第10話 豹変

「ふぅ、これで何とか最低限の荷物は片付いたわね。残りは、少しずつ片付けていけばいいか」

 理恵は手に持っていた洋服をクローゼットの中に仕舞い扉を閉じて大きく息を吐いた。

 結局この週末は引っ越しと荷物の整理で終わってしまった。とはいえ、以前のマンションよりも広い2LDKの部屋にはまだいくつもの段ボールが置かれている。

 言葉通り、必要最小限の整理が終わっただけだ。それでも明日は平日で会社にも行かなければならないからこれ以上時間を費やすわけにもいかない。

 

 可奈のマンションに届けられた『白い手紙』を見た理恵はしばし呆然としたが、落ち着くとすぐさま可奈達夫妻の家を出ることを決めた。

 翌日の日曜日に再度不動産屋を訪れ、何とか可奈が納得してくれそうな物件を探してすぐに契約した。同時に引っ越し業者の手配も行う。幸い時期が外れているためにあっさりと決まったのは有り難かった。

 残念ながら元のマンションと同程度の広さのところで良い条件の物件は見つからなかったために広さも家賃も1人暮らしには過剰なものになってしまったが。

 ただ、こうまで急いだのはやはり可奈に迷惑を掛けたくないからだ。

 関連は分からないが、あの『白い手紙』と理恵の身に起こっている不可解な出来事は無関係では無いだろう。

 可奈は理恵にとってかけがえのない先輩であり友人だ。それに現在そのお腹には新たな命を宿している。

 

 あの時に見た悪夢が現実で、紗理奈が理恵を憎み理恵の大切なもの全てを奪おうとしているなら可奈のことだって奪おうとするかもしれない。

 奪うとはきっと命のことだ。彰のように。

 理恵にとって残された数少ない”大切なもの”。幼い頃から求めても得られることのなかった惜しみない友愛をくれる大切な先輩であり友人。

 手紙を見た直後の理恵の様子で察したのだろう、慌てるように物件を契約した理恵に可奈はまだしばらくは家に滞在するように強く勧めてくれたが、振り切るように『引っ越しの荷造りをする』と言って可奈達夫妻の家を出てマンションに戻ったのだった。

 1人になる恐怖はもちろんある。

 けれどそれ以上に理恵は可奈も可奈の夫も巻き込みたくなかった。だから条件的に無理をしてでも急いで引っ越したのだ。

 部屋が広く、多くなった分、家具などが少なく見えて物寂しい感じではあるがこれはこれから整えていけば良いだろう。

 

 

 

 引っ越して2週間も経つとさすがに生活が落ち着いてくる。

 部屋の中もある程度片付いてきている。まだややガランとした感じではあるがこれは仕方がないと諦めるしかない。

 以前の部屋と比べると2万円以上家賃が高くなっているのだ。必要以上に物を増やす余裕はない。

 これといった趣味を持たずファッションにもあまり興味のない理恵はそれなりに貯金をしていたのだが、今回の引っ越しで結構な金額を使ってしまった。まだ残高はあるとはいえ贅沢は出来ない。

 

 そして”白い手紙”は引っ越した翌日からポストに投函されている。

 引っ越し業者と可奈以外には誰にも引っ越し先を話していないにも関わらず届いた手紙に戦慄したものの、他にはこれといって不可思議な出来事は起こっていない。

 時折誰かに呼ばれたような気がして振り向くといったことがあったが、これは理恵が気にしすぎているからだろうと思うようにしている。

 仕事の方も相変わらず忙しくしている。

 とはいえ、さすがに一時期の追い詰められたように仕事に没頭していた状態は止めた。

 今は時折上司に息抜きと休息を勧められるといった程度に抑えている。

 

 手早く作った簡単な食事を終え、風呂に入った理恵はバスタブの中で身体を伸ばす。

 夫婦や少人数の家族向けマンションの浴室は充分広い。

 以前のマンションも1LDKにしては広かったがそれよりも少し大きく、バスルームにはテレビのモニターと脱衣所に設置されたオーディオを再生することが出来るスピーカーまで付いている。

 風呂好きの理恵としてはそれだけでも引っ越した甲斐があったと感じるくらいで、今も好きなピアノ曲のCDが流されている。

 お湯に肩まで浸かり、目を閉じて音楽に耳を傾ける。

 こうして少し眠気を感じるまでゆったりとするのをこのところの楽しみとしている。

 

 ふと、視線を感じたような気がして目を開ける。

 その視界の隅で何かが動く影のようなものを捉えた。

「だ、誰?!」

 浴室と脱衣所を隔てる磨りガラスの扉、その向こうに立ってこちらを向いている人影のようなものが映っている。

 前のマンションでも同じようなことがあった。が、その時は影はすぐに消えた。しかし今回は磨りガラス越しにこちらを見ているような、そんなシルエットが動く様子はない。

 当たり前だがこの部屋には理恵の他には誰もいない。

 玄関も施錠し、ロックも大林という刑事から以前に受けた助言を参考にして、U字ロックではなくチェーン式の物件を選んでいる。

 

 理恵は両腕で胸元を隠すようにしながら浴槽の中で身を縮める。

 叫び声を上げたいのに息が詰まって声を出せない。

 チャポ。

 微かな水音と共に、理恵の背後、浴槽と背中のほんの拳一つ分の何かが入る事など出来るはずがない隙間から青白いモノが理恵の肩に伸びる。

 扉を凝視し続ける理恵は気付かない。

 そして、ソレは理恵の両肩を掴み、浴槽の中に引き込んだ。

「が、がぼっ、な、ごぶっ、たす、ごほ……」

 理恵がもがく。

 何度も身をよじりながら両手で虚空を掻く。

 浴槽の縁に腕が当たり、何とか湯面から顔を出すがその度に肩を掴んだ青白い手が引きずり込む。

 

(いや! どうしてこんなこと! 誰か、助けて!!)

 溺れながら必死に心の中で助けを求める。しかし誰も助けてはくれない。

 当たり前だ。

 この家には理恵以外の人間・・がいるはずがないのだから。

 ココには理恵唯一人。それと得体の知れないナニかがいるだけだ。

(ああ、も、もう……)

 理恵の意識が朦朧としてくる。

 

 ♪♪♪~…♪♪♪♪~…

 不意に脱衣所に置いてあったスマートフォンから着信のメロディーが鳴り響いた。

 途端、理恵の肩を掴んでいた感触が消える。

 引き込まれる力が無くなったことで、消耗して力が入らなくなっていた理恵でも何とか身体を反転させて頭を上げることが出来た。

「ゴホッ! ウグッ、ゴホッ……」

 飲んでしまった水を吐きだし激しく咳き込む。

 嘔吐きながらも浴槽から這い出し、蹲りながら呼吸を整える。

 一刻も早く浴室から出たいがこれ以上はすぐには動けそうにない。だからだろうか、理恵は洗い場の隅で身体を丸め、動けるようになるのを待った。その姿は母親の胎内で丸くなった赤子のようで、本能的な仕草なのかもしれない。

 

 ようやく咳が治まり、息が整ってきて初めて理恵は電話の音に気がついた。

 ひょっとしたら自分が助かったのはこの電話のおかげなのだろうか。そんなことを思いながら浴室のドアを開ける。

 湯船に引きずり込まれる直前に映ったシルエットは既に何処にもなく、洗濯機や洗面台などが見えるだけだ。

 震える手を棚に置かれたスマートフォンに伸ばし、そこで手が止まる。

 脳裏を過ぎるのは以前かかってきた死んだはずの妹からの電話。しかし今回は理恵が助けられたものだ。

 意を決して、既に音の止んだスマートフォンを手に取り、着信履歴を見る。

 ”着信 可奈 2件”

 画面に映る文字を目で追い、理恵は手にしたスマートフォンを胸にかき抱いて嗚咽を漏らした。

 

 

 

-----------------------------------------------

 

 

「え? 出社していない、ですか?」

「は、はい。一昨日までは本人から連絡がありましたけど、昨日と今日は連絡が無くて。電話も電源が切れているらしく……」

 大林と向井は理恵が勤めるオフィスの受付で顔を見合わせる。

 2人は現況の確認や新たに判明した事実に関して聴取をするために理恵のマンションを訪ねたのだが、管理人から引っ越したことを告げられた。

 その事を警察に連絡されなかった点に関しては不満ではあるがやむを得ないとも思っている。不可解な出来事や不審な手紙の件があれば誰にも告げずに引っ越すことくらいは理解できる。そもそも理恵に報告する義務など無い。

 当然電話をしてみたが会社側から聞いているのと同じく、こちらからの電話も繋がらない状況だったためにこうして勤務先に押しかけてきているのだ。

 

 そこで告げられたのが理恵がもう1週間も出社していないという事実だ。

(さて、どうするか)

 大林は思案を巡らす。

 最近は個人情報の取り扱いが厳しくなっている。

 いくら警察とはいえ、令状もなしでは会社側から住所を聞き出すことは難しい。

 ましてや彼女は容疑者というわけではない。令状を取ることも出来ないだろう。

「仕方ありませんね。引っ越し業者でもあたりますか?」

 向井も同じことに思い至ったのだろう。そう提案してきた。

「そうだな、それしかないだ…」

「あの!」

「はい?」

 

 今後のことについて話ながら会社を出ようとした刑事2人は、背後から不意に声を掛けられ振り返る。

 そこにいたのは20代半ばくらいの女性だ。

「間違っていたらすみません。あの、警察の方なんですよね? 理恵ちゃん、白河理恵の妹の事で捜査している刑事さん、で合ってますか?」

 大林は一瞬逡巡する。

 他人に軽々しく捜査情報を話すわけにはいかない。だが、理恵の妹の件とまで言い当てるということはそれなりに事情を知っているのだろうと判断する。

「……そうですが、貴女は?」

「あ、ごめんなさい。白河理恵の同僚で、友人の宮崎可奈といいます」

 そう言って可奈は頭を下げた。

 

 受付の前で話し込むわけにもいかない。

 大林と向井は可奈に促されて、パーティションで区切られた談話スペースに移動する。

「さて、宮崎さんは白河さんの同僚との事でしたが、今回の事件、というか、出来事について白河さんご本人からお聞きになっているのでしょうか?」

 向井がまずその事を確認する。

 事情を知っているからといって、本人から聞いているわけでもない人物に捜査中の事柄を話すわけにはいかないからだ。

「は、はい。全部かどうかは分かりませんが、理恵ちゃんから聞いています。その、結構親しくしているつもりですし、プライベートでも一緒に出かけたりする事もありますから」

「その、白河さんに届けられる真っ白な手紙については?」

 大林も探るように可奈に尋ねる。

 

「知ってます。というか、その事で……」

 可奈はそう言って、理恵が最近まで可奈の家に泊まっていたこと、宛名のない封書がその家にまで届けられ、それをみた理恵が慌てて引っ越し先を決めたことなどを説明する。

「引っ越してから2週間くらいは何もなかったみたいなんですけど、先週から急に会社を休んでて。電話したら『風邪を引いたから』なんて言ってたんですど、お見舞いに行こうとしても『感染るから絶対に来ないで下さい』って言うし。あの、理恵ちゃんの回りで何が起こっているんですか? あの手紙ってストーカーとかじゃないんですか?」

 思い詰めたように勢い込んで話す可奈が少し息を落ち着かせるのを待って大林が状況を簡単に説明する。

 

「我々の捜査では白河さんの周囲にストーカーの類いを確認できていません。それにマンションの防犯カメラにもそれらしい人物は映っていませんし監視や付きまといなどの行動も見受けられませんでした。

 手紙の出所などは現在調べているところですが、残念ながらどこにでも売っている封筒とコピー用紙なので特定するのは難しい状況です」

「手紙を入れているところは防犯カメラに映っていないんですか?」

「それが……誰も白河さんのポストに入れた形跡がないんです。白河さんの帰宅する30分ほど前にポストの中を外から確認していますが、その時には確かに何も入れられていないのに、その後誰ひとり近づいていないにも関わらず白河さんはポストからその封書を取り出しています。まるで手品か瞬間移動でもしたかのように……」

 まるで怪談である。いや、状況を考えれば、まるで、ではなく怪談そのものだ。

 

「悪戯や嫌がらせにしても手が込みすぎていますし、動機も不明です。現在でも捜査は続けていますが、現状は手詰まりですね」

「そんな……」

 大林の説明に可奈は絶句する。

 彼女は理恵の話を真剣に聞き、心から心配はしていたが、不可解な怪異に関しては信じ切れていなかった。

 悪質な悪戯と、妹や恋人の死といった不幸が重なっただけだと考えていたのだ。そしてそれを責めるのは酷というものだろう。男性と比較して女性のほうが超常現象に対する関心は高く、そういった話も好まれるとはいえ現実に起こりえるなどとはほとんどの人は思っていないのだ。

 

「えっと、宮崎さんは先ほど白河さんのお見舞いをしようとしていたとお聞きしましたが、白河さんの転居先はご存じなんですね?」

「はい。物件を探していたときに一緒にいましたし、内覧にも同行していますから」

 向井が聞くと可奈はそう答えた。

「よろしければ場所を教えてもらえませんか? これから我々が訪問して様子を見てきますので」

「は、はい。あの、私も同行させてもらえませんか? どうしても理恵ちゃんのことが心配で」

 これには大林と向井が顔を見合わせる。

 だが、しばし迷ったものの案内として民間人が同行するのは珍しいことでもないし、会社を休むほど精神的に不安定になっていることが予想される理恵を訪問するのならば気心の知れた友人が同席した方が安心させられるのではないかと考え、可奈の同行を了承することにした。

 

 会社に早退することを報告するために席を立った可奈が戻るのを待って大林達はオフィス近くのパーキングに移動して車に乗り込む。

 可奈も車通勤なので終わり次第戻ってこなければならないが、都内の交通事情もあるので刑事の乗ってきた捜査車両に同乗することになった。

 刑事とはいえほとんど面識のなかった男性2人と狭い車の中にいることになった可奈の緊張を解すため、向井が当たり障りのない会話を投げながら可奈の案内で向かうこと凡そ40分。理恵の引っ越し先のマンションに到着する。

 以前のマンションに比べると少々築年数は経っていそうだが、それでもオートロックでまずまずの環境であることが見て取れた。

 

 可奈がオートロック前のインターホンで理恵の部屋を呼び出す。

 ピン、ポ~ン……ピン、ポ~ン……。

「留守、でしょうか?」

 しばらく待っても反応がないので向井が小声で大林に聞く。

「どうかな。とにかく管理人に話をしてみよう」

 呼び出しは可奈に任せ、大林達は管理人室の窓横にある呼び出しボタンを押す。

「はいはいはいはい。ちょっと待ってね~……ん? どちらさん?」

 小さな窓の向こうのカーテンを開けて管理人とおぼしき初老の男性が顔を覗かせる。

 大林が名乗り、入居している理恵の事を尋ねる。

 

「警察の人? なに? あの白河って人、やっぱり何かしたの?」

「いえ、特に何かしたわけではありませんが、あの、『やっぱり』っておっしゃいましたね? 何かあったんですか?」

「あったっていうか、あの人、少し前に引っ越してきたんですけどねぇ。一週間くらい前から、突然もの凄い悲鳴を上げたり、ベランダに誰かいるって騒いだり、郵便ポストに変な手紙が届くってわけが分からないこと言ってたりするんだよねぇ。こっちも仕事だからさぁ、一応確認に行くんだけど何にもなし。人騒がせでどうしようもないんだよね。それに髪もボサボサで目付きも何か危なそうだし、正直困ってるんだよ。顔は美人だからもったいないよねぇ」

 管理人の言葉は大林達の持っている理恵の印象とはかけ離れたものだった。

 相当に精神的に追い詰められているのかもしれない。

 

「それで、彼女は部屋にいるんでしょうか?」

「多分いるんじゃない? ここ2、3日は午前中にちょっとだけ買い物に出かけてすぐ帰ってきてるみたいだし。俺は午前中にここのロビーとか玄関前の掃除をしてるんだけどその時に見かけるんだよねぇ」

「その時以外は外出したりしていないんですか?」

「ずっと見てるわけじゃないから確実ってわけじゃないですけどね、多分出てないと思いますねぇ。ああ、でもインターホンは無駄ですよ。モニターに変なのが映るとか何とか言ってて、直接玄関で呼ばなきゃ出てきやしないんだから。まったく、変な噂が流れて退去者でも出たらどうしてくれるんだか」

 確認する向井に心底うんざりといった風に愚痴をこぼす。

 尚も話足りなさそうな管理人を宥めてオートロックを解除してもらい、可奈と共にエレベーターに乗り込む。

 ゾクッ。

 階数ボタンを押してエレベーターが登り始めた直後、不意に寒気を感じた大林は背後を振り向く。

 が、当然そこにはただ、壁があるだけだった。

(気のせいか)

 誰かが見ていたような気配を感じた気がしたのだが、今は何も感じない。白河理恵に関わる不可解な事件を追っているせいか、変に神経が過敏になっているのかもしれない。

 大林はそう考えて頭を振り、意識を切り替える。

 

 6階でエレベーターを降り、理恵の借りた部屋へ。

 チャイムを鳴らすもやはり反応はない。しかし電気のメーターは回っているから部屋に誰かがいるのは間違いなさそうだった。

 コンコンコン、コンコンコン。

「白河さ~ん! いらっしゃいますか? 大林です! 白河さ~ん!」

 ドアをノックしながら中まで聞こえるように声を掛ける。

 すると、カタンと微かな音が扉越しに聞こえてきた。

 同時に人が部屋の中を動く気配がして、やがてカチャンとロックが解除される音の後に玄関が微かに開く。

 大林がその隙間を覗き込むと、同じく扉の隅から外を覗いている目と合った。

 思わず大林はのけぞるが、小さく、掠れるような、そしてどこか縋るような声に気を取り直す。

「刑事、さん」

「はい。白河さんと連絡が取れなかったもので、様子を見に来ました。大丈夫ですか?」

 

 大林の問いに答えることはせず、扉が閉まる。

 しかし、彼等を拒否しているわけではなく、すぐにカチャカチャとチェーンを外す音に続いてドアが開いた。

 姿を現した理恵を見て大林と向井は息を呑んだ。

 最後に顔を合わせてから一月にも満たないにも関わらず、彼女の姿はまるで別人のように変わり果てていた。

 髪は艶もなくボサボサ、頬は痩け、目の下には隈が張り付き、瑞々しく張りのあった肌はまるで老女のようにも見える。それでいて目だけは何かを求めるかのように光っていた。

 玄関から見える部屋の様子もかなり荒れ果てている。

 廊下には雑誌やペットボトルなどが散らばり、微かにゴミの臭いも漂っているようだ。

 大林達は以前のマンションで彼女の部屋に入ったが、その時は真面目で几帳面な性格が容易に察せられるほど綺麗に整えられていたのだ。

 本人を目の前にしていなければ同一人物の部屋とはとても思えなかっただろう。

 

 彼女の心身に何か重大な事が起きているのであろう事が見て取れる、現に今、大林に向けた彼女の顔には安堵とも懇願とも取れる表情を浮かんでいる。

「あ……」

「理恵、ちゃん?」

 何かを言いかけた理恵は、しかし、大林と向井の後ろから呟くように放たれた言葉に表情を凍らせた。

 万が一を考えて大林と向井の後ろに居てもらったためにこれまで理恵からは姿が見えていなかったらしい。

 可奈の姿を映した理恵の目は、驚きと困惑と、そして悲しみがない交ぜになった複雑なものだった。

「先…輩……っ!!」

 呆然と呟いた後、弾かれるように踵を返しドアを閉める理恵。

 反射的にドアの縁を掴んだ大林だったが、意外なほど強い力だったために止めるには到らず、ガチャンと鍵を閉められてしまう。

 

「?! し、白河さん?! どうしたんですか?」

「帰ってください!! 何も話す事なんてありません! だから、帰ってください!!」

「ちょ、理恵ちゃん! 何があったの? ドアを開けて!」

 突然の理恵の態度の豹変に驚いたものの、我に返った可奈がドアを叩きながら呼びかける。

「先輩に話なんてありません! お願いだから帰ってください!」

「!! っ、いいかげんに人の話を…」

 ドカンッ!

 カッとなって思わず怒声を上げようとした可奈だったが、玄関に何かが叩き付けられるような音で挫かれることになった。

「理恵ちゃん……どうして?……いったい何が……」

 予想外の事態に可奈だけでなく、大林達も呆然と立ち尽くすしかなかった。

 

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