第二章 聖痕残る娘の罪

あれから彼女とご飯を食べて、お、お風呂も一緒に入った。彼女の白い肌と黄金の髪は非常に綺麗で目のやり場に困った。傷ひとつない綺麗な肌は俺が触れるにはおこがましくて気が引けてしまったけれど、彼女はそれを何も言わずに見ていた。夜になって、彼女の部屋とつながる部屋で俺は目を閉じて体は布団に潜ってその柔らかさに溺れたのだ。

眼が覚めるとロアイトが俺の服を着させ、様々な準備をしてくれた。用意ができたら、ここから十個めの扉に入れと言われ、彼女は去ってしまった。そこに行くと彼女は眼鏡と細長い棒を持って待ち構えていた。

「これからの貴方のことを説明します。座ってください」

……この部屋はなんだか学校の教室みたいな場所だなあ。ここで何か教えたりするのだろうか。

「昨夜、陛下と相談して、様々なことを決定しました。その中でわかったのは貴方がここに来た理由です」

「俺が来た理由?」

それも気になるが、この人、俺が寝た後ずっとその人と話していたのか。寝ることもせず。よく見るとその体にはクマができていた。

「貴方はやはり神の悪戯によってここに来てしまったようですね。……本当に嫌なものです。神というのは……勝手で理不尽で、非情で」

「……」

「まあ、そういうことで、神が満足するまで貴方は王宮ここにいることになります。そこで貴方にはある程度の教養をお教えします」

げっ……勉強するのかよ。

「因みに私は厳しいですよ。覚悟して学んでくださいね」

ここから俺の地獄が始まった……訳でもなく彼女は非常に丁寧に俺に様々な事を教えてくれた。しかも、その教え方はとても親切で俺が間違えたところをさりげなく教えてくれて、自分で気づく事を促しているようだった。彼女が言うには自分で自分の過ちに気付くことが出来れば一人で勉強できる。とのことだ。この国の歴史、文化、制度、魔法の使い道などを頭に叩き入れられて、同じリズムを繰り返す王宮での暮らしもあまり退屈ではなかった。それは彼女の教え方が上手いからだろう。

彼女から様々な事を学ぶうちに、三ヶ月経った。この国にも慣れてきた。この世界の住人は全員と言う事、八人の皇族がこの広大な国を守っていると言う事、決闘によって身分を決め、強き者が弱き者を守る事を誓っている国だと言う事、すべてのことをロアイトから教えこまれた。純粋にこの国は本当にいい国だと思った。……まさしく俺の理想郷だ。

俺は長い間彼女と接してきて少しずつロアイトのことがわかってきた。先ずはその華奢で豊満な美貌の内側に秘められた強い芯だ。年齢が上の男性にも物怖じしないで話し、死神という脅威にも全く恐れず対峙したとも聞いた。国民一人一人に暖かな目を向けて声をかけ、彼らのために一生懸命に政務に励むその姿は本当に綺麗で、神に逆らった者だというのに女神のように美しかったと思う。でも、あの恐れの原因はまだわからない。教えてももらえない。俺はまだ……信頼されていないのだろうか。

そんな中、廊下を歩いていた俺の鼓膜に低い角笛の音が響いた。それは侵入者、特に天使の訪れを知らせる音だ。俺は彼女から言われていた場所に隠れた。隠れた場所は王宮から少し離れた塔である。ここはいかなる術も通さない鉄壁なのである。彼女はここに戦場が見える鏡を設置してくれて俺のことを案じてくれた。無事に帰ってくれることを不本意だが、神に願おう。


こんな時にミカルスめ……。空を埋め尽くす白きは水の塊で白くなった雲などではなく、天使どもの胡散臭い白き輝きだった。こんな大軍勢で来るなんて、何が目的だ?それとも目的はないのか……。だがそんなことはどうでもいい。今は一刻も早く、彼らを追い出さなくては。私は紫色のマントを肩に取り付けて、廊下に靴音を鳴らして走り出した。

杖を取り出し、皇族たちに指示を出す。私が皇族になったときに私の経歴を知ったサファリス陛下が指揮官に任じてからずっと皇族たちに指示を出している。今回はかなりの軍勢で来たため、地上戦、空中戦、王宮守護のチームに分ける。それと、天使軍のリーダーであるミカルスは宣戦理由が私への求愛のため、私が彼と直接会うと被害が減る。まあ、正直相手なんてしたくない。神に仕えることから生まれたその存在を私は受け入れることはできない。だから相手が抵抗したなら、その羽ごと引き裂いてやる。王宮は治癒魔法が使えるアメシスが守護する。彼女はこの国でも珍しい治癒魔法の使い手だから絶対に守らないといけない。

 私は戦場に出ると眼下に広がる白の集団に舌打ちを打った。国民たちは非常に優秀でもうすでに避難を済ませている。我々の目的は国民を守ることだ。そのためならばどんなことだってできる。私は空に光を放ち、開戦の合図を打ち上げた。

……しばらく辺りを見渡していた眼球を正面に移動させ瞳に迫りくる上級天使たちに向けて杖を向ける。

「ダルク・オルダー」

目の前にいる翼の生えた白を闇で包む。その白は味方の天使を次々と殺していくと最終的に自分を貫いて動きを止めた。さらに他の天使たちに闇を手渡して彼らに術式を唱えるよう、操る。すると彼らは巨大な魔法の陣を空中に映し出して、術を発動した。その陣からは黒く鋭い槍が生え、逃げ惑う白い翼をどこまでも追いかけて貫く。白で埋め尽くされた世界が美しき赤い血で地上を満たさせて、ここは聖なる泉と化した。しかし、その惨状を切り裂いて、突進してきた男がいた。突進を防いだラズワード兄上に謝礼を述べつつ、自らは前に出る。私の眼前に舞い立つそれはここの首謀者、ミカルスである。天界でも珍しい非常に高い戦闘力を持った天使だ。その人望は厚く、強さ、忠誠心、神に対する愛情も他の天使の群を抜いてある。そんな彼が私のもとへ突進してきた。ここに来た彼は私を見て口を開いた。

「やあ、ロアイト。今日も美しい返り血のドレスだね」

そう言われてようやく自分が血まみれであることに気が付いた。いきなり彼らが来たので王宮内できていたドレスをそのままにして戦場に出てしまったのだ。

「それはどうも、ところで今日は何しに来たの。こんな大勢で」

「君に会いに来たんだよ。僕はその穢れでさえ美しいと思っているからね。他の下々は君の穢れの美しさを理解できない愚か者だが、君に会いに行くと言ったら、女神さまがこんなに軍勢を用意してくれたんだ。血の気の多い下級兵たちをね。僕としては不本意なんだ」

「……それでどうするの?こちらとしては今すぐ帰ってくれると有りがたいんだけど」

「君が僕と来てくれるならすぐに帰ってあげるよ。それに僕たち……家族だったじゃないか」

「それは昔の話よ。……あの時は住む世界が違った。今も違う。私たちは関わらず互いの領域内でのみ生きれば……過ごせればそれで十分なのよ」

「……」

やっぱりこう言うのは苦手だな。下手に刺激してしまうのも相手が相手なので得策ではないし、如何したものか、、、。今は人間もいるし早く帰らせないと。

「ん……?そういえばここの空気いつもと違うね。なんだか別の……、天使の気配じゃないね、どちらかというと……もしかして」

驚いて目を見張ったミカルスは翔太をみて怒りにその目を染めた。羽をバサバサとバタつかせて大きな音を空気に振動させて伝えている。この魔界の空気に伝えているのだ。その彼の憤りを。

「君は、人間……!」

「うそ……翔太君、どうして……」

地上に現れた唯一の生命はこちらを見上げて心配そうにしている。……勝手な真似をしやがって……人間が。いや、……人間を嫌うのはやめたはずだろう。もう、やめるんだ。

「人間よ、君は彼女の戦う姿を見ただろう、容赦のない戦い方を」

「……」

「血潮を愛し、狂い咲いた罪の花、それが彼女の本当の顔だよ」

ミカルスは背中の翼を大きく広げていた。

「彼女が人間に受けた痛みは人間をすべて滅ぼせるくらいの憎しみを育んで彼女を最強の殺人者に仕立て上げた。そんな彼女の痛みを知っても狂いを知っても、受け入れることはできるのかい!?」

「……」

彼の無言を聞いたミカルスは怒りを露わにした。

「君には無理だ……僕だって彼女を救えなくて……ずっと悔しかったんだ!君なんかに彼女は守れない!」

ミカルスは何処からか光の槍を取り出して翔太に向けて突き刺そうとした。私はその長い光の棒を防いでそれを天界に向かって飛ばした。白い雲に消えた翼をめがけて戦場にいた天使たちは翼を叩いた。


闘いは幕を閉じた。



 その日の夜

俺は火照った体を冷まそうと中庭にいた。涼しい風が頬を撫でて心地いい。……今思うと少し可笑しいな、この状況は。突然異世界に来て、綺麗な人に出会って、……あんな戦いを見て。正直、ロアイトのことが怖くなった。あんなに容赦のない人とは思わなかった。あんなに優しく真面目で綺麗な人が、天使の羽をもぎ取ることに何らためらいを感じていないなんて。俺はロアイトのことが分からなくなった。中庭の草が少しかき分けられる。誰か来たようだ。

「あれ、翔太君。こんなところにいたのかい?」

この口調はラズワード第一皇子だ。

「どうしたんだい?眠れないのか」

「まあ……そんなところです」

「そりゃそうか。あんなのを見たらねぇ。……翔太君、彼女のことどう思った?」

「怖かったです。俺、ずっと塔の中から鏡を通して見ていましたが……」

「怖い、か。でもあれからも君はロアイトと普通に話したじゃないか」

「話したと言っても、明日の予定を聞いただけですよ」

そう言うと彼は優しそうな顔を魅せた。

「それだけでも嬉しかったと思うよ、ロアイトは。生きてた頃はあんな戦い方をしたら大概は気味悪がられて近寄る人すらいなかったそうだからね。それと違って、君はあれを見ても逃げずにいつも通りの話をした。……おかげで彼女の君に対する考え方はだいぶ変わったはずだよ」

「そう……ですか。だったらいいですね」

ラズワード皇子は俺と向き合う。

「もう、月も君を照らすには疲れたようだね。……私たちも早く寝ようか」

雲に消えゆく月の光がかすかな彼の微笑みを照らした。


 ロアイトはもうすでに夢の中だ。俺はなんとなく寝られなかったから天井を見上げていた。俺は昼の戦いのときあの天使がロアイトのところに行っているのをみて思わず飛び出してしまった。恥ずかしくて死にたいくらいだ。……でも『嬉しかった』のか。……顔が見たい……様子を見たいそんな考えが突然俺を襲う。この欲求は俺を操って隣の部屋にいる彼女を見せつけた。やはり眠っている。白く透明な肌が布地から垣間見えて……なんというかその、色っぽい。でも俺はその色気に少し違和感を感じた。口から洩れる吐息とともに呻き声が聞こえる。苦しそうだ。うなされているのだろうか。

「……起こした方がいいよな」

そう空に呟いて俺は彼女を軽く揺さぶった。起きる気配はない。次はもう少し強く揺さぶってみた。まったく起きる気配がない。これまずいんじゃねえか。

もしかして、あの天使になんかやられたんじゃないか。俺は王宮を走って彼女の兄、ラズワードを叩き起こした。彼を呼んで灯りをつけて行くまで彼女はこれまで隠してきた真実を曝け出していた。

「なにこれ……」

手首には深く刻まれた鎖の跡、その先の腕には皮膚が剥がれた赤い肌の線が何重にも重なっていた。細い首には白い肌に似合わない縄の文様、全身にある細かな線のような傷、そして一番目立つのが胸元にある大きな傷。何かに貫かれたように中央だけがかなり濃くなっている。

「これは彼女の本当の体だよ。今まで魔法でずっと隠してたんだ。それが見えてるってことは魔法が解けてるんだ……この類の悪夢は魔法で無理やり目覚めさせるのが一般的だけど……」

けれど、という躊躇いの先に放たれる一言を待つ。

「あいにく、私にはそれをできるだけの体力が残っていない。おそらく他の皇族も。先の戦いで魔力を使い過ぎてしまった。そもそも魔力が少ないと見る夢なんだ。こういうのは」

「じゃあ、どうするんですか!?」

俺は声を荒げて彼に迫った。

「……君なら解けるかもしれないな」

「え?」

「君、彼女は好きかい?愛しているかい?」

こんな時になんの話だろうか。

「もし本当に彼女を愛しているなら悪夢は晴れるはずだよ」

「どうしてそんなことがわかるのですか?」

「昔、古い文献で悪夢を見た魔女を人間が口付けて目覚めさせたという話を見たことがあってね。古い話だから本当かは曖昧だけど、試してみる価値はあるよ」

もし本当なら彼女はそのアメジストを見せてくれるだろうか。迷っている暇はない、俺は彼女の柔らかい唇に顔を近づけた。そしてそっと口付ける。鼓動は早まり、血液は全身を駆け巡って俺の緊張と高まりを教えてくれる。この高まりが彼女に伝ってしまいそうな勢いだ。でも、幸せな気持ちだ。彼女は雫を瞼からこぼしてゆっくりと紫色の瞳をのぞかせた。

「しょう……太?わたくし……何で」

「うなされていたんだよ」

「ラズワード兄上も……そうでしたか。ご心配おかけしましたね」

彼女はぐたりとなった。

「翔太君、貴方が私を起こしてくれたのですか?」

「あ、ああ……」

「ありがとう……ね」

彼女は優しく頬を緩ませてこちらを見た。自然と温かい気持ちになった。

「もう、大丈夫そうだね、……それにしても彼が気づかなければ夢から覚めないままだったよ。……本当に良かった」

「うふふ、そうね」

ラズワードは俺に向かって暖かな手を差し出してきた。

「こちらこそ、愛する妹を救ってくれたこと、感謝するぞ」

「……どういたしまして」

ラズワードは「失礼する」と言って部屋を退出した。

ロアイトと二人きりになった俺は自分の部屋に戻ろうとベッドから立ち上がった。すると不意に俺の服の裾が引っ張られた。それによって動きを封じられた俺は仕方なく彼女の方を見た。

「またあの夢を見るの怖いから、一緒に寝ましょ」

彼女はアメジストを揺らして上目にこちらを見つめた。この誘い方……女性経験のない俺でなくても、確実に堕ちてしまうだろう。俺は彼女のベッドに入った。

「ふふふ……あったかぃ。ねえ、何で私がうなされてるってわかったの?」

「え?……えっと……」

俺はその質問にたじろいだ。だって俺はロアイトの寝ている姿が見たかった。なんて言えばいくら優しい彼女でも引いてしまうに違いない。そう確信しているからだ。

「会いたくなったから……」

「……ふっ」

「わ、わらうなよ!」

「ごめん、ごめん……。へぇ……会いに…ねえ?」

「なんだよ……」

「べーっつに」

彼女は舌を軽く出して俺を小馬鹿にしたようにした。そんな様子が許されるのは二次元の美少女だけだと思っていたが、彼女はそれを遥かに超える可愛さがあった。そういえば口調が敬語じゃなくなったな。……俺を信頼してくれたってことでいいのだろうか。

「ありがとね、翔太くん。……翔太、嬉しかった。……貴方が生まれて初めて悪夢からこの方法で私を救ってくれたよ。……ありがとう。おやすみ」

そうかってに言い残して、勝手に眠ってしまった。俺を置いてけぼりにして。でもいいのだ。彼女が幸せならば。俺は……彼女に恋をしてしまったのだから。





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