第4話

「こいつが勇者!?」


 猛はすっとんきょうな声で言う。そして辰彦と顔を見合わせた後、双方ともに突然噴き出し大笑いした。


「ど、どうしたんですか二人とも」


 しかし彼らはミイの言葉を無視してひたすら腹を抱えた。


「神さまだか何だか知らねえけどよ」


「見る目なさすぎだろ」


 宙太は今にも消えさりたい羞恥心にかられた。自分があの勇者だなんていわれて実感があるはずないし、自分は普通の人間でしかない、と彼は思っていた。


「おい勇者様、早く俺たちを帰してください」


 猛が強めに宙太の肩を叩く。すると今度は辰彦までがそれに加わる。


「おら勇者様なら簡単だろ」


 もはや殴るの域までにエスカレートしていった。


「ちょっと、そんなことしたら痛いでしょ」


 カーラが止めに入る。


「冗談でしょこんなの」


 そう言って不服そうな顔を猛は浮かべた。まるで教師にでも怒られたかのようである。


「それより、僕が勇者とかどういうことですか」


 しかし沈黙だけが返ってきた。その時、またも猛たちが笑い声をあげる。


「僕が勇者とか、だってよ」


「なに真に受けてんだよ」


 宙太はまた顔を赤くした。確かに彼らの言う通り自分が勇者だなんておこがましい、と彼は思った。


「なんで笑うんですか」


 そう言ったのはミイだった。宙太は思わず視線を向ける。


「勇者だなんて、すごいですよ!だって、あの勇者様だよ!」


 興奮を隠しきれない様子だった。それを見て猛は苦笑する。


「何言ってんの。こんなのが勇者なわけないじゃん」


「運動もできない、勉強もできない、何の才能もない」


「性格は暗いしつまんないし」


「友達すらいないもんな」


 普遍の真理を言ったというような顔で猛と辰彦はここで三度目の爆笑をした。宙太は目に涙が溜まりそうになる。


「友達って、二人はそうじゃないんですか?」


 ミイが怪訝けげんそうに尋ねる。これを受けて猛は、


「違う違う。こいつはただの、まあ、子分ってとこかな」


 と答えた。


「奴隷のほうがいいんじゃね」


 さらに辰彦がこう言って含み笑いした。おお、それそれ、と猛も同調する。宙太は返す言葉もなかった。


「まあ確かに、この子が本当に勇者なの?」


 カーラは興味深げに宙太をのぞき込む。なにやら品定めしている目つきだった。


「ヘビナ様がいったんですから間違いないと思いますけど」


「本当にヘビナ様だったのかねえ」


 疑わしそうにそうもらし、カーラは宙太たちを見据みすえた。


「というわけで、あなたたちが元の世界に戻る方法は分かりません」


「ちょっとそれはないっしょ!」


「もう1回占ってくださいよ!」


「そうしたいのはやまやまなんだけど、見て」


 宙太が持っていた水晶玉は粉々に砕けていた。


「神様パワーで壊れちゃったみたい」


 カーラは肩をすくめる。そして水晶の破片をゆっくりと回収した。


「すみません」


 自分のせいだと思い宙太は謝った。


「いやいや、君のせいじゃないって」


 そう言ってカーラはほほ笑んだ。優しい人だ、と宙太は感じた。


「じゃあ取りあえず村長さんのところに戻りませんか。勇者様が降臨なさったことを伝えましょう」


 ミイはひとり家を飛び出した。仕方なしに宙太たち三人もあとに続く。

 村長のところに着くと、彼は大声を上げて指差した。


「誰が勇者様なのだ」


「この方です」


 ミイは宙太のことを紹介する。宙太はただ恐縮するばかりだった。


「勇者様、どうかこの世界をお救いください」


 村長は膝をついて懇願し始めた。何が何だかわからず宙太は困惑した。それが伝わったのかミイが身を乗り出して


「私から説明しますね」


 と言った。猛と辰彦は完全に蚊帳かやの外となっていた。


「実は私たちの世界、この星エトーは魔族に支配されています」


「皆さんも魔物を見ましたよね。あのように私たち人間の脅威となっているのです」


 それを聞いて、宙太はますますマンガのような展開だと思った。しかし、その勇者という主人公が自分だということを除けば、なんて胸躍らせるのだろうと考えていた。

 彼は元いた世界に、家族という多少の未練があるが、愛着などなかった。現実という世界から逃れたいと常日頃から願っていた宙太にとって、異世界を受け入れるのは容易たやすかった。


「私たちの世界には一つの伝承があります」


 ミイはそう言って一息ついた。そして宙太を見つめ、わずかながらほほ笑んだ。


「魔族の闇にとらわれた時、光の勇者が降臨する」


「そして今、ヘビナ様が認めた勇者様が私たちの目の前にいる」


「これぞ運命の導きです!」


 熱っぽく語り終えたミイに対し、宙太は何を言えばいいのか分からなかった。 

 

「おいおい、そんなことより俺らの帰り方!」


 これまで黙っていた猛がそう怒鳴る。猛や辰彦にとって大事なのは勇者云々うんぬんではなかった。一刻も早く元の世界に戻ることである。


「これはもう私たちの手に負える問題ではないようです。国を頼ったらどうでしょう」


 村長の言葉に猛は愕然とした。あまりにも突き放した物言いである。しかし実際村長の意識は勇者である宙太に向けられていた。


「国って言ったってどうすんだよ。魔なんとかに支配されているんだろ」


 猛は村長に食ってかかる。敬語を使う余裕すらなくなっていた。


「確かに支配されています。が、私たちも無力ではありません」


「私たちは魔族に対抗し続けているんです」


「統治もちゃんと人間の手で行われています」


「国を筆頭に、我々は断固として立ち向かっているのです」


 村長とミイが交互に話す内容を聞き、要は人間世界と魔族世界があり、二つの勢力が相争っているということだった。

 

「国へ行けばあなた方は保護されるかもしれません」


「国ってどこに行けばいいんだよ」


「ここから一番近い都市に行けばいいでしょう。この村から北の方角にあります」


 村長と猛の会話から身の振りかたは決まった。目指すは北の都市だった。しかし宙太は戸惑っていた。自分も猛たちと一緒に帰る方法を探さねばならないのだろうか、と考えた。

 

「案内にはミイをつけます。ミイ、よいかな」


「はい」


「では勇者様も一緒に行ってください。国に報告したほうがいいと思うので」


 村長の言葉で宙太はほっとしている自分に気付いた。異世界の村に一人残されるというのはやはり心細かった。


「それでは今日も遅いですし、出発は明日にしましょう。皆さんは私の家に泊まってください」


 村長の申し出に宙太たちは礼を言った。ミイは明日の朝迎えにくることを約束した。


「朝って言われても何時くらい?」


「そうですねえ、8時でどうでしょう」


 その時、宙太は村長にこの世界の1日は何時間かと訊いた。


「24時間ですが」


「では1時間は何分ですか」


「60分です」


 宙太は時間の計りが元の世界と一緒なこと、単位の名称もすんなり通ったことに驚いた。そしてそもそも言葉が通じていることも奇跡だった。この世界はありえたかもしれない現実世界なのではないか、とすら思えたほどである。

 

「それではまた明日。失礼します」


 そう言ってミイは去っていった。残った宙太たちは村長を見合わせる。


「では夕飯にしましょう。いま使用人に作らせますので」


 するとどこに隠れていたのか若い男がふっと現れ、一礼した。

 夕飯ができるまでの間、宙太たちは応接室らしき部屋に案内された。そこには黒いソファが二つあり、木製のテーブルを囲んでいた。それらの見た目も材質も元いた世界と変わりがなかった。


「どうぞ、ごゆっくり」


 村長は三人をソファに座らせると、自分はそう言い残して部屋から出て行った。

 宙太たちの間に沈黙が続く。


「おい、お前のせいだぞ」


 静寂を破ったのは猛だった。彼はそのまま宙太の近くに行き、その頭を叩(はた)いた。


「勇者だどうのこうの。お前の巻き添えでこうなったんだぞ」


「ご、ごめん」


 とにかく謝罪が宙太にとっての防波堤だった。猛は舌打ちをすると携帯電話を取り出した。


「電話も通じねえ」


「俺たち本当に異世界に来ちまったのか」


 辰彦がそう言うと猛は再び舌打ちをする。帰れない焦燥感は怒りへと化していった。


「チュータ!のんきにしてんじゃねえ!」


「くっせえ顔だな」


 猛と辰彦にこう言われ宙太はますます萎縮した。そうして三人は張り詰めた空気のまま時を過ごした。

 

「お待たせしました」


 村長が部屋に入ってきた。夕食にはパンにサラダ、熱々のステーキにフルーツの盛り合わせ、そしてナイフとフォークが並べられていた。

 食べ物も食べ方も現実世界と変わりなかったのは三人がほっとしたところである。肉は何の肉か尋ねると牛だと返って来た。この世界にも牛はいるらしい。


「さ、勇者様、遠慮なくお食べください」


 宙太はパンを一口食べる。味も何ら変わりない、ふかふかの食感だった。

 食事は誰がしゃべるでもなく進んでいく。宙太はサラダに入っている、アスパラガスに見える食材を皿に残した。彼の嫌いなものだったが、異世界だからといって試しに食べる気にはならなかった。


「ところで勇者様、属性は何でございますか」


 宙太はぽかんとした。相手が何をいているのか分からなかった。それで黙ってしまった。

 その困惑を読み取ったのか、村長は恐る恐る尋ねた。


「もしかして、勇者様がいた世界には魔法がないのですか」


 はい、と宙太はつぶやき声で答えた。村長の顔がみるみる強張っていく。


「では、こちらに来てから魔法に目覚めたということは……」


 それで宙太は思い出す。異世界に来て最初の時、魔物に襲われて自分は何をしたか。


「一回、てのひらから水を出した、ような気がします」


 その言葉で村長は顔をほころばせる。


「それならば勇者様は水を操るすべがあるのでしょう。立派な水属性です」


 そう言われても宙太には実感がなかった。どうやって水柱を出したかもわからぬのだ。いま掌を見ても何の変哲もないただの手だった。


「この世界では魔法は誰もが身につけています。それがないと、魔族にも対抗できません。現に私も」


 そう言って村長は自身も掌をかざし、その中から小さな火の玉を出した。


「うお!」


 猛は眼前で起こった事態が信じられなかった。マジックでもなく、人間が火を出したのである。


「私は火を出すことができます。若い頃はこれで何度も魔物を撃退したものです」


 そのうちに食事も終わり、宙太たちは寝室に通された。寝室にはベッドが二つと洗面台があった。歯ブラシやコップも三人分用意してある。


「申し訳ありませんがベッドは二つしかありません。間に布団を敷いておきましたのでおひとりはそこで寝てください」


 村長そう言って部屋を辞した。猛は当然といった様子でベッドを占拠した。


「チュータ、お前は床な」


 こう言われてしまえば宙太に選択権はなかった。のそのそと床の布団の上に座る。

 やがて電気も消され、部屋は真っ暗闇になった。宙太は異世界での出来事に思いを馳せつつ、いつしか眠りに着いた。  

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