第4話 女たちの復讐、その影響は海を超えて
「ニニギ様は故郷であったことがよっぽどこたえてるなぁ」
「力で女たちを支配できたように見えても後に
「ニニギ様は生まれながらの後継者だったのに、父王様が征服した土地の女達が産んだ子らが十五年後、内乱を起こしたもんな。十五歳。娘たちも武術者になっていた」
ヒカルは耳を澄ませた。父親はいろいろ知ってるみたいだ。
「父王様だけでなく、どの兵士も皆、その土地の女を無理やり妻にした。生まれた子らは何も考えない忠実な被征服民になるはずだったんだろ」かすれ声の男は体をボリボリ掻き始めた。
「母親になった女らは」父親の声だ。「従順なふりしながら、周到に準備を進めていたらしい。息子や娘たちに十分な食べ物を与え、武器になり得る物を密かに揃えるために。征服者のために酒を造り、舞ったり歌ったりしながら」
ヒカルは聴いていることを怪しまれないよう、痒い体を掻き始めた。
「だな。あの反乱から千年は経ったように思えねえか」かすれ声はヘビーメタルを歌わせたら絶対、狂信的なファンができそうな声質だ。「昔から海の向こうにあったかい土地があるとは噂になってたろ。漁民が漂流して行っただけじゃねえ、毎度の政争に敗れた者たちもバラバラに小さな船で海を渡って行った。海の
ナガスネや土蜘蛛だ、古事記に出てくる! ヒカルの手が止まる。
「たしかに、海は怖かったな。ニニギ様が海辺に儂ら、父王様の兵士を集め、武器を新たに揃え、船を作らせて、海を渡るなんて聞いたときにゃ、儂は嵐で海に投げ出されるんじゃと覚悟した。船の上じゃぁ、息子を連れてきたことを後悔した」
お父さん、我が子思いのいい人、ヒカルは感謝した。直後に、この人が殺戮した島人たちの顔が次々に浮かんできた。
いい人って、何だ?
「ニニギ様はこの島、大陸の南から流れてきた男たちが支配していると思ってたらしい。だからこれだけの軍を準備したんだろ。大陸の南は文明が相当、進んでるって噂だからな」
「そいつら、組織的に大陸を出航したかもしれんが、ほとんど魚のエサになったんだよ。生き残って一人、浜に打ち上げられた奴もいたろ、そりゃ。ここは美人ばっかじゃねえか、そりゃぁ、安寧に夜が来て朝が来るだけで幸せだなって満足するさ」
お父さんなんてこと言うんだ! どこだって誰だって同じなんだな。それにしても、さっきのドラマが神代記の、あの麗しいシーンの背景か。
背中を掻いていたら余計に痒くなった。うう。爪を鳥のように立て頭頂部を叩いた。いっそのこと、風呂の代わりに全身を、頭のてっぺんから足の裏まで、思いっきり掻くことにしよう。
古事記は神代記だけが好きで繰り返し読んでいた。
古代は、法の支配の概念もない、力が全ての時代のはず。二十世紀でさえ女に選択肢は無かったらしいし。古事記という記録に残すから紳士的な振る舞いをしたって、捏造したと思ってた。
八本の指を見ると、どの爪の先にも垢が詰まっている。
スッキリしたぁ。
緊張が解けた。耳を澄ませながら見張りの兵士たちを観察する。お姉ちゃんを探さないと。と思いながら疲れ切って眠りに落ちた。
朝日が顔に射し目が覚めた。
いつの間にか見張りの兵士たちは交替していた。他の兵士たちは慣れた手つきで足の裏に革を当て、紐で巻き付けている。ヒカルも真似をしながら、改めて革に驚いた。紐だってツルじゃない。革だ。
昨日は夢中で気がつかんかった、同じ時代でも皮のなめし方がこぉんなに違うんだ。文明の度合いが全然、違う。なんでか、簡単な答え。保存できる食料がたくさんあれば、集団の中で分業ができるようになる。
ヒカルはコメが無かった日々を覚えていた。
いや、コメは無かったわけじゃない。水田が無かったんだ。だから、誰もが、生きるのにギリギリの食料を手に入れるだけで一日が終わった。太陽が昇り、太陽が沈むまでの間に全部、済ませなけりゃならなかった。
冬になり干した魚や海藻、栗が無くなる頃、風邪が元になってたくさんの命が失われた。
飢える子供のためにナマコを採ろうと冷たい海に入った父親たちは荒波にのまれ、戻ってこなかった。
人はパンのみにて生きるにあらず、って何千年も前に中東の人が説教できたのは、生物としての欲求だけに二十四時間を支配されない食料を確保できたからだ。富の偏りはすごそうだけど。
コメは一年間、人を死なせずに済む。人が皮を丁寧になめす時間を与える。植物から繊維を取る時間が増えれば、目の細かい布ができる。
コメが与えるそんなゆとりが、階層社会も作るんだ。王と、兵士と、奴隷と。
ヒカルは以前、別の人間として海に近い村にいたころの記憶を辿った。
おれは、そこから、この盆地にやってきて魔力を担当する人間になった。祈りという分業だ。食糧を集めず、耕さず、掃除もせず、片付けもしない、ママの怒鳴り声が聞こえそうだ。そういえばママになったら、原始時代みたいに一人で何でもするんだな、二十一世紀でも。
朝日がまぶしさを増すころ、干したコメが今日一日の食料として全兵士に配られた。ヒカルは一粒を口に含んで噛み続け、周りの様子をうかがいながら残りを胸当てのなかにそっとしまった。
お姉ちゃんはすげぇ腹減ってるはず。
見張りの兵士たちは喋ったり胡坐をかいたりしている。
昨日みたいな緊張が続くわけない。
ヒカルは破壊された塀の外に出た。
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