エクスペリメンツ

* * *


「起きてください」

「......」

「起きてください」

「......」

「いちまんごせんえん」

「はっ!」

「起きましたね?」

「夢で福沢さんと樋口さんが社交ダンスしてた」

「朝の連続歴史ドラマですね」

「さすがにそんなシュールな絵柄はないと思う」


欲で目を覚まさせられ、寝不足満点、不機嫌満点の高崎は癪に思ったがぐっと我慢した。

なにしろ相手はいちまんごせんえんである。


「では行きましょう。顔を洗ってきてください」

「てかまだ夜じゃん……今何時よ」

「4時前ってところですか。大丈夫です、1時間もすれば日が出るんで朝ですよ」

「年寄りかあんたは」


寝ぼけ眼をぐしゃぐしゃして高崎は愚痴る。


「早いって言ったじゃないですか」

「ここまでとは思わんかった」

「さあ急がないと。下に迎えが来てしまいますよ」


既に上下を学校指定体操服に着替えて作業感バリバリになっている文部は高崎を促した。


* * *


「あたし支柱立て、プロになれるかも」

「誉められてましたね」


半日拘束される、という農作業を終え、軽トラックで高崎と文部は家に送られクーラーの下一息ついていた。文部に作業用に借りた7部丈のシャツとヒザ下までのズボンから汗が蒸発していく。


「てかなんで尺鉢あんなに定規で計ったようにまっすぐ置かなきゃいけないの」


疲れ切った顔で夏の陽射しで火照った体を麦茶で潤しながら高崎は言う。


「そういう流儀の研究者ですからとしか」

「……だれが研究者って?」

「ですからあの研究者夫妻の流儀なんですよ。まっすぐ置かない学生には単位も出ないとか」

「ちょっとまって、あそこにいたの麦わら帽子のオジさんとほっかむりしたオバさんと、あとバイトの学生だったよね」

「ええ、ですからそのオジさんオバさんが教授夫妻です」


文部はまるで隣の家の人の商売がタバコ屋さんであるみたいにあっさりと言う。


「……農家のおっちゃんおばちゃんじゃなくて?」

「ついでに言うなら学生バイトさんは研究室の学生さんですね」

「まじかー」


あちゃー、という口調と顔で高崎は天を仰いだ。


「あたしおっちゃんにめっちゃ気安く話しちゃったよ」

「まあいいんじゃないですか」

「おばさんの持ってきてくれたカレー美味しいね、隠し味とか教えてよとか言っちゃったよ」

「隠し味はなんでした?」

「イカリソース」

「こんどやってみましょう」


下を向いて給料出るかな、とかぶつぶつ言った後で高崎は文部に振り向く。


「なんであんたはそんな偉い人からバイトもらってるんよ……」

「あの人父の共同研究者でして」

「ちょっとまって、じゃああんたの父親も研究者?」

「そうですよ?言ってませんでしたか」

「ただの金持ちだと思ってた」


高崎はタワマンの部屋を見回す。


「とある一代雑種システムの特許のお陰ですね。私設研究所の所長です」

「なにそれすごい」

「それで高校卒業後わたしもその研究所に行くんで、今から色々ご教授頂いているんです」

「何だ……あんた結構将来決まってるんだ」


笑顔からふっ、と高崎は真面目な顔になる。


「父親のいいなり、ってイヤじゃない?」

「よくいわれます」


同じく文部も真面目な顔で返す。


「でも私は研究職は世の中で一番高潔な仕事で、中でも父の研究は一番尊い部類だと思います。私も正直やってて一番楽しいことなんです」


少し目を上げ、またも毅然として文部は言う。


「だから嫌々なんかじゃないんです。むしろ他の仕事が選択肢にあっても私は絶対それを選びますね」

「たしかにもんぶは昨日もそんなようなこと言ってたけどさ......」

「さて、がんばるくんはどうしてますか」


と、後ろを振り返って文部はやりとりを打ち切ってPCの画面を起こす。


「……うまくないですね」

「……何か失敗しちゃった?」

「いえ極めて順調です。順調なんですが、組み合わせを増やしていくにつれ計算資源が枯渇していってます」

「つまりどういうこと?」

「概算ですが完成するのに最低27000時間はかかります」


指を折って高崎は計算する。


「それ三年くらいじゃん」

「夏休みの課題には間に合いませんね」

「えー!どうすんのよ!」


大きな声を出し頭を抱えて高崎は言った。


「しかたありません、こうなったら『もっとがんばるくん』を使いましょう」

「もっとがんばるくん」

「父の研究所のスパコンをバックドアから侵入、クラスタ化してハイパースパコンにこっそりする仕掛けがあるので、そこで5Sを走らせます」

「……それ大丈夫なの?」

「たぶん見つかったらとても怒られますし、最悪一人暮らしとか、私が一人でやってる研究も止められるかもしれませんが、まあ大丈夫でしょう」

「あんまり大丈夫な気がしない」


重たいことをサラッと言うなこの人、と高崎は思った。


* * *


PCでは何かウィンドウが開いては文字が流れて閉じていき、文部はそれを眺めては何事かをキーボードで打ち込んでいる。

高崎はまたも手持ち無沙汰になった。


「あ、そうだ、出来上がったら文部にお礼しなきゃ」

「いえ別に欲しいものは特に」

「ケーキバイキングとか」

「甘いものはラムネ以外苦手です」

「それ単なる香料がついたブドウ糖じゃん。脳みその餌じゃん。えーとちょっとした化粧品とか」

「使ったことありません」

「素材いいんだからもったいない。じゃああれだ、うちの部活に遊びに来なさい」

「そういえば合宿用の荷物で泊まりに来ましたね。何部ですか?運動は苦手でして」

「非電源系ゲーム部」

「……」


文部は振り返りあからさまに不審な顔をした。


「知らない人はそういう顔するよなー」

「だって聞くからに怪しいですから」

「要はコンピューターを使わない系のゲームやる部よ。TRPGはやらないけど」

「TRPGってなんですか、どっかの国の兵器ですか」

「カタンとかー、ごきぶりポーカーとかー、最近やっと枯山水ゲットした。プレミアついて高くなってたからなー」

「どれも全く聞いたことがありません」

「今は翡翠の商人が熱い」


熱く語る高崎にふっ、と文部の顔がゆるんだ。


「何ですか、大事なものあるじゃないですか」

「え、でもこれ遊びだよ?」

「私だって研究は遊びですよ」


文部はちらりとPCを横目で見る。


「なので今すごく楽しんでます」

「ふーん……」

「それがお礼に相当するのかはわかりませんが、行く約束だけはしておきましょう」

「!きっとだよ!」


高崎は満面の笑顔を向けた。後ろ向きの文部の表情はわからなかった。

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