第15話 あなたと巡るなら業火の中でも星影は美しい

「怪我の具合はどうなんだ?」


 翌朝、フォートリエ邸の庭に咲く大輪の青い薔薇を片手に見舞いにやってきてくれたエリアスは、ベッドサイドの椅子に腰かけながら無愛想に尋ねてきた。いつも通りのエリアスだが、その紺碧の瞳の中には確かに私を案ずる色が窺える。相変わらず素直じゃない人だ。


「2週間ほどすれば充分歩けるようになるみたいよ。そう大した怪我じゃなかったの。お騒がせして申し訳なかったわ」


 エリアスに貰った青い薔薇の花束を胸に抱え、その甘い香りを楽しむ。フォートリエ邸の薔薇は、いつ見ても鮮やかだ。


「そうか……それは何よりだ」


 表情は変えないものの、あからさまにほっとした態度を見せるエリアスに、思わず愛しさが込み上げる。私のことを心配してくれていたのだろう。昨日の御茶会で疲れているはずなのに、一日と空けずに私を見舞ってくれたエリアスの優しさに胸の奥が熱くなった。


「心配してくれてありがとう、エリアス。エリアスが来てくれたおかげで痛みもどこかへ行ってしまったわ」


「どうしてコレットは、そういうことを恥ずかし気もなく言えるんだ……」


 以前のあなたの受け売りよ、と心の中で呟きながらエリアスに笑みを送る。視線が合うなり、彼はふっと顔を背けてしまった。やっぱり耳の端は赤くて、私のこんな些細な言葉にも照れてくれるのかと思うと、少しだけ意地悪したくなってくる。


「それだけ私がエリアスを大切に思っている、という証よ」


「ああ、もう、それ以上言わないでくれ。どんな表情をしていいのか分からなくなる」


「たまには腑抜けたあなたの顔も見てみたいわ」


 エリアスをからかうのが面白くて、つい身を乗り出して彼との距離を詰めてしまう。エリアスは最大限に私から顔を背けながら、首筋まで赤くして私の願いを却下した。


「絶対に御免だ。そんな情けないところ見せられるか」


「ふふ、ごめんなさい。からかいすぎたかしら」


 以前のエリアスは、基本的に私の前ではある意味自然体だった。二人で過ごすときには、傍に控えているリズの視線も構わずに私に甘えるように纏わりついていたし、私の前ではどんな感情も素直に曝け出していた。二人の境界が曖昧になるほどの距離の近さだったから、共依存のような関係になるのも当然だったのかもしれない。


 あの頃のエリアスに比べれば、今のエリアスとは距離があるように思う。でも、それは決して他人行儀のような遠さではなくて、とても心地の良い距離感だった。以前と違って恋人同士ではない、という部分も大きいかもしれないが、互いを尊重し合い、依存には至らない関係性というのは何とも清々しい。


 この時間軸に移ってからまだ4年だが、こうして考えると私とエリアスの関係性も随分変わったものだ。唯一変わらないものがあるとすれば、私がエリアスを想う気持ちだろうか。


 いや、それすらも日増しに強くなっているのだから、以前と同じ感情なんて一つもないのかもしれない。照れたようなエリアスの横顔を眺めながら、ここまで一途に愛することのできる相手に出会えた幸運に誰ともなしに感謝した。


「お嬢様、お花が萎れてしまいます。よろしければ花瓶に生けましょうか」


 部屋の隅で控えていたリズが、会話が途切れたのを察したのか、すかさず駆け寄ってくる。既にサイドテーブルにはワインレッドの花瓶が用意されており、準備は万端だった。


「ありがとう、お願いするわ」


 最後にもう一度だけ薔薇の香りを楽しんでから、花束をリズへと手渡した。リズは私たちに一礼すると、手際よく薔薇を生け、部屋の隅へと戻っていく。


 ベッドで体を起こした体勢で、サイドテーブルに飾られた薔薇をそっと撫でていると、ようやく落ち着いたらしいエリアスが何やらぽつりと呟いていた。


「……それにしても、2週間、か……。まあ、間に合うな……」


「間に合う? 何に?」


 エリアスははっとして私の方へ視線を移すと、口を開きかけたがすぐに閉じてしまった。そのまま軽く視線を彷徨わせるようにして何やら逡巡している様子を見せる。


 何をそんなに躊躇っているのだろう。純粋に気になって、エリアスの紺碧の瞳をじっと見つめていると、彼は珍しくはっきりとしない調子で言葉を紡ぎだした。


「いや……その……生粋の令嬢であるコレットを誘うのはどうかと思ったんだが……」


「ふふ、随分もったいぶるのね? 何かしら?」


 一体私を何に誘おうとしてくれているのだろう。以前の時間軸には無かった展開に、自然と胸が躍っていた。


「その……良ければ『星鏡の祝祭』に、一緒に行かないか?」


 ちょうど昨夜天使様と話していた話題を、エリアスの口から聞くことになるなんて。驚いてエリアスを見つめていると、彼は自分から誘い文句を口にしたことが恥ずかしかったのか、しどろもどろに言い訳を始めてしまう。


「いや、『星鏡の祝祭』は庶民の祭りのようなものだし……コレットの趣味に合わなければ無理強いするつもりはないんだ。ただ、もしも興味があるのなら、と思っただけで――」


「――嬉しい! 私、ずっと『星鏡の祝祭』を見てみたかったの! それをエリアスと一緒に見られるなんて、夢のようよ!」


 思わず彼の手を両手で握りしめ、素直な想いを口にした。昨日、天使様と話しただけあって、「星鏡の祝祭」への興味はますます強まっていたのだ。それを、まさか大好きなエリアスと一緒に見てまわれるなんて。


 満天の星空の下でエリアスと巡る祝祭を想像しただけで、わくわくした気分になる。まじまじとエリアスの瞳を至近距離で見つめれば、彼もまたどこかほっとしたように微笑んだ。


「よかった。何となく、コレットならそう言うんじゃないかって思ってたが……実際に受け入れてもらえるとほっとするな」


「私がエリアスの誘いを断るわけないじゃない! 楽しみだわ。どこの祝祭を見てまわる? やっぱり王都の祝祭かしら?」


 「星鏡の祝祭」は今から約一月後、王国エルランジェの各地で行われる。王国で最も華やかな祝祭は、やはり王都で行われるものだと言われているが、領地によってその土地の特色が出ていたりして、甲乙つけがたいのだ。


 例えば、海が近いミストラル公爵領では、珊瑚や貝殻の飾りをふんだんに使用した、それは美しい祝祭が開かれるのだ。その他にも果物が名産の領地では、切り分けた果物やジャムの甘い香りに満ちた祝祭が催されるようだし、ワインが名産の領地では噴水からワインが噴き出す、なんて噂も聞いたことがある。


 もっとも、エリアスと巡ることが出来るなら、彼と行った場所が私にとっては王国で一番素敵な祝祭だ。だらしなく頬を緩めていると、エリアスは続けて私に提案してくれる。


「コレットさえよければ、フォートリエ領の祝祭を案内したいと思っているんだ。王都から少し遠いから、長旅になってしまうんだが……」


「フォートリエ領の……? それは素敵だわ!」


 フォートリエ侯爵領は「星鏡の大樹」に最も近い領地であることもあり、祝祭にはかなり力を入れていると聞く。祝祭の間中、フォートリエ侯爵領の道という道には色とりどりのランタンが灯されているらしいのだが、毎日決まった時間に一斉にランタンの灯りを消し、星の光を楽しむのが習わしなのだという。


 その光景の神秘的なことと言ったら、この上ないという噂を耳にしたことがある。これを目当てに、王都から遠く離れたフォートリエ侯爵領へ向かう人も少なくない。


「私、一度でいいからフォートリエ侯爵領の祝祭を見てみたいと思っていたのよ。ああ、とっても楽しみだわ! 祝祭まで眠れなくなってしまいそう」


「それは困るな……。まだ一月もあるんだ。ちゃんと休んでくれ」


「それもそうね、走り回れるくらいに足を治さなくっちゃ。動きやすいワンピースも仕立てるわ!」


 私が今持っているのはドレスばかりだから、この機会にお忍び用のワンピースを仕立てておこう。今度は踵の無い歩きやすい靴を履いて、エリアスと共に祝祭を存分に満喫するつもりだ。


「コレットを走らせるような真似はしないつもりだが……そこまで楽しみにしてくれるなら何よりだ。俺もコレットを迎え入れる準備をしておこう。……でも、公爵閣下が許可を下さるか心配だな」


「私に任せて頂戴。一月もあれば、お父様を説得することなんて訳も無いわ」


「確かに、公爵閣下はコレットに甘いもんな」


 エリアスは肩を竦めて笑った。この4年の間に、エリアスは私の家族にもすっかり受け入れられた気がする。特に、フィリップとクリスティナは、エリアスを「エリアスお兄様」と呼ぶほどに慕っているようだ。


「でも、まずは俺から祝祭について話してみるつもりだ。それで説得できなかったら、コレットに助けを求めることにしよう」


「お父様好みの誠実な対応ね」


「そうだろう? こっちだって公爵閣下に気に入られるために必死なんだ。コレットに相応しい人間だと思ってもらわないと」


 冗談めかしたエリアスの言葉に、どちらからともなくふっと笑った。彼と過ごす一秒一秒が。こんなにも楽しい。


 エリアスを幸せにしたいと願っているのは私なのに、私までもがこんなに幸せでいいのかしら。そう思ってしまうほどに、12歳の私たちの間に流れる時間は幸福に満ちていた。

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