27 道の先にあるもの
竜の森は、不思議な場所だ。
白石ゆかりの知る世界では、気温が下がると共に木々は色づき、紅葉を楽しむ。その後、落葉することも風情であるし、裸になった木に白い雪が積もる姿も美しいと感じる。やがて芽吹き、再び青々とした葉が茂るサイクルが当たり前だと思っていたが、竜が住まう森は常に葉が生い茂る森林だった。
城の庭園は季節ごとに景色を変えるが、竜の森は一年を通して変わらない。同じ樹木のはずなのに、不思議とその姿を保っているのだ。まるで、時間の流れが停滞しているかのように。
竜の巣が「迷いの森」とも呼ばれる所以である。
季節を感じさせない森は、竜達の姿を隠すためなのかもしれない。
生い茂った木々は彼らを隠し、悪意を持って忍び込んだ人間たちの感覚を狂わせる。景色が変わらないため、距離感がわからなくなるのだ。
うしろめたさや、不安。そういった感情が焦りを呼び、人の心を惑わせているのだろうが、「迷い込んで別の世界へ行ってしまった」と思わせてしまうなにかも存在し、かつてのアドレーが「竜の世界へ行ってしまった」と噂されたのも、無理からぬことだった。
「ドラゴンは寒さとか感じるの?」
『人間とは違うだろうけど、気温の変化は感じる』
「じゃあ、今は?」
『なんともないけど、ゆかりは寒いのか?』
「ちょっとねー」
本当はめっちゃ寒いと思うのに、つい控えめに答えてしまうのはどうしてなんだろう。
日本人っておかしいよねーと、ゆかりは脳内で自分にツッコミをいれる。
アナライゼスとの騎乗練習は、練習というよりは実践という域に入っており、今もこうして実際に空に浮かんでいる。森の木々を下に見渡せる程度の高さだが、高層ビルなぞ縁遠い地域に住んでいる身としては、これでも十分な高度だった。
この高さになると、城の全景がわかる。テーマパークのパンフレットに掲載されている案内図を彷彿とさせる景色で、眼下に広がるそこには、主だった大きな建物があり、別棟がいくつか点在している。生垣がそれぞれを繋ぐ道を作っており、上から見るとまるで迷路のようだ。
足元を風が通り抜け、冷気が足を這いあがる。
ぞわりと鳥肌が立ち、ゆかりはアナライゼスの背中で軽く身体をゆすった。
さむい。
『どうかしたのか』
「冷たい風が来たから、ちょっとびっくりしただけ」
『寒いのか』
「寒いけど、アナライゼスの背中があったかいから、くっついてるとあったかいね」
おまけに鱗にある産毛のおかげで、床暖房つきの絨毯に座っている感覚。すりすりして寝たら、さぞかし気持ちいいだろう。
手袋とマフラーは借りたが、もっと厚着をした方がよさそうな気温だ。ヒートテックが欲しいと切実に思う。
竜騎士団の面々によると、いつ雪が降ってもおかしくないという。山間ともなればかなりの雪が積もるらしく、ゆかりが住んでいた場所よりずっと雪深い地域らしい。領主の城があるこの辺りはさほどでないというが、雪国の人が言う「たいしたことない」は、降らない地域の人の「すごい積もった」レベルだろうから、あてにはならない。
白い雪景色の中に佇む黒いドラゴンの姿を想像すると、なんだか胸が震える。
孤独で、孤高で――。
きっと絵になるに違いない。
自分の黒髪も十分目立つであろうことを頭の隅に追いやって、楽しみだなーと笑みを浮かべる。
楽しい。
そう感じられることが、嬉しかった。
「ねえ、アナライゼス。お城の近くに行きたい」
『あまり近くに行くと、怒られる』
「そうなの? 風圧とかで建物壊れるのかな」
『怖がる人もいるから駄目だと、ヴィンセンテが言ってた』
「そっちかー。まあたしかに、いきなり窓の外に居たらビックリするよね」
先日、ノエルがいきなりガラス窓越しに顔を見せた時の衝撃はなかなかだった。ある程度、竜を見慣れているゆかりですらそうなのだ。城で働く人達は、驚くどころの騒ぎじゃないだろう。場合によっては阿鼻叫喚の大パニックだ。
『竜騎士団の詰所以外の建物には、勝手に近づいては駄目だと言われてる』
「ノエルは、アドレーさんの家によく行ってるらしいけど、それはいいの?」
『人間が許可してるなら、いいみたいだけど』
ようするに、慣れているか否かの問題であろう。
ノーソルデル邸におけるメリッサとミルファのように、アドレーの場合も同じだった。加えて、彼の祖父は元竜騎士。グリーブス家にとって竜は、昔から近しい存在といえた。ノエルがやって来たとしても、家人にとっては庭に犬がいるのと大差ないのだ。
他の竜はともかく、人間から遠ざかって過ごしてきたアナライゼスは、住居はおろか、無人の建物にすら近づかず、過ごしてきた。
「言われたことをちゃんと守って、アナライゼスはえらいねぇ」
『べ、べつにそんなんじゃないし、俺は人間に用事ないから行かないだけだっ』
「ノーソルデル邸にドラゴンが来るのは大丈夫らしいから、アナライゼスも気軽に来てね。ダンさんの作ったご飯、美味しいよ」
『この前、行った』
「でもあれば、様子伺いっていうか、ドラゴンさん達の独自パトロールでしょ? そういうんじゃなくて、単純に遊びに来てくれたらなーって思ったんだけど、いやだった?」
『いやとは言ってない』
いつもの調子で言葉が返ってくる。
笑いがこみあげるのを殺して、ゆかりはアナライゼスの首元をそっと叩く。
「用事なくてもいいからさ。顔見せてくれるだけでいいよ」
『――わかった』
呟くと、数回首を振る。照れくさいのをごまかす時にするアナライゼスの癖に、ゆかりは気づいていないふりをして、ふたたび声をかけた。
「ゆっくりでいいから、前に進んでみてくれる? 落ちないように頑張るからさ」
◇
なんだかすこぶる調子がいいぞ。
ゆかりは胸を躍らせながら、城の廊下を歩いていた。
ドラゴンを操る技術はまだまだではあるけれど、背に乗って、空へ浮かぶことはできるようになった。飛翔するのはまだ難しいけれど、地面を駆ける程度のことはできるようになっている。エルビス団長にもほめられたことで、自信もついた。
(これで少しは、竜騎士団の一員って名乗っても許されるかな)
紐を通して首から垂らした竜の鱗を、服の上からさわる。
中央にある一番大きな鱗は、子どもの握りこぶしぐらいの大きさで、アナライゼスの物だ。躰の場所によって、鱗にも大小サイズが色々あり、竜騎士団にいるドラゴン達から、ゆかりはそれぞれの小さな鱗をもらった。どれかひとつは選べないので、全てを紐に通してペンダントにしている。
その際、ドラゴンによって鱗の色が少しずつ違うため、グラデーションができるように並べてみた。光にかざすと、黒の中から各ドラゴンの色が輝いて浮かび、とても綺麗に見えるところも気に入っている。
たくさんの鱗を一人で持っているのは、竜騎士団の中ではゆかりだけで、ちょっとした優越感もあった。
良いことは続く。
食堂の料理人たちが作る新メニューの試食をさせてもらったり、森で食べられるようなテイクアウト品も充実しはじめた。
冬になり寒くなってきたことで、ホットメニューが増えている。チキンクリームのスープは絶品だったし、具沢山のシチューも美味しかった。クリームコロッケも作ってもらったし、パンに挟んでバーガーにした物は、竜騎士団員の中で流行した。
騎士団の詰所近くでは、焼き芋を作って食べることを覚えた。
エスタ芋と呼ばれるサツマイモに似た芋を知ったゆかりが、焚火の中に放り込んで食していた。それを見たジェスターが興味を示し、真似る者が増えたのだ。
冬場のおやつとして、詰所には芋が常備されることになる。
エスタ芋がサツマイモなら、スイートポテトだって作れるはずだ。
ゆかりはダンに説明し、裏ごしを手伝いながらスイートポテトを作成。リングレンに「ユカリすごいね」と称賛され、鼻が少し高くなった。
いつの間にかピザも進化を遂げており、グラノーラも呼んでピザパーティーを繰り広げたものである。
お針子さんズとも城内で度々顔を合わし、食堂を借りてのティータイムも恒例行事となりつつある。金持ち仕様ではない庶民的な洋服も何着か手配してもらい、町へ降りる準備は万端だ。
調子に乗って歩いていると、見慣れない一角へ迷いこんでしまったことに気づいた。
いつぞや、マルゲリータお嬢様から身を隠した時のような、木々が密集している場所。アナライゼスに乗って見た風景から推測しようとするも、よくわからない。けれど、生垣の道に沿って歩けば、どこかの建物には行きつくだろう。
(迷った時は、壁に手を添わせて歩くんだよね、たしか)
左手を草むらに向け、小道を歩きはじめた。
ただの石畳ではなく、複数の色石を組み合わせ、一定の模様を作り出しているところから、人の手がかかった整備された場所であることがわかる。これならば、それなりの場所に辿り着くことだろう。
今日の空は青い。
太陽は頂点を過ぎ、下降をはじめている。建物の影が多いこの場所では、もう一枚羽織りたいところだ。
足元でガサリと音があがったので下を向くと、風に乗って転がってきた枯葉が集まり、積もっていた。水分がなくなりカラカラに乾いたそれは、足先で触れただけでもバラバラに砕け、欠片となって石の隙間に入りこむ。
狭い小道に正面から吹き込んでくる風は、小さな渦を巻き、ゆかりの隣を通り抜けていく。追いかけるように大きな風が吹きつけ、刈り込まれた生垣の葉と、その向こうに生えている木々の葉をざわりと揺らした。
冷たい風が顔に当たり、体温が急激に下がった気がする。つれて、心のどこかが冷えた。
人の声が聞こえない場所。風だけが音を立て、ゆかりの心を追い立てる。
いやだ。
この空気は、なにかを思い出す。
いつかの、いやな気持ちを思い出させる。
(早く行こう。竜騎士団の詰所に戻って、ノーソルデルの家に戻って、レンくんと一緒にダンさんのご飯を食べよう)
足を速めたゆかりは、ゆるくカーブした生垣に沿って道を曲がる。その先に見えたのは小さな建物だった。
やっと建造物に出会い、無意識に強張っていた身体がゆるむ。
周囲にも石が敷き詰められており、整然とした雰囲気のある建物だ。二本の柱の間を通り奥へ進むと、小さな部屋があった。明かり取りの窓から降りる光が当たる場所に、女神像が鎮座していることから、ここは簡易的な教会なのだろうと推測できた。
特定の神様を信じているわけではないし、ガルセスという国がどんな信仰を掲げているのかも、よく知らない。ゆかりが知っている神様は、例の「始祖の神」とやらで、黒が神聖視されていることぐらいだった。
教会というと天井が高いイメージだったが、ここは違う。そういった意味では、教会ではないのかもしれない。
領主城にありながら、訪れる人を制限しないそこは、かつての領主が建てた「祈りの間」だ。熱心な信徒でもなければ頻繁に訪れることもないため、どこか寂れた印象は否めない。それでも宗教画らしき壁画が壁に埋め込まれており、それなりの雰囲気を醸し出していた。
世界史の資料集か、美術の教科書で見たようなものがそこにある。
博物館などでは触れることはできない、骨董品ともいえるものが目の前にあることに、ゆかりは萎縮していた。
罰が当たったらどうしよう、などと考えてしまうのは、日本人の思考だろうか。
神聖なものは、おいそれと触れてはいけないような気がしてしまうのだ。
帰ろう。
踵を返そうとしたゆかりの耳に、コツンと足音が響いた。
「なにをしておいでか」
「すみません。迷子です」
「迷子?」
「恥ずかしながら城の中で迷ってしまいまして。城門のほうへはどう行けばいいのか、教えていただけたら助かるんですが」
「そうですか。迷われたのですか」
厚いベールを付けているせいで表情がよく見えないが、聞こえてきたのは女性の声だ。狭い石室に反響し、大きく聞こえる。
入口を塞ぐ形で立っているせいで、室内は薄暗さを増した。相手の背後から洩れる光は後光のようで、場所が場所なだけに、すわ女神かと思わせる姿だった。
にもかかわらず、どこか異様な雰囲気を感じるのはなぜだろう。
相手は女性で、線の細いシルエットといい、どう考えても自分のほうが体格がいい。これは美味しい物が多くて、さらに一流の料理人が周囲に多いせいだと、ゆかりは独りごちる。
「黒き髪。落ち武者様」
「はい?」
近づいてきた女性、顔が半分隠れたフードから覗く口元が笑みを作る。
「本当に黒いのですね。闇より出でし漆黒の色」
「はあ……」
「なんと――、おぞましい」
「……はい?」
弧を描く口元から、白い歯が覗く。フードと、全身を覆う白い布地のせいで、口紅が際立って血のように赤い。
白づくめの人。
白を崇める、新興宗派の人々。
「教会には、あまり近づかないほうがいいだろう、黒毛」
「そもそも用事もないですけどね、教会とか」
「教会関係者は、どこにでもいるから気を付けておけ」
いつか交わした、ヴィンセンテとの会話が頭をよぎる。
(すみません、まずいことになったかもしれません)
伝わらない呟きを胸に、ゆかりは天を仰いだ。
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