18 贈る言葉
中学時代、五分間スピーチという輪番制度があった。
それはおそらく、人の前に立って話す練習であったり、なにかしらの発表をする時に緊張しないためであったり。あるいは単に度胸をつけさせる目的だったのかもしれないが、教室前の檀上に立って、なんでもいいからスピーチをするという取り組みが存在していたことを、ゆかりは思い出す。
あれがその後の学校生活や人生に生かされた人は、いるのだろうか。
今ふと「そういや、そんなことやらされてたよなぁ」と思い出したぐらいだから、ほとんど役に立っていないだろう。
テーマがあれば、ちょっとはべつかもしれない。
なにについて話すのか、取っかかりがあれば、言葉もでてくる可能性がある。
だけど「落ち武者として」と言葉を向けられてしまえば「知らんがな」としか言えない。だって会ったことがないから。
◇
白石ゆかりがライセム竜騎士団に所属して早数ヶ月。当初あった「べつの世界からやって来た落ち武者様」という威光は消え、団員たちの間では、いまやただの一般人である。
落ち武者という名称には、ある種の憧れや尊敬、畏怖といったものが含まれていたのだが、そのすべては残念なほうに覆された。
近寄りがたい雰囲気はなく、むしろ小市民感にあふれている。
美味しそうにご飯を食べる女子。
いつもニコニコとあいさつをし、御礼の言葉も忘れない。
なんだ、かわいいじゃないか。
彼らにとってもはや、妹や姪を見る感覚であった。
しかし、竜騎士団以外の人はそうではない。身の安全が保障できないこともあり、あまり出歩かないゆかりは、よその部署にとっては未だ「別世界より来たれし、黒髪の落ち武者様」であったのだ。
ライセムでの生活にも慣れ、そろそろ行動範囲を広げても大丈夫だろうとヴィンセンテも判断。徐々に騎士団以外の人ともあいさつを交わすようになっているなか、なにかと対立しがちな警護団とは未だ交流はない。
ろくな連中じゃないから、近づくな。
あそこは男所帯だからな、危ない危ない。
力でねじ伏せて、なにされるかわからんぞ。
竜騎士団もまた男所帯であることを棚にあげ「一人で行っちゃ駄目だぞ」と諭す姿は、アドレーを笑えないほどの過保護っぷりであった。
ゆかりが城内で竜騎士団以外と親しいといえば、いうまでもなく食堂の従業員だろう。
こちらは、害がない相手として、竜騎士団の面々からも容認されている。
「ユカリちゃん、今日は豚肉の煮込みがおすすめだよ」
「ほんとですか? じゃあ、それにします」
食堂はカウンターで皿を受け取り、空いている席に座るという、よくあるセルフサービス式。配膳係のおばちゃんとは、すっかり旧知の仲である。
落ち武者が食べに来ているということで、料理人にも存在は知られている。時折、感想を訊かれることもあり、いまではリクエストに応えてテイクアウト用にも作ってくれる関係となっていた。
盛りつけられるのを待つあいだ、エプロン姿のおばちゃんがゆかりに問いかけた。
「このあいだ言ってた、白身魚のフライをパンに挟むやつだけどさ、味つけはどうしたもんかね」
「私はタルタルソースのほうが好きですけど、さっぱり系が好きな人もいますしねぇ」
ある日のメニューにあったフィッシュフライが非常に美味しかったので、これは是非ともパンに挟んで食べたいものだと述べたことがある。どうやら、試作品が進んでいるらしい。
お城の料理人という立場にありながら、彼らは意外に柔軟だ。お客さまの声を積極的に取り入れている。
お肉にはソースだけど、魚のフライはマヨネーズ派のゆかり。醤油ベースのタレもありなのだが、はたしてライセムに醤油はあるのだろうか。
ミートソースをかけて、イタリアン風にするのもありかもしれないし、ホワイトソースも悪くはないだろう。
「出来上がったら、試食してほしいって言ってたよ」
「はい。楽しみにしてますね」
湯気を立てる皿を受け取って、ゆかりは笑顔で言葉を返した。
「なんの話をしてたんだ?」
「魚料理の話です。どんな味がいいかなーって」
「おまえ、肉専門じゃなかったんだな」
「お肉は好きですけど、べつにそればっかりじゃないですよ」
といいつつ、本日の昼食は肉料理である。
煮込んだ豚肉というと、甘辛い豚の角煮がまず頭に浮かぶが、こちらは濃厚ソースで煮込んだ料理らしい。ビーフシチューの豚肉版といったところだろうか。今回ばかりは、フォークとナイフを手に取る。
角切りにした豚肉をフライパンで焼いたあとに、じっくりと煮込んである。焦げ目がついた外側の部分と中の柔らかな肉、二つの感触が楽しめる一品だ。
美味しい。超美味しい。
(食器を返す時、美味しかったですってちゃんと言わないと)
煮込んでさらに甘くなった玉ねぎを咀嚼しながら決意するゆかりである。
ひたすら幸せそうに食すゆかりを見て、アドレーは呆れつつも自身の皿に目を向ける。
調達や仕込みに時間を要するのか、この煮豚は数ヶ月おきに登場する不定期メニューだ。さらに数量限定ときている。
今回アドレーがありつけたのは、おそらくゆかりのおかげだろう。
食堂の常連客である落ち武者に、限定メニューを食べさせてあげたいという一同の想いが、同行者にも分け与えられたに違いない。
今日が担当日で幸運だったな。
アドレーはひそかに感謝しながら、切り分けた煮豚を口に入れる。どこかスパイスの味が香る肉は、豚肉そのものに付いているもので、餌に秘密があるらしい。香草豚とも呼ばれているものだ。
香草豚のベーコンは保存が効くため、野営向きの商品として有名だし、生ハムとしても食されている。そんな豚肉を「煮込み料理」として提供するのは珍しく、食堂に通う人々の間では絶大な人気を誇っている。
帰り際、ゆかりは厨房の奥に向かって元気よく御礼を述べる。五人の料理人は顔をあげ、各々が手を振って応えた。寡黙でストイックとして知られている料理長までもがゆるんだ顔を浮かべているところを見て、近くにいた男が驚愕し、ゆかりから距離を取る。これ以上、無駄な騒ぎを起こさせないよう、アドレーはゆかりの手を取り、食堂をあとにした。
「すっごい美味しかったですねー」
「人気メニューだからな」
「どこの世界の人間も、やっぱり限定って言葉には弱いんですね」
「数を絞っているのは、単純に仕入れの問題だと思うけどな」
生産数が少ないため、流通にはまわらない。
「特産品がある地域は強いですね。ライセムにはないんですか?」
「うちは、竜騎士団があるっていう方面での知名度はあるが、名物云々はないな」
「じゃあやっぱり、ドラゴンフルーツを広めないと!」
「……そういや、フェイムも巻きこんでなんかやってるみたいだな」
「フェイムさんの家は、親戚ふくめて飲食関係に特化してるらしいので、強力な助っ人です」
住民に食べてもらうためには、これ以上ないほどの伝手だ。
アナライゼス主導で収穫されている、完熟を越してしまったドラゴンフルーツをジャムにする作業は、ノーソルデル邸だけでは追いつかない。フェイムの口利きにより、彼の一族の手に渡り、そちらでもジャム作りがおこなわれるようになっている。
作り手によって味も変わるだろうし、そうやって改良されていくのも楽しいものだ。
「今度、ジャムのお裾分けをしてくれるんです。楽しみです」
「ヴィンセンテには差し入れてないのか?」
「王子様でしょ? お城以外で作った物を口にするのは、駄目なんじゃないんですか?」
「そういう対応をするのは、国王ぐらいじゃないのか?」
アドレーが知るかぎり、ヴィンセンテは普通に食事をしている。竜騎士団に混じって野営食など、しょっちゅうだった気もする。
殺しても死にそうにない男。
それが、ヴィンセンテ・ガルセスという男であった。
「そういや、明日の集まりにも参加するんじゃなかったか?」
「みたいですね」
竜騎士団にゆかりが来て、ドラゴン達との距離も変わってきた。ここでさらなる親睦を深めようということで、野外での交流会――という名の飲み会が開催される運びとなっている。
とはいえ、開催時間は昼間である。大規模な昼食会といっても差しつかえない。
ユカリちゃんがいるのに、酒盛りは駄目だろう。
酒が入って、不埒な振る舞いをしないともかぎらない。
女性問題のトラブルをかかえることも多々ある竜騎士団員だが、ゆかりに関してはどこまでも過保護であった。
◇
交流会の食事は、野外ということもあって、軽食がメイン。組み立て式の簡易テーブルを並べての立食式だ。ドラゴン用には別途大皿が用意され、数ヶ所に分かれて設置されている。
ゆかりはアナライゼスの近くに座り、ダンが作った「ドラゴンフルーツのパイ」を差し出した。
これも試作品だが、甘酸っぱい果肉がたっぷり入ったアップルパイのようなお菓子。好き嫌いがあるので、シナモンは入っていない。
「出来立ても美味しかったけど、冷やすとまた味わいが変わっていいかんじだよ」
『――悪くない』
「ドラゴン的には問題ないかんじ?」
『もっと大きくてもいいけど』
「あー、それはそうだよねぇ。人間用の型じゃ、一口でおわるね」
『だけど、商売相手は人間なんだろ? じゃあ、いいじゃないか』
「まあ、そうなんだけど。実を採ってくるのはドラゴンなんだから、還元しないと悪いじゃない」
『そんなの、べつに気にしない』
むっとした様子で一言返すアナライゼス。ゆかりは嬉しくなって、アナライゼスの鱗をそっと撫でた。
ノエルによる特訓は続いているらしく、砂袋を積んでの飛行訓練は、問題なく進行中だという。『それが終わったら、実際にゆかりを乗せて歩く練習だよ』と、ノエルが楽しそうに報告してくれたのは、昨日のことだ。
ぐるりと見渡すと、団員とそれぞれの相方ドラゴンが隣り合って飲み食いしている。
彼らには、何年にも渡る信頼関係が存在しているが、ゆかりにそれはない。アナライゼスがなにをもって自分を乗せてくれる気になったのかわからないけれど、いつか彼らのような関係になれればいいと思っている。
「……こんな毎日が続けばいいのに」
「それが私の務めだな」
呟いた言葉に返事をしたのは、いつの間にか隣に来ていたヴィンセンテだった。
「皆が当たり前の暮らしができるように、我々がいるのだ」
言って、不敵に笑う。
そして体躯に見合った大きな声で、竜騎士団の面々に告げた。
「ライセムへ落ちた
浪々と紡がれる言葉は、場慣れしたものだった。
やはり王族ともなれば、人前での演説など、よくあることなのだろう。
その後、なにやら堅苦しく古めかしい言葉を
耳で聞くかぎり、それはおそらく人と竜にまつわる物語。古い伝承の一説なのだろう。なにかの呪文じみていて、聞いているとおもしろい。
だから、油断していた。
「では、最後に落ち武者殿にも」
「はい?」
こちらに振られるとは思っていなかったゆかりは、硬直する。
彼らの視線が突き刺さる。
ヴィンセンテの堂々とした言葉のあとに、一体なにが言えるというのか。
「なんでもよい。そなたの存在は、ライセム繁栄への導きとなろう。その担い手として、言葉を賜りたい」
繁栄。
仰々しい言葉が出てきて、ますます萎縮する。
自分はそんなに偉くはない。むしろ逆の存在だ。栄えさせるどころか、枯れていくほうじゃないだろうか、だって落ち武者だし。
繁栄と衰退。
そう思った時、とある一説が頭に浮かび、ゆかりの口から言葉が漏れた。
「ぎ……」
「ぎ?」
「ぎおんしょうじゃのかねのこえ、しょぎょうむじょーのひびきあり、さらそうじゅのはなのいろ――」
中学時代、古文の授業で暗記させられた「平家物語」
その冒頭部分を暗唱しはじめる。
栄枯盛衰。
どんなに栄華を誇ったところで、長続きするとはかぎらない。
人も、世の中も、変わりつづける。
夢はいつか、覚めるのだ。
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