第2話

***



 翌日、あかりは重い気持ちを引きずるようにして学校へと向かった。

 今日もまた誰かが追いかけてきたらどうしよう……。昨日はしばらくしたら家の前から立ち去っていたけれど、無理やり入ってきたら……。そう思うと、背筋がゾクッとなるのを感じる。

 重い溜息を吐くと、あかりは二年二組の教室のドアを開けた。


「おはよう。……ねえ、何かあったの?」


 席に着いたあかりに友人の沖野おきの美和みわが声をかけた。心配そうに顔を覗き込む美和に、あかりは一瞬悩んだあと、昨日の出来事を話し始めた。


「――それで!? 大丈夫だったの!?」


 話し終える前から、何か言いたくて仕方がないといった様子だった美和は、あかりの話が終わったと同時に前のめりに尋ねた。そんな美和に圧倒されながらも、あかりは頷いた。


「うん……。あのあとは何もなかったし……」

「よかった……。と、いうか! 何で連絡してこないのよ!?」


 バンッと机をたたく美和を上目遣いで見つめると、あかりは困ったように言った。


「だって……。言ったら美和ちゃん、飛んでくるでしょう?」

「当たり前じゃない!」

「そしたら、美和ちゃんが何かされるかもしれないし……。そんなの嫌だよ……」


 美和の言っていることはもっともだと思うけれど、あの状態で美和を呼べばモニターを覗き込むようにしていた男が美和になにをするかわからない。そんな状態で美和を呼ぶわけにはいかなかった。

 美和はあかりの返事に、眉間にしわを寄せるとため息をついた。


「それであんたに何かあったら、私には後悔しか残らないわよ……」

「ごめん……」

「でも――怖かったわね。ごめんね、気付いてあげられなくて」


 あかりはその言葉に顔を上げると、美和が泣きそうな表情を浮かべていることに気付いた。心配かけると思って相談しなかったことで、美和を傷つけてしまうなんて思ってもみなかった。


「ごめん……」

「もういいわよ。……とりあえず、今日はうちに泊まっていって。一人で家にいるのは心配だから。ってか、だから最初からうちにいればって言ってたのに」

「それは、美和ちゃんのご両親に悪いよ」


 あかりの父親の四カ月に及ぶ出張が決まり、最初はあかりと母親の二人が家に残るという話だったのに、父親と離れるのが寂しい母親が「やっぱり私も行く!」と、ついて行ってしまったのが二ヶ月前。

 美和の家であかりだけお世話になる話も出たのだけれど、三ヶ月したら戻ってくるからと断ったのだった。

 あかりの両親が戻って来るまで残り一か月あるのだけれど……。


「あんた……!」

「けど怖いから、しばらくお世話になろうかな」

「そうしてくれた方が安心するわ」


 へへっと笑うあかりに美和はもう一度ため息をつくと、小さな声で話し始めた。


「――警察には言ったの?」

「まだ……」

「じゃあ、今日の帰りに行きましょう。ストーカー被害の相談を――」


「行っても無駄じゃないかなあ」


「はぁっ!?」


 話を遮るようにして割り込んできた声に、美和は苛立ちを隠すことなく後ろを振り返った。つられるようにして振り返ると、そこには隣のクラスの男子生徒がひらひらと手を振りながら立っていた。たしか……。


「えっと……倉科君、だっけ?」

「そう、倉科君でーす」


 あかりの呼びかけに倉科は嬉しそうにVサインを見せると、あかりと美和の方へと近寄ってくる。ニコニコと人当たりの良さそうな笑顔を浮かべる倉科に、美和は噛みつくように言う。


「なに、急に口出してきて! ってか、盗み聞き!? 趣味悪いわね!」

「違うわ! あいつと話してたら聞こえてきたの」


 倉科は振り返ることなく、親指で後ろにいる榊を指さした。その仕草でようやく倉科の居場所に気付いたのか、榊は気まずそうに頭を下げた。


「それで? 遠藤さん、ストーカーにあってんの? 大丈夫?」

「う、うん……」

「あんたに関係ないでしょ! ……で? さっき警察に行っても無駄だって言ったでしょ!? 何が無駄なのよ!」


 イライラとしながら詰め寄る美和に、一瞬キョトンとした表情を見せたあと、倉科は左右を確認すると声のトーンを落として言った。


「ああ。……うちの姉貴もストーカーにあってたんだよ」

「え……?」


 その言葉にあかりは、自分のされていた行為を思い出して、胸が苦しくなった。あんな怖い思いを、倉科のお姉さんもしていたなんて……。

 悲痛な表情を浮かべるあかりに、倉科は小さく微笑むと話を続けた。


「あまりにも怖くて泣きながら警察に駆け込んだんだ。でも『自意識過剰じゃないですか?』って」

「嘘……」


 絶句する美和に、倉科は肩をすくめる。まさかそんな……。泣きながら駆け込むなんてよっぽどのことをされたのだろう。それなのに……。


「それで、お姉さんはどうなったの……?」

「結局、引っ越して家族と、それから信頼できる人以外全て切ったって。今は平和に暮らしてるよ」

「よかった……」


 ホッとしたあかりが息を漏らすと、倉科は嬉しそうに微笑む。そんな二人の姿を、眉間にしわを寄せながら見ていた美和が口を開く。


「じゃあ、どうすればいいのよ!」

「そ、そんなこと言われても……」


 美和の剣幕に押され、倉科は言葉に詰まる。そして倉科は後ろを振り返ると、どうしたらいいかわからないというような表情を浮かべていた榊へ手招きした。


「ど、どうしたの?」

「遠藤さんがストーカーにあってるんだって」

「えええ!?」

「ち、違うの。誰かにつけられているような気がするってだけで……」

「た、大変じゃん! とりあえずは、一人で行動しない方がいいんじゃないかな。どういう理由であとをつけられているのかわからないけど、いざというときに一人だとやっぱり危ないし。誰かがいれば助けも呼べるしね」


 榊の言葉に、美和と倉科も頷いた。

 あかりは榊の言葉に昨日の、あのモニターを覗き込む目を思い出して背筋が冷たくなるのを感じた。あんなことがまたあったら、次は……。


「っ……」

「そ、その……僕たちにもできることがあれば協力するからさ」

「そうそう。ここまで聞いたからには気になるし」

「ありがとう……」


 あかりは美和や倉科、榊の優しさに胸があたたかくなるのを感じた。

 まだ不安なことはたくさんあるし、何も解決してはいない。けれど、みんながいてくれるならなんとかなると、そう思えた。



***



 その日の授業が終わり、ホームルームが終了すると、クラスメイトたちは足早に教室を出て行った。部活動をしていないあかりは、同じく帰宅部の美和のもとへと向かうために席を立とうと顔を上げると、担任の秋津が手招きしているのが見えた。


「先生? どうしたんですか?」

「今日、臨時会議をすることになったことを伝え忘れてな。生徒会室で四時半からだ」

「会議……。わかりました」

「……ところで、家は大丈夫か?」

「え?」

「ご両親が帰ってくるまでまだ一ヶ月あるだろう。何か困ったことはないか?」


 心配そうに言ってくれる秋津に、一瞬相談しようかとあかりは悩んだ。いつだって親身になってくれて生徒からの評判もいい秋津なら、助けてくれるかもしれない。そう思ったからだ。けれど――。


「もしも困ったことがあればいつでも先生に言いなさい」


 優しく微笑んでくれる秋津に心配を掛けたくなくて、あかりもニッコリと笑った。


「大丈夫です。ありがとうございます!」

「そうか? あまり無理するなよ」


 あかりの頭を撫でると、秋津は他の生徒に呼ばれたようでそちらへと向かった。

 教室にかかっている時計を確認すると、時刻は四時ちょうど。会議まではまだ少し時間があった。

 先ほど秋津から伝えられた会議のことを美和に報告しようと、あかりは美和の席へと向かう。美和は榊と何かを話しているところだった。


「美和ちゃん」

「あかり。先生、なんだったの?」

「今日ね、生徒会の臨時会議があるから来るようにって」

「あー、そういえばあんた書記だったわね」


 決して生徒会に入るようなタイプではないのだけれど、担任である秋津の強い勧めによって立候補し書記になった。生徒会役員になって内心を稼がなければいけないほど生活態度が悪いわけではないと思うのだけれどと思ったが、いざやってるみと意外と楽しかったので、あかりのそういう面を見抜いての推薦だったのかもしれないと少し嬉しくなったのを思い出す。


「だから……」

「それじゃあ、終わるまで待ってるわ」

「え、悪いよ!」


 当たり前のように言いながら鞄を下ろす美和に、これ以上迷惑を掛けるのが申し訳なくてあかりは首を振った。でも、そんなあかりに美和は「バカね」と微笑んだ。


「なんにも悪くなんてないわよ。何かあったときの方が大変なんだから」

「ありがとう」

「あ、でも――」


 思い出したように口を開いた榊は、何かあったのかと振り返ったあかりと美和の視線に一瞬たじろいだような表情を浮かべたあと、おずおずと話し始めた。


「その……さっき、先生が言ってたよ。数学のテスト、赤点があった人は今日の放課後、補習だって。僕と沖野さんも……」

「忘れてた。数学だけは苦手なのよ、数学だけは」


 頭を抱えながら美和はため息をつく。そんな美和に苦笑いを浮かべると、あかりは時計に視線を向けた。


「あ、もうこんな時間。それじゃあ、行ってくるね」

「先に終わったら待ってなさいよ! 先に帰っちゃダメだからね」

「はーい、いってきます」


 美和と榊に手を振ると、あかりは教室を出て生徒会室へと向かった。



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