会いしたことがありますが、コレットの美しさは格別ですよ」


 普段のエリアスならば口が裂けてもそんな甘い言葉は囁きそうにないが、どうやら第三者がいると話は変わってくるらしい。思わず目を見開いてエリアスを眺めていたが、ははは、と笑い出した伯爵の声にその動揺も掻き消される。


「エリアス君は随分とミストラル嬢に惚れ込んでいるんだな。道理で兄上に、うちのクロエとエリアス君の縁談を持ち掛けても一蹴されるわけだよ。ミストラル公爵家のご令嬢が相手じゃ、まるで話にならないものな」


 当たり前だが、水面下でエリアスの縁談が動き始めていることに、妙にどきりとした。だが、私の存在のせいで、侯爵閣下がエリアスへの縁談を断っているのならばそれはそれで問題だ。


 また一つ、課題が増えたと思っている私の隣で、エリアスは再び嫌疑的な眼差しを伯爵に向ける。


「ところで、叔父上はこの屋敷に何の御用ですか?」


「ああ、私は義姉上の見舞いにね。もうすぐ祝祭が始まるから、たまには気分転換に見てまわるのはどうかって誘いに来たところだったんだ」


「たまには? 義母上とは定期的にお会いになっているのですか?」


 エリアスの鋭い切り返しに、オードラン伯爵は肩を竦めて笑った。


「月に一度、見舞っているよ。セルジュ殿を失ってからの義姉上は……本当に可哀想で、放っておけないんだ」


 確かに、フォートリエ侯爵領とオードラン伯爵領は隣同士なので、日帰りでも充分見舞いは出来るだろう。夫人も夫人で、侯爵閣下によく似た雰囲気のオードラン伯爵に安心しているような素振りを見せていたから、案外夫人の心の拠り所になっているのかもしれない。


「随分、仲睦まじいんですね。このことを父上はご存知なんでしょうか?」


 どこか挑発的な物言いをするエリアスに、伯爵はふっと笑って口を開いた。


「知ってるよ。好きにしろ、だってさ。相変わらず仲の悪い夫婦だよなあ。兄上はあんなに綺麗な奥さんのどこが気に食わないんだろうな? ……君の母上には、娼館から身請けして囲うほどに入れ込んでいたっていうのにね?」


「金の使い方が分からない父親で困ります。おかげで僕のような面倒な息子が生まれてしまいましたからね。叔父上は残念だったでしょう。フォートリエ侯爵家の継承権が、あなたのご子息に回ってこなくて」


 皮肉には皮肉で返すというのは常套手段ではあるが、いささか言いすぎなエリアスの発言に、見ているこちらがひやひやとしてしまった。将来的にはエリアスがフォートリエ侯爵家の当主となるのだから、身分はオードラン伯爵よりも格上になるとはいえ、今は爵位を持たない子供に過ぎないのだ。エリアスのこの発言を咎められ、家同士の問題に発展してもおかしくはない。


 だが、オードラン伯爵はエリアスの言葉を受け流すことにしたようで、またしてもエリアスの黒髪をくしゃくしゃと撫でた。


「随分な嫌味を言うんだなあ。そういうところは、兄上にそっくりだよ、君」


 相変わらずエリアスは不快そうに伯爵を睨んでいたが、先ほどの発言が度を過ぎていたと分かっているのか今度は振り払うような真似はしなかった。

 

「さて、邪魔者は退散するとしようか。妙なことに巻き込んで悪かったね。明日からの祝祭を楽しむといい」


「……叔父上にも、星鏡の大樹の祝福がありますよう」


「はは、生憎、神様とか祝福とか信じてなくてね。でも、ありがとう、と返しておくよ」


 軽く手を振って遠ざかる伯爵に、私はドレスを摘まんで礼をする。何ともつかみどころのない相手だった。気さくなだけの人物なのか、警戒すべき対象なのか、判断しかねる。


「……折角祝祭を見に来たというのに、初日から面倒なことに巻き込んで悪かった」


 伯爵の後姿を見送った後、エリアスはどこかきまりが悪そうに視線を伏せながら謝罪を口にした。


「本当に、義母上が外に出るのは予想外だったんだ。不快な思いをさせてしまったな」


「エリアスが謝ることじゃないわ。大丈夫、祝祭を楽しみに思う気持ちは少しも変わっていないわよ!」


 敢えて明るく振舞えば、エリアスは弱々しく微笑んで、綺麗な紺碧の瞳で私を見つめていた。何を、思っているのだろう。どこか縋るような色合いを見せるその視線に、胸の奥がざわついた。


「それならよかった。……帰りたい、と言われたらどうしようかと思った」


「まさか! この一月の間の私のはしゃぎようを忘れたの? ちょっとやそっとのことじゃ帰らないわよ」


「よく考えればそうだったな。杞憂に終わって何よりだよ」


 エリアスはいつものような穏やかな笑みを見せると、自然な仕草で私に手を差し出した。


「兄さんに挨拶も済んだことだし、そろそろ戻ろう。フォートリエ領の名物料理を用意してあるんだ」


「まあ、それは楽しみだわ。とびきりおめかしして晩餐に向かうわね」


 エリアスの手に引かれるようにして、私はゆっくりと歩き出した。初日から随分と刺激的な一日になってしまったが、私とエリアスの祝祭はまだ始まったばかりだ。

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