第3話 言の葉

 


 ニニギは堂々と漆黒の馬に乗ったまま兵士たちの中に分け入り、一つの十人集団の前で止まった。


「第四船軍第二の十人隊! 山の男たちを殲滅させた直後、山の女たちを襲ったな!」長い剣を西日に反射させながら、声のトーンを変え吠えた。「我らの掟を忘れたか! 勝手な真似はするな! 第四船軍第一の十人隊! 第二の十人隊を鞭打ち四十回にせよ!」


 掟を破った十人が広場の中央に連れてこられ、全員の前で裸にされた。


「オレはやってない!」七人が叫び続ける。


「連帯責任だ!」第四船軍の艦長が吠え、第一の十人隊を並べる。うち一人は馬のための鞭を手にしていた。他は落ちている竹槍を拾いに散った。


 ニニギが黒馬を飛び降り、小さな鞍にあぶみが無いことにヒカルは気がついた。


 足先の固定無しであんなに馬に乗りこなせるのかぁ。紀元前だから馬具はこんなもんなんだ。すげぇ太腿の力。


 その支配者がそれぞれの船の艦長と共に、伽藍のある建物の正面扉の前の縁側に上がり仁王立ちした。


 第四船軍の艦長の号令と共に、空気を切り裂く音とうめき声が火の山にもはね返る。そのうめきは山体に吸収されない。村の女子供は集められた場所から、その目にみどりの炎を燃え上がらせ、征服者たちを凝視した。


 罰が終わりに近づいたころ、ヒカルは気が付いた。鞭打ちの数を数えている兵士により数える発音が二種類ある。そのうち一種類はイル、イ、サム。ヒカルに馴染みのイチ、ニィ、サン、に近い。もう一種類は、この体の持ち主の記憶としてあるものだ。ハナ 、トゥル、 セッ。そして地元民が小声で十まで数えて一に戻り、それを繰り返しているのが聞こえる。ひとつ、ふたつ、みっつ……


 鞭打ちの後、十人は縄で縛りあげられた。

「掟に従い、出立日の夜明けに解放する!」ニニギは他の兵士に向き直り、高い縁側から下に降りた。

 そして、上陸した笠沙の岬の近くにあった村から強制的に連れてきた男に、近くに来るようニニギはあごを動かした。


 男は悲しそうな表情で進み出た。ヒカルが乗っ取ったこの体の持ち主はこの、頬骨の高い朴訥な男と仲が良かったようだ。男との会話が脳裏に湧き上がってくる。


 古里は、海岸線が複雑に入り組む豊かな地域さ。

 青い空、輝く海、すぐ先には緑の島々。

 ある早朝、北から、見たこともない武器を持った数百人が襲ってきたんだ。集落を見下ろす丘の上に突然、現れたのさ。弓矢のような武器を、横に、足元に置いてな、両脚を突っ張りながら両腕で引くんだ。おやじたちの弓矢が届くより、ずっとずっと遠く、強く、飛んでな、

 悔しそうに、辛そうに顔を歪ませ継いだ。


 精確に刺さるんだ。奴らは知らない言葉で叫んでいた。

 おふくろは僕と幼い弟妹を舟に乗せたんだ。小島の一つに逃げるつもりで。が、潮の流れが特に速い季節でな。普段なら誰も漁に出ない時期さ。見る見るうちに流され、陸は見えなくなり、大波に飲まれた。


 打ち上げられた浜には僕、一人。その浜で助けてくれた人々の言葉もわからなかった。しかし生きるために必死で覚え、季節を繰り返した。

 少し前には妻も得たんだ。その恩ある村を占領したニニギに、妻の命が引き換えだと脅かされ、行動を共にすることになっちまった。


 ニニギたちの言葉は分かる。が、僕の故郷の言葉よりずっと激しい。


 ニニギは男に、自分の言葉をこの島の言葉で伝えるように命じ、集めた女子供に向かった。「我の母は太陽神だ!」


 この通訳が「親」を「母」に換えたことにヒカルは気がついた。彼の出身地ではそう言うのだ。


 第二外国語で取ったブラジルで使われるポルトガル語授業で、「祖父母は祖母の複数形、両親は父の複数形」って習った。だから、「親」が「母」の言語もあるだろ。ブラポル教授は「女系言語の話者は絶滅するのよねぇ」ってのたまった。

 ホントに駆逐されたんだな。


 侵略者は自分を「天子」って言いたかったんだろうけど。千キロ離れた文明発祥の地に因んで。


 侵略者の王は女たちの間を歩き回った。


 村の女たちは侵略者たちとは違う骨格をしている。浅黒い肌、大きな瞳。意思ある眉をしている。娘たちの母親らは自らの体で我が子らの顔も体も隠そうとした。母親たちと言っても、ヒカルの目にはお姉さん集団にしか見えない。この時代の平均寿命が十五歳だって中学の歴史の先生が言ってた。乳幼児期を生き延びた数字に変えても三十歳を超える人は滅多にいないはず。

 かなりの女たちが背に赤ん坊をツルで括り付けている。


 母親よりずっと背の高い、みめうるわしい乙女が炎の瞳で侵略者の首領を睨みつけていることにヒカルは気が付いた。彼女は以前、ヒカルがこの大きな島の住人の体に移っていたときの姪だ。


 ニニギと目があった瞬間、睨む乙女は歯をむいた。ニニギは兵士たちに向き直り、「我らはこの島々を新たなクニとする! 今後、世々に我らの子孫がこの地に満ちる! そのためには恨みで怨霊を産み落とさせぬ様、我を見習え!」と命令した。「でなければ、これからの歴史が、いつか、失われる!」

「たれの姫か?」ニニギは彼女の憎しみに燃える瞳にまっすぐに近づいた。二つの言葉が分かる男はニニギの言葉を自分の古里の優しいトーンで伝えた。


 乙女はニニギの鋭い細い目に唾を吐いた。身長差にもかかわらず命中した。母親は我が娘が生き延びることだけが願いで間に割り込み答えた。「オホヤマツミノカミの娘で、名前はコノハナサクヤヒメと申します」


 その母親が胸に括り付けた赤ん坊は小さい。生まれて間もないようだ。


 ニニギは母親より近くに進むことなく、率直に打ち明けた。「我はあなたを妻にしたいと思うのだが、あなたの気持ちはどうだろうか?」

 数百の男女が息を殺して耳を澄ませた。乙女は片眉と顔をあげると長身の支配者の顔に再び、唾を吐いた。


 ヒカルは神話が目の前に繰り広げられていることに息をのんだ。

 古事記だ! 読んだのとはちょっと違うけど。


 何でも、記録するときには自分たちのことは美化するよな。古今東西、誰でも、修正、誇張、改ざんする。 それが歴史。


 英語の先生は、歴史と物語が同じ単語だって言った、フランスやイタリアとかいろんな国じゃ。定冠詞と不定冠詞の違い。his story、彼とっての物語。


 ヒカルは目を見開き、耳を澄ました。

 この人がきっかけで代々のオオキミは何百年も生きることができなくなったんだ。で、この人がウミサチ、ヤマサチのお母さんになるのかぁ。ニニギって、古事記で、天上で生まれたばかりなのに下界に降りたことになってる、だから、こんなに若いんだ。


 だよな、高校生前後の年が一番、集中して何でもできるんだ。始皇帝が実権を握ったのが二十二歳だって、中学の先生が言ってた気がする。


 コノハナサクヤヒメは一歩前に出ると素早く、体に括り付けた皮や藤ツル籠の隙間から竹串を抜きニニギの目に突き立てようとした。ニニギは反射的によけ、近衛兵の一人が乙女の腕を掴む。ニニギは近衛兵を制し、乙女の左腕を近衛兵に替わりそっと掴んで竹串を自分の額に向けた。


「この島の男たちは皆、体に模様を刻んでいる。我は王冠を刻む。あなたが戴冠するのだ」そう言うと乙女が握りしめた竹串の先で、自ら、秀でた額にVの傷をつけた。ニニギの白い額に血がにじみ出し、薄い眉から頑丈な顎へとしたたり落ちる。 「あなたが我に戴冠した。古文書で知った、このクニの王冠だ」


 この傷! なんでだ、なんであいつがここにいる? 古文書って、漢書でさえもっと後の時代じゃないか?


 ニニギはその顔を大勢の先住民に向け、大声で言った。「我の故郷よりはるかに先進のクニでは皮膚に印をつけるのは罪人の証明だ」乙女の手首を柔らかく強く掴むと、長い五本の指が南国の花のように開く。竹串を取り上げた。「今後、この島でも顔、体に模様、印をつけることを禁じる」


 ヒカルは体中に模様の刻まれた土偶の写真を思い出した。


 禁じるって、刺青をした年齢の男たちは皆殺ししたじゃないか。ここにいるのは女と子供。今さら。



 その日の残り、この十五歳の体の父親が他の新米とヒカルを呼び出し、剣の使い方を猛特訓した。

「切り返しを踏ん張れ!」

 切り返しって何!

 剣道の授業で聞いた気がする!

「振り回すな! その隙に刺されるぞ!」

 剣道の授業!

「降ろすな! 突け! へそを一撃で! 相手の骨に当たるとお前の動きが一瞬止まるじゃないか! 一対一の戦闘など無い! 一人の相手に手間かけるな! 忘れたのか!」

 心を内側に集中させて知らない少年の記憶を探った。

「右足で攻める! 膝の角度! ケツを落とせ! 踏み込みは低く!」父親のキックがヒカルの膝裏に当たり思い切り尻もちをついた。


 次々に言われてもぉ。

 しかし身体は動き始める。「脇の締め方! へそ下の重心!」

 この十五歳の体は自動的に動いてくれるほど鍛えられている。ヒカル自身も、この技術がサバイバルに絶対必要だと思い、父親の言うことを必死で耳に刻んだ。


「足の幅! つま先の向き! 遅い!」父親の剣がヒカルたち新米の剣を次々に跳ね飛ばす。この熟達者は少年たち各々の胃袋の手前で切っ先を止める。鎖帷子くさりかたびらに近い作りは突きに弱いとヒカルは体で知った。


 遠くに並ぶ山々の影に陽が落ちた。空が赤く染まり、やっと特訓が終わった。


 でもさ、目の前の敵を倒すと、二十一世紀のおれは遺伝子の繋がりとかで存在できなくなるんじゃないか? 生き延びれるのか? 全然自信ないよぉ。お姉ちゃぁん。

 夜の闇に紛れてヒカルは外に出るつもりだった。が、疲労が怒涛のように押し寄せてくる。

 みんな疲れてんだろうに兜を取らない、なんでだ、重いよ。


 兵士を見張る兵士があちこちに配置されている。


 これ以上動くと怪しまれる、と心の隅で言い訳をした。夜になっても闇ではなく、満月が煌々と辺りを照らし明るい。言い訳する自分が嫌だけれどもあんな戦闘をやったうえに特訓までやったんだ、これ以上、体が動かん。


 ヒカルは月明かりの元、父親を見つけ、その近くに他の兵士らと並ぶと地面に腰を下ろした。回りの兵士の真似をしてやっと兜を外した。長い髪に混じって汗とホコリと垢が兜の内側と首の周りから噴火してヒカルの鼻に押し寄せる。


 うっわ、くっせぇ! シャワー浴びてぇ! アラル海に、この時代のに、飛び込みてぇ! この臭いに比べれば中学の体育でかぶったメンの臭いはメロンの香りだ、メロン喰いてぇ。


 兜を思わず両手で抱えたまま遠ざけながら、自分の顔はいったい、どんななんだろう、と思った。髪を解くと腰より長い。


 わぁ、すげぇ長い髪。ちょんまげ結っても余りそう。男の髪は短く、って、いつ、どこで始まった文化なんかな? 古代ローマか? 刃物で髪、切るの、難しい。

 鏡、見たい。この時代に鏡を持ってるのは支配者だけ。その中でも特別な鏡のために、お姉ちゃんとおれはここに来たんだ。


 ニニギが伽藍に入ってしまった。鏡に気が付いてないといいけど。ニニギは先進国から来た支配者だから鏡、見たことあるんだろうな。なんか不思議だ、人口の大部分は自分の顔を知らないなんて。いや、水に映れば自分が分かるよな、たとえナルシスの時代でも。どっかに水、ないかな。


 おれ、背は高いようだ。こんながっしりした体は二十一世紀の十五歳には珍しいだろな。この時代にヤワな体はありえないんだろな。


 肩や腕を触ってナルシストになった。生まれて初めて。

 自分が十五歳だったときを思い出した。手を頭のてっぺんに当ててみる。中学卒業まで身長百六十センチを超えなくてコンプレックスだった。


 自分の二の腕に惚れ惚れしていて、別の意味でクラクラした。両脇の臭いを嗅いでいると、後ろにいるあの父親の声が聞こえた。


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