時間に生きる

詩光

時間に生きる

 皆さんこんにちは。もしくは「おはようございます」「こんばんは」でしょうか。


 私たちは「朝昼夜」「365日」「24に分けられた時間」大まかに分けるとこの三つの時間に生きていると思います。


 それは、学生、サラリーマン、フリーター、幼稚園児、老若男女、時間という概念を知る者はすべてこの時間に生きているはずです。


 私たちは昔、時間を生み出しました。


 それは現在でも有効に活用されています。会議など打ち合わせを始める時間、授業が始まり終わる時間、誰かを待つ時間、カップラーメンを待つ時間⋯このように時間とは、私たちが生きる上でとても重要であり、欠かせないものとなりました。


 ですが、それと同時に時間は私たちを縛る鎖でもあります。


 時間に遅れてはいけない。時間が過ぎてしまうから急がなければ。時間は守らなければいけない。


⋯時間に急いだ挙げ句、事故を起こしてしまったり、間に合わず待ち人に怒られたり。


 このように時間は私たちの行動をすべて縛ってしまいます。


 ですがそれは当然のこと。


 この鎖があるから私たちは時間を守るのです。


 時間とは皆平等に流れるもの。


 人それぞれ感じ方は違えど、時間は無情にも流れます。


 時には時間が早く過ぎて欲しいと思う人もいるでしょう。


 時には時間が遅く過ぎて欲しいと思う人もいるでしょう。


 時には時間を忘れたいと思う人も、もちろんいるでしょう。


 今の私たちは常に時間に生きています。


 辛い時も悲しい時も嬉しいときも楽しいときも。


 例えばつまらない授業の時間や、嫌いな人とコミュニケーションを取るとき、会社の上司にグチグチ言われているときは早く時間が過ぎて欲しいと思いますし、逆に楽しい時はこの時間がずっと続けばいいな、なんて思います。


 まあ、当たり前のことです。


 そりゃあ面倒なことは早く過ぎて欲しいだろうし、楽しいことはずっと続いて欲しい。


 ですが楽しいことはいつか終わりますし、同時に辛いこともいつかは終わります。


 よく時間は有限だと言います。


それと同時に、時間は無限であると言う人もいます。


 私たちが時間を認識している限り、私たちの寿命が有限で有る限り、時間は少なくとも私たち人間にとってはどうしようもなく「有限」であり、限られたものなのです。


 ならばこの限られた時間の中で何をすべきか。


 残念ながらそんなもの誰にもわかりません。


 だから自身で、生きている間に見つけなければいけない。


 私たちは時間に囚われ、区切られながらも限られた時間の中で生きる「自由」を誰しもが手にしています。


 それは時間という鎖に囚われている私たちだからこそ、見いだせたものです。


 私たちは時間という鎖に縛られながらも護られているのだと、私は思います。


 もしも私たちに無制限に時間が、それこそ無限に時間があった場合私たちは何を成せたのでしょうか。


 無限に時間がある。例えそこで何を創っても、何を食べてもも、在るのは終わりの無い先。


 何を成しても何を食べても意味はない。それこそ真の牢獄と言えるでしょう。


だからこそ、時間に囚われながらも護られていると言えるのだと思います。


 ありがたい事に私たちには限られた命があります。


 ならば、この限られた命をこの無限とも言える時間の一瞬の時でなにを成すか。


 それを考え、探しながら生きてゆくのが「人生」なのではないでしょうか。


 私たちは止まることも、戻ることもできない。


 例え辛くても


 例え哀しくても


 私たちは進み続ける


 いつか楽しいことはあって、必ず道は見えるとどうしようもなく信じて。


 時には時間に感謝し、恨みながら。


 時には時間に翻弄され、利用しながら。


 生を受けてから死ぬまでの間を


 私たちは時間に生きている。

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