21 ともだち

「礼を言わねばならんな、黒毛」

「御礼なら、実際に料理を作った人にすべきではないかと」

「それはそれ。別問題だ」

「……はあ」

 ヴィンセンテの前には、ドラゴンフルーツのパイが二種配膳されている。筋肉マッチョの殿下は、存外に甘いものがお好きらしい。

 グランドールのカスタードパイを器用にフォークですくいあげ、頬張る。ホール状のものが小さめに切り分けられているのは、おそらく内容物の確認のためなのだろう。城の外で作られたものを自由に食べられないのは、なかなか不便なことだと、庶民のゆかりは思う。

 しかし、この形状は、これはこれであり・・なのではないだろうか。

 背の高いグラスに入れ、上にアイスクリームやクリームを絞れば、パフェになる。美味しそうだ。

 ダイス状にカットしたパウンドケーキを耐熱皿に入れ、カラメルソースとゆるめのカスタードに絡めて焼いた甘いグラタンは、リングレンに大好評だったことを思うと、こちらもイケる気がする。

(ダンさんに提案してみようかなぁ……)

 物思いにふけるゆかりに、ヴィンセンテは咳ばらいをして注意を引き戻した。

「ライセムに新たな流通が生まれたのは、おまえが提案したことが出発点だ。グランの店から情報を出したことにより、たしかな信頼性となり広範囲に受け入れられた」

「お店は、竜騎士団のフェイム・グラン氏が融通を効かせてくださったからこそです」

「そのフェイムを引き入れたのは、黒毛、おまえだろう」

「――それは、まあ、そうですけど」

 単純に、竜騎士団で一番年が近くて気安いから、仲間になってもらっただけだ。

 彼の実家やその一族が、ライセムでも名の知れた料理人一族だとは知りもしなかった。

「おまえは何故、評価を他人に譲る」

「そんなつもりはありません」

「だが、森の果物と呼称していたにすぎないあれ・・に目を付け、商業ラインに乗る作物へ昇華させたのは、これからのライセムにとって大きな事象だ。歴史になり得る出来事だ」

「結果論ですよ」

「だとしてもだ」

 表情を変えないゆかりに、ヴィンセンテは重い溜息を落とし、言葉を変えた。

「せめて、礼は受け取れ。これはライセム領主としてではなく、個人的な感謝だ。友人として、感謝の気持ちを伝えたい」

「友人として、ですか」

「それでも不服とするか」

「いえ、そうではなくてですね。私と殿下はいつから友人になったのでしょうか」

 そんな畏れ多いこと――と、若干顔を青くするゆかりに、ヴィンセンテは口元に笑みを浮かべて、不遜気に笑う。

「知っているか。友人というのは、そうと宣言してなるものではなく、いつの間にかなっているものだそうだ。故に、おまえと私は友人だ」

 それ、答えになってない。

 助けを求めて視線をさまよわせたゆかりは、ヴィンセンテの斜め後ろに控えているグラハムを見たが、彼は微笑みで介入を拒絶した。




 あきらめろ。

 一言で助力を切り捨てたのは、アドレー・グリーブス。王族であるヴィンセンテと、子どもの頃からの馴染みだという男ならば、なんとかあいだに入ってくれるのではないかと期待したゆかりの気持ちを、ものの見事にぶった切った。

「そこをなんとか」

「無理だな」

「もう一声」

「無駄な足掻きはよせ」

「冷たすぎやしませんか」

 ゆかりは机に突っ伏して嘆いている。黒髪が頬を流れ、顔を隠しているせいで表情が見えないが、声の調子から随分と困っていることは伝わってくる。

 アドレーは訊ねた。

「何がそんなにいやなんだ。ヴィンが友人だと言うのなら、それでいいじゃないか」

「だって殿下ですよ」

「だからなんだ」

「私の国は王政ではないんですが、国の顔とされる一族はいます。そんな方々とお友達になんて、普通なれませんよ」

 一般人が気軽に近づけるわけがない。だってSPとか付いてそうだし。

 ヴィンセンテは王子ではあるけれど、第一王子の兄が継ぐことが内々で決定しており、領主業のほうに重きを置いている状態だという。だからこそ「そこまで堅苦しく考えなくても」ということらしいが、ゆかりにしてみればあまり大差はない。大臣か知事かの違いみたいなもので、どちらにしたって「お偉いさん」であることには変わりないのである。

「あまり固辞しすぎるのもよくないと思うぞ」

「……それもわかってますよ」

 悪意はないことはわかっているから、面倒なのだ。

「それより、今日から浮かぶ訓練をするんだろ?」

「あ、はい。よろしくお願いします」

 アドレーが告げると、ようやっと上半身を起こしたゆかりが向き直り、ぺこりと頭をさげる。

 詰所を出て森の入口から左側に折れると、木々の開けた小さな広場がある。最近のゆかりは、アナライゼスとの騎乗練習にここを使わせてもらっていた。今日もおそらくそこで待っているはずだ。

 歩行訓練に加え、今日からは乗った状態で離陸する練習をすることになっている。

 正直なところ、単純に「地面から離れた状態のドラゴンに乗る」こと自体は、今とそう大差はないとゆかりは思っていた。訓練の賜物なのか、アナライゼスの躰は安定しており、歩行していても身体が極端に上下左右に振れることはないのだ。長時間、車に乗って降りたあとのような疲れはあるけれど、それにもだいぶ慣れてきている。

 ゆえに問題なのは、操縦方法だ。

 ドラゴンの騎乗は、馬のように手綱を引いておこなうのだが、なにをすればどう動くのか、さっぱりわからない。地面を駆ける動物ならばまだともかく、ドラゴンは空を駆ける。操縦を誤れば墜落待ったなし。パラシュートでもないかぎり、お陀仏だろう。

(ハンドル握って、アクセルとブレーキ踏むほうがまだしっくりくるよ……)

 家の方針もあり、ゆかりはAT限定ではない普通免許を所持している。

 地球以外の世界において、自動車免許はなんの役にも立ちはしない。乗馬ができたり、アーチェリーができたり、剣道をやっていたりするほうが、きっとよほど順応できることだろう。

 そのどれもたしなんでいない文化部と帰宅部出身の白石ゆかりは、唯一持っている己の武器(?)を駆使することにした。

「ということで、アナライゼス。お任せするからよろしくね」

『ゆかりは乗ってるだけでいい』

「うん、ありがとうアナライゼス」

 丸投げである。

 目的地を告げ、連れていってもらうだけ・・だ。

 だって地理もわからないし、最短ルートだって知らない。禁止区域だってきっとあるだろうけど、それもまったく知らないのだ。

(任せるしかないじゃん)

 言葉がわかるからこその、丸投げ――もとい、信頼である。

「……基本的なことぐらい、きちんと覚えろよ。他のドラゴンにも同じことさせるつもりか?」

「その時はその時。たとえばノエルならお願いしたら連れてってくれそうだし、ハウロスとかエルナとか、この森のドラゴンさんは平気だよ」

『うん。みんな、ゆかりのこと好きだよ!』

「ありがとう、ノエル」

「ノエル、ちゃんと教えておかないと、困るのはこいつ自身なんだぞ」

 安請け合いをしたノエルに、アドレーが苦言をていす。しょんぼりと項垂れて、頭部をさげたノエルの首元を撫でながら、アドレーは「べつに怒ってるわけじゃないからな」と声をかける。その様子を横目で見つつ、ゆかりはアナライゼスの正面にまわる。すると、アナライゼスが頭をさげ、ゆかりの顔の位置で止まった。

 ドラゴンは皆、黒っぽい鱗に個別の色が混じっているが、瞳の色は緑色である。

 そんななか、アナライゼスは金色だった。

 アドレー曰く、黄金の瞳を持つドラゴンは珍しく、ライセム近隣には生息していないという。アナライゼスが、別の土地からやってきた証拠ともいえるだろう。

 金色の瞳に、己の顔が映りこんでいる。呆けたような、間抜け面だ。なんの変哲もない黒い髪の、平均的日本人の顔がそこにある。

 当たり前が、当たり前ではない世界に、ゆかりは今、立っている。

 アナライゼスが頭を傾けた。

『どうかしたか』

「なんでもないよ。アナライゼスの瞳は綺麗だなーって思ってただけ」

『――べつに綺麗じゃないし。俺だけ、他の奴らと違って、変なのわかってる』

「変じゃないよ。私だって他の人と違うもん」

『でもゆかりの色は綺麗』

「アナライゼスの色も綺麗だよ」

『……変だって、みんな思ってる』

 アナライゼスは頑なに否定する。

 彼の言う「みんな」は、おそらく今ここにいる竜のことではない。それはかつて、彼が属していた集団でのことなのだろうと、察せられた。

(ずっと気にしてるのかな……)

 拗ねて、捻くれて、素直に感情を表せなくて。

 拒絶されることが怖くて、アナライゼスはそうやって己の心を守ってきたのだろう。

「近所にね、野良猫がいたんだ。黒猫。空き家に住み着いてて、隅っこでいつもじっとしてたの。アナライゼスと同じ色の目をしてて、暗闇ではピカーって光って、綺麗だったよ」

『俺、猫じゃないし』

「知ってるよ。でも、色合いが同じだからさ、思い出したんだ」

『猫じゃないけど、同じなのか』

「犬も猫もいいと思うけど、大きいからドラゴンのほうが楽しそう」

『楽しい……?』

「あー、えっとね、ノエルとアドレーさんがよくやってるでしょ――」

 動物王国の何某さんがごとく、大柄な犬の頭をもしゃもしゃとかきまわす、そんな戯れが楽しそうで、嬉しそうで。憧れなんだよねぇと、恥ずかしそうに呟いたゆかりの姿に、アナライゼスの身体はビリビリと震えた。人間でいうところの「鳥肌が立つ」状態に似た、心が強く突き動かされた時の反応である。

『――好きにすればいいのに』

「なにが?」

『なにって、さっき言ってたこと。そうしたいなら好きにすればってことで、べつに俺はどっちでもいいわけで、やれって言ってるわけじゃないし』

 わかりやすく、どもりながら言い訳のようにのらりくらりと繰り返すツンデレドラゴンに、ゆかりは気にすることなく訊ねた。

「いいの?」

『だから、好きにすればいいって』

「じゃあ、わしゃわしゃーってやってみてもいい?」

『…………うん』

 神妙な顔つきで見つめてくるアナライゼスの側頭部辺りに、ゆかりは右手を伸ばす。何度か触れたことのある鱗だが、顔の部分は特別な感じがした。すぐ傍にある鋭い牙は、こちらの皮膚など簡単に貫通させてしまいそうだ。手の平で味わうように鱗を撫でると、短い産毛がさらさらと指の間をすべっていく。

 次いで、もう片方の手を伸ばした。顔を挟み込むように両手を宛がう。

 アナライゼスの金色の瞳がゆかりをとらえ、ゆっくりとまばたきをしたあと、目を細める。

「いやじゃない?」

『いやじゃない』

「くすぐったい?」

『そうでもない』

「ぎゅーって、抱き着いてもいい?」

『そうしたいなら』

「じゃあ、そうする」

 爪先立ちになり、首に手をまわして抱き着いた。ふと鼻に漂った甘い匂いはなんだろう。ドラゴンの体臭は、甘いのだろうか。

 爬虫類は変温動物だけれど、ドラゴンはどうなんだろう。

 触れ合った場所は温かく、ゆかりの心を満たした。





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