24 尊き色彩

 グルルルル

 落ちた沈黙の中、ドラゴンの声が響いた。

 首を低くおろし、一階の部屋を覗きこんでいるのは、アナライゼスである。

 ゆかりは席を立つと、アナライゼスの顔がある窓を開いた。

「どうしたの、アナライゼス」

『そっちこそ、なにかあったのか』

「なにもないよ。なんで?」

『みんなが集まってるから』

 不安そうに瞳が伏せられるのを見て、ゆかりはアナライゼスの鼻先をゆっくりと撫でる。「大丈夫、なんにもないよ」と声をかけていると、団員達がゆかりに問うた。

「アナライゼス、なんだって?」

「皆で集まって話してるから、なにかあったんじゃないのかって心配してます」

「そうか。そりゃー悪かったな」

「全員が集まってりゃー、不安にもなるわなー」

「アナライゼスは心配性だもんなぁ」

『べ、べつに、心配とかじゃないから』

 かけられる声に、アナライゼスは反論した。

 グルグル唸る声に、団員はさらに問う。

「なんだって?」

「べつに心配してないーって、いつもみたいに強がってます」

「そっかー。じゃあ、だいぶ不安がってたんだなぁ」

「ごめんなー、大丈夫だぞー、アナライゼス」

 ゆかりを背中に乗せることに同意してから、以前よりも人間に近づいてくるようになったアナライゼスに対し、竜騎士団の面々は喜んでいる。

 さらに、ゆかりの通訳により、アナライゼスは「一匹狼を気取っているけど、本当のところは、素直になれない、他のドラゴンよりも寂しがり屋さん」であることが判明して以降、接し方も変化した。

 まるっきり子ども扱いではあるが、そんなふうに声をかけてくれることをいやがっていないことを、ゆかりは知っている。

 そうこうしているうちに、他のドラゴン達もわらわらと集まってきたため、一同は外へ出ることにした。

 建屋の脇は、ドラゴンが数体集まっても支障がない程度には広い敷地がある。敷かれている青芝は、ドラゴンの巨体が歩いても問題のない品種が選択されており、定期的にメンテナンスもおこなわれている。

 その芝を踏みしめて近寄ってきたハウロスの声が、頭上から降ってきた。

『やあ、ゆかり。なにかあったのかい?』

「どうしてそう思うの?」

『全員が部屋に集まってるなんて、緊急時ぐらいしかないからね』

「そうなの?」

『争いごとが多かった時期は、集会をよくやってたよ』

 ハウロスにしては妙にしんみりとした口調で告げるので不思議に思ったゆかりに、エルビスは苦い表情を浮かべて話してくれる。

 もう十数年は前のことだ。

 戦争というほど大袈裟なものでなかったにしろ、周辺国で起こった騒動の鎮圧のため、竜騎士団が駆り出されたことがあったらしい。彼らに課せられたのは、直接的な武力攻撃ではない。竜を面前に出すことで、反抗の意思を奪う、精神的な面での制圧だ。

 竜のいない地域の民にとって、初めて間近にするその大いなる姿は畏怖をもって迎えられたが、一部、恐慌状態に陥った者が凶器を奮って暴れる事態にもなったという。

 その際、負傷する竜騎士も少なくはなく、竜にとっても印象的な出来事だったのだろうと、エルビスは語った。

『争いはなにも生まないからね』

『失うだけよ』

 ハウロスが言うと、エルナも寂しそうにこぼした。

 長い時間を生きる竜は、人々が争い、自らの手で大切なものを手放していくさまをずっと見てきたのだろう。

 ゆかりは、焦燥感とともに口を開いた。

「……あのね、本当に、そんな大変なことが起きたとかじゃないんだよ」

『ならいいんだ』

「そうだ。ドラゴン達に、ユカリちゃんのことを訊くのはどうだろう」

「おお、そうだな。俺達とは違う観点で見てくれるかもしれんしな」

 なにも思いつかなかったことを棚に上げ、団員らはドラゴンに任務を押しつけた。

『あら、なにか楽しいこと?』

 エルナが首をかしげて一同を見渡すと、彼らは説明をはじめる。

「ユカリちゃんが神様扱いされて困ってるんだよ」

「神話の始祖神に違いないーとか、おかしな事態になっててな」

「ただ喰ってるだけの女なのに、あり得ないだろ」

「おいフェイム、その言い方はないだろ」

「美味しそうに食べてる姿、可愛いじゃないか。なあ、アドレー」

「俺に振るなよ」

 ノエルと戯れていたアドレーは、いやそうに拒否した。

『ゆかりは神様なのか?』とハウロス。

「そんなわけないじゃん」とゆかりが答えると、エルナは頷いた。

『そうよね、ただの人間よね』

「事は私だけの問題じゃないんだよ。ドラゴンさんにもかかわりあるんだから」

「そっちの問題もあるよな」

『俺達の問題って?』

 頭を傾げたハウロスに、ゆかりは重々しく告げる。

「神様が連れてた黒い動物は、実はドラゴンだった説が囁かれているわけですよ」

『どうしてまた、そんなおかしな話になってるんだい?』

「まさかとは思ったけど、やっぱり違うんだね」

『少なくとも俺は聞いたことないな』

 現ライセム竜騎士団所属の人間よりも古株であるハウロスは、素っ気なく噂を否定した。

『始祖の神と黒き獣は、竜の前に現れたらしいから、同じ存在であるわけがないよ』

「それって、どのぐらい昔なの?」

『レイバンも、語り継がれている教えを聞いたってぐらいだからね』

「なんかもう、人間なんて欠片も存在してないっぽいよね」

 地球の歴史でいうと、恐竜は滅びずに、霊長類と共に生活していったようなものだろうか。

 竜が知る伝承としては、自分達とは異なる種族――つまるところ「人」を生み出したのが、始祖の神とされている。

 この辺りのことは「まあ、神話だしね」というところだろう。現実的なことをいってしまえば、たとえば隕石がぶつかって別の生物が飛来したとか、そこから生態系が生まれたとか、そういう学術的な話になるだろう。

 中学レベルの理科知識で頭がとまっているゆかりは「神話」という都合のいい魔法の単語を歓迎し、深く考えるのはやめている。専門的なことは、学者がやればいいのだ。

 話している間に、誰か(ドラゴン)がレイバンを呼びに行ったらしく、のっそりと濃灰色のドラゴンが現れる。

 最年長だけあって、レイバンは他の竜とは威圧感が違う。佇まいからして別格のオーラを放っており「これが年の功ってやつか」と考える。けれど、偉ぶったところはなく、レイバンは腰の低いお爺さんといった感じで、ゆかりは好きだった。

『始祖の神について話しているそうだが』

「正確には、言いがかりをつけられてるところです」

『言いがかりとは?』

「神様は、毛の黒い動物と一緒だったんですよね」

『そう伝え聞いておるな』

「ドラゴンさんも黒っぽい毛が生えてるじゃないですか。だから、神様のお供である動物は実はドラゴンだったんだーっていう、突拍子もない話が出ているわけです」

『……なんと、畏れ多いことであることよ』

「ドラゴンさんと一緒にいる私にも噂が飛び火しまして、私はなんと神様扱いされてます」

 それは大変なことだな――と、同情してくれると思っていたゆかりに、レイバンは『やはりそうであるのか』と呟いたのだから、たまらない。ライセムの生き字引みたいなドラゴンにまで神様扱いされてしまうと、巷の噂話より信憑性ができてしまう。

「それはたいそう困ってしまって困るのですが」

「おまえ、なにをトンチンカンなこと言ってるんだ?」

「レイバンが、私の噂を肯定しました、意味がわかりません。私は自分を神様だとかいうカルト宗教はどうかと思うほうで、宗教は自由なんですが押しつけはよくないと思うんです。神様って浮いたり悟りを開いたり死んで生き返ったりするけど、私はまだ死んでないんじゃないかと思ってるんですが、やっぱり死んだのかな。どう思います?」

「おまえの言ってることのほうが意味がわからん。落ち着いて話せよ」

 あわあわとまくしたてる姿に若干引きながら、アドレーはゆかりを諫める。吸ってー吐いてー吸ってー吐いてーと深呼吸を促され、ようやくちょっと落ち着きを取り戻したゆかりは、団員達にレイバンの言葉を伝えた。

「自分達が神の使い扱いされるのは畏れ多いのに、私が神様扱いされるのは「そうだったんだー」ってひどくないですか?」

「しかし、レイバンが言うのであれば、何か理由があるのでは?」

 ずるい、裏切られたとショックを受けるゆかりに対し、エルビスはそう言い、レイバンを仰いだ。

「貴方ほどの方がユカリと神に繋がりを感じるのであれば、なにかしら理由があるのでしょう。お聞かせいただけますか?」

『これと説明できる明確なものはない』

「ないんかい」

『だが最初から其方には、始祖の神に通ずるなにかを感じておるのは事実である』

「いや、あの、私、生まれ変わりとか前世とか信じてないんで」

 ノーサンキューです。

 両手を押し出す仕草で、言葉を拒否するゆかりに、レイバンは静かに告げた。

『生まれの是非は知らぬ』

「――そもそも、始祖の神ってどんな人ですか?」

『厳かな人物である』

「まあ、神様ですから、そうでしょうねー」

 的を得ない回答に、ゆかりは適当に言葉を返す。

『滅びに向かう世界を憂い、新たな命をこの地に与えた』

「それが人間の祖先ってことですよね」

 創世神話は何度となく見聞きした。お城の別棟にある「祈りの場」には、壁画まで存在する。妙に宗教的ではあるが、何世代か前の領主が、そっち方面にかぶれた人だったらしい。けれど、のめりこんで政務をおろそかにするタイプではなく、単に「信心深い人」にとどまっていたので、亡くなったあとも取り壊されることもなく、「ご自由に利用してください」として開放されている。

 神話における神様なんて、色々とぶっとんでいるものだ。近親相姦どんとこいの存在だし、子沢山だし、いきなり星座になったりする、物理法則をまるっと無視した非現実の超人である。

『始祖の神は、紫紺色の美しい瞳をしていたといわれておる。ゆえに我らは、紫を尊きモノとし、愛しておるのだよ』

「紫……」

『其方にあの石を贈った意は、そこにある。神の縁を感じたがゆえだ』

 レイバンに優しく告げられ、ゆかりは押し黙った。俯く彼女に、アドレーは眉を顰める。

「どうした。レイバンになにを言われた?」

「……べつにヤなこと言われたわけじゃないですよ」

「じゃあ、なんだってそんな顔をしている」

「変な顔してますか?」

 へらりと笑った顔は、いつもよりも眉がさがり、口角もさがっている。答えを返さずに見つめていると、視線をさまよわせ、ゆかりはついに溜息を落とした。

「神様になにか通じる部分があるってレイバンが言ってたんですけどね」

「ああ」

「神様の目の色がですね、紫色らしいんですよ」

「そうか」

それ・・ですね」

「――なにがだ」

「ですから、紫です」

「おまえの目は、紫ではないと思うんだが」

「目じゃなくて、名前です」


 ゆかりの名前は、正確には「紫」と書く。

 白石紫

 それが彼女の名前だ。

 一般的には「むらさき」と読む字であるし、漢字で記すとゴチャゴチャして見えるので、普段の生活では平仮名で通してきた。小学校の頃は「むらさき」と野卑られることも多く、あまり好きではない。高校に入ると状況が少し変わり、好意的に受け入れてくれる人が増えたおかげで、今はそこまで抵抗はないが、「もっと他の字はなかったのか」と親に問いたい気持ちは底に沈殿している。

「私の国には片仮名、平仮名、漢字と三種類の文字がありまして。音とは別に、文字そのものにも意味があるので、名前には複数の意味があったりもします」

「面倒な言語体系だな」

「まあ、母国語以外の言語なんて、面倒なものですよ」

 学校の授業でどれだけ学んだところで、英語はちっとも身についていない。覚えようという気持ちがなければ、習得は難しいものだ。

「それで?」

「ゆかりって名前は、一つの文字で表せるんですが、その文字が紫という文字なんです」

「言ってる意味がさっぱりわからん」

 フェイムが言い、竜騎士団の面々も一様に頷いた。

「紫っていう文字はむらさきという音で読む以外に、ゆかりという音でも読むことがある。そういうことです」

「――そのことと、始祖の神になんの関係が?」

「そんなもん、私が知りたいんですが」

 意味がわからないのは、ゆかりとて同じである。

 名前に紫という始祖神の瞳を表す漢字が入っていて、神が連れた獣と同じく黒い髪だった。

(紫って字が入ってる日本人なんて、探せばいるでしょうに)

 そんな偶然で神様扱いされても困るというものだ。

 憤慨気味のゆかりに、エルビス・最年長・団長は、慰めるように肩へ手を置く。そして、衝撃の発言をした。

「名前のことは伏せておいたほうがいい。それが事実なら、君は本当に神にされてしまうだろう」

「なにゆえにっ」

「世の中にはたしかに偶然という事態が起こる。だが、偶然というのは稀であるからこそ、偶然と呼ぶのだ」

「……しょっちゅう起こってたら、もう偶然じゃないですもんね」

 ふむ、と頷いてエルビスは告げる。

「ゆえに偶然は吉兆であるし、神事に起きる偶然は、奇跡として祭り上げられる。君の場合、創世神話の神と、その獣、ふたつに通じる色彩を宿しているとすれば――」

「おまえ、神殿に閉じ込められて飼い殺しにされるな」

「ただでさえ、黒髪の落ち武者ってことで希少なのに、それ以上だもんなぁ」

 恐ろしいことをのんびりと発言され、ゆかりは総毛だった。目に見えて顔色を悪くしたゆかりに、アドレーはぎろりと周囲を見まわす。途端、口をつぐみ、そしてあわててゆかりを宥めはじめた。

「ち、違う違う。大丈夫だから」

「ユカリちゃんは今までどおり、俺達が守るから」

「――閉じ込められますか?」

「捕まったらって話であって、絶対そうなるわけじゃないって」

「山奥の、閉鎖的な場所で、一生ずっとそこから出られなくなりますか?」

「……ユカリちゃん?」

「この先ずっと、ずっと、ずっと、ずっとそこに――」

「そんなことにはならない!」

 追い詰められたように呟きつづける言葉を、アドレーが大声で遮った。びくりと身体を震わせ縮こまるゆかりの肩をつかみ、アドレーは再度言い聞かせるように告げる。

「大丈夫だ。閉じ込められたりなんか、しない」

「――でも」

「俺が証拠だ」

「証拠……?」

「竜の巣で一ヶ月消えて戻ってきた時、いろんな連中が騒いだ。ガキの俺にくわしいことは知らされてないけど、想像ぐらいはつく。ライセム以外の竜騎士団はもとより、他国からの要求だってあったはずだ。でも、俺はずっとこの国にいる。どこにも連れて行かれたりなんてしていないだろ? だから、大丈夫だ」

 アドレーの灰褐色の瞳に、情けない顔の自分が映っているのを、ゆかりはぼんやりと見つめる。

「……だいじょうぶ?」

「そうだ。俺を信じろ」

「しんじる?」

『大丈夫だよ、ゆかり。僕らもゆかりの味方だもん。どこにいたってちゃんと見つけるよ』

『爪笛もあるし、場所はすぐにわかるわ』

『俺達が大声出せば、大抵の人間は怖がるんだ。あやしい奴らは追っ払ってやるって』

 竜の声に頭上を仰ぐ。緑色の瞳が自分を見つめているなか、一体だけ違う色の瞳と視線が絡んだ。

 なにも言わず、ただアナライゼスは首肯した。

 人間じみたその仕草は、ゆかりが教えたものだ。

 滲んできた涙を手で乱暴にぬぐい、ゆかりは笑った。竜たちは首を伸ばし、それぞれがゆかりを励ますように――、甘えるように顔を寄せる。鼻息がくすぐったくて、いろいろともどかしくなって、胸がつまって。

 泣くのを誤魔化すように、ゆかりは手を伸ばし、アナライゼスの鱗に顔をうずめた。





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