15 名前を呼んで

 日常が戻ってきた。

 そう称していいのだろうかと考えて、「いいことにしておこう」とゆかりは決めた。

 竜騎士団の日替わり担当は継続中だが、そのメンバーにアドレーが加わり、それ以外の部分でもアドレーと行動する機会が増えたのだ。

 他に頼まれていた仕事が終わったか、一段落ついたかなのだろう。

 また一緒に森へ入る時間ができて嬉しいし、なによりもノエルが喜んでいた。

「妙に嬉しそうだな、ノエル」

「私とアドレーさんが喧嘩してるんじゃないかって、心配してましたからねぇ」

「喧嘩? なんでそんな話になってるんだ」

「私もよくわかりませんけど、最近別行動が多かったせいみたいですよ」

 これが犬であればしっぽを千切れんばかりに振っていそうな勢いで、ノエルは瞳を輝かせている。折りたたまれたままの羽がわずかに広がり、興奮具合がうかがえた。

『ゆかりと仲直りして、アドレーよかったね』

「どうした、ノエル」

『アドレー、嬉しい?』

「ちょっと落ち着けよおまえ」

『だってアドレーが嬉しいと、僕も嬉しいよ!』

 噛み合っているようで噛み合っていない会話を聞きながら、はてノエルはなにをそんなに興奮しているのだろうと、頭をひねるゆかり。

 喧嘩してないし、だからべつに仲直りもなにもない。

 仮に仲直りとやらをしたとして、どうしてアドレーが喜ぶのだろう。

(そういえば、アドレーはゆかりのこと好きだからーとか、そんなこと言ってたっけ)

 ドラゴンの愛は、ゼロや百かの勢いで極端だ。中間点を覚えたほうがいいと思う。ニュートラルでいることも、時に大事だろう。

 ついに鼻先をアドレーの顔にこすりつけはじめたノエルだが、アドレーは笑いながらそれを撫でまわしている。楽しそうでなんともうらやましい。大きな犬の頭をもしゃもしゃするのは、ゆかりの子どもの頃からの夢である。

「ノエルはほんとにアドレーさんのこと大好きだよね」

『当たり前だよ、アドレーは僕の一番だもん』

「ラブラブだねぇ」

「らぶらぶってなんだ」

「愛ですよ、愛」

「愛?」

「ノエルにとって、アドレーさんは一番なんだそうです」

「……そうか」

 聞いたアドレーの顔に笑みが浮かぶ。

『うらやましいわねぇ……』

 エルナが溜息とともに呟いた。

『ノエルは幸せね。特別な人がいて』

「特別ですか」

 並々ならぬ愛を感じる言葉だ。

『私はその時のことは直接は知らないんだけど、小さかったノエルが一番最初に会った人間がアドレーで、はじめて名前を貰ったんですって』

 竜は生まれると、母親を含めた数体で小さな集団を形成して暮らす。仔竜は基本的に名を持たないし、集団にいる間はとくに名を必要とはしないため、名付けられることもないのだ。

 ライセムの森に住めば、必然的に人間から名を呼ばれることになる。竜同士での呼び名は、さして重要ではないらしい。

 まだ名を持たない仔竜は、アドレーに「ノエル」と呼ばれた。初めて得た自分の名前に、ノエルは歓喜した。

『アドレーがね、僕に名前をくれたんだよ。僕はになったんだ』

 それは魂が震えるほどの喜び。

 小さな竜が個を持った瞬間だ。

 己を確立するために必要なものが、己の内に生まれたのである。

「ドラゴンにとっての名前って、すごく大切なんですね」

『一番最初に貰った名前は、みんな忘れないものよ』

「最初の名前は誰が付けるんですか?」

『そうねぇ。集団の長だったり、母親がつけたり。最初の名前は自分を作る格みたいなものだし、仲間がくれる贈り物でもあるわね』

「人間でも、親が子どもに最初にする贈り物って考え方がありますね」

『あら。人間も同じなのね』

「一度付けた名前は、そう簡単に変えられないけどね」

 アドレーにはゆかりの声しか聞こえていないが、合間合間の通訳で、話題がノエルの名前についてであることはわかっている。

「ひょっとして、俺はノエルの仲間たちに酷いことをしたんじゃないのか……?」

 本来ならば、あの広場にいた竜達が名前を贈るはずだったのに、子どもの自分が台無しにしてしまっている。

 単に呼び名が欲しくて、当時好きだった物語に出てくるドラゴンの名前を呼んだだけだったのに、よもやそんな大変な事情があるとは思ってもみなかった。

「すまん、悪かった」

『なんで謝るの?』

「本当なら、あそこにいるドラゴンが名前をくれるはずだったんだろ?」

『みんな、よかったなって言ってくれたよ。僕、嬉しかったのに、アドレーはいやだった?』

「いやじゃない。俺は、俺のドラゴンノエルができて、すごく嬉しかった」

 ノエルの言葉を伝えながら、ゆかりは口を挟んだ。

「いいじゃないですか。ノエルは、はじめてできた友達が名前をくれて嬉しかったし、アドレーさんもドラゴンのお友達ができて嬉しかった。そういうことでしょ?」

「いや、それはそうなんだが……」

「エルナが言ってたんですけどね、最初に貰った名前を人間にも呼ばれて、そのうえ、名前をくれた人間と空を飛べるって、ドラゴン界にとってはすごいことらしいです。ノエルって、超恵まれてるみたいですよ」

「――そうか」

「だから、アドレーも喜んでって言ってます」

「わかった。おまえが嬉しいなら、俺も嬉しいよ、ノエル」



  ◇



 好きか嫌いかの二択がはっきりしているドラゴンの中で、アナライゼスは異色の存在である。

 別に嫌いってわけじゃない。

 行かないとは言ってないだろ。

 そんなふうな言い方をすることが多く、ドラゴン界の現代っ子なのかと思いきや、ノエルよりは年上だというからよくわからない。ハウロス曰く『育った環境じゃないかな』とのことである。

 アナライゼスは、ライセム領の外からやってきたらしい。飛来した竜の集団からはぐれ、置いていかれた幼い彼をレイバンが見つけ、このライセム竜騎士団へと連れてきたという。

 のどかでおおらかな性格のドラゴンが多いなか、一体だけ違うと思っていたら、出身地が違っていたとは――。

 三つ子の魂百までというとおり、幼い時分の環境は思考に影響を及ぼすのだろう。



『べ、べつにおまえのために採ってきたわけじゃないからな』

「うん、ありがとう」

 お手本のようなツンデレ台詞を吐いたアナライゼスから果実を受け取りながら、ゆかりは笑顔で礼を言った。

 表面にとげがいくつも付着した、黄色とオレンジの中間色をしたそれは、ちょうどいい熟れ具合らしい。人間の手では固い棘を取り除くのが難しいけれど、ドラゴン達は固い皮膚と爪でこそげ取ってしまう。

 棘を処理した果実は、竜の巣に多く自生しているもので、ライセムではよく知られた果物だ。甘い南国の香りがするフルーツで、森の果物、もしくはドラゴンの果実と呼ばれている。桃やマンゴーに似た味わいをしており、冷やして良し、常温で食べても良しと、場所を選ばないジューシーな果物。水分補給もできるため、竜騎士団では携行食にもしているらしい。

 さて、どういうふうにして食べようか。そのまま食べるのもいいけれど、桃っぽいから、お菓子にも使えそう。収穫を忘れて熟れすぎて腐って実が落ちることもあるというし、そういうやつは煮詰めてジャムにすればお得だと思う。

(ダンさんに言えば、なんとかしてくれるかな)

 ノーソルデル邸の料理人は、なんでもそつなく作ってしまうプロフェッショナルだ。先日作っていたスコーンも大変美味しかった。あれにこのジャムをつければ完璧じゃないだろうか。

 まだ見ぬ活用法によだれを溜めていると、アナライゼスがどこか不満そうに問いかけた。

『食べないのか。いらないなら無理しなくてもいいんだけど』

「ごめんごめん、そうじゃないよ。せっかくなら、加工して美味しくできないかなーって考えてただけ」

『加工って、なにをするんだ?』

「ジャムにするとか、タルトやパイを作るとか、色々?」

『おまえが作るのか?』

「教えてくれたらできるかもしれないけど、一人では無理だろうなぁ」

『そうか』

「アナライゼスも興味ある?」

『人間は変わってるなって思っただけだ』

「そっか。美味しいのができたら持ってくるから、一緒に食べようよ」

『食べたいとは言ってない』

「でも、アナライゼスから貰った実を使うから、お裾分けさせてね」

『――じゃあ、貰ってやる』

 なかなか面倒な性格だが、慣れてしまえばどうということはない。拒絶されていない以上は、離れる必要もないだろう。

 アナライゼスはライセム出身ではないせいか、他のドラゴンと微妙に距離があるようだとレイバンに聞いたことがある。同じく外からやってきた異分子の自分に対しては、飾らずに話せるのかもしれないとゆかりは考えている。

 餌付けというわけではないが、団員から貰ったパンやお菓子を分けてあげているうちに、わりとお菓子が好きなスイーツ男子であることがわかってきた。

 基本的にドラゴンは雑食である。そんななか、人里近くに住むドラゴンは、人間の作った料理を食べたりもするという。味もきちんと理解しているようで、甘い物は特に好きらしい。大きな身体を維持するためには、エネルギーが必要ということだろう。パンを一斤丸かじりする姿はなかなかの圧巻だった。

「なにをしてるんだ、黒毛」

「アナライゼスがドラゴンフルーツをくれました」

「ドラゴンフルーツ?」

「あ、森の果物って呼んでるんだっけ」

「おまえはまた変わった名称を持ち出してきて……」

「またってなんですか、またって」

「最初の頃、ドラゴンステーキとか言ってただろ」

「ドラゴンステーキはドラゴンの肉だけど、ドラゴンフルーツはドラゴンとは無関係ですよ、たぶん」

「たぶん?」

「だって食べたことないですし」

『ドラゴンフルーツ?』

 アナライゼスが呟く。ドラゴン的には不快だったのだろかと心配したが、どちらかというと好感触だ。

「竜の森にたくさん自生してる特産物なんだから、いっそのことそういう名前で売り出しちゃえばいいんじゃないですかね」

「それもおもしろいかもしれないな」

 意外なことにアドレーが乗り気になった。

 ことドラゴンに関することには、必要以上に前向きな男だ。彼らの地位向上やイメージアップに繋がるとなれば、積極的に取り組んでくれるかもしれない。

「熟れすぎた物に関しては、本格的に腐る前に採取して、ジャムとかに加工すればいいと思うんですよ」

「……その辺のことは俺にはよくわからないから、任せる」

「じゃあ、好きにやります」

「せめてヴィンセンテの許可は取れ」

「わかってますよ、もう」

『もっと採ってきたほうがいいか?』

 アナライゼスが訊いてくるが、まだゴーサインが出たわけではないので、採取量が多すぎても困ってしまう。ドラゴンの「もっと」と、人間の「もっと」は、数が数十倍単位で違う気がするので、言葉には気をつけておかなければならないだろう。

「ヴィンセンテ殿下に許可を貰ってからね。実が落ちそうな物があれば、確保だけしておいてくれる?」

『わかった』





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