19 天翔ける英雄

 ライセム竜騎士団内で、今もっとも話題になっているのは「諸行無常」という考え方である。

 普段はのほほんとした、独自のペースで行動することが多い落ち武者ゆかりが、神妙な顔つきで語りはじめた彼女の国の古い物語。哀愁漂う雰囲気と含蓄のある言葉は、普段の彼女からは想像がつかない意外性を放っていた。

 なんかすごいんじゃね?

 聞いたことがない言葉は、じわじわと騎士団を浸食していった。

 しかし、そこまで深く考えていたわけではないゆかりは、焦っていた。

 平家物語なんて、冒頭だけは有名だけど、以降の具体的なことはなにも知らないのである。平家が驕って落ちていった没落物語という認識だ。

 ただ、国が興って、そして滅びるという歴史は、どんな世界でも共通する流れであるためか、やたら共感を得てしまった。あれやこれや質問されても、ふわっとした現代語訳で説明できるのは「風の前の塵に同じ」までだ。

 言葉の響きとして、ゆかりは後半部分の「おごれる人」「たけき者」のほうが好きだが、竜騎士団的には前半のほうが心に響いたようだ。

 祇園精舎はともかくとして、諸行無常や盛者必衰がお気に召したらしい。

 この国の宗教観は知らないが、仏教の教えが珍しいのかもしれない。

 永遠などない。この世は常に無情なのだ。



  ◇



 ドラゴンフルーツの他にも、森には様々な植物が息づいている。

 例えば、マロウ。味は栗に似ている。竜の巣で採取できるものは、甘みがかなり強い。これもまた地面にゴロゴロ転がっているので、竜騎士団の面々は、森を歩く際にはカゴや袋を持って収集して食べる、秋の味覚だ。

 竜騎士団所属の親族を持つ家庭では、そちらのマロウのほうが好まれているが、場所が場所なだけに、知名度は低い。

 竜の巣で育った食物は同じ品種でも味が良い物が多く、昔から「竜のご加護」として重宝されているが、恩恵にあずかるのは代々の領主や、それにまつわる一部の人間だけ。それは非常にもったいないのではないかと、ゆかりは考えた。

 領内すべてをまかなうのは難しいが、数を絞って供給すればいいのだ。

 そうすれば、希少価値も上がるし、大量生産に走って味が落ちる心配もない。

 現地でしか食べられないとなれば、観光客も増えるだろうし、すぐに腐らないものであれば輸出もできるだろう。

 そんなことを夕食の席でグラハムに話したところ、ひどく驚いた顔をされた。単純に「腐っていくドラゴンフルーツを有効活用して、美味しくいただこう」程度の気持ちだと思っていたグラハムにとっては、予想外の提案であった。

「素人の浅知恵でしかないので、一考の価値があると思えば、進めてください」

「殿下は喜ばれると思いますよ。あの方は、ライセムのためになることであれば、積極的に取り入れますから」

 ドラゴンフルーツのジャムも、お気に召していましたし――と続けて、ドラゴンフルーツのソースをかけたチキンソテーにナイフを入れる。添えられているマッシュポテトもまた、竜の森で収穫した芋だ。普通のジャガイモよりもやはり甘みとコクがある。塩コショウをしただけとは思えないまろやかな味。同じ芋を使ったポタージュも食卓に並んでいる。

 すっかりジャムを気に入ったリングレンは、わかっているのかいないのか「僕もメニュー考えるの手伝うよ」と笑顔を浮かべた。

「ダンが作ってくれたジャム、友達も美味しいって言ってたよ。森の果物で作ったって言ったら、ビックリしてたもん」

 ゆかりが勝手にドラゴンフルーツと呼称するようになった果実は、今までは単純に「森の果実」という曖昧な名前で呼ばれていた。野生の実であり、自分達で育てる樹木ではないため、重要視されることがなかったせいである。

 そこを勝機とするか否かは難しいところだ。贈答用に整えられた果物に慣れている人に、道端に成っている実をもいで差し出したところで、食べてくれるかどうかと考えれば、超えるべき壁は高いとしかいえない。

 だからこそ、上位階層の人間を味方につける必要があるのだ。

 ヴィンセンテが「美味である」と愛好すれば、それはもう「最高品種」に早変わり。

 ライセムのためになるとすれば、ヴィンセンテも拒むまい――。

 そして、ヴィンセンテに食べ物を届けるために一番近い方法が、グラハムなのである。彼が美味しいと感じ、殿下が口にしても問題ないと判断すれば、最短ルートで届けられる。

「殿下にも食べてもらうため、いろんな形の料理を考えましょう!」

 なお、実際に作るのは、ダンである。




 くちコミは大事だ。

 普及委員会の活動として、リングレンはジャムを友人達に振る舞い、顧客を獲得している。

 子どものコミュニティは子どもに任せて、ゆかりがやることは大人世代の開拓だ。来て間もない落ち武者に知り合いなんているはずもなく、ゆかりは唯一付き合いのあるグラノーラにまずプレゼンをすることにした。

 とはいえ、こういったものは「試食」が一番である。

 ダン特製のスコーンにジャムとクリームを添え、セルマの手によりジャムを入れた紅茶がふるまわれる。もうすぐ、パイも焼きあがるはずだ。

 甘味に寄りすぎているきらいがあるが、甘いのだから仕方がない。今度、塩をひとつまみ加えてみようかと考える。甘いものに塩を振ることを最初に思いついた人は天才だろう。

 グラノーラが連れてきたベルハルディ家の従僕には、別室で軽食が提供された。

 肉汁を閉じ込めたチキンステーキに、コクと甘みのあるドラゴンフルーツのソースがかけられている。シャキシャキの野菜と一緒にパンに挟めば、テイクアウトも可能なサンドイッチの出来上がり。ナプキンを敷き詰めたバスケットに詰めて手渡すことも忘れない。普及は大事なのだ。


「こんなふうに色んな料理に使うなんて、考えたこともなかったわねぇ」

「ノーラさんも自分で料理とかするんですか?」

「簡単なお菓子ぐらいよ。料理人の領分を侵すのも気が引けるし」

「上手い人に任せたほうが、美味しい物が食べられますもんね」

 ジャム入り紅茶をぐびりと飲んで頷く。

「ノーラさんはドラゴンのこと怖くないんですか?」

「そうねぇ。親戚に竜騎士がいたから、普通の人よりはドラゴンを見る機会は多かったわね。それに、お義姉さまがドラゴン乗りだから」

「グラハムさんの奥さん、ですか」

 一年前、ドラゴンに乗って旅立ったという自由人の奥さんのことは、よく知らない。なんとなく聞きあぐねて今に至っている。家を出たきり帰って来ていないとか、他人がどこまで介入していいのか、微妙な問題である。

「ミルファっていう、とっても綺麗なドラゴンよ」

 竜騎士団は男社会で、女性団員は存在しない。そもそも希望者がいないのだが、そんななかで名乗りをあげたのが、グラハムの妻となるメリッサである。

 彼女は単純に「ドラゴンに乗りたい」という希望を叶えるために竜騎士団の門を叩き、「女に騎乗が務まるかよ」という半笑いをものともせず見事に乗りこなし、団員達のプライドをへし折った。負けてなるものかと皆がこぞって鍛錬に励み、騎乗術が向上したのは怪我の功名といわれている。

 メリッサの祖父が竜騎士団の出身で、腕の怪我が原因で引退を余儀なくされている。祖父がドラゴンに乗って空を駆ける姿に感動した幼い少女は、いつかドラゴンに乗るために鍛えまくり、夢を叶えたのである。

「お義姉さまはとても素敵で、女性に人気があったのよ」

「騎士の制服を着たお姿は、凛々しかったですね」

「そうなの。女性だとわかっていても、ドキドキしちゃったわ」

 セルマが同意すると、グラノーラは声を弾ませた。

 話を聞くに、男装が似合う麗人という印象。

(なるほど、女にもてる女の人ってかんじかな、ヅカ的な)

 リングレンの美少年っぷりを考えると、容姿も整っていたのだろう。

 一体どんな人なのか、興味が尽きない。




『メリッサは思い切りがいい人間だったね。速く飛ぶことがとても好きだったよ』

『優雅とは真逆の乗り方よね』

 メリッサという人物のことについてドラゴンに訊ねると、ハウロスとエルナはそう答えた。

 彼女が騎乗するミルファは、名前こそかわいらしいが「オレの前は何人なんぴとたりとも飛ばせねえぜ」というタイプのスピード狂で、ドラゴン達の中でもクレイジーと言わしめるドラゴンだった。ちなみに雌である。


 悪魔と悪魔が出会ったんだ――

 当時はまだ役職に就いていなかったエルビス団長は、遠い目をして呟いた。

 現在所属している団員達の半数はメリッサと共に過ごしており、彼らの誰もがやや顔色を悪くして当時のことを振り返る。騎乗勝負が好きだったとか、腕相撲で勝てなかったとか、とんでもない酒豪だったとか、腕立て伏せを延々やり続けていたとか、ドラゴンに乗って海を見に行ったらしいとか、限界高度を目指して一直線に真上を目指したとか。

 ワイルドである。

 グラノーラの語る人物とはかなり違うが、女性に人気があったというのはたしからしい。団員一のモテ男だったとある男性は、心が折れて田舎に帰ったという。

「あれはあれでスカっとしたけどな。モテ自慢がうざかったし」

「なんのために竜騎士団に入ったんだよってかんじだったし」

「――まあ、それをいえば、メリッサさんの入団理由もどうかと思うけどな」

 ドラゴンに乗りたい。ただそれだけ。

 その想いは真摯だが、やっていることが豪快すぎて、純粋さが消し飛ぶ勢いだ。

 飛ぶことを追求し、楽しむ彼女達のアクロバットは、時に領民の話題となり、ライセム竜騎士団の人気もあがった。メリッサの立ち姿は麗しく、彼女の人気も拍車がかかる。

 メリッサは英雄だった。


「アドレーさんは知ってるんですか?」

「一緒に仕事はしてないけどな。俺は小さい頃から竜騎士団の所に遊びに来てたから」

「アドレーは気に入られてたよな」

「……あれを気に入られてたというのか?」

「気に入ってなきゃ、仕込まないだろ」

「あの人のおかげで、身体は鍛えられただろ?」

「嬉しくねえよ」

「骨折にも慣れただろ?」

「だから、嬉しくねえよ」

「骨折ってなんですか?」

 ゆかりが問うと、ジェスターが朗らかに笑った。

「体術特訓とかやるんだよ。固められて腕の骨折るとかしょっちゅうでさ、首絞められた時は死ぬかと思ったな」

「ご、豪快な人ですね」

 ゆかりは言葉を選んだ。

 メリッサは結婚を機会に退団したが、それは半ば追い出した形に近く、本人は未練タラタラだったらしい。だが、ミルファを専属竜として渡すことで、円満退社となった。やたら高速で飛びまくるミルファの制御は難しく、竜騎士団としての仕事には向いていないこともあり、体よく押しつけたともいえる。

 以降、単独で空を駆け続けるメリッサは、リングレンが生まれたあともあいかわらずであり、子どもが成長するにつれて遠くへ出かけることも増えていく。家を空ける期間が伸びはじめ、一ヶ月が二ヶ月になり、やがて半年となり――

 そしてついに、一年となった。

 たまに手紙が届くので、生きていることはたしからしいが、ノーソルデル邸の人は達観しすぎである。

 家族には色んな在り方があるが、リングレンは家にいない母親をどう思っているのだろうか。

(まあ、余計なお世話だろうけどさ……)

 家族というのは、近いからこそ、色々と難しい。





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