エクソシスト

縁の下 ワタル

第1話

街の裏通り。

光が漏れる程度でしか当たらない場所。

太陽が真上にあるのに、ここは別世界だ。

そんな場所で一人の少女が大の男二人にかつをあげされていた。

「返してよ! ねえ、返してよ!!」

私は皮肉にも小さな手で、ゴロツキから取られた銀貨が入っている茶色い袋をぴょんぴょん飛びながら取ろうとしていた。

「へっへー、取れるものなら取ってみろよ チビ! 」

絹で出来た古びた服を着た二人のゴロツキたちは、私とは比べものにならないくらいの大きさ。手が届かない、遠い、遠い。

ゴロツキたちに特に特徴はなく、皆同じように見えた。

「それは私が酒場で働いて稼いだお金が入ってるの! 返して! 」

私の服装は至って普通の酒場の女が着る服装だった。

肩ははだけて見え、素材は羊毛、一つのワンピースに様々な布を重ねたような服だ。

上は白を基調としており、下は黒と茶色の線が縦に引かれた模様をしていて、その上から緑の布(羊毛製)を巻いている。

頭には白い頭巾を被っていた。

「いや〜人の稼いだ金で食う飯はきっと美味えだろうな〜」

「ちげえねえ」

というとゴロツキたちは声高に笑い出した。

「あんたたち、本当にクズね!」

私は遥か上にある顔を睨んだ。

もっと私に背があればと私は後悔した。

屈辱だった。

「んだよてめえムカつくな、一発食らわしてやるか! 」

「そりゃあいい、ぶん殴れば少しは大人しくなるし、その目つきの悪さも治るだろうよ」

「やめ、て、痛いのだけは」

私に突然、身のすくむ思いになった。

暴力だけは嫌だと昔、親に刻まれた不治の傷が疼いた。

殴ろうとしている二人ががあいつと重なって見えた。

怖い、足が震えて動かない。少し指でツンと押されただけで倒れてしまいそうだ。

「そんじゃあ、派手に行こうとするかっ!」

一人の男が私の胸ぐらを掴み、殴ろうとする。

私は目を瞑りただ殴られるのを待っていた。

助けてくれる奴は今日も居ないのかと、諦めながら祈ることもしなかった。

だって、きやしない。天使だって神様だって。

「おーい、お前らそこで何してる? 」

すると一人の青年が少し遠い場所から話しかけてきた。

絹の素材で出来た古めかしい黄土色の帽子とマントを着ていて、とても地味だ。

どうやら旅人のようだ。

「お前ら、女の懐から金盗むなんて最低だな。しかも暴力もしようとするなんて、もうゴミだな」

青年は煽るように言う。

来てくれた、神様を見ている、そんな奇跡を見ているような感覚で、その青年を呆然と見ていた。

「ああ? んだとてめえ」

と一人の男は私から胸ぐらから手を離し、その青年に近づいていく。あっと言う間に囲まれてしまった。

「どうやら、てめえから殴られてえみてえだな」

と拳をポキポキと鳴らしながら言うのに対して青年は

「いや、だから暴力は良くなー 」

と言う前に顔を殴られそうになった青年は、それを躱して、また叫ぶ。

「だから暴力は良くないって! 暴力反対…」

青年はそのままぐったりと倒れ込み、腹を鳴らした。

「あのさ、二人とも… 」

青年はぐったりとしたままこの世の終わりのような顔しながら言った。

「「?」」

二人はきょとんとした顔すると、

「お茶でもいかが? 」

「あるわけでねえだろ! そんなもんっ!!」

そう言った彼らは二人同時で青年をぶん殴った。

そのあと青年がどうなったかは、言うまでもない。





薄暗い場所の中に一筋の光が差すという神秘的な空間がそこにはあった。

しかし、そんな幻想的な空間をぶち壊す一人の青年が居た。

仰向けに寝ていた青年はピクピクと震えていた。

顔や体は青あざだらけ。

服は案外丈夫なようで、少し切れているだけだった。

金銭も盗られているようだった。

そして、金銭を盗ったゴロツキたちはもういない。

その様子を見ていた少女は青年に近づき、青年のそばに行くとゆっくりと座り、青年の顔を見ながら、

「あんた、何しにに来たの? 」

「…」

返事がない。 ただの負け犬のようだ。

仕方がない、酒場に連れて行くかとため息を吐き、大きな荷物を背負って行った。





「ギャハハハッハ! あいつバカだよな〜」

二人うちの一人であるフラッグが下品な大笑いをしている。

「本当だな! お陰であのチビに加え、あのバカの金まで手に入ったな! 」

声高に言っているのはクリークだった。

彼らはその路地裏を歩いている。路地裏の不気味さを感じさせないほど彼らは明るかった。

「今日はいい日だな、今日なら俺死んでもいいや」

とフラッグが空を見上げ、冗談交じりに言う。

「おい、冗談でもそういうことは言うもんじゃないぜ」

クリークはそう注意したものの説得力がまるでなく、明るかった。

すると一人の黒いローブを被った女性がフラッグにぶつかった。

「おい、てめえ何してんだ? 」

そう言ってフラッグは、その女性を腕で押し恐喝して、通れないように二人で道を塞ぐ。

その女性は長身だが、二人の男よりは背は高くない。

顔はフードに隠れて見えず、少々不気味だった。

「ああ、やっべ。汚れちまったんだけど、どうしてんくれんだよ」

フラッグは汚れた部分をはたき、その女性を脅す。

しかし、その女性は無言を貫き通していた。

「おい、無視してんじゃねえぞ」

クリークが女性の肩を掴み、顔に顔を近づけた。

「金出せって言ってんだよ 」

と顔を近づけたクリークはその女性に臭い息を吐きながら言う。

側から見ればとても屈辱的だ。

するとその女性は無言で、ふところに手を入れ、懐からどこにでもあるような赤いりんごを取り出して、フラッグに差し出した。

「ああ、てめえ金よこせって言ってんだよ!」

クリークは顔に顔を近づけたまま言う。

「まあまあ、いいじゃねえか。丁度俺ら腹減ってるし。それじゃ貰うぜ! 」

とフラッグは呑気に言うとその女性からりんごを分捕る拍子でりんごをかじった。

「おお美味えな、このりんご、最高だぜ! 」

そう言ってフラッグはりんごを口に入れたまま、大きな声で言った。

「お前、大丈夫か? 知らねえ奴からそんな怪しいりんご貰って」

クリークは黒いローブの女性から離れてフラッグに近づきながら怪訝そうに言う。

「大丈夫、大丈夫、問題ーー」

と言い終わる前に横に倒れ、壁にぶつかった。

「おい、フラッグ? おい、フラッグ?! どうした!」

とクリークはフラッグの肩を叩いて声をかけるが返事が返ってこない。

どうやら息はあるようでスヤスヤと気持ち良さそうにフラッグは寝ていた。

それがまたクリークの恐怖を煽ったのだろう。

「てめえ、何しやがったっ?! 」

とクリークは血の気が引いたのか、自然と声が大きくなった。

それに相対してその女性は至って冷静沈着な様子で無言だった。

何も言わない女性に対して苛立ちを感じたであろうクリークは懐からドルヒ(ダカー)を取り出し、女性に襲いかかる。

女性は呆然と立っているだけで何もしようとしない。

「てめえっ! 舐めてんじゃねえぞっ!」

クリークは言い、その女性脇腹にダガーを突き刺した。

刺した傷口から黒いローブが赤く染まり、女性がゆっくりと倒れ、壁にぶつかり、もたれかかるはずだった。

ドルヒ(ダガー)が折れた。それは甲高い音と共に勢いよく宙を舞う。

「ひ、ヒィエエエエエエエエエエエエエッ!」

と刃が折れた音より高い音を出し、クリークは後ろを振り向き、恐れおののいて、必死に逃げようとしたようだ。

しかし、女性が逃がすわけもなく、手っ取り早く逃げなくするためか、男の右足を切り落とし、右足が壁に弾かれ何処かに行った。

「うあああああああうあうああ足がああ足があああああっ」

自分の切れた足を見て、クリークは絶叫する。切れた足の断面はとても綺麗に斬られていて、断面から血が噴水のごとく出ている。

後ろにいる女性を見ると彼女は刃物を一切持っていなかった。

「た、頼む。命だけhー」

女性は仰向けになっていいるクリークに馬乗りをかけるとまずうるさい口を黙らせるためなのか、喉元を浅く切る。

「フュースーフュースースー」

クリークはもう風を切る音しか出せなくなってしまう。

クリークの焦りが増していくのが、その涙腺が崩壊した目とそのうるさい風切り声でわかる。

そして、その女性は笑顔だった。

それはもちろん朗らかな笑顔ではない。

軽く10人は殺してしまうであろう快楽殺人鬼が持つような瘋癲の獣の笑み。

クリークは、その笑顔が頭の奥に刻まれた。







薄暗い路地裏。

神妙な空間。

漏れる太陽の光。

白い煉瓦の壁に広がる赤い液体。

埃が目立つ地面に広がる赤黒い水溜り。

赤い水滴で濡れている人骨の小山。


赤いシミが出来てしまった黒いローブを着た女性は、赤黒い水溜りの上にたたずみ、口紅を塗ったような唇を舐めて言うことには、


「ああ、美味しかった」と。






「いや〜ありがとな、助けてくれて、しかもここまで運んでくれたんだろ 。いやーありがとな!!」

「それ、本当は私が言う台詞よね」

と私は呆れながら頬杖をしていた。

あの後、私は大変だった。たださえ私は小さいっていうのにこのでかい奴をここまで運ぶのは一苦労だった。

それでも、裏通りを出た後は知り合いのおじさんに助けてもらったからどうにかなったけど。

「ていうかあんた何しに来たの? 」

私は頬杖をついたまま退屈そうに言う。

丸い木の机を挟んで私たちは今座っている。

机はあと二、三人入れそうだが、亭主さんが「恩人ならもてなしてやりな」と私達専用スペースを確保してくれた。

「何って、人助けだけど? 」

青年は平然と言う。

何が人助けだよ、ただ殴られに来ただけじゃんか。

「あんたもう少しカッコよく出来なかったの? ほら、あいつらをバシバシってやっつけるだとかさ」

そう言って私は、殴るふりをする。

「そんなことしないよ、俺は相手が化け物でない限り暴力はしないさ」

と少し笑いながら言う。

彼の言う化け物というものが何なのかわからなかったけど、熊とかそういう類のものかと思った。

「ふ〜ん、紳士なのね」

私はまた頬杖をつきながら感心していた。

「はいこれ! お待ち! 」

私の同じ服を着た長身の女性が料理を運んできた。

髪の色は茶色で顔はすっきりとしていて目は細い。

「姉貴、私も手伝おうか? 」

と頬杖をつきながら声をかけた。

「いいのよ! いいからあんたは恩人をもてなしてなさい!」

姉貴は陽気に言うと厨房の方へ消えていった。

「ご、ご馳走だ…」

青年はよだれを垂らしながら興奮していた。犬みたいにハアハア言いながら。

するといきなり泣き始めた。

「なになに?! どうしたの?! いきなり?!」

と少し嫌悪をした顔で頬杖をするのをやめて少し離れようとする。

「俺、まともな食事をしてなかったからさ」

そう言って青年は腕に顔を押し付けながら涙を取ろうとする。

「あんた何食って生きてたのよ? 」

私は少し不快な思いをしながら言う。

多分顔にも出てる。

「小枝とか、葉っぱとか」

とブツブツと呟く。

「ご苦労様、旅も楽じゃなさそうね」

私は他人事のように感心した。

もちろん他人事なのだが。

「それじゃあ、いただこうとするかね」

そう言って青年は、なぜか手の体操を始めた。

どんだけ気合い入ってんだよ。

「どうぞ、召し上がれ」

私はその体操を完璧に無視した。

多分突っ込んだら負けだ。

「おっと、その前に」

そういうと何か独り言を呟き始めた。

おそらく食事前の祈りだろう。アーメンとかなんとか言った後に十字架のネックレスを胸の前で十字架の形に切った。

「真面目なクリスチャンね」

と興味のない口調で言う。

「そうでもない、これぐらいは当たり前さ」

平然と言うと木製で出来たスプーンでかぼちゃのスープを飲む。

「うん、うまいな! 」

そして、パンを三本の指で掴みながら口に入れる。しかしなぜか肉には手をつけなかった。

「肉、食べないの? 」

と頬杖をついたまま、顎をくいっとさす。

「ああ、あとで食べるよ。ところでお前、名前なんて言うんだ?」

青年はそう言って肉をちらりと見たあと話題を変更してきた。

「フリルよ、あんたは? 」

「ジョンだ 。よろしく」

「よろしく」

自分でも可愛くないと思う態度をする。

「あのさ、俺は妹を探してるんだけど心当たりないか? 」

とジョンは片手にパンを持ちながら適当に言う。

「知らない」

私は即答する。しかしジョンは

「特徴は髪の毛が黒でお前よりも多分長身でたぶん顔は小顔で目が垂れ目でーー

とフリルを無視して話を続けた。

「知らないよ 」

私は目を合わせずに肘をつきながら素っ気なく言った。

「少しぐらい聞いてくれたっていいじゃないか? 」

そう言ってジョンは、眉を潜めてこちらを見る。

「そもそも、女なんてこんな酒場には来ないわよ。来るのは髭のおっさんぐらい」

「ふーん、パン一つ食う?」

ジョンは言うと右手でパンを差し出す。

「いらない」

「フリル! 」

と姉貴が私達のところに走ってきた。

走ったせいかハアハアと息を荒げている。

「何、 姉貴? 」

私はだるそうに答える。

「ごめん、フリル! 忙しすぎて手が足りないの! 手伝ってくれる? 」

と汗が流れている姉貴は焦りながら言う。

「うん、わかったわ」

そう言って私は席を立ち、姉貴と一緒に厨房に行った。



「あいつ、つれないなあ、なんでだろ? 」

とジョンは一人で呟く。

「さあ、わしにも分からんぜよ」

緑の球体がジョンに話しかけてきた。

それは光を帯びていて、翼を生やし、緑の粉塵が周りに浮遊している。

「ラファロ、今は出て来ないで欲しい。人が多い 」

ジョンは淡々と言いながらスープを飲む。

「わしは普通の人には見えん。問題はない。それにそういうわけにもいかんぜよ」

ラファロのその口調には厳密と緊張が含まれているようだった。

「わかってるぜよな? 」

「ああ、わかってる」






私は貴族や聖職者とか、そういう類いの人間が嫌いだ。なんか次元の違う相手をしてるみたいで気色が悪い。話しているだけで毛が逆立ってしまう。

多分あいつはそんな感じがした。証拠なんてあいつが持っている十字架で十分だった。

いけない、仕事に集中しなきゃ。

フリルは黙々と四角い木箱を運んでいた。荷物の中身はもちろん食材だ。野菜やパンといった食事に必要なものだ。

それを厨房に運ぶという単純にして苦行な労働だった。

「ふう、終わった」

フリルは袖で汗を拭い、達成感に浸る。

さあてと戻るかなと厨房に戻ろうとしたとき

「そこのお嬢さん? きれいなきれいなお嬢さん? りんごを一つ、いかがかかな? 」

とシミの付いた黒いローブを着た背の高い女性が私にりんごを差し出し、調子よく話しかけてきた。

その語呂の良さが、艶めかしく不気味に思える。

よくある詐欺の手口だと思った。

多分このりんごを受け取ったら、高額請求するという姑息な手だと思ったが。

なにこれ…

美味しそうだった。

見た目はどこにでもあるりんご。赤くてこんな少しの光だけでも反射して輝いている。

しかし、甘く、舌の上で蕩ける甘美な味がしそうだった。口にしているわけではない。そう見えるのだ。

そのりんごは手招きをしながら呼んでいる。そんな感じがした。

意識が朦朧とし、理性が飛びそうだ。

人間が本来持っている生理的欲求の一つが私に食べろと訴えかける。

たかが、りんご、されど、りんご。

そのりんごの魅力は尋常ではなかった。

「それじゃあ一つもらおうかな? 」

とフリルはりんごへ手を伸ばす。

しかし、そのりんごを手にすることは無かった。

なぜなら…

「おい」

と言って一人の青年が私の手を握ったからだ。

「俺の周りで何しようとしてんだ? てめえ」

とジョンはその女性を睨みつけていた。

双眸はまるで獣だった。

宿敵を狩り殺す狼の眼だ。

私の知らないジョンだった。

「祓魔師(エクソシスト)…」

とその女性は呟き、ジョンから距離を離す。

「なるほど」

ジョンはその女性の持っているりんごを一瞥すると真剣な口調で納得した。

「そうだな、媒介は白雪姫。魔女が姫に対して毒リンゴを食わせる場面を元にしたか。てめえが魔女役でお前が姫様役かな」

と言ってまずその女性を指差し、次に私を指した。

「私の名前はお前じゃない! フリルよ! 名前言ったんだから覚えてよ! 」

私はお前と言われたことに腹が立ったので、つい言ってしまった。

青年の顔は歪んでいた。

より詳しく言うと睨んでいた。まるでゴミを見るかのように。

また、その女性は笑っていた。

歪んだ笑顔。あるいは嘲笑。あるいは愚劣。

ジョンは私を睨んだ後、無視して続ける。

「手順は簡単だ。りんごをただ差し出せばいい。そして、触れば魔術が起動して物語の通り触った奴はりんごを食べちまう」

魔術ってなんだ? と私は心の中で疑問に思うが、聞けそうにも無かった。

「食べたら永遠の眠りにつく。唯一解く方法は食った奴を心から愛する奴の接吻だけだが、居なけりゃ絶対不破の呪縛になるってわけだ」

せ、接吻?!

「お見事ね、さすが魔女狩り専門ってとこかしら」

その女性はフードの顔の中で笑っていた。

「祓魔師(エクソシスト)の中でもより優れの先鋭。私、今日は満足してるから。今日は見逃してくれない? 」

とその女性は気楽に提案する。まるで見知った旧友であるが如く話しかけてくる。


するとジョンは懐から一本のドルヒを手に持った。どこにでもあるようなドルヒだった。束は木製で刃は鉄製。本当にシンプルな作りだ。

「逃すと思うか? 」

と言ってドルヒを構える。

「あら、残念ね」

女性は残念そうに言うと、何かを思い出したかのような仕草をして、

「そういえば、私ね…」

「祓魔師(エクソシスト)の肉はまだ食べたことないのよ」

と女性は顔に殺意を帯びた嘲笑を浮かべた。

ジョンがその笑みに警戒し、ドルヒを構えた瞬間、彼に二つの斬撃が襲いかかる。






「困まったわね、あなたのドルヒ、まさか銀が入っているなんて」

「当たり前だろ、馬鹿か? お前」

そこには無傷の青年と、右腕に傷を負い左手で右腕を押さえる黒いローブ着た女性がいた。

フリルには先程起こったことがわからなかった。

彼女が確認出来たのは黒いローブの女性が傷を負った右腕を押さえながら後退するところだけだった。

ジョンは交互に来る右腕と左腕の斬撃を寸での所で交わしたあと、その女性の関節のあたりを浅く斬った。

それからはフリルが見た情景と同じく、その女性は驚愕を露わにした顔を青年に向け、右腕を抑えながら後ろに退がっていた。

「あらやだ、魔術が解けちゃった」

その女性は困ったように言うと、懐からドルヒを一本取り出し、口の中に入れた。

鉛色の金属と白い歯が刻む奇怪で歪な合奏(シンフォニー)が路地裏に響き渡り、鉛色の金属と化したそれを飲み込んだ。

ドルヒを食べている女性の姿は常軌を逸していた。

小剣をバリボリと食べたが、体に目立った変化は見受けられなかった。

「さーてと、再戦といきましょうかね」

ドルヒを食べた女性は気楽にだった。

「ああ」

とジョンは睨みながら銀が混じったドルヒを構える。

「それにしてもよく待ってられたわね? 」

「お前と違って俺は人間だからな、獣みたいな真似はしない」

「ふ〜ん、野獣みたいな顔してるのによく言うわね」

そう言われても、ジョンは冷静だった。

その雑談から少しの間、二人の間に冷たく多い火花が見えた気がして、剣戟が始まった。





突然だが、侍の戦いを知っているだろうか?

そう言われると、刀と刀がぶつかり合う鍔迫り合いを想像するかもしれないが、それは違う。

二、三回、人を斬っただけで刃こぼれをする刀の性質から言って、鍔迫り合いすることはほとんどない。

則ち、一流剣士の戦いは、相手の刀を避けつつ如何に相手の懐に入ることが重要とされる。

今ある攻防はそれに似ている。

女性は足を踏み込むと一気に間を詰め、右腕を振り下ろすが、あっさりと見切られる。

その隙を逃すまいとドルヒを逆手に持ち、女性の右腕に突き刺そうと構えるが、その様子を見て嘲笑う女性は第二撃目の準備をもう完了していた。

左腕の横払いの斬撃がジョンを襲うも、ジョンはその危険を察知していたので攻撃を中断。斬撃を紙一重のところで避け、後ろへ後退する。

横払いの斬撃は狭い路地裏の壁に食い込んでしまい、身動きが出来なくなる。

そこをジョンは見逃さなかった。

ドルヒを逆手持ちに変更し、一歩で間合いを詰める。目標はもちろん食い込んだ左腕である。

女性は右脚を大きく蹴り出した。

必殺の一撃。受ければ一溜まりもなく、貫通して即、天国逝きだ。

しかし、よくある話。

必殺といった大振りの一撃は当てなければ、何の意味もなく、むしろ大きな隙を作ってしまうということを。

またもや、華麗の身のこなしで必殺の一撃を難なく躱し、いつのまにか変えた順手持ちドルヒで女性の脛を斜め下に浅く切ったあとその拍子で逆手持ちに切り替え、女性の太ももに突き刺す。

「くっ!!」

女性はその激痛で顔を歪めた。

ジョンは太ももに突き刺さったドルヒを引き抜き、次は女性の肩を狙う。

絶体絶命のピンチに立たされた女性は左腕を抜こうとしたところやっと抜くことができ、ジョンのとどめの一撃を躱し、後退した。



「すごい…」

フリルは思う。これが真剣勝負なのだと。

日常には絶対にない景色を、ただ見ることしか出来ず、それ故に別次元の何かだと思っていた。

「でも、なんで?…」

この光景を別次元の何かだと思ってしまったフリルでさえ一つだけ疑問に思うことがあった。

ドルヒ一丁しか持ってない青年が二本の剣にまさる腕を持つ女性になぜ対等やり合えるのかというものだった。



本来なら絶対にあり得ない光景であり、ほぼ一瞬で決着がつくのが当たり前なのだ。

なぜなら女性が持っているそれは本物ではなく、所詮魔術によって作られた出まかせに過ぎないからである。

そして、ジョンはそれを看破できる剣を持っているため、女性に少しでも傷を与えられば、あとは畳み掛ければいい。

この勝負、一見平等に見えるが全くそんなことはなく、むしろ女性の方が不利なのである。

しかし、その稀覯の剣戟も長くは続かなかった。

女性は右脚の太ももを押さえたあと、ドルヒをまた飲み込み、右腕に逆手持ちでもう一つのドルヒを構えた。

「ちっ!」

ジョンは舌打ちをし、逆手持ちのドルヒを構える。

その瞬間、初めて火花が散った。




先程の戦況とは一転し、盤上がひっくり返った。

女性の戦い方は先程の獣ののような捨て身の乱撃ではなく、相手の隙を伺う戦闘スタイルに変わっていた。

女性はドルヒを盾のように使い、銀製のドルヒを避けつつ、鍔迫り合いになれば右腕(やいば)が猛威を振るう。

一方、ジョンは女性の左手に持つドルヒを避けつつ、右腕は銀製のドルヒを盾に使うが、そうすると彼女のドルヒが狙いにくる。

交差する刃に交差する視線。

この命がけのフォークダンスは終わりが無いように思われたーーー

女性は左手に持っていたドルヒでジョンの右腕を切るようにドルヒを払うと、ジョンはそちら注意がいったのか、左手に持っていたドルヒで防ぐように瞬間、

ジョンのでこを右腕が掠め、鮮血が噴き出す。

フェイントだ。

ジョンは焦ったのかでこを押さえながら、後退した隙を、女性は逃さなかったようだ。

黒いローブの女性は前進、左手に持つ逆手持ちのドルヒでジョンを刺そうとする。

ジョンが右に避けるように見えた瞬間、女性の刃が止まる。

ジョンの顔が恐怖を帯びたような顔になる。

そして、女性が止まった瞬間に右腕がジョンの左脇腹を貫通した。

「ぅぐ、あああああああああああああ」

またしてもフェイントだ。

ジョンに激痛が走ったのは、感情を知るまでもなく、その絶叫と血反吐を漏らす顔を見れば一発でわかる。

ジョンは間髪を入れず、左手に持っていたドルヒで女性の左腕を刺した。

女性は少しばかり顔を歪めると、左手に持っていた逆手持ちのドルヒでジョンの肩を刺そうとすると、ジョンは右腕で女性の左腕を掴む。

その勢いか、ジョンは左膝を屈し、女性の体制が前のめりになったため、幸い足蹴りを喰らうことはなかった。

「ジョンっ!!!!」

フリルが叫んだ。

叫ぶ声を聞いて黒いローブの女性がニヤリと笑った。

「へー、あなた『ジョン』っていうのね」

そう語りかけるようにジョンに言うと、

「馬鹿か…いつこれが…本名って言った? 」

ジョンは嘲笑うかのような、一本取ったかのような笑みをこぼすしたあと、イラッと来たであろう女性は、

「へぇ、そうなの? 」

と言い、ジョンの断末魔の叫びが路地裏に響いた。



(こいつっ!!!!!)

ジョンは心の中でそう思う。

女性が何をしたか、彼女は、今やジョンの脇腹にある右手でジョンの大腸を握りつぶし、五本の指で傷口と腹の中をかき混ぜていた。

激痛よりも腹の中の嫌悪感の方が上回った。

胃から込み上げるものを必死に抑え、必死に耐える。

「ほらほら、どうしたの? 」

意識が朦朧として途絶えそうになる。

その意識の中で嘲笑しているであろう女性の顔を見ようとするが顔が上に向きそうにない。

次第に力が抜けていき、女性の右腕に刺してあるドルヒを抜いて、心臓を狙うこともままならない。

ジョンはもう限界だった。



フリルはただその光景を見ることしか出来なかった。

手足は震え、動けそうにない。

それに動けたとして、どうする? あそこの異次元の争いに加われと? 冗談じゃないと思っていた。

しかしその反面、これでいいのか? 目の前の人間を見殺しにしていいのか? とも思っていた。

そして、結論を出した。




フリルは震える足に鞭を打ちながら、立ち上がろうとする。

彼女は前に進むことにした。

精一杯。 自分の力を振り絞り、前に進む。

後悔したくなかった。それがフリルの今の気持ちだ。今日これをしなければ、明日、私はあまりいい気分はしないのだろうと思ったからだ。

フリルはまず、壺などといった鈍器を探した。

あの状況なら女性の脳天に必ず入ると思ったからだ。

ツボを探そうとキョロキョロしていると、黒いローブの女性の血の色をした目と目があった瞬間、

(あれ? )

すると突然、体の自由が効かなくなり、地面に倒れこむ。

歯を食いしばることさえも出来ず、ただ悔しさが残るばかり。


所詮、彼女に出来ることなどそのぐらいの程度でしかなかった。



もう限界を超えているであろうジョンと言う祓魔師(エクソシスト)は左腕をだらりと下げた。

(あれ、 もう終わりかしら?)

女性は呆気ない勝利だったとため息をつきそうだった。

(まあ、所詮そんなもんよね)

祓魔師(エクソシスト)だって、ただの人間なのだから、負けるときは案外呆気ないと。

女性はジョンの下げた左手を見ると水筒を取り出した。

(何、水でも飲みたいのかしら? )

もう呆れていた。警戒心なんてどこにもないもはや、負ける想像などないと思っていた。

そう、言われるまでは気づかなかった。

ジョンは栓を抜くと、

「オラよ…てめえの大好きな聖水だあああっ!」

「っ!」

女性の中に戦慄が走る。

咄嗟に右腕を抜こうとしたが抜けなかった。


その瞬間、彼女に死の水をかけられた。



「うあああああああああああああああっ!」

女性の声にならない叫びが聞こえてくる。

女性はナイフを落とし、ジョンの左脇腹から右腕をなんとか抜き取り後退、顔を押さえながら、悶絶していた。

女性の顔と肩から煙が上がり、硫酸をかけられたような凄まじい顔になった。

ジョンは水筒を適当に放り投げると、女性が落としたナイフを拾い、重傷を負ったまま女性にとどめを刺そうと、限界であろう体を無理矢理動かし走った。

「うおおおおおおおおおっ!! 」

逆手持ち、左肩を狙おうと、右腕のドルヒを振り下ろす。

避けられる余裕などないであろう女性に左肩に突き刺さるドルヒ。

「がはっ!」

突き刺した同時にジョンは血にまみれた右腕に突き刺さっている銀製のドルヒを順手で引き抜き、刺したナイフを掴んだまま、心臓を狙おうと、とどめを刺そうと、そのドルヒを突き刺したーー



(危なかったわ、間一髪ね)

その刃は心臓を通ることはなかった。

なぜなら、女性の上腕にドルヒが突き刺さったからだ。

女性は右腕を払うと、女性の前蹴りがジョンの左脇腹の傷口に炸裂する。

血反吐を吐いた後、衝撃で掴んでいたナイフごと吹き飛ばされる。

悶絶するジョンを見て、女性は、

「今回はこのぐらいにしておきましょ、少々やりすぎたけど」

女性は刺された肩を押さえながら言う。

「待てっ!! 」

ジョンは起き上がろうとしたが、起きれるはずもなくうずくまる。

女性は忌々しいドルヒを引き抜くと、口笛を吹き、飼いならしておいた鳥を呼び寄せ、一口でぱくりと食べた。


そのあと、彼女は鳥の羽根のごとく羽毛を帯びた腕を動かし、空へと飛んで行った。




魔女がどこかへ消えていったあと、ジョンがうつ伏せで倒れた。

「ジョン! ジョン! 」

と言うと、フリルは近くに駆け寄り、ジョンを仰向けにした。

「大丈夫? ジョ…」

フリルは絶句した。

腹に空虚な穴が空いており、血がドロドロ出ていた。また、他にも目立った傷などがいくつか。

致命傷だ。 こいつはもう助からない。

フリルは悟った。

「死なないで…ジョンっ! ジョンっ!! 」

フリルはジョンの血だらけの腹の上で泣きじゃくった。

先の戦闘ではほんのばかりの役立ちも出来ず、今度は一人の青年さえも助けることしかできない自分を呪った。

苛立ちー怒り、泣きー悲しみが交錯した。

ただ彼女は泣きじゃくることしか出来ない。

「困ったぜよ、まあ、仕方ないぜよ」

「? 」

何かの声が聞こえた。

「おい小娘 」

その音源は光る緑の玉から羽が生えていた。

その不気味かつ奇怪な存在にフリルは怯えていた。

「アンタは? 」

涙をボロボロとこぼしながらその緑の発光体に聞く。

「説明している暇などないぜよ、適当な布を持ってこいぜよ 」

先程からの言葉はなぜか、私に冷たく、鋭く貫かれる。

「え、助かるの? 」

それを聞いて彼女の溢れ出る涙がぴたりと止んだ気がした。

「問題ないぜよ、この程度なら助けられるぜよ」

緑の球体は本当に危なげなく言う。

まるでこれは日常茶飯事、良くある話だといってるように。

「え、でも」

「いいから早くしろぜよ、何度も言うがことは一刻を争うぜよ、 ほら行くぜよ 」

球体から生えている謎の翼を使い、行けよ行けよと指図された。

「う、うん 」

彼女は涙を拭き、立ち上がる。

そして、急いで店の中に走って行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

エクソシスト 縁の下 ワタル @wataru56

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る