第5話 やっと、やっと会えたね、僕の可愛いコレット

「素敵な形見をいただけて良かったですね、コレットお嬢様」


 家族と共に夕食を取り、湯浴みを済ませた頃、リズは私の灰色の髪を一束の三つ編みに纏めながら微笑んだ。既に白いネグリジェに着替えさせられており、とてもゆったりとした心地だ。


 私は、セルジュお兄様の形見である「星影の大樹」をモチーフにしたペンダントを握りしめ、そっと頬を緩めた。


「ええ、辛いことがあったら、これを握りしめてセルジュお兄様に祈るわ。そうしたらきっと、セルジュお兄様にも届くわよね?」


 敢えて子供らしい言い回しをしながらリズを見つめれば、リズは慈しむような笑みを見せてそっと私の頭を撫でてくれる。


「もちろんですよ、お嬢様。セルジュ様は、星影の中からコレットお嬢様を見守っていてくださいます」


「ふふ、そうだといいな」


 ベッドから降ろした足をバタバタと揺らしながら、祈るように頬を緩めた。今夜は、8歳の体になってから一番安らかな夜だ。


「随分とご機嫌がよろしいのですね。エリアス様、とご友人になれそうだからですか?」


 リズには今日、エリアスと出会ったことは既に話していた。何だか嬉しくて、誰かに事細かく話したい気分だったのだ。


「ええ、そうかもしれないわ」


「そういえば、エリアス様というお名前はつい最近お聞きしましたね。確か、コレットお嬢様の夢の中に出て来られたご友人ではありませんでしたか?」


 リズは、私の話に真剣に耳を傾けてくれているおかげなのか、たまに私が忘れているような話題でもしっかり覚えていたりする。


 エリアスの名は、8歳の体で目覚めた朝に、戸惑うまま何度も口に出してしまった。リズからすれば、いつもと様子の違う私が繰り返していた「夢の中の友人」の名前なのだから、余計に忘れるはずもなかったのだ。あのときは酷く動揺していたから仕方がなかったとはいえ、何だか痛いところをつかれた気分だ。


「そ、そうね……こんな偶然もあるのね」


「もしかすると、エリアス様はお嬢様の良きご友人になられるであろうという『星鏡の大樹』のお告げかもしれませんよ。もしそうならば、お嬢様はお告げを受けた小さな聖女様ですね」


「もう、大袈裟だわ、リズったら……」


 歴史上、「星鏡の大樹」に宿る「星鏡の天使」から神託を受けたとされ、聖人や聖女として祀り上げられた人間は確かにいる。だが、ここ数百年では例がなく、私としては何らかの時代的背景によって必要に迫られて作り上げられた、御伽噺のような話という認識が強かった。余程敬虔な信者でもない限り、私と似たような考えの人間が殆どだろう。


「あるいは予知夢かもしれませんね。理由はともかく、お嬢様の夢の中に出て来られたくらいなのですから、リズはエリアス様のお姿を拝見する日を楽しみにしております」


 エリアスが訪ねてくる日は、一週間後と決まっていた。正直、私も待ちきれない思いで一杯だ。まだ幼い彼と、何を話そう、何を夢見よう。彼の好きなものを、以前の時間軸より一つでも多く知りたい。具体的なことを考えれば考えるほど、わくわくして仕方がなかった。


「リズに歓迎してもらえて嬉しいわ。とびっきり甘くて美味しいお菓子の準備をお願いね」


「はい! お任せ下さい、コレットお嬢様」


 エリアスは、以前の時間軸でもよく甘いお菓子を好んで食べていた。クリームをふんだんに使ったケーキや甘いお砂糖で煮詰めた林檎のコンポートが入ったアップルパイ、果てには紅茶にも角砂糖をいくつも入れるくらい甘いものが好きだったはずだ。


 その割に、一向に体形は変化しないから羨ましいと思ったものだ。食べても太らない体質だったらしい。乙女の敵である。


 リズは私の髪を編み終えると、飾り気のない赤いリボンで結んでくれた。私の瞳に合わせて誂えたその色は、鮮やかな赤というよりは深紅に近い色をしている。


 リズは手早く私の身の回りを整えると、メイド服を摘まんで小さく礼をする。退室の合図だ。

 

「それでは、おやすみなさいませ、コレットお嬢様」


「ええ、今日もありがとう、リズ」


 改めて扉の前で慎ましく礼をするリズに、ベッドの上から小さく手を振ってみせる。リズが完全に退室したことを見届けると、私はセルジュお兄様の形見のペンダントに視線を落とし、今日一日の達成感から小さく息をついた。


 本当に充実した一日だった。エリアスに無事に出会うことが出来たことに何よりも安心している。私はペンダントのチャーム部分をそっと撫でながら、今日の出来事をぼんやりと思い返した。




 フォートリエ侯爵邸でエリアスと会話を交わした後、私はお父様にエリアスのことを話し、正式に彼を屋敷に招く許可をいただいた。フォートリエ侯爵閣下は私とエリアスが出会ったことに相当驚いているようだったが、私がエリアスを悪く思っていないことを悟ったのか、手のひらを反すようにエリアスのことをお父様に勧めてきた。


「長い間、領地の屋敷で暮らしていたもので、何分まだ躾がなっておらず今日はご紹介を控えようと思っておりましたが……エリアスはセルジュと顔が似ていますから、お嬢様も親しみを覚えられたのでしょう。これも何かの巡り合わせでしょうかな」


 意味ありげに微笑む侯爵閣下を、お父様は曖昧な愛想笑いで受け流していた。恐らく、私がエリアスと親しくなりたい素振りを見せていなければ、侯爵閣下の話をあっさりと一蹴したのだろうが、お父様は私の気持ちを尊重してくれたようだ。


「コレットが親しくなりたいという相手なら、今度お父様にも紹介しなさい」


 帰りの馬車で、お父様は私にそう仰った。お父様に言われなくても、もちろん、そうするつもりだった。この先、エリアスの幸せを願って行動することを考えると、どんな形であれ彼とは長い付き合いになることは確かなのだ。お父様やお母様に紹介しないわけにはいかない。


「今度屋敷に招いたときに、きちんとご紹介いたしますわ」


 エリアスとの出会いが、以前の時間軸よりいくらか上手くいったことに手ごたえを感じていた私は、上機嫌でそう呟いた。だが、お父様の表情はどこか晴れないもので、ワインレッドの瞳は心配そうに私を見つめていた。


「……コレット、賢いお前ならもちろん分かっていると思うが、エリアス殿はセルジュ殿の代わりではないんだよ」


 思ってもみなかった心配のされ方に、思わず目を丸くしてしまう。侯爵閣下が、「エリアスはセルジュと顔が似ている」と言ったことが引っかかっているのだろうか。そんなことを考えたことも無かった私は、暫く呆気に取られてお父様を眺めていた。


 だが、冷静に考えてみればお父様の心配ももっともなのかもしれない。「お兄様」と慕うほど親しくしていた幼馴染の弔問の帰りに、亡くなった幼馴染と顔がよく似ている弟君と仲良くしたいと言われれば、セルジュお兄様を失った悲しみから、お兄様の代わりを求めているのではないか、と考えるのも無理はない。


「大丈夫よ、お父様。ちゃんと分かっているわ」


 エリアスをセルジュお兄様の代わりだと思ったことなんて、一度も無い。今の時間軸でも、前の時間軸でも、一度も、だ。セルジュお兄様は、私の中では完全に良き思い出の中の住人だった。とっくに割り切れている。




 だから、どうかお星様の間から私たちを見守っていてくださいね、セルジュお兄様。


 「星鏡の大樹」の葉をモチーフにしたペンダントをそっと両手で握りしめ、祈るように額に当てた。何はともあれ、この時間軸でも無事にエリアスに出会えてよかった。明日から、また新たな気持ちで二度目の人生を歩み始めることが出来る気がする。 


 その瞬間、夏の香りのする夜風が、ふわりと私の髪を撫でる気配があった。そっと目を開けて、私室に備え付けられているバルコニーに視線を送れば、僅かにガラスの扉が開いている。


 ……おかしいわ、リズは必ず閉じまりをしてから退室するはずなのに。


 ここは3階なので侵入者などは考えにくいが、絶対にないとは言い切れない。リズはそのあたりはとても心配症なので、私が独りになる時間は必ず窓も扉も締めてから出て行くのだ。それは前の時間軸でも、ずっと変わらなかった。リズが戸締りを忘れたことは一度も無かったのだ。

 

 それなのに、なぜ。今までに経験の無いことのせいか、妙に緊張してしまう。ベッドからそっと足を降ろせば、頼りなさげな細い足がネグリジェから露出した。この時間軸になってからというもの、あまり思いきり体を動かしたことが無い。きっと自分の想像以上に足は遅いに違いない。


 何かあったとき、逃げ切れるかしら。思わずセルジュお兄様の形見をぎゅっと握りしめながら、私は恐る恐るバルコニーを覗き込む。


 聞き慣れない、青年らしき少し低い声が耳に届いたのは、それとほとんど同時だった。


「そんなに幼いのに、随分敬虔な信者なんだね。僕としては嬉しい限りだけど」

 

 瞬間、視界に飛び込んできたのは、星影を背にして微笑む一人の「天使」の姿だった。夏の風に数枚の羽根がひらひらと舞い落ちるさまが一瞬で目に焼きついていく。


「っ……」


 ちかちかと銀色に光っては、零れ落ちそうなほどの輝きを見せる星の海。夜風に騒めく木々の音。見慣れた光景のはずなのに、この瞬間だけは、どんな音も光も新鮮な刺激として私に降り注いだ。


 そして、何より私の目に鮮烈に映ったのは、美しい夜を背負って微笑む「天使」の姿だった。


 白金の髪に、生成り色の外套を羽織ったその姿は、一見すれば見目の整った旅人の青年のような出で立ちだ。だが、決定的に私たちと違うのは、瞳を覆うように白い包帯が巻かれていること、そしてその背中に大きな純白の翼が生えていることだった。


 気取らない出で立ちをしているが、背中の翼のせいか、生成り色の外套も却って神々しく見える。明らかに、彼は人ではない「何か」なのだと直感した。


 絵になる光景って、こういうことを言うのかしら。


 思わず息を飲みながら、言い知れぬ感動を覚える。敬虔な信者というわけでもないのに、涙が出そうなほどに感動していた。


「そんなにびっくりされるとは思ってなかったなあ。まあ、不審だよね、僕。安心してよ、君をどうこうしようっていうんじゃないんだ」


 神々しいまでの登場の仕方にしては、随分気さくな話し方だ。だが、それにしたって私の緊張が和らぐわけではない。今だって、指先が小刻みに震えていた。 


「あなたは、一体……」


 たっぷり数十秒の間をおいて、凡人の私がようやく絞り出した言葉は、そんな月並みな質問だった。ただただ縋るように、セルジュお兄様の形見を握りしめる。


 青年は、そんな私の動揺を面白がるように微笑みを深めると、はっきりと言い放った。


「僕は『星鏡の天使』。この大陸を守る『星鏡の大樹』に宿った、しがない星影の端くれさ」


「星鏡の、天使……様……?」


 青年――否、天使様は私の目の前まで距離を詰めると、まるで安心させるかのように私の頭を撫でながら告げた。


「可愛いコレット、僕は、君の幸福を見届けに来たんだよ」


 夏の夜風が、私たちの間に吹き抜けていく。


 星鏡の天使、本来ならば巡り会うことすら許されない星影の御使い。特別敬虔な信者でもなかった私の下に、どういう訳か、そんな夢幻のような存在が舞い降りてしまったようだ。

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