31 神聖なる存在たち
御三家は、フォルケイエスが警備、モルゼディアスが司法。そして、イグナティウスは交易――、ようするに、他国を含めたよその土地と様々な取引をする一家だ。
つまり白のカルト集団をライセム領へ引き入れ、信仰を広める手伝いをしているのが、イグナティウスということになる。
どんな宗教を信じるかは人それぞれだろうが、押し付けるのはよくないと、ゆかりは考える。
遺伝子レベルで操作して、偶像を作り上げたうえに、その子どもを自分たちの駒として扱うのは、絶対によくないことだと、白石ゆかりは考える。
ゆえに、これは反抗していいことなのだ。
今こそ、落ち武者という威光を使う時ではないだろうか。
白くないこの人は、白信仰に染まっているわけではないのだろうし、御三家ということは、黒崇拝派の可能性が高い。アーロン・モルゼディアスのような人だと思えば、ゆかりの黒髪も萌え対象になるに違いないのだ。
レッツ、懐柔。
ゆかりが口を開こうとした時、ベクレル・イグナティウスが言った。
「落ち武者様と、リグ・ロース。黒と白、その二つを掛け合わせたとすれば、どれほど尊きことになるでしょう。皆がひれ伏し、崇める。ライセムはさらなる発展を遂げるのです」
「――え?」
「さあ、お二方。どうぞ――」
と、子どもに聞かせてはいけないようなことをのたまった男は、陶酔した顔で天を仰いだ。
変態であった。
まごうことなき、変態がここにいた。
ドン引きしたゆかりがおもわず傍らの少年を見やると、こちらもまた不快気に眉を寄せていた。
推定十歳の男児がどこまでわかっているのか。
視線を感じたらしいロースがゆかりを見上げ、申し訳なさそうな顔をし、小声で謝った。
「すみません」
「ロースくんが謝ることじゃないよ。全部あの変態が悪い。私のほうこそ、ごめんね。おばちゃんを相手に、とか」
「落ち武者様は、おばちゃんじゃないですよ」
「まー、世渡り上手だねぇ」
「おいくつかは存じませんが、ぼくより下なのではないかと思いますし」
「いやいやいや、それはさすがに嬉しくないよ。若く見えますねーとかいう話じゃなく、馬鹿にされてるレベルだよ」
ゆかりが手を振って否定すると、ロースは首をかしげ、ややあって「ああ」と頷いた。
「誤解してるんですね。まあ、この姿だから、仕方ないけど」
「といいますと?」
「ぼく、こんなだけど、二十歳を越してるんだよね」
「はい?」
ショタじゃない、だと?
ゆかりは
「色々と異常なんですよ、ぼく。途中で成長が止まってしまったのも、これぐらいの姿のほうが便利だからなんです。ほら、一見すると無垢な子どもであるほうが、信仰心を煽るじゃないですか」
また、大人になりたくない、という強い気持ちがあったせいか、もともとゆっくりだった成長も、ここ数年はすっかり止まってしまったのだという。
ピーターパンか。
ゆかりは思った。
「子どもの姿であることは、周囲を油断させるし、便利といえば便利だったんです。子どもでいるうちは、きっと容赦される事柄もあるから。それこそ、この男が言うようなこととか」
「この人は、ロースく――いやロースさんの年齢を知ってるの?」
「知らないのでは?」
「それであんなこと言いだすとか、本当の本当に変態じゃないですかー」
その変態ベクレル氏はといえば、二人の声が聞こえているのかいないのか、自分の理想を語っている。
要約すると「黒崇拝と白崇拝の両方から信頼を得る私すごい計画」である。
この男のなかで、一体どういう子どもが生まれる計画なのだろう。
普通に考えると、黒髪の子どもが生まれるだろう。劣性遺伝子が頑張ったとしても、ロースのような白い髪が生まれる率は、限りなく低いはずだ。それこそ、遺伝子操作でもしないかぎり。
(ひょっとして、そこまで考えてるのかな……)
変態は、マッドサイエンティストも兼ねているのかもしれない。
「――というわけです」
なにやら演説が終わったらしい変態マッドサイエンティスト・ベクレル氏が笑顔で二人を見た。
この人に「私、子ども産めない身体なんです」と告げたら、一体どういうことになるだろう。そうですか、ではお帰りはこちらから――とはきっとならないだろうなぁ、とゆかりは溜息をつく。
「ベクレルさん、無粋ではありませんか? それとも、他人の行為を覗く趣味がおありとか?」
「や、そんな破廉恥なことは……」
ロースがにこやかに告げると、ベクレルはしどろもどろになって、顔を赤くした。
言ってることは変態なのに、意外と純情だったらしい。
なんというちぐはぐ感だろう。全然かわいくないけれど。
手で追い払う仕草をすると、ベクレルは「一旦、失礼します」と後退したため、ゆかりとロースは対策会議を開始した。
といっても、逃げ出す算段がついているわけでもないなか、できることはないともいえる。
「あのベクレルって人を簀巻きにして転がして、出入り口を探そうか」
「すまき?」
「布とかでぐるぐる巻きにして、動けなくすること」
「そんなことできますかね? ぼくはこの体格ですし、さすがに成人男子と争って勝てるとは思えません」
「教祖様というからには、こう、不思議なパワーみたいなもの、ないの?」
「ぼく、人間なので」
「だよね!」
遺伝子操作されたからといって、やはりいきなり超能力に目覚めたりはしないらしい。
だが、竜騎士団の人達から聞いた話によれば、新興宗教団体による布教活動の一環に、人が浮いたりなんだりする催しがあったはずだ。
興行をして、人を集めるのはよくある手法だ。
近所の空き店舗で、お土産品で人を集めてなにかを買わせる店が期間限定で現れて、どこから湧いたのか、老人たちが集合するのは、よく見る光景である。
「手品ショーには、出てなかったんだね」
「ぼくは基本、表には出ません。出たとしても薄布を挟んでのこと。声を出さない場合は、信者の子どもが座ってることも多かったし」
「詐欺じゃん」
いやな裏事情である。
「心の拠り所を求めて、そうすることで安心を得られるのであれば、べつにいいと思うんだよ。でも、ぼくみたいなのを奇跡みたいに崇めるのは、やっぱりおかしいよ。だってぼくは、なにもしてないんだから。言われるがまま、ここにいるだけ。生かされているだけだ」
「だから、逃げるんだよ、カルビさん」
「なにそれ」
ロースが訝しげに呟いた時、建物が揺れた。
ごうんと地鳴りがして、上から砂なのか埃なのか、とにかくなにかが落ちて舞っている。
「地震? シェイクアウト行動を取らないとだよ」
「しぇいく?」
シェイクアウトとは、「しせいをひくく」「あたまをまもり」「じっとする」ことであり、地震の揺れから命を守るための行動である。
「机の下とかに入るんだけど、店だとそんな場所なくってさ。買い物カゴをヘルメット替わりにすれば、頭に直撃はしないよねって話をしたことがあるんだ。でも、ここなにもないよね。この椅子じゃ、心もとないっていうかさ」
「落ち武者さまがなにを言ってるのか、ぼくには理解できないんだけど、とにかく様子を見に行きましょう」
今の地震で扉がずれたのか、白い壁には数センチほどの黒い縦線が入って見える。近づいてみると、悲鳴や助けを呼ぶ声が聞こえてきた。ひやりとした冷気も滑り込んできており、扉の先は、野外に通じているであろうことが知れる。
「あんなふうにみんなが騒ぐなんて、はじめてかも」
「今なら逃げ出してもバレないんじゃない?」
「だといいんですけど、どこに行けばいいのか、あてはありますか?」
「ないね」と、ゆかり。
「ぼくもありません」と、ロースも答えた。
双方ともに、周囲から「引きこもり生活」をさせられていたため、町中に出たことがなかった。
なんとなく沈黙し、それでもゆかりは、ひとまずここから出ることを提案する。白すぎて、そろそろ視界がおかしくなりそうだったからである。
引き戸と壁の隙間に手を差し込む。
どういった素材からできているのか、ひんやりと冷たい石のような手触りであるにもかかわらず、思いのほか軽いし、扉の開き方もスムーズだった。砂を引いたような音を立てて横に開いた扉の先は、闇だ。
今の今まで、あまりにも白い部屋にいたせいなのだろう。パントマイムのように周囲に手をやりつつ、ゆかりは、闇に目をこらす。
「大丈夫ですか?」
「ハラミさんは見えるの?」
「知っている場所だから、なんとなくわかります」
そう言ってロースはゆかりの手を取ると、ゆっくりと歩きはじめる。灯りのないお化け屋敷を歩いているような気分で、ゆかりは自分の胸の高さほどしかない少年(中身は大人)に付いていく。
しばらくするとだいぶ慣れてきて、うっすらと物の形が把握できるようになってきた。
と同時に、人の声が大きくなっていく。
忍び寄る冷気にぶるりと身を震わせた時、硬質な高い音が聞こえた。
ヒューとも、シューともつかない、笛のような音。
(ドラゴンだ……)
いつか、ノエルが聞かせてくれたことがある音。
仲間を呼ぶ時の合図なのだと言い、音が高ければ高いほど、危険度を表しているのだという。
なんでもない時に発したことにより、その音に集まった他ドラゴンたちに、ノエルはこっぴどく叱られていた。
おふざけで防犯ブザーを鳴らして、集まった大人に怒られる小学生のような出来事を思い出し、ゆかりは息を呑む。
「ロースさん、ドラゴンだよ。ドラゴンさんが来てるんだよ」
「ドラゴンが? なぜこんな町中に」
「きっと助けに来てくれたんだよ!」
音のしたほうへ、ゆかりは駆けだした。
冷たい空気のほうへ、向かう。
ピリピリと頬がひりつく。
外へ、向かう。
出口なんて知らないけれど、きっとあっちにみんながいるのだ。
ほのかに光る場所がある。
「あそこから出られます」
背後からロースの声がした。
その言葉を胸に飛び出した戸外は、予想外に異様な光景だった。
倒壊した建物。かろうじて壁が残っている程度の状態で、屋根はもうない。瓦礫の山が連なるそこかしこでは、教団の人間らしき白い衣をまとった人々が地面にへたりこみ、空を仰いでいる。ギャーギャーと泣きわめく子どもたちの絶叫を止める大人はおらず、皆が一様に、呆然としているだけである。
彼らの視線の先にあるのは、夜空の月でも星でもなく、緑色に輝く無数の瞳。
ドラゴンの瞳だ。
十数体はいるであろうドラゴンがぐるりと周囲を取り囲み、彼らを威圧するように見下ろしているのである。
鼻息が聞こえる。
唸り声も響く。
ドラゴンを見慣れてきたゆかりでさえ、恐怖を感じる光景である。
ふと、その中に一際美しく輝く
「……アナライゼス」
呟いた声が聞こえたかのように、一対の瞳がゆかりへと向いた。
竜の口が開き、なにかを言いかけたその時、アナライゼスの足元近くでガラリと音がして、小さく悲鳴が聞こえた。
ゆかりがそちらに目をやると、壊れた建屋の一室がある。宴会でもしていたのだろうか、大きなテーブルが鎮座している。白いテーブルクロスが床に広がり、料理が散乱しているようである。
なんて勿体ないことを。
ゆかりのお腹が、ぐーと鳴った。
こちらが空腹に耐えていた間、教団の人々は「落ち武者を捕らえた、やったぜパーティー」でもしていたというのだろうか。まったくもって許しがたい行為だ。
小さな悲鳴をあげたのは、テーブルに頭を突っ込んで尻が飛び出している、横幅の広い男性らしき人影。近くの瓦礫が崩れ、その音に恐怖したのだろう。
竜たちの鼻息が周辺を取り囲み、どこかで子どもがさらに泣き叫んだ。
ゆかりは、アナライゼスがいる場所へ向かって、歩を進めた。
今や土で汚れてしまった白い衣の人々は、黒髪の落ち武者がドラゴンへ向かっていくのを震えながら見つめる。近くにいた人は、悲鳴をあげて距離を取り、いつしかゆかりの前には道ができていた。
数メートル。
ゆっくりと歩いて辿り着いた先にいるドラゴンに、ゆかりは手を伸べる。
「アナライゼス」
『ゆかり、見つけた』
「うん」
『よかった』
「うん」
『心配、した』
「うん。ありがとう、アナライゼス」
『どうして、ありがとう?』
「探してくれたんだよね。そんでもって、迎えに来てくれたんだよね。だから、だよ」
言ったゆかりに、アナライゼスは顔を寄せる。
降りてきた鼻先から息が漏れ、頬をくすぐり、ほのかな温もりが生まれた。
そっと手を伸ばし、ゆかりは問う。
「ねえ、アナライゼス。ぎゅって抱き着いてもいい?」
『勿論』
好きにすればいい、なんて遠回しな肯定をせず、強く頷いたアナライゼスに、ゆかりは笑って両手を伸ばす。
柔らかな鱗、甘い香り。
ドラゴンの温もりが、ゆかりの胸を満たす。
黒き落ち武者と、金色の瞳をした竜。
そんな一人と一体を囲む、たくさんの竜たち。
その夜、白き衣を纏った人々は、美しき「黒」に圧倒された。
一人、また一人と頭を垂れ。いつしかすべての人が、その場で平伏していた。
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