第8話 二人きりの休日

 日曜日。普段は惰眠だみんむさぼっているが、母さんから初音の相手をしてあげてくれと口酸っぱく言われている。別にやることもないので引き受けた。というより引き受けるしかなかった。ほかにやる奴いないからな。

 ちなみに初音は俺が渡した知恵の輪に苦戦していた。たまには暇つぶしにちょうどいいだろうと思って渡したのだがもう十分以上経っている。

 

「これ、本当に外れるんですか?」

「お前が下手すぎるんだ。ちょっと貸してみろ」


 俺は初見で一分ほどかかったが、何度もやっていると秒単位で終わる。実際、外すのに三十秒どころか五秒もかからなかった。


「ほらな。お前が下手なんだって」


 あまりにも一瞬の出来事に初音はぽかんとしている。


「おい、大丈夫か」

「……もう一回」

「え?」

「もう一回見せてください。というか、外し方を教えてください」

「いや、教えたら意味ないだろ」


 あらかじめ答えを知っている状態で推理ゲームをするようなものだ。何が楽しいんだ。


「私は外したときの達成感を味わえたらそれでいいんです」

「ああ。そういうこと」 

 

 ただ、この知恵の輪、俺が持ってる中で一番簡単なやつだ。素人でもすぐに外せるはずなんだけどな……。


「あれ? これどうやって戻すんですか?」


 カチャカチャと音を鳴らしながら、今度は輪を取り付けることに苦戦していた。

 

「……私って能無しなんでしょうか」

「たかが知恵の輪で落ち込むなよ」


 結局、俺が教えても外すには五分ほどかかった。達成感なんてありゃしない。


「それはそうですけど、ここまでできないとは思わなかったんです」


 そう言って、初音はがくりと項垂うなだれた。こういうときに「頑張ればできる」なんてのは逆効果だ。どこにも根拠がないし無責任すぎる。かと言って放置するわけにもいかない。


「誰だって得意不得意はある。俺は楽器全然弾けないし、人と会話するのもあんまり得意じゃない。お前は楽器弾けるだろ。客と話すのも得意だろ」

「得意でなければ話になりません」

「……だよな」


 それが仕事だから当然か。


「まあ、なんつーか、自分を見下みくだしても仕方ないというか辛いだけだぜ」

「……蒼太さん、さっき『俺は楽器が全然弾けない』とか『人と話すのが得意じゃない』って言ってませんでした? 思いっきり自分を見下してません?」

「いや、それは……」

「矛盾してますよね」


 まるで人が変わったかのように目つきが鋭くなった。なんで俺が追い込まれてんの? 


「それは例えで言っただけで深い意味はない」

「そうですか……」


 マジで怖ぇなこいつ。


「でも、蒼太さんの言いたいことはわかります」

「え、あ、そう」


 いきなり肯定されて思わず取り乱してしまった。

 

「自分を卑下ひげしてばかりいてもいいことはありませんし、周りにも迷惑がかかりますからね」

「それは人に気を遣わせるから、って意味でか」

「はい。私はすでに迷惑をかけてしまってますけど」

「誰に?」

「蒼太さんと実里さんです」


 俺は内心でため息をついた。まだ気にしてんのか。


「あのな、迷惑だと思ってたらとっくにお前を追い出してる」

「わかってます。だから実里さんには本当に感謝していますし、少しずつでも恩を返したいと思ってます。もちろん、蒼太さんにも感謝してますよ」

「俺、お前に感謝されることしたか?」

「初めて私と会ったとき、訝しげな顔してたのに、私をここに居させてくれたじゃないですか。それがなければ居候なんてできなかった」


 そう言って、俺の目を見据える。確かに明らか怪しかったが、あのときは追い出すことよりも警察に連絡するか否かで迷っていた。まあ、連絡してたら逆に俺が怪しまれてたと思う。振袖を着た女子が不法侵入なんて現実味のない証言を信じる奴はまずいない。そんなことを考えていると、俺はあることを思い出した。

 

「そういや、俺が吉原に戻りたいかどうか訊いたとき、お前『ひかす』とか言ってなかったっけ」

「ひかす?」

「記憶が曖昧なんだけど、あ、『ひかされてもないのに』だったかな」

「もしかして、落籍らくせきのことですか?」

「何だそれ」 

身請みうけのことです。『落籍ひかす』と言うこともありますけど、蒼太さんが聞いたのは多分それです」


 なんで言い方が三つもあるのだろう。せめてひとつに統一してほしい。


「身請けされたら吉原を出れるのか」

「ええ。でも、そんな簡単ではありませんよ。遊女にもよりますけど、大見世のお職ぐらいになると身請けには一千両はいると思います」


 改めて時代の壁を感じる。単位が違うからどれくらい高いかマジでわかんねぇ。調べらればいい話だがなんかめんどい。多分、一億とか二億ぐらいだろうか。


「結局は年季が明けるまで地道に働くしかないってことか」

「そうですね。無理に大門を抜けても、見つかれば折檻せっかんされるでしょうから、おとなしくするしかありません」

「折檻……」


 容赦ねぇな吉原遊郭。てか、初音の場合はどうなるんだ? 話が本当なら過去に戻ったときに初音の身が危ないと思うんだが……。というか、それ以前に過去に戻れるかどうかまだわからない。過去のタイムスリップは未来よりも難しいからすぐに結論は出ないだろう。

 

 初音は少し不安そうな表情をしている。もしものことを考えているのかもしれない。現代に居る限り大丈夫、と言いたいところだが現代でもトラブルは普通にあるから油断はできない。


 話すことがなくなりお互い無言になる。部屋に戻ろうかと思ったが初音をひとりにさせるのは躊躇ためらいがある。吉原に居たときは見世の人がいただろうけど、家だと平日は俺が学校から帰ってくるまでひとりで過ごしている。さびしくないわけがない。


「蒼太さん」

「なんだ」

「仮にですよ。過去に戻る方法が見つかったとして、その、なんというのでしょう。例えば五日前に戻りたいとして、本当に五日前に戻ることはできるのでしょうか」


 今のはトートロジーか? 言い方がややこしいが伝えたいことはなんとなくわかった。


「要は戻りたい日にちゃんとタイムスリップできるか知りたいんだろ」

「そうです! そういうことです」


 初音は大きく頷いた。それは考えたことがなかった。かなり極端だけど二百年前に戻りたかったのになぜか三百年前にタイムスリップしてしまった、なんてことになったら洒落にならない。あの猫型ロボットのタイムマシンみたいに日時を指定できればいいんだが……。それに場所も問題だ。何もない無人島だったら絶望しかない。


「俺からはなんともいえない。でもまあ、かなり難しいと思う」

「そんなに難しいんですか。じゃあ、私が吉原からこの現代に来ているのは、それほど珍しいことではない?」

「アホか。充分珍しいわ」


 珍しいとか言うレベルじゃない。本来はありえないことだ。


「よく考えてみろよ。自分の居ない間に部屋のベッドに知らない女が寝てたとか、そんなことがしょっちゅうあったら安心して寝れねぇよ」

「それはまあ、そうですね……」


 初音は苦笑して言った。電気をけなければ完全にホラーだ。ふと時計を見ると、時刻は正午を過ぎていた。初音も時計に目をやる。


「もうこんな時間ですか。お腹が減ってきました」

「じゃあ、コンビニでサラダでも買ってくる」

「健康志向ですね」

「お前はカロリー高めの弁当な」

「私を太らせる気ですか」


 もはや、今の初音が現代人にしか見えなくなった。普通、江戸時代の人間とこんな会話はできない。どれだけ説明しても、初音が吉原遊郭に住んでいたと信じる奴はいないだろう。……とりあえずコンビニ行くか。

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