第6話 二年前・由希とネコとの出会い

 


「言い伝えやと鏡は遠くにあるという火の山の力で魔力ば増す。取り返さんと」村人の一人が言った。


「誰が追いかける?」輪になった年長者たちの中で最も年老いた男が、一人一人の目を見ながら問いかけた。


「この集落を出て生きてはいけん。毒蜂がどこにでんおる。わしはまだ死にとうない、一番下の子は生まれたばかりやけ。ウメ、モモ、アンズ、ビワ食うしかない旅に出たらいちころやし」若くて元気な男が即座に反応した。

「生の青い実やタネを避ければいいとばい」別の年長者が強く言った。


「わしが追いかけます!」


 由希が輪の後ろから名乗り出た。「わしん姉ですから」村人たちの表情に安どのさざなみが浮かんだ。

 ウメ、モモ、アンズ、ビワ、全部、バラ科植物。その青酸配糖体と蜂、アタシも気を付けます。


 由希が村を出て心配する者はいない。南に向かって歩き始めた。日にちを数えるために柔らかいツルを探した。

 毎朝、目が覚めたら結び目を一つ結ぼう。


 最初の夜のとばりが降りた。火の玉のようなものがたくさん見える。宗像大社にいた赤い玉とは違う魂。ここでは鮮やかに輝いている。生きている。


 夜が明け、ホッとした。心が緩んだ瞬間、背後で、遠く、藪が動く音がした。

 耳を澄ますとその音が物凄い速さで近づいて来る。

 反射的に由希も走り出した、藪を飛び越えながら。

 正面に太い幹が見え、そこに向かって右足裏を激しく当て、その反動で両腕を頭上の太枝に巻き付けた。

 腹筋で両足を宙に上げた直後、動物が幹に激突した。


 イノシシ! でかい!

 イノシシは激突の衝撃など無かったかのように、太い幹の根元をよじ登ろうと前足を必死で振り回している。

 由希は無我夢中で先ずは片脚をその太枝にかけ枝の上に全身を載せた。


 そこに別の動物が音もなく現れイノシシに猛然と襲いかかった。


 ネコ? デカすぎるけど? いつのまに?


 無音の柔らかい動物は、ほどなくイノシシの餌食になった。


 どこからか子供のイノシシが四頭出てきて夢中で獲物に食らいつき始めた。


 イノシシって草食じゃなかったっけ? 冬眠開けでお腹すいてると何でも食べる? アタシをエサに使用としてた? こえぇ。


 そのときミャァ、という柔らかい声が由希の足の近くから聞こえた。態勢を変え、幹の向こうに視線をやると、洞がある。そっと覗き込むと小さな、白い動物の大きな瞳が二つ、じっと由希を見つめている。


 おいで……優しく声をかけながら右手を差し出した。


 ニャァ、もう一度、その子供は鳴いて洞の出口まで、そっと近寄ってきた。枝の上を不安そうに歩く。どう見ても子猫。下を覗き込み、イノシシ家族が去って行くのを待っているようだった。


 あの動物はアンタのママ?


 由希も下を見た。あっという間に、ほとんど骨になってしまったその体は一メートル以上ある。頭からしっぽの先までならもっとある。


 ツシマヤマネコならきいたことあるけど?


 もう一度、その、親を失った子猫を見た。


 鼻先だけ黒いのね! おいで……


 ほとんど白で、ところどころ黒毛の子猫は用心深く、由希の指先の匂いを嗅ぎ、次にそっと舐めた。しばらく由希を見つめると、嬉しそうな眼をした、と思った。ふわふわの頬を由希の手の平に着け、乗りこむ。由希はゆっくり肘を曲げた。野生動物でも子供は甘い香りがする。


 わぁ柔らかい! モフモフ! 鼻だけ黒いからアンタの名前はハナクロ。

 手の平に乗った赤ちゃんを懐に入れると辺りを見回し、耳を澄ませ、木を降りた。

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