第20話 アタシの記憶

「あんたは何者?」由希の全身の産毛が逆立つ。「なんで知ってる?」


「我ら一族で生き続けているのは我のみである。三千年の間、祈ることで臣民を治めている。協力してほしい。現代は、そう命令すべき時代だな。二十一世紀、臣民は総体としてではなく、個として認識されることを要求するからな」


「あったりまえ。私も、個、なの。庶民にだって人格はあるの! 協力たって、死ぬまでの協力なんてできるわけない。だいたい」馬鹿にされないよう、声が甲高くならないようにしようとする心の余裕を見つけた。「あんたどこから来たの? 祈りで国を治めるなんて、お伽話」 こんなこと言ってる場合じゃない、逃げなきゃ。


「秀才や天才たちが」ニニギの左目の下頬が微かに盛り上がった。 「まじめに科学技術を発展させてくれるおかげで益々、上位が豊かな世界になっていく」


「秀才や天才? 人類全体の為に働く人たちをなんだと思ってんの?」なんでカラダが動かない? 緊張してないよっ!


 でも、こいつにアタシが必要ならアタシを傷つけることはない。


「そなたの言う通り、人類の進歩は着実だ。そして皮肉なことに、資本の蓄積も。空間移動が思いのままになったのは十五世紀の大航海時代からだ。懐かしい。移動手段は進歩を続けている。船、それから鉄道、それから飛行機、それから大気圏外。空間移動で資本の蓄積が加速した。十五世紀、熱帯のコショウを北の人間に百倍の値で売った。このパターンは何にでも当てはまる。移動ができる人間なら誰でも気が付く」


「移動できる人間? 農家とか」ママの家系は幕末以降、農業で生計を立ててる。 由希は物心ついたときには農作業を手伝っていた。「赤ちゃんに寄りそう人には、飛び回る生活はできない」

 隣家に赤ちゃんが生まれたとき、そのお母さんがスーパーに行くたび、兄の二歳児をウチで預かっていた。可愛らしかったけど少しでも目を離すと命が危ない、と子供心にもわかった。


「どんな国でも致命的に重要な」ニニギは冷たい声で続ける。「食糧と、次世代の、生産者は底辺に追いやられる。変化への対応が遅れるから」


 二つのビニールハウスと、トラクターなどの農機具置き場が思い出される。田植え機を買ったとき、おじいちゃん、何百万、って言ったっけ? ワシん代じゃぁ元は取れん、由希、大きくなったら頼むよって。


 農家と消費者との間に立つ、賢い人たちは世界を股にかける。離農は進む。私も別の道を歩いてる。おじいちゃん、ごめん。


 ニニギは冷静な目で答えた。「だからどこでも上位一パーセントのために九十九パーセントの人間は無関心でいるように操作されている」


「大衆は無知でいろ、ってこと?」由希の脳裏をママの言葉がかすめた。若いころ、女のくせに勉強なんかしたらヨメの行き先がなくなる、女は可愛げが一番、って、あちこちで言われてたらしい。


「知ることは不幸だ。大衆がおとなしい社会は安定する。暴動もない。その九十九%の人間は安寧に暮らせる。上位一%の生活は見えない。いかに科学技術の恩恵をうけているか」


「科学者は」指導教官が由希の脳裏に浮かぶ。「格差を広げるために努力してるわけじゃない。困っている一人一人の役に立つために研究してる」彼は毎週、日曜の礼拝の後、教会にある孤児院に行き、科学実験を披露し、面白おかしく説明している。


「そなたも科学に寄り道をしているということは人類全体の安寧を願うのであろう。ある惑星の資源を利用し尽くせば次に移る。そういう豊かな時代を人類は作っている。歴史、続く限り。その歴史を永続させるために、祈りの一族、我らの為に火を守るのだ」


「私の反発を買う、って思わないの?」面白いけど。


「そなたの消えた記憶を再生させてあげよう」


「断る」由希は唇を固く閉じた。


「そなたに四週間の猶予を与える。ここを去り九州島に戻るのだ。そなたに、人間に選択肢など、ない」 男はドアを開け、石造りの複雑な建物の闇に消えた。


 由希は全身を固める氷を内から打ち砕きドアに駆け寄った。屋根裏の狭い階段をかけ降りる。公式最上階の迷路のような通路に来ると、夜明けの光が柔らかく洩れ射している。


 十七世紀からあるエレベーターを囲む螺旋階段の突き当りを見渡した。エレベーター、というより昇降機は、箱も外枠も檻のような作りで、柵の向こうでロープが揺れている。

 螺旋階段の柵に両手をかけ、見下ろしたが誰もいない。

 ほの暗い地上階に、箱が留まっているのが確認できた。


 このエレベーターはカゴの中に入ったら自分でロープを引っ張って箱を上下させなければならない。見上げるとロープを吊り下げる大小の滑車が一組、最上階の天井近くで揺れている。

 その二つの滑車のおかげで細腕でも楽に昇降できる。

 天井には穴があり屋根の内側が見えた。


 アイツはあそこから屋根に上がった?

 アイツの気配が無くなると肉親の気配が思い出された。

 おばあちゃんがアタシのために命を? 並行世界、ホントに? 時間を遡らせた、ホントに?

 でもあんな奴にアタシの人生、邪魔されてたまるもんか。


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