第7話 夕食作り
吉原遊郭の高級遊女である花魁は、容貌が美しいのはもちろんのこと、達筆であり、三味線や
ここまでハイスペックなら弱点はない、と思いそうだが完璧な人間はいない。花魁にも苦手なことはある。家事全般だ。
「夕食はどうしましょう。冷蔵庫に食材はいくつかありましたけど……」
初音は花魁ではないが、突き出し(花魁としてデビューすること)を控えていたらしいからスペックは高いはずだ。今のところ「さすがだな」と思うような活躍はできていないが……。
「米は炊けるけど、本格的な料理はしたことないな」
「でも、私と最初に会ったときカレーを作ってましたよね」
「あれはレトルトだからできたんだよ。てか、カレー覚えてたんだな。食ったのもう一週間前だぜ」
「私の中では印象が強かったんです。洋食料理は食べたことありませんでしたから」
「そうか」
洋食に慣れているからか、俺にはあまりピンとこない。
「南蛮菓子は食べたことありますけど。カステイラとか」
「南蛮菓子って長崎でしか食べられないんじゃなかったっけ……客が持ってきたやつか」
「そうです」
興味深い話ではあるが、このままだと本筋から外れそうなので夕食に話を戻す。
「献立はどうすっかな」
「蒼太さんは料理どこまで作れんです?」
「味噌汁と肉じゃがはギリいけると思う。ほかは厳しいけど、家庭科の授業で調理実習は何度かしたから、作れないこともない」
「後半はよくわかりませんでしたが、信頼していいんですね」
「信頼するしないは勝手だけど、あまり期待はするなよ」
とにかく献立はご飯、味噌汁、肉じゃがでいこう。ご飯はいい。味噌汁もおそらく大丈夫だ。問題は肉じゃがだ。
「蒼太さん、私に手伝えることあります?」
「ない」
「そんなにはっきり言わなくてもいいじゃないですか」
「じゃあ訊くけど、お前、吉原で料理したことあるのか」
「……それは」
初音はバツが悪そうに視線を逸らす。どうやら料理の経験はないらしい。
「私はお客様をもてなすのが仕事ですから……で、でも、居候している身としては少しでも役に立ちたいんです」
気持ちはわからなくもないが初音は不安要素が多い。ただまあ、米を研ぐぐらいはできるだろう。怪我する心配もないし。
俺は初音とキッチンに向かった。調理器具と材料を取り出して準備を整える。しかし、家でエプロン着けるのは何年ぶりだろう。前に着けたのがいつだったかすら覚えていない。初音もエプロンを着けてキッチンに立った。
「そんじゃ、始めるか」
「はい」
手を洗い、まずは米の研ぎ方を初音に教える。俺は人に教えるのはあまり得意な方ではないが、やることはシンプルなので簡単な説明でどうにかなる。
「米を研ぐときは力を入れすぎない。軽くかき混ぜるぐらいでいい」
「こうですか?」
「ああ。その調子でいい」
初音は
「まだ水が濁ってますよ」
「透明になるまで研がなくてもいい。つけおきは一応しとくか」
「炊飯器にはまだ入れないんですね」
「三十分くらい
これで米は完了。初音の出番はここまでだ。
「あとは全部俺がやる。包丁使うから」
「包丁!? 危ないじゃないですか!」
「だから俺がやるんだよ。お前が使ったらキッチンが血の海になる」
かく言う俺も包丁は使い慣れていない。初音がキッチンを出た後、俺は怪我に気を付けながら材料を切る作業に入った。料理って結構大変だな。結局、料理が完成するまでに一時間以上を要した。
「……疲れた」
「蒼太さん、お疲れ様です」
初音が水を持ってきて俺に渡して来た。礼をして一気に飲み干す。
「これを毎日するのはキツイ」
「実里さんは毎朝しているんですよ。すごいですよね」
「そうだな」
俺は椅子に座り直し、いただきます、とまずは味噌汁から。やけどをしないようにそっと
「……味がない」
加熱時間が長すぎたか。味噌を入れるタイミングも原因にあるかもしれない。インスタントの方が断然マシだ。初音を見ると肉じゃがから食べ始めていた。じゃがいもが煮崩れして食べずとも失敗しているのは明らかだ。
「味はどうだ?」
「お、美味しいですよ」
無理をしているのがバレバレだ。ごまかすぐらいなら最初から本音を言ってほしい。
「気を使わなくていい。本音が聞きたい」
「マズくはないんですけど、食感がちょっと……私には合いません」
食感か。俺もじゃがいもを口に運ぶ。
「ダメだな」
食べられないことはないが食が進まない。残すはご飯だ。
見た目はふっくらして美味そうだが、食べてみるまではわからない。俺は水で口直しをしてからご飯を口に運んだ。
「……美味い」
めっちゃ美味いというほどではないが食べるには充分な味だ。食感も硬すぎず、やわらかすぎずでちょうどいい。初音もご飯を口に運ぶ。
「……美味しい」
初音は気に入ったらしく、ご満悦と言った表情。味噌汁と肉じゃがは残念な結果になったが、まだ食べられる状態だったのは救いだ。
「私の研ぎ方が良かったからですね」
「俺の教え方が上手かったからだろ」
「それはだじゃれですか?」
「『上手い』と『美味い』をかけたつもりはない」
「冗談ですよ……蒼太さん」
「なんだ」
「私、お役に立てました? 夕食作り」
お米を研いだだけですけど、と自虐的に言う。初音がキッチンにいた時間は五分ぐらいだったが俺の作業量が減ったのは事実。研いだだけとは言っても初めてにしては良かったんじゃないだろうか。
「まあ、少しは役に立ったよ」
「ホントですか!!」
「ただし、次からはお前一人でやってもらう。俺は一切手伝わない」
初音の表情が笑顔から一転して厳しくなった。こいつはどうも人に甘える傾向がある。俺と同い年なのに……いや、江戸時代は確か数え年だから満年齢だと十六。誕生日を迎えていなければ十五だ。
「……なぁ、話逸れるけど、お前、俺と初めて会ったとき十七って言ってたよな」
「え? はい。そうですけど」
「満年齢は知ってるか?」
「いえ、初めて聞きました」
じゃあ、俺の一つ下だ。だからと言って何かあるわけではないが。
「私の年齢がどうしたんです? 別にごまかしてはいませんよ」
「それはわかってる。お前が年下か確認したかっただけだ」
「そういえば、私、蒼太さんの年齢知らないんでした。いくつなんですか」
「十八」
満年齢で答えたら同い年と勘違いされる。というか、生年月日だけで計算したら初音が二百歳ぐらい年上になるな。人間って二百年も生きられるのだろうか……ま、いいか。
「……ごちそうさまでした」
夕食をすべて平らげ、初音は「ふぅ」と息を吐く。
「今日のご飯は今までで一番美味しかったです」
「ご飯だけはな。味噌汁と肉じゃがは失敗だった」
「味はマズくありませんでしたから、気にしなくてもいいと思いますよ。見世の食事は本当にマズかったです」
「江戸時代の料理と比較しても意味ねぇよ」
当時の食材で作ったら食べることすらできなかっただろう。それこそ、ダークマターのようなおぞましいものが……想像しただけでゾッとする。
「私も料理できたら少しは女子力上がりますかね」
「……どこでそんな言葉覚えた」
「実里さんから」
「余計なことを……」
帰ってきたら文句言ってやる。
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