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「へえ、夏休みでもお弁当作ってくれるんだ。奈緒子んちはいいなぁ」
藤江さんから不意に感心されて、わたしは苦笑いした。
文化祭の準備に訪れたクラスルーム。お昼休憩になって、級友たちは各々好きなように昼食の時間を過ごしていた。男子生徒の多くは近所のラーメン屋さんに繰り出していって、何人かの女子も購買部へ出かけて行った。教室に残ったのは、お母さんの手作り弁当を持参したわたしと、予めコンビニで総菜パンを購入していた藤江さんだけだった。
「まあ、安く済むからってお母さんも勧めてくるんだよ」
「なんかわかるわ、買って食べると案外高いんだよね」
藤江さんは「わかる」とは言うけれど、そんなはずはない。
彼女はわたしが言った「安く済む」を、家計全体で見たときの出費で想起したはずだ。おそらく彼女は、母親から昼食代を出してもらって、パンを買ったのだろう。でも、わたしの実態はそうではない。わたしは弁当を、契約の規定に基づいて申請し、お母さんから購入している。わたし自身の出費の話なのだ。
弁当ひとつ、五十円――この身に染みる安さを、藤江さんは感じたことがあるだろうか。毎日買わなければならないものほど高いものはない。
「そういえば奈緒子、バイトも始めたって言ってたよね。今年の夏は忙しい感じ?」
確かに、ヒマとは言えない。宿題の時間がないと危惧している。バイトに部活に文化祭準備にと忙しい日々も、家にいると起こりがちな契約絡みの親子喧嘩を回避できると思うと、それなりに悪くない時間の過ごし方なのだけれど。
「明音ほどではないよ。バドミントン部はあまり忙しくないし、バイトのシフトも一日中ってことはないから。明音こそバスケ部の練習が多くて、文化祭の準備には二、三回しか顔出せないんでしょ?」
「まあね。でも、所詮部活は部活で、午後からは暇なわけだよ。だから一日くらい、奈緒子とも遊びに行きたいなって」
「ああ……うん、そうね」
いまのわたし、ハトが豆鉄砲を食うような顔をしているかも。
四月以来、かつてのクラスメイトという縁もあってそれなりに仲良くやって来たけれど、学校の外で会う約束は、何度か誘いを受けても実現しないでいた。しばらく誘いがなかったので、夏の予定は別のグループの女子たちと埋めてしまったものと思っていた。断ってばかりで、気を悪くさせてしまったと心配していたところだ。
でも、中学のときに比べれば間違いなく親しくなった。彼女から誘われるたび、いちいち面食らってしまうのでは失礼な話だ。
「でね、今度夏祭りがあるじゃない? あれに行きたいんだけど、ほかの人と行く予定とかある?」
「ううん、まだ何も」
「じゃあ、ちょうどよかった。一緒にどう?」
日取りを確認すると、午前中こそバイトのシフトがあるものの、午後は部活も文化祭準備もなく、自由な時間があった。
「その日は行けるよ。お祭りって午後からだよね」
「マジ? やった! 同じ中学の奴らも来るからさ、奈緒子も誘いたかったんだよねぇ」
しまった、そういうことか。
日程から先に訊くなんて、ズルい。
一日の最高気温を過ぎた時間帯、地元の少し大きな神社の鳥居の下で集合する約束だ。
服装は手抜きをして、Tシャツに短パンで来てしまった。わたしは浴衣を持っていない。年に一度着るか否かの代物を買うのはもったいないし、そもそも浴衣を着て張り切るような機会ではないと判断した。自分と似たような恰好をした小学生くらいの女の子が、綿あめ片手に駆けていくのを見て、ちょっとだけ恥ずかしくなる。
わたしが真面目過ぎたのか、待ち合わせにはまだ誰も姿を見せていない。祭りはまだ本格的な盛り上がりを見せてはいないが、それでも鉄板焼きの屋台からの湯気と香りが漂ってきて、日陰に立っていても首筋に汗が滲んだ。
髪、もう少し上で束ねるべきだったな。
「おお、奈緒子もう来てるじゃん」
藤江さんがやって来た。肩周りにひらひらと飾りのついたブラウスに、ホットパンツ――わたしと大差ないが、わたしよりはお洒落な服装だ。時間通りに到着するところを見ても、幹事的な役割は彼女が担っているらしい。
「浴衣じゃないの?」
「いや、そこまでじゃないかなって」
「なんかわかる、あたしもそうなの」
茶髪に長身、スポーティなイメージのある藤江さんには、浴衣よりいまの服装のほうがよく似合うと思う。
「きょうは何人来るんだっけ?」
中学の同級生が集まる会だから、人に会うのを嫌がっている印象を与えたくなくて、誰が集まるのか訊けていなかった。
「八人だよ。だから、あと六人」
思っていたより多い。最初に行けると返事をしたときは、藤江さんとふたりで行くものと思っていた。そうでなかったとしても、クラスメイト二、三人を呼ぶか、というくらい。
頭の奥の嫌なところに、粘っこい懸念の感情がへばりついている。
どうにも、嫌な予感ばかりしている。
「あ、来たみたい」
藤江さんが手を振った先から、男女四人が姿を見せた。四人は道に幅を取って広がり、じゃれつきながら歩み寄ってくる。その顔を見るに、確かに覚えのある顔がいて、向こうもまたわたしのことを忘れてくれてはいなかった。
「平本じゃん! 久しぶり、なんかウケるんだけど!」
「…………」
なんかわかるわ、わたしがこの場にいるのって、なんかウケる。
わたしは藤江さんと高校進学後に話すようになった。そのため、それ以前の藤江さん、加えて彼女の友人たちとは、グループも遊び方も全然違っていた。中学校の狭いコミュニティにおいてその差異は決定的であり、高校では濃度が下がって藤江さんと仲良くできても、改めて人数が揃うと磁力の如く反発を覚えてしまう。
失敗した、と思ってももう遅い。それなりにこの空気に乗っかって、時間が過ぎてしまうのを堪えて待つしかない。この一日きりだと思えば、たいして辛いことではない――家ではもっと腹の立つ人間関係を耐えてきた。
それにしても、藤江さんに訊いておかねばならないことがあった。
「明音、ちょっと」わたしは藤江さんの腕を引いて、顔を寄せた。「同級生の顔を忘れたわけじゃなくて、知らない人が混ざっている気がするんだけど」
男女ふたりずつの四人のうち、同級生として覚えがあるのはふたり。そこには男女ひとりずつ、見覚えのない人がいた。ひょろりと背の高い男の人に、丸顔に厚化粧の乗った女の子。
「あの人? ああ、
「そのふたりって同じ中学でもないし、学校も違うよね」
「うん。あ、亮介クンは学年も上だよ」
事も無げに言うところが、心の奥底でわたしたちを二分していた壁を、再び顕在化させてしまう。
わたしは中学の同級生が来ることを知らなかったし、そのうえ他校や他学年の知らない人たちと会うなんて聞いていない。もう少し詳しく訊いてみたところ、未だ姿を見せない男子二名も似たようなもので、他校の友人と、バスケ部の先輩だという。八人の集まりのうち、半分の四人も面識がない相手ということだ。
男女四人ずつの組み合わせ――藤江さんが「ちょうどよかった」と言ってわたしを誘った理由を考えてしまうのは、穿ちすぎだろうか。
「ねえ、あとのふたり、遅れて来るってさ」
その唯ちゃんとやらがスマートフォンの通知を見せてそう連絡した。
「じゃあ、遅刻は放っておいて先に遊びに行こうか」
残りのふたりが来るまでに、藤江さんとお祭りを楽しめたらいいのだけれど。
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