イントロダクション

* * *


「……何か変な夢見た気がする」


ベッドから起き上がった高崎真理たかさきまりは一人呟いた。

きちんとは覚えていないが、とても妙な、でも綺麗な夢だった気がする。


寝間着として着ている、着古して少しよれたボーダーTシャツと灰色の短パンは少し湿っぽい。夏なので結構寝汗をかいたらしい。


「夜中扇風機つけてたのに……」


高崎はクセのないショートカットの下の眉を寄せて、不快感をあらわにする。

この時期はどうやったってクーラーのない部屋は結構暑い。

クーラーのない高崎の部屋はあまり女の子の部屋、という感じがしない。


本棚にはゲームの攻略本やルールブックが並び、本来本を並べるべき別の棚には原色の賑やかなボードゲームのパッケージが並ぶ。

さらに床には花札会社が作ったゲーム機や音楽業界でもブイブイ言わせている会社のゲーム機などなどが旧新問わず転がっている。テレビは若干旧式のようだ。


「そうだ、今日は登校日で追加の課題とかあったんだっけ……めどいけど行かなきゃなあ……」


前日床に転がっているゲームでもやっていたのか、寝不足の目をこすりながら高崎は洗面台へ向かった。


* * *


「というわけで助けて」


登校日は午前でカリキュラムが終わり、あらかたの生徒が帰宅して閑散としている教室。春はとうに過ぎ、梅雨も終わり、夏の日差しが多大な熱量をもって侵略してくる窓側、前から2番めの席から突拍子も無い声がした。


席には所狭しと本が積み上がりロッキー山脈もかくやという情景である。その谷間と思しき所には極厚の緑の表紙の本が広げられている。


広げられている本を支える手は、突拍子も無い声にもびくともせず一定のペースでページをめくり続けていた。手の主はその手以外は眼鏡の奥の目ぐらいしか動かしていない。

動きのない体に比べ、髪はあっちこっちへ散らかり放題のもさっとしたくせっ毛だ。


「聞いてる?えーと、文部もんぶるかさん?」

文部あやべです」


文部は(また懐かしいあだ名を聞いたもんだ)と思いながらも淡々と本を読み続けた。

眼鏡の下の顔は色白で人形のように整っているが化粧っ気はまるでない。

無表情なのも人形のようだ。


「なら答えてよ、夏休みの課題が……」

「貴方は確か6組ですよね?名前は存じてないですけど」

「え、怖い。なんでクラス知ってるの!?」

「声だけは聞いたことあるからです。その突拍子も無い声は良く響きます」

「おー、あたしの悪名も高くなったもんだ」

「高くなったのは声の方です」


内心上手いことを言ったと思ったが、いまいちそれは相手に響かなかったようだ。


「まあいいや、わたしは高崎真理。自己紹介も済んだことだし助けてよ」


高崎は両手を置いていた机から体を起こすと、正面で腕を組んだ。ショートカットの下の目からはまるで申し訳無さとかそのへんのものが感じ取れない。

アーモンドのようなツリ目の奥にはそうと決めたら引かない意思が感じられる。


「……貴方は今何組のクラスルームに居るのか知っていますか?」

「え、1組でしょ?」

「そうです。そしてこの学校は1から5組は理系、6から10組は文系です」

「そりゃそうだ」

「故に夏休み考査は全然違う内容ですので私には助けることは出来ません」


にべもない、を辞書で引いたら出てきそうな態度で文部は高崎をシャットアウトした。が、空気を読まない高崎にはこうかはいまひとつ。


「そう言わないでさー、あんた学校で一番本を読んでるでしょ?『道で本を読みながら自転車を曲乗りしてたらそいつはもんぶだ。クラスで机の上に本の山があればそれはもんぶの山、モンブランだ』ってね」

「だれですかそんな格言を考えた人。特に後半」

「あたし」

「……」

「というわけで助けて。そんだけモノ読んでたら小説の1つや2つ、でっち上げられるでしょ?」

「察するにそれが課題ですか」

「そう!」


もはや文部も邪魔をされ続けで読書どころでは無くなってきており、段々と不機嫌な顔に変わりつつありページめくりも止まっている。


「書けばいいじゃないですか。文字を適当に並べればそれは単語ですし、単語が連なればそれは文章、文章が並んでいればもうそれで小説ですよ」

「いやーあたし140文字以上の長文書いたこと無くて。それ以下なら山程書いてるんだけど」

「ツイ廃ですか」

「最近やってないけど。わかる?」

「わからないわけないでしょう」


ツイとは140文字以内でピーチクパーチクやり取りをする例のアレである。


「というわけで頼むよー」

「……貴方私の専門わかってます?」


心底迷惑そうな顔で文部は本から顔を上げた。

高崎はあっけらかんと言った。


「しらん」

「私の専門は『遺伝意味論』です」

「いでんいみろん」


高崎は頭の上にはてなマークが浮いたような気がした。


「ご存知のように生物体に現れる表現型は生物の全情報であるゲノムの現れです。ゲノム情報には下の階層として、情報を保持する遺伝子があり、そのタイプはもちろん別々の遺伝子が影響し合う効果や発現するタイミング等という情報も含まれそれらは全て表現型に跳ね返ります」

「すまん、既に色々ご存知では無いんだけど」

「私はそこにエピジェネティクスなどによるDNAからの読み出しの物理的クセを情報として追加分析し、DNAと遺伝子の間にある情報階層と定義してます。まあ実はこれも遺伝するんで広義の遺伝情報で問題ないと思います。そもそもDNAには情報を記録する側面と分子としての物理的な側面とがあり、そのクセによる読むパターンの変化により全然別の遺伝子として機能する、ということが理論的には確認できています」


表情を動かさず理系にありがちな早口で文部は畳み掛ける。


「それを踏まえると遺伝子も下の階層として情報素子の『遺伝子子(genelet)』の組み合わせを持つ情報クラスタであると推測できます。そうするとその素子単位である遺伝子子はどう進化してきたか、によって分子進化を考えることができます。そこには遺伝子子が遺伝子に貢献できる『持つ情報』による適応に加え、『分子的強度』、まあこれは壊れる前にどれだけの精度でどれだけ複製できるか……といったことや立体構造により突然変異から物理的に配列を守るといった」

「ストップストップ!」


聞いてて盛大に脱線している気がして高崎は慌てて遮る。


「いやここからが面白いのですが」

「あたしは面白くない」


高崎は眉をひそめてそのまま両手を差し出したポーズで拒否をする。


「んで、その『いでんいみろん』が小説創作と何の関係があるの」

「いえだから『関係ない』と言いたかったのですが」

「凄い婉曲に断られた気がする」

「断ってますよ」


再びにべもない対応をされ、高崎は机の向こう側の文部に向かって両手を合わせてまるで仏像を拝むかのようなポーズをする。


「そう言わずに頼む!さっき言ったじゃない、『文字を適当に並べればそれは単語ですし、単語が連なればそれは文章、文章が並んでいればもうそれで小説』だって。適当でいいんだって!私っぽい文章をでっち上げてよ!」

「と言われても……私だって論文くらいしか書いたこと無いですので」

「論文と小説って別もんなの?」

「言語を使ってる長文ってことだけが同じで、文法や構成から全然違いますよ」


ふと文部は何かを思い出したような、あるいは思いついたような顔をした。


「……あれちょっとまって下さい、さっきあなたなんと?」

「いやだから『適当で』って」

「その前!」

「『文章が並んでいれば~』ってとこ?」


文部は高崎から目を横にずらして沈思黙考ーいや独り言を始めたので黙考ではないがーし始めた。


「……アレとアレ使えばいけるか」

「……もんぶさん?」

「もんぶではありません。わかりました、あなたに協力しましょう。明日までに私が言う物を全部用意してうちに来て下さい」


文部はまた無表情にもどり本をパタンと音を立ててたたむとそれをかばんの中に丁寧に収納し文部は席を立つ。


「え、やってくれるのはありがたいけど何、どうしたの?」

「手伝ってほしいんですか?いらないんですか?」

「いやめっちゃ助かるけど。んで何を用意すればいいの?」

「それはですね……ちょっと待って下さい。住所と一緒にメッセで送ります。IDください」

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