第10話 お出かけ
土曜日はあっという間にきた。本を買いに行くだけなので準備はすぐにできたのだが、初音は洗面台の鏡の前で「うーん」と唸っている。
「何が気になるんだ」
「この服装がどうも慣れなくて……吉原ではずっと振袖でしたし、ここに来てからは部屋着でいることが多かったので……自分から頼んでおいてすみません」
初音は現代の服装に詳しくないため俺が白のTシャツと黒のデニムパンツを選んだ。正直、俺のような陰キャが女子の服をコーディネートするなど違和感しかないがこればかりは仕方がない。
そもそも初音の服は数が少ないのでバリエーションは限られる。その中で無難な組み合わせにしたつもりだ。
「髪は編み込みした方がいいぞ。もしくは帽子被るか。そのままだと目立つ」
「私の髪、そんなに目立ちます?」
「髪長いからな。腰まで伸びてる奴そういない」
それに褒めるわけではないが、初音は顔が整ってるからそのまま外に出たら注目されるだろう。そうなったら初音のメンタルが持つかどうか。帽子を被っておけば顔が見えづらくなるし熱中症対策にもなる。実際に被せてみると案外さまになっている。
「女性は皆このような格好をするのですか?」
「個人差はあるな。女子はスカートのイメージが強いけど、こういうボーイッシュな感じのも多いと思う」
「個人差があることしかわかりません」
どうやらファッション系の単語には
玄関のドアを開けると空は雲一つない快晴だった。そろそろ行くぞ、と言おうとして後ろを向くと、初音の表情は外の天気とは対照的に曇っている。
「どうした。具合でも悪いか」
俺が訊くと初音はかぶりを振る。
「長く外に出ていなかったので少し緊張するといいますか……ちょっと待ってくださいね」
初音はそう言って深呼吸する。彼女は現代に来てから一度しか外出していない。しかも吉原とまったく違う環境となれば緊張するのも当然か。
「無理はしなくていいぞ」
なるべく初音の意志を尊重したいのでとやかく言うつもりはない。一分ほどしてなんとか玄関を出たが表情はまだ強張っている。
「大丈夫か?」
「はい」
初音はそう言って頷いたがどこまで本当かわからない。今まで初音と接してきてわかったことだが彼女は結構強がりだ。負けず嫌いというべきか。
江戸時代は戦争はなかったとはいえ、吉原遊郭はある意味戦いの場だからな。負けず嫌いの性格は必然的に培われたのだろう。
ドアの鍵を閉めて俺は手を差し出した。初音は意味がわからないのか、きょとんとしている。
「はぐれたら面倒だからな。嫌ならいい」
俺の言葉で初音はようやく理解したらしく、躊躇うことなく俺の手を強く握った。
「蒼太さんって意外と積極的なんですね」
「積極的というか、これしか思いつかなかったんだよ。マジではぐれたとき連絡手段ないし」
異性と手を繋ぐのがまったく恥ずかしくないと言えば嘘になる。ただ、こうでもしないと本当にはぐれるかもしれない。スマホがあればいいのだが、そもそも初音はスマホの使い方を知らないし、アプリとかWi-Fiなんて言われてもちんぷんかんぷんだろう。
俺の返答に初音はつまらなそうな顔をした。何が気に入らないんだ。
やはり休みとあって外は多くの人が行き
「人の数がすごいですね。実里さんと百貨店に行ったときと比較になりません」
確かに人は多いが人口密度は低い。満員電車なんか地獄だぞ。
「これでもまだマシな方だぜ。車のクラスションはかなりうるさいけどな」
「蒼太さんはこういうの平気なんですか?」
「そりゃ慣れてるから」
まあ初音の気持ちはわかる。音の大きさは間違いなく騒音レベルだし慣れてるとは言ったが不快であることに変わりはない。だから家の方が居心地は良い。
「ところで蒼太さんが向かっている書店はどこなんです? 周りを見る限り書店らしきところは見当たりませんけど」
「百貨店。多分お前が行ったところと同じだ。三階に書店があるんだ」
学校の通学路にも書店はあるけど知っている生徒と鉢合わせする可能性がある。初音と会った日は確か吉野がいたな。
とにかく、同じ学校の生徒に初音の存在を知られると面倒なことになる。事情を説明しても信用する奴は絶対にいない。
百貨店に着き、エスカレーターで三階まで上がる。初音は手すりにつかまりながら興奮気味に言った。
「久しぶりに乗りましたけどやっぱりすごいですね。手妻師が見たらきっと驚きますよ」
言葉のニュアンス的に手品師のことだろう。俺は「そうかもな」と適当に返した。
てか、今更気付いたけど俺と初音はお互い手を握ったままだ。後ろに乗っている女性客が笑みを浮かべている。おそらく兄妹と勘違いしているのだろう。別に知り合いではないので誤解されても構わない。否定したら初音に申し訳ないしな。ただずっと握っているわけにもいかない。
「初音。そろそろ手を離してもいいか。もう緊張は解けただろ」
「え? ……あ、は、はい。握ってたのすっかり忘れてました」
そう言って、初音は慌てて手を離した。それからグーパーグーパーを何度か繰り返す。何やってんだこいつは。
店内に入ると客は学生や社会人、親子連れなど年齢層は幅広かった。初音は周りを見回しながら訊いてきた。
「蒼太さんの言う漫画とやらはどこにあるんですか? 私が知っている漫画は『北斎漫画』だけなんですけど」
「……北斎って、あの葛飾北斎?」
「ほかに誰がいるんですか」
葛飾北斎の作品は富士山のなんだっけ……思い出した『富嶽三十六景』だ。それしか知らない。
「その北斎漫画ってセリフとかあるのか?」
「セリフ? 私が覚えている限りそういうのはなかったです」
今でいう絵本みたいなもんか。でも北斎のイメージ変わるなぁ。
俺は初音を漫画コーナーに案内してから適当に一冊手に取った。表紙はシャーロックホームズの格好をした小さな名探偵だ。
「これが現代の漫画。お前の言う漫画とは全然違う」
「へぇ。表紙は浮世絵じゃないんですね」
「……コメディーなら浮世絵もありだと思う」
「こめでぃ?」
「ああ。落語みたいなもんだよ」
実際の落語は見たことないけどイメージ的にそうじゃねぇかな。つーか、浮世絵の表紙の漫画ってあるのだろうか。あっても需要はなさそうだけど……。
ミステリー作品はグロテスクな描写が多いから初音には刺激が強すぎるかもしれない。特にコナンの第一話はマジでトラウマになった。原作の方な。
初音が居候して一週間ぐらいのときは「現代語の習得に役立つかも」なんて思っていたがもはやその必要性はない。それよりは娯楽として楽しめるかどうかで選んだ方がいい。となると江戸が舞台の作品がわかりやすいか。
ふと、初音が一冊手に取った。表紙には花魁が描かれている。
「それ欲しいのか?」
「いえ、表紙を見たときに私が
「花魁にはなる予定だったんだよな」
「はい。……正直、花魁にはなれなくてもよかったんですけどね」
「え」
意外な言葉に思わず間の抜けた声が出た。近くにいた数人の客が俺に視線を向ける。俺は適当に笑ってごまかした。発言の意図が気になるがそれは後で訊けばいい。
「蒼太さん」
「なんだ?」
「本の代金はどうするんですか? 私お金持ってませんよ」
一番重要なことを忘れていた。予算は決めてないけど買い物はあまりしないので貯金はそこそこある。働いている学生に比べれば額はたかが知れてるがな……。
漫画はジャンルや出版社によるけど安いやつなら五百円程度で売っている。二千円以内に抑えるなら上手く選べば四冊は買えるだろう。
「お金は俺がどうにかするから問題ない。だから好きなやつ選べ……四冊までな」
「そんなに選んでいいんですか? 別に一冊でもいいですよ」
「それはさすがに少なすぎるだろ。小説と違って漫画はすぐ読み切れるぞ」
「だったらまた読みます」
「何度も同じ本読んでたら飽きるんじゃないか? まあお前が一冊でいいならそれでもいいけどさ」
俺に気を遣っているのかただ単に欲がないだけか。初音は両方ありえるな。
「そういえば、蒼太さんは自分の分買わないんですか?」
「俺はいいよ。特に欲しいやつないし」
「そうなんですか? 『漫画でも買ってくる』って言ってたからてっきり欲しい本があるのかと思ってたんですけど」
「あれ、そうだっけ?」
「そうですよ。その後に『何か希望があるなら教えてくれ』って……覚えてないんですか?」
俺はバツが悪くなって視線を逸らした。よく覚えてるな。
「あれはお前の暇つぶしになるやつを買おうと思って言ったんだよ。何もせずにボーッとしてても退屈だろ」
「それは……」
今度は初音が視線を逸らす。……なんか俺と初音の行動パターン似てるような気がする。その気になれば非言語コミュニケーションができるかもしれない。初音はひとつひとつ表紙を見て熟考する。その末に選んだのはなんと『時をかける少女』だった。
「……お前、ピッタリなやつ選んだな」
「どういう意味です?」
「読めばわかるさ」
初音の場合「時をかけた」というより「時を超えた」だけど時間移動したという意味では同じだ。
裏表紙を見ると値段とその横に『+税』の文字。符号がマイナスだったら個人的に嬉しんだけどな。
とは言っても、買い物としてはかなり安い方だし気にするほどでもない。会計を済ませて書店を出ると俺は一旦足を止めた。
「どうする。このまま帰るか?」
「私はどちらでも構いませんけど……蒼太さんはほかに行きたい場所があるんですか?」
「俺はないよ。ただ、せっかくの機会だしお前に現代の文化とか、まだ知らないものを見せてやろうと思って」
ただの気まぐれなので別に断わられてもいい、そう思って提案したのだが初音はすぐ乗り気になった。相変わらず単純な奴だ……。
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