26 カモナマイハウス
部屋の窓がガタガタと音を立てる。アルミサッシではない窓枠は、少しの風でも大袈裟に音を立てるが、そんなことにもすっかり慣れてしまった。
あてがわれている部屋は二階で、広さにして六畳ほど。ベッドや机を置いてしまえばスペースは圧迫され、さらに狭く感じてしまう。狭くて申し訳ない、などとグラハムは言ったが、日本人の感覚としては、まあこんなものだろうと思っている。
二間ぶち抜いたような広さのリングレンの部屋に入った時は「映画に出てくる金持ちのボンボンの部屋だ」と感動した。
どうしてお金持ちは大きなベッドを置くのだろう。寝台のサイズが小さければ、部屋が狭く感じることもないと思ったが、居候に口を出す権利はないと思い、そこは黙っている。
ガタガタというよりは、ガコンガッコンという、あきらかに意思を持った揺らし方に、ゆかりは窓へ近づいた。
すると、窓の外にぬっと大きな頭が出現し、ぎょっとして後ずさる。よくよく見るとそれはドラゴンで、未だおさまりきらない心臓を服の上からおさえながら、ゆかりは戸を開放した。
「ビックリした。なにかと思ったよ」
『ごめんね。ゆかりの様子を見にきたんだよ』
「なんだってまた」
『みんなでゆかりを守るためだよ!』
理由を訊いてるんだけどなーと思いつつ、ノエルがあまりにも嬉しそうにしているので、ゆかりは笑顔で流した。
ちびっこ探検隊を結成して張りきっているような雰囲気に、水を差すのも悪いような気がしたからである。
「ノエル一人?」
『順番なんだ。今日は僕だよ』
一番手に名乗りをあげた様子がありありと浮かぶ。アナライゼスあたりはムッとしているだろうが、張り合って自分もと声をあげるのは憚られたに違いない。
気になりつつも「俺はべつに気にしてないし」とか言っちゃうのが、アナライゼスクオリティ。
そしてきっと、そんな様子は周囲に筒抜けで、温かく見守られていることだろう。
『僕、他の人のおうちに来たのはじめてだよ!』
ドスドスと音がするので下をみると、ノエルのしっぽが左右に動きながら、踊るように地面を叩いている。
瞳は爛々と輝いており、とてつもなく楽しそうだった。
『アドレーのおうちにはね、僕よく行くんだよ。今度ゆかりも一緒に行こうね。美味しいものくれるよ』
「そうだね、アドレーさんに訊いてからにしようね」
『僕、きいてみる!』
「ノエルの言葉、アドレーさんには聞こえないでしょ?」
『――! そっか、そうだよね……』
その事実に思いあたってショックを受けたのか、ピタリとしっぽが上を向いて止まり、やがてへたりと地に落ちた。心なしか鱗も垂れ下がったような気がする。意気揚々と張りきっている園児をしょんぼりさせたような、強烈なうしろめたさに襲われた。
「うわっ!」
背後から悲鳴のような声があがったので振り返ると、リングレンが目を見開いてこちらを――ノエルを見つめていた。
グルグル、どっすんどっすん騒がしいので、様子を見にきたのだろう。
「ごめんね。ノエルが遊びに来たんだよ」
「それ、ユカリのドラゴン?」
「違うよ。ノエルはアドレーさん一筋だからね」
『僕、ゆかりも好きだよ。アドレーの次ぐらいに好きだよ』
「そっか、ありがとねー」
『その子、誰? ゆかりの弟?』
「んー。正確には違うけど、そんなようなかんじかなぁ」
ゆかりがグルグル唸るノエルと話していると、リングレンは怪訝な顔で問いかけた。
「ねえ、ユカリ。なにひとりごとを言ってるの?」
ちょっと休んだほうがいいんじゃない? と気づかわれた。
心の病あつかいである。
「違うから。聞こえちゃいけないものが聞こえちゃってる系のやつじゃないから!」
「大丈夫だよユカリ。お父さんも僕も、味方だから」
「だからちょっと聞いて、レンくん!」
『ゆかり、病気なの?』
「違うよっ」
「ユカリ、そんなにまでつらいことがあったの……?」
「違うから。ねえちょっと聞いて、リングレンくん。そんな可哀想な子を見る目で私を見ないで、リングレンくーん」
◇
ノーソルデル邸の庭。ゆかりの前には地面に伏せてしっぽを揺らすノエルと、そのしっぽにパンチを繰り出すリングレンがいる。その姿は、母親猫が揺らすしっぽにじゃれつく子猫に似ていた。
近所の庭先で見た憧れの光景が今、ゆかりの目の前にある。
本来ならば、感動に打ち震えるところだが、そこで戯れているのは猫の親子ではなく、ドラゴンと少年だ。
遊園地のアトラクション、または遊具で遊ぶ小学生の図でしかなかった。
(まあ、これはこれでほほえましい、かな? 運動量激しそうだけど)
そろそろ息があがりつつあるリングレンを、いつ止めようかと悩むゆかりである。
精神が病んでしまった可哀想な人扱いを受けたゆかりは、あれからリングレンを部屋の中に引き入れ、事情を説明した。
竜の言葉が理解できる件は、グラハムは知っているものの、リングレンを含めたノーソルデル邸の面々には伝わってはいなかった。竜騎士団に関連した仕事を手伝っている程度の認識で、ゆかりとしても、ドラゴンに乗ってなにかをするでもない現状「竜騎士団の団員です」などと胸を張って言えるものでもなく、適当に濁していたツケがここにでたかんじである。
かつてのフェイムのように「嘘をつくな」と疑われるかと思ったが、リングレンはあっさりと受け入れた。こちらが「え、マジで信じたの?」と言いたくなるぐらいの素直さである。知らない人に付いていっちゃいけないよ、と言い聞かせたほうがいいんじゃないかと心配したぐらいだ。
「僕の言ってること、わかる?」とリングレンが訊ねると、グルルとノエルは首肯する。
少年は鼻を膨らませて興奮していた。握りこぶしをつくり、自制するように何度も何度も上下させる。足は飛び上がるのをおさえるように屈伸運動を繰り返しているので、ゆかりはリングレンを庭先へと連れ出すことにしたのである。
そして、現在の状況だ。
庭に置かれた簡易テーブルには、人間用とは別に、ドラゴン向けにパンの塊が鎮座している。
ノーソルデル邸の使用人たちはノエルを恐れるでもなく、粛々と準備を整えて去っていった。セルマに訊いたところ「奥様のドラゴンがおりましたので、皆、慣れているのですよ」とのこと。噂のドラゴン・ミルファは、相棒であるメリッサに会うため、頻繁に訪れていたようだ。リングレンが物怖じしていないのも、そのせいなのだろう。
「ねー、レンくん。休憩しなよ。お茶飲もう」
「もうちょっと遊びたいのに」
「また今度にしなよ」
「また来てくれるの?」
リングレンがノエルの顔を覗きこむと、ゆっくりとまばたきを返す。顔が動かせない場合の肯定の合図だ。
『リングレンも森に来ればいいよ』
「ねえ、ユカリ。なんて言ってるの?」
「レンくんも竜の森に遊びに来てってさ」
「行ってもいいの!?」
「グラハムさんが許可すれば、いいんじゃないかな」
「今日お父さんに訊く!」
さすがに喉が渇いたのか、椅子に座ってお茶を飲みはじめたリングレンを見やりつつ、ゆかりはノエルに問いかけた。
「騎士団じゃない人を連れていっても、大丈夫なもんなの?」
『アドレーは来てたよ』
「それは、お祖父さんが一緒だったからだと思うけどな」
『他の人も、小さい子連れて来たりしてたよ』
ゆかりが足を運ぶようになってからは、そういった光景は見られないが、竜騎士団以外の人間との接触を禁じているわけではない。なにかあったら怖いと思うせいで、事情を知っている人間(この場合は竜騎士団)の関係者が多いだけで、竜を間近で見たければ、いつでも受け入れているのである。
ただ、落ち武者であるゆかりが来たせいで、しばらくは一般人を遠ざけている状況が続いていた。そろそろ解禁しようかという矢先に、例の「落ち武者様は神様だった説」が出たせいで、先送りになっている。
そんな事情はまったく知らないゆかりやノエルは『どうして皆来ないのかな』「近いと、いつでも行けると思って、なかなか足を運ばないもんなんだよ」と語り合っていた。
「ねえねえ、パン食べる?」
一休憩が終わったらしいリングレンが、ドラゴン用の塊パンを抱えて、ノエルの前に戻ってくる。
子どもの頭ほどある大きなパンは、数種類あるドラゴン用パンのうちのひとつ。一般家庭ではお目にかからないシロモノだが、ミルファが通っていたというだけあって、焼き型は準備されているらしい。中身は人間用と同じであるため、ノーソルデル邸ではよく利用されており、切り分けて食事時に食べているお馴染みのパンだ。
『僕にくれるの?』
驚いた顔でまばたきを繰り返し、リングレンに言葉が通じないことを思い出して、ノエルはゆかりに目を向ける。
「レンくん。ノエルが、自分にくれるのかって訊いてるよ」
「うん。ノエルにあげる」
『ありがと!』
ぐわっと口を開くと、リングレンが抱えたパンにかじりつく。小さい子どもならビビッて泣くんじゃないかというぐらいのド迫力だが、リングレンは動揺ひとつ見せなかった。それどころか「おいしい?」と普通に話しかけているのだ。豪胆である。
ゆかりは感心した。
「レンくん、すごいね」
「なにが?」
「手ずから食べさせるとか、怖くない?」
実は最初はビビりまくったゆかりが問うと、リングレンは綺麗な髪をさらりと流し「どうかな?」と小首をかしげた。
「お母さんがミルファによくやってたし、僕もパンをあげたりしてたから。ノエルのほうが小さいし、そこまで怖くないよ」
「へー。ミルファは大きいの?」
「大きいっていうか、躰がすごく長いんだ。細いし。すっごく速いよ」
体重コントロールをして躰を絞り、より最速を目指して空を駆ける。
ミルファはアスリートなドラゴンであった。
一体どんなドラゴンなんだろう。
興味は尽きない。
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