30 黒と白

 白い壁は地味に目が痛い。

 色付きガラスの伊達メガネが欲しいところである。

 名前に白が入っている白石ゆかりは、せめてちょっとマシかと思い、ポケットに忍ばせておいたハンカチ代わりの布を頭からかぶっていた。夏場は結局べールを使わなかったけれど、冬になってこんな形で布をかぶるとは思ってもみなかった。

 石膏で固めたような床は冷たく、冷え性にはキツイ環境だ。

 白く塗られた木の椅子には、やっぱり白い布が座面に張られている。

 徹底している。拍手を送りたいほどに。


 クッションの効いた大きめの椅子に座り、冷たい床から遠ざかろうと、ゆかりは膝を抱えている。

 この座り方の正式名称は、三角座りなのか体育座りなのか。後者で育ったゆかりが、そんなことを考えていると、ぎいと音がして扉が開いた。

 第一村人ならぬ、第一なんとか人である。

 現れたのは、子どもだった。推定十歳。そして驚くことに、白かった。

 色白というわけではなく、たしかに色白ではあるのだが、それよりももっと目を引いたのが、その髪色だ。

 白髪という呼称が似つかわしくないほど、たっぷりとした量の髪は、壁に同化するように白く長い。

(……なんか、コスプレイヤーみたい)

 非現実な人を見た気がしてかたまっていると、白い子どもが口を開いた。

「すみません、えっと、あなたが落ち武者さまですか?」

「そう、ですね。一応、落ち武者という名前で呼ばれている人です」

「よかった。無事で」

 無事なのだろうか。

 ちょっとだけ疑問に思ったが、心臓は動いているようだし、怪我もしていない。生きているのだから、無事といえば、無事なのだろう。

「ところで、あなたはどちらさま?」

「ぼくは、ロースといいます」

「ロース?」

「ごめんなさい。あなたがさらわれたのは、きっとぼくのせいなんです」



 ゆかりが思ったとおり、ここは例の「白いカルト集団」の拠点ともいうべき場所であるらしい。

 そして、ロースと名乗った白い少年は、こちらの古い言葉で「白き人」という意味の「リグ・ロース」と呼ばれているそうで、彼らの教祖的ポジションに据えられている。しかし、まったくもって乗り気ではないのだそうだ。

 ロース少年が語るには、ここよりずっと北にある寒冷地では、色素の薄い一族が住んでいるという。日照時間が短く、晴れても陽射しが弱い。そんな土地では、メラニン色素も頑張れないのだろう。先天的に肌の色が薄く、髪の色も同様に薄い。

 白を神聖視する一派にとって、彼らは信仰の旗頭となり得るが、当人たちにはいい迷惑だろう。

 それでも、話を持ちかけられれば、思惑に乗る人間もいる。

 少年は、その結果生まれた子どもだ。

 掛け合わせ、掛け合わせ。どこまでも薄く、白を求めて遺伝子を探し巡り、研究し、あやしげな技術をも用い、そうして生まれたのが彼だ。

 どんな実験がおこなわれたのかは知らないが、生まれた赤子はアルビノだった。

 蝶や花やと重宝された子どもだが、おごることもなく、むしろ悲観していたのは、身体の弱さにも起因しているのだろう。

 遺伝子異常により成長は遅く、光に弱い。身体も丈夫ではないし、怪我をしては大変だと過保護にされる。希少価値を高めるため、滅多に人前にも出られない。

「……すっごく窮屈です」

「だろうねぇ」

「ぼくだって、好きで白いわけじゃなし、勝手に白くしておいたのそっちだし」

「だねえ」

「落ち武者さまも、そんなに黒く作られて、大変だったのではないですか?」

「私?」

 期待に満ちた目で見られて、ゆかりはようやく気づいた。

 この少年は、自分と同じような苦労をしているのではないかと思い――同士を見つけたと思って、こっそりとやって来たのだと。

「……えーとね、私はたしかに黒い髪だけど、私の故郷はみんなこんなんだし、珍しくもなんともないんだよ」

「操作されたわけじゃないんですか?」

「うん。えーと、ごめんね?」

「いいえ。ならばよいことです。こんなの、ちっとも嬉しくないですから」

 少年は笑った。

 白石ゆかり(遺伝子組み換えでない)は、教団の幹部に苛立ちを感じた。

 こんないい子になにやらかしてんだ、こんちくしょうめが。


「よし、逃げよう、肩ロースくん」

「肩?」

「ごめん、リブロースだっけ」

「リグ・ロースです」

「うん、まあ、どっちにしろ肉だよね」

「……肉?」

「最近は甘いものが多くてね、すっかり太ってしまった気がするんだ。やっぱ肉食べたいよね」

 なんかちょっとヤバイ人かもしれない。

 ロース少年は、落ち武者に声をかけたことを、少しだけ後悔する。

「それで、ミートくんはどうしたいの?」

「どうしたい、とは?」

 もう名前に突っこむのはやめることにして、少年は質問の意図を問う。

「改造人間にしやがった悪の組織をぶっとばしてやるぜー、みたいな心意気があるのかなーって思って」

「心意気、と言われても、ぼく一人でなにができるわけでもないですし」

「味方になってくれそうな大人はいなかったの? 白くない人とか」

「教団にいる人ですよ? みんなぼくを崇めるだけで、ぼくがどんなふうに思っているのかなんて、考えたことすらないんじゃないですかね」

 逃げよう、だなんて。

 保護者がいなければなにもできないような年齢の子どもは、思ったところで、なかなか実行には移せないものだろう。

 一人でも味方がいれば。

 ないしは、白を神聖視しない「普通の人」が近くにいれば。

 もっと積極的に脱走計画を練ったかもしれないが、連中は少年を囲い込み、外部の人間と接触させないようにして、逃げ道をことごとく絶っている。

 彼ら自身、その自覚すらないままに、集団は閉じた世界を作り上げ、白を信望する。

 ゆかりはなんだか苦しくなって、少年の力になろうと思った。

 そんなふうに考えた自分に驚き、それはきっと、アドレーをはじめとした竜騎士団や、殿下や、ノーソルデル邸の人達のおかげなのだと、思った。

「ねえ、逃げていいんだよ、少年」

「行く場所なんて、ぼくにはないよ」

「大丈夫――なんて、軽々しくは言えないけどさ、もしかしたら、逃げる場所、あるかもしれないじゃん。逃げ出してみないと、わかんないんだよ」

「ないよ、きっと」

「このままずっとここにいて、真っ白お化けに囲まれて暮らすのと、いっそ死んじゃうのと、どっちがいいと思う?」

 死ぬという単語が飛び出したことに驚いたのか、ロースが驚いてゆかりを見上げる。視線が絡み、ゆかりは口を開いた。

「私はね、逃げてきたんだよ、元の世界から」

「落ち武者さまの世界?」

「――いや、まあ、そうなんだけど、そう聞くと、死後の世界っていうか、戦場の跡みたいで怖いなぁ」

「落ち武者さまの世界は、そんな争いがあるのですか?」

「私の国で戦争があったのは、昔の話だよ。ちょっといやなことがあってね、それまではずっと流して生きてたんだけど、なんか急にいやになったっていうか、わりと衝動的に逃げ出したっていうか、まあ勢いだね」



 子どもを自分を飾るアクセサリーのように扱う話は聞いたことはあったけれど、自分の両親もそれに似たタイプであることにゆかりが気づいたのは、果たしていつだったか。少なくとも、中学へ上がる頃には自覚していたと思う。

 学校の成績は悪くはなかったけれど、中学へ上がるころには、一位を保てるほどの頭脳ではなくなった。

 最初のズレは、そこかもしれない。

 ちょっと厳しいけれど、逆らわなければ機嫌がいい両親を、ゆかりは適当にあしらうことを覚えた。

 何事もそこそこだ。

 中学校では優等生として過ごしたし、先生の覚えも悪くはない。そこそこ名の通った女子高に入学したところ、お嬢様学校とは名ばかりの、かなり個性的な学校だった。

 ゆかりのクラスが特に変わっていただけなのかもしれないが、各種分野に特化した、色んなオタクがひしめく教室で、ゆかりは異文化に触れたのである。

 ゆかりという、変わった名前を褒めてくれたのも、クラスメートや担任教師だった。教室のロッカーの一角が、ガラスの仮面本棚と化していたため、ゆかりはすっかり薔薇の人だった。

 元の世界に未練があるかといえば、高校時代の友人知人たちだと、ゆかりは思う。

 社会勉強だという名目で、担任からも後押しをしてもらって、バイトを始めた。

 今思えば、担任はゆかりの両親に対して、思うところがあったのかもしれない。子どもを、自分の決めたレールに乗せて運行しようとしている、自分が用意した物以外を認めようとしない雰囲気を、ベテラン教師は感じ取り、ゆかりの逃げ道を用意してくれていたのだろう。

 外に出て、はじめてわかることだ。内側にいる時は、気づきもしないことが本当に多い。

 両親が作った檻をどこか窮屈に感じながらも、本気で逃れようとはしていなかったゆかりがついに脱走を決意したのは、プー太郎と化した己に用意された次なるレールが、結婚だったからである。

 お見合いとは名ばかりの、こちらの意思確認もなにもない決定事項。

 しかも相手は、過疎地に住む旧家のおじさんだ。ゆかりより年上の息子が三人もいる男の後家さんなのだ。

 なにやら逆らえない力関係が存在するらしく、親戚宅で話を聞かされた時には、包囲網が敷かれている状態だった。

 孕まない二十歳そこそこの女なら云々などという、古めかしい昭和の世界が繰り広げられる、胸糞上等なひそひそ話を耳にしてしまった時、さすがのゆかりも「これは駄目だ」と思った。

 逃げなければ、一生、飼い殺し。

 生きながら、死んでいるようなものじゃないか。

 ふらふらと外へ出たゆかりが向かったのは、いわく付きのトンネルだった。

 新しい道が通り、地元民ですらほとんど通らなくなったというトンネル。

 昼間でも薄暗く、ゆるくカーブしているせいで入口から出口の様子は見えないため、足を踏み入れることすら躊躇するような場所だったが、だからこそ、ゆかりは歩を進めたともいえる。

 黄泉の入口でもかまわない。

 いっそ、そのほうがいいかもしれない。

 トンネルは、別の世界への入口だという。

 ここではない、別のところへ行きたい。

 後家さんになって、閉じ込められて、逃げることすら叶わずに、なにをされるのかもわからない所へ嫁入りするぐらいなら、ここで朽ちたい。




「――ってことで、いやなことから逃げ出したんだよ、私。そうしたら、こっちの世界へ入っちゃったみたい」

 色々と誤魔化しながら少年に説明し、ゆかりは脱走者の先輩として、アドバイスをする。

「動いても変わらないかもしれない。だけど、変わるかもしれないんだよ。ロースくんは、どうしたい?」

「…………」

「一緒に行こうよ。領主様の殿下は筋肉男だけど、領民のことを考えてるいい人だよ。私みたいな余所者も、領民だってっていって、色々手配してくれた。ロースくんの現状は、監禁されてるみたいなものだし、保護されてしかるべきだと思います」

「保護しているのは、むしろ我々のほうなのですよ、落ち武者様」

 かけられた声に振り向くと、白壁の一角がまるで切り取られたように開いており、長身の男性が立っていた。

 白を纏っていない彼は逆に異質で、不審だった。

「はじめまして、落ち武者様。ようこそ、お出でくださいました」

「拉致られたような気がするんですが」

「とんでもない行き違いがあるようで、残念です」

「……失礼ですが、どちらさまですか?」

 訊いたところで知らない気もしたが、一応問いかけてみたゆかりに対し、男は朗らかに笑って答えた。

「イグナティウス家が嫡子、ベクレルと申します」




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