23 噂を信じちゃいけないよ

 視線が痛い。

 白石ゆかりは、己に突き刺さる視線をひしひしと感じていた。

 城にやって来たばかりの頃に向けられていた、珍しい物を見る視線とはまた少し違う空気の原因は、ライセムの町でまことしやかに囁かれている、とある噂が原因らしい。


 竜騎士団の面々が心配そうに教えてくれた噂は「ライセムに来た落ち武者様は、あの始祖の神の化身らしい」というものである。

 聞かされた時、そのあまりに想定外の話に、開いた口がふさがらなかった。

 曰く、黒き獣はドラゴンだったかもしれない説が生まれ、落ち武者が竜騎士団に所属し、日々ドラゴンと生活を共にしていることを知った人々が考えたらしい。


 ドラゴンを怖がりもせず、すぐに打ち解けた。

 以前からドラゴンを知っていたのかもしれない。

 黒い毛並みの獣がドラゴンなら、それを従えた始祖の神は、落ち武者様なのでは?


 ひどい三段論法もあったものである。

 どこからともなく現れた異人を「神」と呼称した歴史は、あるかもしれない。

 だが、今ここにいる自分を、その「始祖の神」とやらにされてもはげしく困る。

 ゆかりは脱力した。

「……なにそれ、意味わかんない」

「ユカリちゃん、まだ町へは降りてないからなぁ。知らない人にとっては、落ち武者様ってのはやっぱり、なんかすごい人ってかんじなんだよ」

「俺らだって否定はしたよ? 神様とか、そんな人じゃねえよってさ」

「まあ、なんだ。ドラゴン関係で盛りあがってるから、それに乗っかって騒いでる奴も多いんだよ」

「さっさと人前に出とけば、こんな面倒なことになってねーと思うんだけどなぁ」

「それだ!」

 ゆかりは立ち上がった。

「バーンと前に出れば、誤解なんてすぐ解けるよね。おまえのどこが神だよって話になるよね」

「いや、それはどうだろう」

「やめといた方がいいって」

「今は騒ぎの真っ最中だし、もうちょっと下火になってからにしようぜ」

「そうそう、噂なんてそのうちおさまるって!」

 人々が想像する「神様」とはたしかに違うが、吉兆とされる落ち武者様が、まだ若い女性だと判明すれば、別の騒動を招きかねない。

 竜騎士団の紅一点に悪い虫がたかってくるのを恐れ、団員達はこぞって引き止めにあたる。

 そんな心配をされているとは思ってもいないゆかりは、憮然とした表情で文句を垂れた。

「えー。でも、今でさえ、お城の中歩いてて、変な目で見られるんですよ?」

「変な目?」

 詰所にいる団員一同が気色ばんだ。

 ゆかりは気づかず、肩を落として消沈する。

「なんていうんですかね、こっちに来た最初の頃は、珍獣を見る目っていうか、遠まきにされてる雰囲気があったんですけど、今回のはおもしろがってるっていうか……」

「変なこととか、されてないか?」

「なにをもって変というかわかりませんけど、特には」

 直接話しかけず、離れた場所からコソコソされている感覚。言いたいことがあるならはっきり言えよ――と言ってやりたいあの空気は、かなりストレスがたまる。

「護衛の数、増やすか?」

「そうだな。二人一組で付くようにしよう」

「どこのどいつが、一体どんな目つきで見てるのか、確認せんとな」

「大丈夫だ。ユカリちゃんは俺達が守るから」

「いえ、別に襲撃されたわけじゃないですから」

「狙われるかもしれんだろうが」

「……お城の中ですよ?」

 こんな場所で事件を起こす人はいないだろうに。

 そこへ戻ってきたのは、ヴィンセンテに呼ばれていたエルビス団長だ。彼は、詰所に漂う一種異様な熱気に足を止め、視線で一同に問いかけた。一人が握りこぶしを作って起立し、説明をすっ飛ばして発言した。

「団長、ユカリちゃんを守りましょう」

「――よくわからんが、おまえらが盛りあがっていることは理解した」

「団長っ」

「例の、落ち武者が始祖の神だとかいう噂のことだろう? 殿下からも色々と聞いてきた」

「殿下はなんと?」

「根拠のない噂はやめろと、殿下の名前で御布令を出すそうだ。神話にまつわる話なぞ、争いの種にしかならん」

 下手をすれば、戦争の勃発だ。

 他国の話ではあるが、宗教間の違いで争いが起こり、内部分裂によって国内が荒れたことがある。ガルセス国内はもとより、ライセムにも難民が押し寄せ、受入の是非について意見が割れた。当時のことを覚えている人も、領内には多いことだろう。

 周辺国家は、かの出来事を教訓としており、不要な争いは避けるべきと考えているし、騒乱を起こす者に対する罪はかなり重くなっている。

「罪人として裁かれる可能性があるとなれば、口にする者は減るはずだ」

「それは根本的な解決にはなってないような……」

「そもそもが、神話の世界だ。現実と混同するほうがおかしい」

 エルビス団長はリアリストであった。

 言い捨てた団長に、一人が訊ねる。

「竜騎士団としては、どのように振舞えば?」

「落ち武者様は神話のようなあやふやな存在ではなく、もっと身近な、我々と同じ目線に立つ同士である、という方針で行けとのお達しだ」

「具体的には?」

「普段から接している人間のほうがよくわかっているだろうから、我らに一任するそうだ」

「さすが殿下、寛容な方だ」

「いや、考えるのが面倒なだけじゃね?」

「つーか、あの人に考えさせたら、それはそれで別方向におかしなことになる気もする」

「あー、わかる。いい人なんだけど、ちょっとずれてるよな」

 自国の王子にして領主である男に随分な言いようであるが、誰も異議は唱えなかった。

 アドレーは深く頷いた。

 ゆかりも頷いた。



  ◇



 竜騎士団の詰所にて、緊急会議が開かれた。

 議題は、落ち武者の在り方について。

 副題をつけるならば、「ユカリちゃんの存在をいかに表現するか」

 要するに、白石ゆかりのプロデュース方法を考える会である。

 フェイムが言った。

「うちでは、単なる食いしん坊で通ってるぞ」

「他にもっと言い方ってもんがあるんじゃないのかな……」

「例えば?」

「えー、ほら、美食家、とか?」

 ゆかりが人差し指を立てて提案すると、一同は沈黙し、そしてそれぞれが首を振った。

「やっぱ食いしん坊だろ」

「食欲魔人よりかわいいぞ?」

「たくさん食べるほうが健康的で印象がいいと思うし」

「ユカリちゃんはいつも旨そうに食べるしなー」

「食堂の料理長までもがユカリちゃんには一目置いてるっていうし」

「ユカリちゃんのおかげで、食堂の特別メニュー食べられる率あがったし」

「融通利かせてくれるようになったよなー」

「ドラゴン用にパンを焼いたついでに、俺達用にも用意してくれたり」

「頼んだら弁当作ってくれたりな」

「あ、あれ旨いよな。余り物で作ったとは思えない質の高さ」

「なんだよ、それ」

 聞き捨てならないとばかりに一人が問うと、常連の男が解説する。

「物々交換ってーの? 森で採る作物は味が違うじゃん? それを持ってくるかわりに、頼んだら弁当作ってくれるんだ」

「マジで?」

「プロが作るとさらにうめーの。ドラゴン様様だね」

 前日に頼んでおくと、翌日の昼食弁当を作ってくれる仕組みが、いつの間にか出来上がっているらしい。

 なお、弁当を作ってくれるのは、可愛い女子ではなく、食堂のおっさんである。

「――おまえ今、うらやましいなーって思っただろ」

「そ、そんなことないしっ」

 ごくりと唾を飲みこんで、ゆかりはアドレーの言葉を否定した。

呆れたようにフェイムがぼやく。

「話が脱線してるな……」

「おまえが食いしん坊とか言ったからだろ」

「でも、事実そうなんですよ。実家でのコイツは、よく食べる女です」

「フェイムさんがそう見えるように仕向けてるんじゃないですか?」

「じゃあ、もう料理は持ってこなくてもいいんだな」

「ごはんに罪はありません。食いしん坊万歳!」

 ゆかりは白旗を上げた。

 ドラゴンフルーツ普及委員会の活動一環でメニュー開発を行っていた頃から、試食をおこなっていた。今もそれは継続中だ。競争相手ができたことで、新たな味への探求に余念がないらしい。

 食文化に貢献したということで、グランドールの店主――フェイムの父親は、ヴィンセンテから直々にお言葉を賜っている。

 登城した際に、フェイムを通してゆかりも彼と対面を果たし、改めて御礼と共に料理のおいしさについて熱弁を放った。そのせいなのか、新旧問わず、グランドールの料理が届けられており、息子フェイムは使いっぱしりをさせられている。悪態のひとつもつきたくなるというものだろう。

「やっぱり髪の色じゃねえかな?」

「だが、その黒毛のせいで、今こうなってるんだ。論点を逸らすべきだろう」

「別の場所に注目させる、か……」

「ドラゴンと話ができるってのは?」

「でも、それ信じるか?」

「フェイムの例もあるからなぁ。一般人にとっちゃ、嘘くせーかもな」

「ドラゴンフルーツ料理の開発者ってのは?」

「それはグランの料理人が中心になってるから、手柄を横取りするみてーで印象悪くするんじゃないのか?」

「……たしかに、実際に作ったわけじゃねえしな」

「…………」

「…………」

 沈黙した。

 誰もがなにかを言おうとして思いつかず、微妙な雰囲気に支配される。

 白石ゆかりとはどういう人物か。

 食べ物に関係すること以外を、誰も思いつかなかった。




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