29 御三家の均衡

『アナライゼス、なにがあったんだ』

『ゆかりがいなくなった』

『ああ、それはこちらでも把握している』

『人間たちのほうでも、ゆかりを探そうとしていたところで、アナライゼスの声が聞こえたのよ』

『……俺だけでは、ゆかりを探せない』

『だから、俺達に知らせてくれたんだろう?』

『領主の命も下っているし、私達が動いても、咎められることはないはずよ』

『エルナの本気は怖そうだ』

『ゆかりのためだもの、全力を出すわよ』

『僕も頑張る。みんなでゆかりを探そうね、アナライゼス!』


 グルルルルと唸り合う竜たちがなにを話しているのか、理解することはできないが、ゆかりのことを話しているのだろうことは、想像がついた。

 ひとまずの話し合いがおわったのか、ドラゴン達がこちらを見やり、代表してアナライゼスがズンと地面を揺らして近づいてくる。

 グルル、グルルルル。

 アドレーの前に差し出された爪に引っかかっている物は、竜の鱗が幾つも連なったペンダントで――

 驚いてアナライゼスを見上げると、この付近では珍しい金色の瞳と出合う。

「これ、どうしたんだ?」

 アドレーが問うと、アナライゼスは石室のほうへ歩いていく。壁際の一角を示して、再びこちらを向いた。

 ここで見つけた、と。そういうことなのだろう。

 竜騎士達は顔を見合わせる。ゆかりがそれを喜んで首にかけていたことは、誰もが知っていることだった。簡単に手放したり、まして、こんなふうに放置するなど、考えられない。

「つまり、ここでなにかあって、誰かに連れて行かれた、ってことだよな」

「とはいえ、荒らされた様子はないな……」

 一人が地面を見やり、呟く。

 グルルルルル。

 ドラゴンがなにかを言い、なにかを問いかけるように、あるいは確認するように、竜騎士達の顔を覗く仕草をする。

「……悪いなぁ、おまえさん達の言いたいことを、俺達はきちんとわかってやれないんだ」

「ドラゴンにはドラゴンなりに、感じるところがあるのかもしれんな」

「おまえさん達は、ユカリちゃんの場所を探すこと、できるのか?」

 グルル……

 首を低くして、地面を見つめる。

「――これは、無理だって言ってるのか?」

「ノエル、どうなんだ?」

 アドレーが自身の相棒に訊ねると、ノエルは緑の瞳を曇らせて、視線を落とした。

 ノエルの放つオーラは、どこか淀んでいて、元気がない。

「つまり、わからないってことなんだな」

 アドレーが確認すると、ノエルは首肯した。

 次にアナライゼスに視線を向けると、こちらもかたい様子だ。

「手がかりを探すしかないな」

「っつてもよ、ペンダントが落ちてるだけじゃ、わからねーだろ」

「殿下の口ぶりからすると、表向きには糾弾できないような相手ってことだよな」

「ってことは、城内での地位がそれなりにある人間か」

「城のなかで権力があるってーと、警護団のフォルケイエスとか?」

 ぽつりと呟いた声が、夜の闇とともに、ずんと一同の胸を重くした。

 竜騎士団となにかと対立しがちな警護団だが、領内の防衛を担う彼らが、よりにもよって「落ち武者」をかどわかすような真似をするだろうか。

 彼らには彼らなりの誇りがあるはずだ。

 誰かを――、まして女性をこっそりと連れ去るような振る舞いは、警護団らしくない。

「今の団長は、珍しくフォルケイエスの係累じゃないだろ?」

「あれ、そうだっけ? てっきりどっかで繋がってると思ってたよ」

「や、たしか全然関係ないんだよ。すげー珍しがられたから覚えてる」

「じゃあ、問題を起こして、責任問題に発展させて、団長を辞めさせようとしてる、とか」

「簡単に辞めるタイプの人じゃないぜ、あれ」

 現団長のイエイゴを知っているという一人が、苦笑気味に言うことには、曲がったことは許さない熱血漢で、問題を起こすような団員がいれば、鉄拳制裁も辞さない男であるらしい。

 責任を取って辞めるよりは、犯人を公表して膿を出し、警護団の地位を回復させる方向に全力を尽くすにちがいないという。

 正義感が強く、今までにはいなかったタイプを長に抜擢したことは、異例ともいえる。そこには、フォルケイエス家自体の、内部抗争があった。

 末娘であるマルゲリータを溺愛している家族の中で、次男が唯一「もうちょっと冷静になろうよ派」で、これがイエイゴと仲がよい。そのため、マリゲリータ様ちょっとうざい派閥が次男を推し、直系である彼は上役には就けないことから、イエイゴが団長におさまったという経緯である。

「俺、ちょっと行ってくるわ。イエイゴには、直球で訊いたほうがいいと思う」

「頼んだ」

 知人である団員に任せ、別の可能性を考える。

 フォルケイエス以外でとなれば、次に考えられるのはモルゼディアスだろう。アーロン・モルゼディアスは、ゆかりを家に招こうと声をかけている。「あの人しつこいですね」とゆかりが呟いていたことを、団員達は知っているのだ。

「聞いた話なんだけどさ……」

「なんだよ」

「あそこの長男、縁組が近いとかなんとか。そのくせ、相手の情報が上がってこないから、謎らしいんだよ」

「――それ、相手が落ち武者様ってことか?」

「たしかにあの長男、やたらユカリちゃんに接触してたけどさ」

 グルルル。

 落ちた沈黙に、ドラゴンの声が響く。

 ずんと踏みしめた足が向いた方角は、貴族街である。暗闇に光る緑色の目が、一斉に同じほうを向くさまは、異様でもあった。

 団員達の話を聞き、彼らのなかではモルゼディアスが誘拐犯であるとみなしたのだろう。

 グルルルルル。

 なにやら訴えているが、まるでわからない。

 アドレーはノエルの傍へ寄り、話しかけた。

「ノエル、まだ決まったわけじゃないんだ、少しは落ち着いてくれ」

 グルル。

 いつになく鋭い目をしたノエルがアドレーを見据え、その圧力に視線を逸らせる。

 アドレーとて、黙って手をこまねいているのはいやなのだ。アーロン・モルゼディアスに関しては、因縁があるのはアドレーのほうであり、ゆかりは彼に巻きこまれた可能性だってある。

 落ち武者の傍にいつもアドレーが付いていることは知られたことで、それがヴィンセンテ殿下公認であることもまた知られていることだ。

 アドレーをよく思っていないアーロンにしてみれば、「落ち武者様をお助けしなければ」という彼なりの思いこみや正義感で、ゆかりを引き入れようとしているのだろう。

 彼個人の考えとは別に、モルゼディアス家としても、落ち武者を取り込むことは、家名をさらに高めることに繋がる。ヴィンセンテとの婚姻がなされないと知っていれば、ならば自分の家で――となってもおかしくはない。そこに年に似合う長男と結びつけ、当主夫人として旗頭にしてしまえば、モルゼディアスの名はより広まる。

 武力を掲げるフォルケイエスとは別の意味で、危険だ。司法を管轄するモルゼディアスが力をつければ、ヴィンセンテすら抑えこむことが可能になるということなのだから。


「とりあえず、行くだけ行ってみるか」

「理由もなく踏みこめないだろ」

「あやしいってだけじゃ、理由になんねーしなぁ」

「ドラゴンで囲んで威圧してみるとか」

「大問題だろ」

「訴えられるぞ」

「司法でモルゼディアスには勝てねーし」

「聞き捨てならないお言葉ですね。当家がなにか不正をおこなったとでも?」

 割り込まれた声に、一同が硬直する。

 ドラゴンの鼻息をものともせず、堂々たる歩みで近づいてきたのは、話題の主であるところのアーロン・モルゼディアス。肩を流れる長髪を耳へ掻きあげる流麗な仕草で、口の端を吊り上げる笑みを見せる。

「このような場所で竜を携え固まっているなど、謀反でも起こすおつもりですか?」

「いえいえ、まさかまさか」

「では一体何事ですか」

 グルルル……。

 頭上で唸るのはアナライゼスだ。

 アーロンは不愉快そうに竜を見上げ、アナライゼスの金色の瞳に眉を寄せる。

「やめろ、アナライゼス」

 グルルルルル。

 団員たちの言葉に耳を貸さず、アナライゼスはただ、アーロンを見据える。

 その様子にアーロンも、この竜は自分に対して用があるのだと悟った。

 御三家の者として、ライセムの竜と触れ合う機会は少なくないため、一般の民よりは竜に対する抵抗はないほうだ。とはいえ、ここまで近くで見下ろされた経験はなく、また珍しい金色の瞳を持つ竜は、さながら絵物語に出てくる、創作世界の生物じみていて、アーロンは少しひるんだ。

「竜よ、私になにか含むところがあるとでも言うのか」

「アーロン殿、その言い方はちょっと」

「言い方がなんだというのだ」

「喧嘩腰はよろしくないかと」

「別に喧嘩をしようなどと思ってはおりません。ただ、問いかけているだけではありませんか」

 アーロン・モルゼディアスはどこまでも真面目にそう言った。

 上から目線の偉そうな物言いは、彼のデフォルトである。

「――落ち武者が消えた」

「おい、アドレー」

「アーロンは黒毛の誘拐には関係ないだろう。すくなくとも、アーロンは知らない」

 唐突に告げたアドレーに団員が慌てたが、アーロンもまた狼狽を隠そうともせず、アドレーに詰め寄った。

「どういうことだ、アドレー・グリーブス。あの方になにがあったというんだ」

「姿が見えない。だから探している」

「それでこの竜たちか」

「おまえを睨んでいるのが、黒毛の相棒だ」

「落ち武者様に、騎乗竜がいらっしゃると?」

「目下、練習中だけどな」

「不思議な色を宿した竜と、尊き落ち武者様か。なかなか美しい」

 頷き、アナライゼスを見つめたあと、アーロンは団員たちへ向き直り、口を開いた。

「落ち武者様を取り込もうとするのであれば、御三家であるとお考えになった。城で姿を消したとなれば、フォルケイエスかモルゼディアスかと、そういうわけですね。たしかに、彼女を我が屋敷へお招きしたいとは思っておりましたが、このような時分に、黙ってお連れするような真似はいたしませんよ」

「おまえ以外の誰かである可能性は?」

「家は探させよう。だが、もうひとつ忘れているのではないか?」

「もうひとつ?」

「御三家というのであれば、もう一家あるだろう」

 皆が固まった。ぽつりと誰かが呟く。

「……イグナティウス」

の家には最近、よそから流れてきた商人がいるとか。白い服をまとい、教会での説法会が物議をよんでいるといいます。他国の者を、我が国の司法で裁くことはなかなか難しく、放任するしかありません」

「白衣の集団か」

 最近噂の、新興宗教団体。

 白を掲げその集団は、黒を覆いつくそうと活発に活動しているという。

 そんな団体にとって、黒毛の落ち武者は悪の総本山でしかない。

 ひゅーと鋭い息を吐いた竜たちが、一斉に空へ向かった。





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