22 それは誰かの物語

 領主が暮らす城は丘の上に建っていることが多いが、ライセムでは竜が暮らす森がある関係で平野部にあり、広い敷地を城壁で囲っている。城の周囲は貴族地区と称される一帯で、文字通り上位貴族の住居が集められている。

 ゆかりが住むノーソルデル邸は、そのさらに外側だ。上中下で区分けすれば、中位に属している。下位貴族になれば、一般の富裕層よりも資産的には負ける家も多くなる。だが、それでも国に認められた階級であるという肩書は領外の相手には有効で、一部富裕層の人間が歯がゆく思うところでもあるようだ。


(だからこそ、こういう本が成り立つんだろうなぁ)

 いわゆる、ロマンス小説というやつである。

 身分差が分かつ恋だったり、そこから始まる恋だったり。家柄が障害となる恋愛物語は、どんな世界の女子の心にも刺さるらしい。

「まあ、こういうのは物語だからこそ、ですよね」

「要するに、お相手がどんな方かってところが重要なわけで」

 グラノーラ御用達のお針子さん二人が楽しそうに頷き合う。

 彼女達の仕事は、貴族階級の仕立てが主軸。その中でも、女性向けのドレスを売りにしている。装いに合った装飾品の手配もやっている為ため「奥様・娘への贈り物」という需要もあり、今日のように配達依頼が時折あるのだという。日中、店に受け取りに行けない男性陣向けのサービスである。

 用事が済んだ二人と出会ったゆかりは、食堂の片隅をお借りして、おやつタイムを開催している最中だ。

 フェイムが届けてくれたドラゴンフルーツ菓子の新作に興味を示した彼女達への、お裾分けという名の布教活動。グランリオーレの新作になるかもしれないメニューということで、クオリティは高い。

 ドラゴンフルーツの話から、最近の流行の話となり、人気作家の新作小説が発売になったことが、さきほどの発言に繋がっている。

「ユカリ様の世界にも、似たような物語があるのですか」

「人間の考えることって、結局似たりよったりなのかもしれないですね」

 人によって好きなジャンルに違いはあれど、恋愛モノ、戦記モノ、空想生物が出てくる幻想物語、リアリティのある堅い話などなど。聞いたかぎりでは、一通り揃っているように思えた。

 二人が主に話していたのは、恋愛系の話。一般階級の女性が貴族と出会って結ばれるシンデレラストーリー、下位貴族の男性が上位貴族の女性と結婚すべく奮闘する成り上がりモノ。それ以外にも、貿易商を営む若手の男性と、その商社で働く平凡女子というハーレクイン系も需要があるらしい。

 どれもよくあるキャラ配置であり、内容も、要約すると「ただしイケメンに限る」である。

 恋愛だけではなく、他の要素が前面に出ている作品の方が好きなゆかりとしては、食指が動かない。スポ根はないのかと問いたい。こちらの世界に、どんなスポーツがあるのかは定かではないが。

 もしくは、お仕事系。さっき聞いたなかでは、貿易商の話が唯一社会人っぽい話ではあったが、三十そこそこなのに従業員を数多く抱える会社の最高責任者だったりするので、自分が求めるものとは少し違う気がするゆかりである。

(まあ、フィクションにリアリティなんて求めてないから、べつにいいんだけど、設定盛りすぎるのも興ざめだよね)

 どんなものにも、匙加減は必要だ。

 食堂のご厚意で入れてもらった紅茶にドラゴンフルーツエキスを落とし、ほんのり甘いフレーバーティーとして楽しむ。ジャムを入れるロシアンティーも嫌いではないけれど、香りが楽しめるこちらのほうが、ゆかりは好きだった。

「竜の巣で採取した野菜を使った料理を出す店も、最近脚光を浴びてます」

「グランの関係じゃないお店ですか?」

「たぶん、違うんじゃないですかね。店名にグランって付いてないですし」

「結構値が張るので、知る人ぞ知る店ってかんじでしたけど、以前からある店なんですよ」

 竜の住む場所には、不思議な力でも満ちているのか、すべてにおいて味わいが違う。そのことを知っていたとしても、収穫に訪れる人はあまりいない。一般の人々からすれば、いきなり竜に出くわす可能性がある森に立ち入る気にはなれないだろう。

 もっと気楽に入って、戻ってこられるルートがあればいいのかもしれない。

 だが、そうやって簡単に収穫を許してしまえば、乱獲に合い、作物は一掃されてしまう可能性は非常に高いだろう。

 立ち入る人間を制限してしまえば、差別と取られかねないだろうし、優劣が生まれてしまう。あちらが良くて、こちらが駄目な理由はなんだと批判も出るだろうし、選ばれる基準を明確にしようにも、どこに判断基準を置くのかも難しい問題だ。

 ドラゴンフルーツを有効活用しようという試みは成功したが、なにもかもが丸く収まるほど、現実は甘くない。

(商売ってのは、そういうもんだろうけどさ。売上、大事だもんね)

 その商売競争に心が疲弊して仕事を辞めたゆかりとしては、ここにきて同じような世界に足を突っ込んでしまったことに気づき「どうしてこうなった」と、心の中で頭をかかえた。

「落ち武者様のおかげで、新しい流行が生まれました」

「ドラゴンフルーツですか?」

「それだけではなく、ドラゴンにまつわる、様々なことです」

「グラノーラ様にお聞きしたんですが、領外へ出すことも視野にいれていらっしゃるとか」

「ライセムは竜騎士団の所在地ってことでは知られてますけど、それ以外はさっぱりでしたからね。だったらもっと、それを売りにすればよかったんですよね」

「そうそう。便乗商法って意外とばかにできないものですし」

「ドラゴンフルーツって名前もいいですよね」

「そ、そうですかね」

 アハハと笑いながら、顔が引きつるゆかり。

 こちらの世界に住んでいる他の落ち武者達がその名を知れば、「これ、ドラゴンフルーツじゃなくね?」と不審に思うだろう。

(ごめんなさい、全世界の落ち武者さん。見逃してくださいっ)

 落ち武者という単語を初めて使った人も、きっとここまで浸透するとは思っていなかったに違いない。

 迂闊に冗談も言えやしない。

 発言には気をつけようと、いまさらのようにゆかりは肝に命じた。



  ◇



「アドレー、少し寄っていけ」

 返事を待たずに先行するヴィンセンテに嘆息しつつ、アドレーは少し遅れて付いていく。

 仮にも領主が――もっといえば王族が、こうも気軽に一領民を自室に招いていいのだろうか。王位からは遠いこともあり、ヴィンセンテはそのあたりの自覚が薄いように思える。暴漢に襲われたこともあるけれど、本人が腕力でねじ伏せてしまって以降「殿下なら大丈夫じゃね」で終了している。

 ライセムは平和であった。



「それで、なんの用なんだ」

「特別用事があるわけでもない。おまえの姿を見かけたから声をかけたまでで」

「じゃあ、帰る」

「まあ待て。旨い茶菓子があるぞ」

「そんなもんで釣られるのは、黒毛ぐらいだろ」

 とはいいつつも、こうなれば主張を曲げないところがあるヴィンセンテのことをよく知っているアドレーは、あきらめて着席する。侍従が配膳し隣室へ姿を消したところで、ヴィンセンテが改めて口を開いた。

「教会がきなくさい」

「……どういう意味だ?」

 人払いをした途端、端的に告げられたその言葉にアドレーは眉を寄せる。

 ライセム領における教会の位置づけは、あまり大きなものではない。生活に困った者へ手を差し伸べる互助施設の役割が主で、宗教的な意味合いは薄いのだ。

 熱心な信徒が少ない地域で、アドレー自身も用事がなければ足を向けない。

 そこにあるけれど、取り立てて意識はしない。

 教会は、そんな場所だった。

「創世の黒き獣は、実はドラゴンのことだったのではないかと、そんな話があるのを知っているか?」

「始祖の神が連れていたのは、もっと小さな獣だろう。どこから出た話だよ」

「神話に描かれる絵など、先人の想像でしかないからな。それがすべてではない」

「だからといって、ドラゴンと結びつける理由がわからん」

「彼らの鱗は、見ようによっては黒い。それに、うっすらとではあるが毛が生えている。条件的には合致している」

 幼い頃、初めて間近で見たノエルのことを思い出す。

 薄闇のなか、光を背負った竜はたしかに黒かったし、そっと触れた鱗は柔らかかった。年齢を重ねるほど毛は薄くなっていくが、無くなることはない。

 だが、それだけの条件で、神話の伝える黒き獣と同一視するのは暴論に思えた。

「こじつけだ」

「そうだ。こじつけだ。だが、完全に違うとも言い切れない。証拠はないのだからな」

 アドレーの言葉を肯定し、ヴィンセンテは深い溜息をついた。

 発端は、最近のドラゴンブームに起因している。

 ありきたりの果実をドラゴンフルーツと呼称し、食材として利用したこと。廃棄され、捨ててしまうような物が、舌をうならせる料理へと変貌したことで、ライセム中が活気づいた。ドラゴンフルーツだけではなく、竜の巣で育った作物の特異性についても注目が集まり、その噂は近隣へも広まりつつある。現に、ガルセス国王からも詳細について訊ねられたところだ。

 ドラゴンへの関心も深まり、ライセムへ観光に訪れる人も増えていると報告もあがってきている。「有名になって観光に繋がれば」という当初の目的は、たしかに達成されたのだ。

 遠方から訪れたという学者の一人が、ドラゴンの鱗を見て、そこに薄く毛が生えていることにひどく驚いたらしい。

 ライセムの住民にとっては「そういうもの」として受け止めている事実も、彼にとってはそうではなかった。

 彼が住む国には竜の巣が存在せず、本物の竜を見たことがなかった。まして、鱗など市場に出まわるものではないため、見たこともさわったこともなかったのである。

 男はひどく驚き、興奮気味に伝えた。

 太古から存在するという竜は、あの神話が伝える「黒き獣」のことではないのか、と。

 幼い竜は、大人の背丈程度の大きさであること。

 幼年期の竜ほど、毛足が長いこと。

 二つを踏まえると、もしかしたらひょっとするかもしれない。

 それが伝染し、このドラゴンブームに乗って、広まってしまったのだという。

「それと教会にどんな関係が?」

「昨今、白を崇める考えが台頭しているだろう。黒を神聖とする考えを取り戻そうとする者にとって、ドラゴンに注目が集まる今、都合がいいらしい」

「ドラゴンに支配の手が伸びると?」

「単に、ドラゴンを大事にしよう、というだけならいいんだがな。この流行の裏にいるのが、落ち武者だと知られると、さらに面倒なことになる」

「……問題なのは、そっちか」

 黒毛の落ち武者が、黒き獣とされる竜を連れている。

 黒信仰を復活させるには、またとない好機だろう。





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