16 幸せってなんだっけ

 ドラゴンフルーツ普及委員会が発足した。

 会員は現在のところ、ゆかりとアナライゼスだ。ヴィンセンテがスポンサーとなり、グラハムにも協力依頼をしている。

 ノーソルデル邸の使用人達にも意見を聞くつもりである。なにしろ、ライセム領民の好みがわからない。食文化というのは国によって大きく違う。日本人の好みで決めていいものじゃないだろう。

 その日、アナライゼスに採ってきてもらったドラゴンフルーツを袋詰めにして帰宅し、ゆかりは夕食の仕込み中の料理人を訪ねた。

「ドラゴンの果実ですか」

「我々は、ドラゴンフルーツと呼んでおります」

「いい名前ですな」

「このドラゴンフルーツをライセム領の特産物にするべく、ダンさんに協力をお願いしたく」

「なにか具体的な策がおありですか?」

「今日持って帰ったのは、熟れすぎて腐るのを待つばかりの物なんですよ。勿体ないので、ジャムにできないかなーって思ったんですけど、できますか?」

「ドラゴンの果実をジャムに、ですか」

「竜騎士団の人に訊いたら、みんな見たことないって言ってたので」

「そのまま食べるのが普通ですからな。加工したとしても、絞って果汁にする程度でしかありません」

 森の果物と呼ばれているとおり、ライセム領民にとってそれは、野生の樹木という扱いだ。自分達で育てたことがないため、手に入ったら食べるものであって、安定的に流通する商品ではないのである。

 ゆえに、調理法も活用法も確立されていない状態だ。

「チャンスですよ、ダンさん。ドラゴンフルーツマイスターになりましょう」

「なんですか、それは」

「先駆者になるんですよ。ライセムの名物を作るのです。いずれ元祖と呼ばれる日が来ますよ」

「……ユカリ様は、一体なにを始められたのですか?」

 ゆかりの意図はあまり伝わっていないようだった。

 それでも、完熟した香りを放つ果実をジャムにすることには同意してくれて、ゆかりも手伝うことにする。

 固い棘はアナライゼスの手によってすでに取り除かれているので、あとは皮を剥いて適当な大きさに切っていくだけだ。場所によってはちょうどいい頃合いになっている部分もあるので、そこは食後のデザートとして確保しておく。ゼリーでも作ってみますかとダンが提案し、ゆかりは頷いた。

 焦げつかないように掻き回す役目を担うゆかりが、木べらを握って鍋の前に立っていると、リングレンがひょっこりと顔を出す。

「なにしてるの?」

「ジャム作りのお手伝いだよ」

「ジャムを作ってるの? なんのジャム?」

「ドラゴンフルーツだよ」

「なにそれ」

 ドラゴンのドラゴンによるドラゴンのための改革だよと告げると、リングレンは美しい形の眉を寄せて「はあ……」と呟いた。

「ねえ、ダン。ユカリはなにをしているの?」

「私もよくわからないんですが、ドラゴンの果実を使って、名物料理を考案したいんだそうですよ」

「へー」

 二人とも、私の扱いひどくないかな。

 ゆかりは憮然とした表情になった。

「レンくんも考えようよ。どんなお菓子が食べたい?」

「お菓子?」

「ダンさんはゼリー作ってくれるって。シャーベットも美味しそうだよね」

「シャーベット?」

「ちょっと煮詰めて、少しの煮汁と一緒に凍らせたらすっごい美味しそう」

「では、それもやってみましょうか」

「僕、アイスクリームのほうが好きだなぁ」

「それもいいですね」

「ジャムを作ったら、スコーンに添えて食べたら美味しそうだなーって思うんですよ」

「紅茶に落としてもよさそうですねぇ」

 あーだこーだと話していたら、セルマが入ってきた。

 メイン料理を作るのはダンだが、その補佐をしているのはセルマである。使用人の数が少ないノーソルデル邸は、皆が仕事を掛け持っている働き者だった。

「私の実家では、果汁を絞ったあと、残った果肉を刻んでケーキに混ぜたり、そのまま乾燥させて保存食にしたりもしましたねぇ」

「ドライフルーツですか」

「各家庭で独自の活用法があるもんですな」

「セルマさん、他の人達の意見も知りたいのですが」

「承知しました」



  ◇



「ノーソルデル邸の人はみんなプロフェッショナルですよ、ほんと」

「あそこは、位は高くないけど、代々人格者が多いって話だ。雇われる人も一流らしい」

「へー、そうなんだ」

 本日の担当はフェイムで、ドラゴンフルーツ普及委員会に引きずりこむため、ゆかりは目下勧誘中である。

 今は、瓶に詰めたジャムを持ってアナライゼスに会いにいく途中だ。ドラゴン用に作られているパンは、フェイムが肩に抱えて歩いている。城の厨房で今朝焼かれたパンの香ばしい匂いが漂い、お腹がすいてきた。

「なんか、お腹すくねー」

「……朝食、食べてないのか?」

「いや、食べてるけど」

「おまえ、そのうち太るぞ」

「デリカシーに欠けること言わないでくださいよ」

「事実だろ」

「女性の反感をかいますよ」

「うるせーな」

「レイチェルさんはどうなりました?」

「ほっとけよ!」

 たまに会ってるらしいぞと団員達が噂していたが、進展していないんだろうか。

 未だ城下町へ降りていないゆかりは、噂のレイチェルさんがどんな容貌をしているのかわからない。巨乳美人らしいということ以外、なにも知らないのである。

「甘い物が嫌いな女性はあんまりいないし、試食して意見を聞かせてくださいーってお願いするのはどうでしょう」

 キッカケ作りになるかと思って提案するゆかり。

 フェイムは渋面を作り、のちに肩を落とす。

「あの人のことはべつとして、委員会とやらには入ってやるよ」

「いいの?」

「名物ができれば、客も増えるだろうしな」

「観光客のこと?」

「それもあるけど、普段のお客さんだって大事だろ」

 フェイムの生家は、飲食店である。

 格式高いレストランというよりは、もっと安価な庶民派のお店を展開しており、近年二号店を出し、フェイムの兄が腕を振るっている。喫茶店を経営している親戚もおり、竜騎士団に属しているフェイムは、一族の中では異色といえた。

「いいじゃないですか。領内に広める、最高の伝手です」

「デザートぐらいにしか使えないと思うけどな」

「そこを考えるんですよ。ソースの中に混ぜて、甘い味にするんです。肉を漬け込んで臭味消しと香り付けにするのもいいじゃないですか」

「――なるほどな」

「夢が広がりますねぇ」

「ようするに、おまえが喰いたいだけなんだな」

「原動力って大事ですよね」

 物は言いようだな。

 フェイムの呆れ声を、ゆかりは聞き流した。



 ハウロスにアナライゼスの場所を聞き、そちらに向かう。足音や声でわかっていたであろうアナライゼスは、木々のあいだからのっそりと姿を現した。

「アナライゼス、ジャム持ってきたよ」

 瓶を掲げて笑うゆかり。隣のフェイムが持っているパンを指し「付けて食べようよ」と誘いをかけた。

『美味しいの?』

「私は好き。アナライゼスの好みに合えばいいんだけど」

『竜はなんでも食べる』

「でも、どうせなら好きな味だなって思う物を食べたいでしょう?」

 その方が幸せだよとゆかりが言うと、アナライゼスは黙った。しばしの沈黙のあと『幸せ……』と自問する。

「幸せねぇ」

「フェイムさんはほら、レイチェルさんと一緒にいると――」

「少し黙ろうか、おまえ」

 すべてを口にする前に、頬をつままれる。

「おまえの幸せは単純だよな。旨い物が喰えれば、それでいいんだろ」

「失礼な。たしかにそれも大事な要素ですけどもっ」

『幸せって、なに』

 アナライゼスが落とした言葉は、どこか重苦しい響きを持っていた。

 そういえば彼は、群れからはぐれ、捨て置かれたのだと思い出す。

 そこにどんな理由があったのかはわからないし、もはや知るすべもないだろう。数百年も昔の話だ。竜にとってはさほど長い時間ではないのだろうが、人間では数世代も前のことになる。

 記憶は風化され、悪い印象が残る思い出は、時間が経てば経つほどにさらに悪化するのだ。

「幸せの形は人それぞれだよ、アナライゼス。いやなことはいっぱいあるけどさ、少なくとも今は楽しいよ、私は」

『楽しいから幸せか?』

「幸せだから楽しいんだよ、きっと」

 それは心の在り方の問題なのだろう。

 同じことをしても、同じことが起きても、受け止める余裕がなければ、嬉しさも楽しさも感じ取れない。

 なにに喜び、なにに哀しむかは人それぞれで。喜びを感じられるには余裕が必要だし、哀しみを哀しみと認識できるのにも落ち着きが必要だ。

 そういった点から考えると、今は幸せなのだとゆかりは思った。

 あのトンネルをくぐったことは、きっと正しかったのだ。

「私ね、ライセムに来れてよかったって思ってるんだ。アナライゼスは?」

『――この森はいい所だと思う』

「そっか」

『みんな、いい奴らだ』

「そうだねぇ」

『おまえもいい奴だ』

「ありがとう」

『だから、背中に乗せてやってもいい』

「ほんと?」

 それなりの年数を過ごしていても、騎士団の人間を背に乗せることは一度もないというアナライゼスが、騎乗の許可を出した。

 単純に「乗せてくれるって」と喜んでいるゆかりは置いておいて、いままでのアナライゼスを知っているフェイムが驚いたのは言うまでもない。

「――おまえ、すごいな」

「え? なにが?」

 パンの断面にジャムを塗りつけて、アナライゼスに差し出しているゆかりを見ながら、「団長になんて報告しよう……」とフェイムは空を仰いだ。




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