第34話 遠吠え
私が望むのは娘たち息子たちが生き続けること、それだけ。やのに時が過ぎていく。
稲妻が空を裂く音が響く。
この火の山にたどり着き、火吹き穴で祈った日から、いったいどれだけ経ったと?
その穴に溜まった池の湯気の色が紫に変わったら苦しくなった。気を失っとったようや。
目がさめたら、この平地におった。狩人たちが助けてくれたらしい。もう一度、火吹き穴に向かおうち、立ち上がろうとして気が付いた、私の両足はマヒしとった。動揺してその場で吠えたら小さな噴火が起こった。
それ以来、ここの人たちは私を女王としてあがめるようになった。動けなくなったけん、ここで祈り続けるしかなくなった。子供たちを蘇らせようと鏡に向かい、吠えると雨が降ったり嵐が止んだりしたばって、愛しい姿は現れん。
なのに短い間に知らない人は増え、食べ物が増え、建物が増え、争いが増えた。嵐や地鳴りが全てを解決した。
今日もまた、雷鳴が響く。
人に会うのは苦しい。ここの人たちは生きとる。私も生きとる。
轟音と共に、いかずちが落ちる。大きな雨粒が屋根を叩く音がこだまする。
この盆地を囲む外輪山が、山桜で薄桃と新緑のまだらになるたび、心は引き裂かれる。切りつける北風の季節が終わってはいけん。
激しい雨が大地を打つ。
時間は過ぎてはいけん。この火の山にたどり着いたころ、山桜の枝に固い小さなつぼみを見た。許せなくて、ざらついた幹をこぶしで殴った。
時間は止まって、子どもたちを待たんといけん。なのに山桜は春を謳歌するつもりや!
激しい痛みと一緒に盆地で吹き荒れていた風が止んだ。
この痛みより、子の痛みはもっと強い。
大気が吠える。
子に見えない美は無意味。頭を打ち付けると血がしたたり落ちた。子は、知らんうちに、どこか遠い山の向こう、満開の桜の下で幸せに浸っとるはず。この大地のどこかで。なんで、暑苦しい夏が終わるんか。
風が獰猛に壁をゆする。
待っちくれ。紅葉がみんなを喜ばせようとしとる、お陽様、お月様、待っちくれ。
雷は続く。稲光が隙間を照らす。
どの子も白髪が湧くまで生きるつもりでいる。娘たちの肌は美しいままやった。
鏡の魔力はどこ? 火の山の魔力はどこ?
鏡は涙と血で汚れてくすんどる。
心を込めて磨いた後、女は鏡に子供たちの姿が映るかと覗いてみた。
地の底で、赤黒く沸騰する波。それらが怒涛のように吹き出す。
暴風に晒され固まり、半透明になった。誰か、獣のような感嘆の声が、それを持ち上げる。
甘いささやきと叫び声のようなものが聞こえる。
怪しい輝きを放ちながら異形の女や男たちが次々に現れては消える。
見たこともない、柔らかそうな薄物で体を覆っている。冠や首飾りがまばゆい。
腕に、首に、脚に、飾りを巻き付けている。
女は魂を吸い込まれたように見入った。
これが黄泉の国? 私が身代わりに、我が子たちをこの世に送り届けたい。
強い焦りが全身から噴き出した。慟哭が火の山肌にぶつかり、再び遠吠えとなって盆地にこだまする。
夏を終わらせるような夕陽のとき、火口の見張りが走り下りてきた。大きな建物前の地面にひざまずく。「火吹き穴の湯溜まりは変わりなく、葉の色、空の色に光っております! ただ、合間に菊の色と血の色が!」
その声を聴いた女は戸惑った。良い知らせと悪い知らせの前兆だ。
翌日、「女王様!」番人がよく通る声で呼んだ。「弟君と名乗るものがここに!」
弟! 来たんか! よくぞ探し当てた。これが良い知らせ? 私の母と弟の母は憎みあっとった。ばって弟は私より背が高くなるころから、私に優しい目を向けるようになった。水汲みや力仕事、なんでも手伝ってくれるようになっとった。己の母親が追放されたからやという人もいた。ばって弟の目にはまっすぐな愛情を見て取れた。
弟には、産みの母親を思い出させる妖艶な瞬間がある。その刹那が、私は嫌いやった。やけん避けてきた。ばって、もう、許してやろう。
女が侍女に助けられながら立ち上がると、別の侍女二人が引き戸を両側から開いた。まばゆい太陽光が何もない伽藍を照らした。
高床式の階段下に男が立っている。嬉しそうな顔で。
「私の弟や!」女は弟を伽藍に招き入れた。
「ちょうど良いところに来た。これで私は安心して戸を閉めることができる」
弟の晴れやかな顔に緊張の陰が広がる。「どういう意味でしょうか」弟の声にかすかな震えがある。「その額の傷は、Vの傷は」表情は不安げだった。
招きよせてそばに座らせた。弟はよく私の瞳を覗き込みじっと見つめることがあった。今もそうや。
「私に話をしたいものが毎日大勢やってくる。私の代わりに会って話をしてほしい。私は子供たちの命を取り返すことだけに心を向ける」
女は侍女に支えられながら正面の階段の上にいでて立ち、三十の部族のオサたちを集め、弟の声が自分の声だと宣言し、そして戸の内側へと消えた。
なぁ、鏡、子供たちはどこにおるん?
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