13 陰からの声

 上位に属する存在は、得てして三つに絞られる。

 金銀銅とトップ3が選抜されるように、それはどんな世界でも共通している数字なのかもしれない。

 ライセム領の主要たる三家は、フォルケイエス、モルゼディアス、イグナティウス。

 御三家は政局にはかかわれないが、その他の分野を統括する立場に置かれている。

 ゆかりが出会った最初の一家、フォルケイエスは、警護団の後ろ盾になっている家だ。ひとつの家が武力を統括する立場にあるのはいかがなものか――という声もあったが、人をしのぐ強力な力を持つ竜騎士団を領主の管轄とすることで、有事の際、制圧可能な状況を作っている。

 次に、モルゼディアス。こちらは司法を担当している。裁判官は御三家とは無関係の人を多く配し、最高官も同様だ。

 これは警護団にもいえることだが、御三家の人間は頂点には立てない。立場を望み目指す場合には、家名を捨てる必要がある。この場合は分家に名前を置き、名目上「捨てた」状態を作ることが多い。

 最後のイグナティウスは、外交を主とした仕事をしている。そのためなのか社交的な人が多く、また市井に混じって生活している者もいるので、一般人には近しい一族といえるだろう。



 遠くから歩いてくる姿が見えて、ゆかりは木陰に身を隠す。

 マルゲリータ様は今日も派手だった。

 そしてピンクロリータだった。

(ああいうの、甘ロリっていうんだっけ?)

 そういう系統にくわしいクラスメイトが語っていた情報を思い出す。付き従う双子はシックな装いで、いうなればこちらはゴシックロリータであろうか。姉のほうは首元まである紺色のワンピースで、白いエプロンがひらひらと揺れている。ツインテールにした髪には白いレースの細いリボンが結ばれていた。弟はといえば、同じ色のタキシードを身に着け、胸ポケットから覗く白いハンカチーフが輝くように目立っている。

 姿勢が良く、キビキビとした歩き方は美しいが、いかんせん表情が死んでいるため、ゆかりにはカラクリ人形にしか見えない。

(あいかわらずホラーだなぁ……。もう夏は終わったっぽいのに)

 こちらに来たのは夏真っ盛りだったが、今はもう朝晩が冷えこむ季節だった。

 思えば遠くに来たもんだ――。

 あのトンネルをくぐった時は、こんなことになるとは思ってもみなかった。

 マルゲリータが別の方向へ行ったことを確認してから出る。膝あたりについた枯草を取っていた時、男の声が降ってきた。

「落ち武者様、どうされましたか」

「アーロンさん」

「覚えていてくださったとは、光栄ですね」

 アーロン・モルゼディアスは笑顔を浮かべる。あいかわらず、どことなく胡散くさい男だと、ゆかりは思った。

(だいたい、お金持ちはロクな男がいないんだよ)

 偏見である。

 しかし状況はよろしくない。身を隠すために選んだ場所は、建物からも若干離れているし、日射しの届きにくい湿っぽい場所だ。特に深いわけではない木立だが、人の声が届きにくい位置関係にあるため、追いこまれたら逃げ場がなさそうでもある。

 耳が痛くなりそうなマリゲリータ嬢の声を聞きたくなくて隠れてしまったが、アーロンに威圧されるのとどちらがマシかといえば、前者だろう。

 ゆかりの焦りとはうらはらに、アーロンは嬉しそうだ。

「なにか用事でも?」

「いえ、べつに」

 隠れていただけです。

 とは言えずに、ゆかりは曖昧に笑った。

「では、特にご予定があるわけではない、と」

「は、はあ」

「では、これから当家のほうにいらっしゃいませんか?」

「はい?」

「モルゼディアスとしては、是非とも落ち武者様の生活をお支えするお手伝いをいたしたく考えております。ノーソルデルでは後ろ盾としては少々頼りないでしょう」


 この人はどういうつもりなのだろう。

 ライセムにおける上下関係はよくわからない。お金持ちの世界には、格というものが存在し、見下したりへりくだったり媚びたり、きっと色々あるのだろう。

 御三家は間違いなくピラミッドの上位に存在し、グラハム・ノーソルデルはその下に置かれている。

 だからといって、それを隠すことなく口にするのは下品じゃないだろうか。それとも、こんなふうに考えるのもまた日本人的思考回路なのだろうか。

 ゆかりは若干、イラっとした。

 だが、アーロンはそれに気づかず、勧誘を続ける。

「竜騎士団とて、無理をする必要はございません。落ち武者様の手をわずらわせるなど、まったくどうかしております」

「無理なんてしてないですよ」

「なんとお優しい……」

「いえ、ですから」

 この人は「落ち武者」をどうしたいんだろう。

 上げ膳据え膳でチヤホヤしたい感満載で、ちょっと気持ち悪い。

「ですが、最近はようやくあの異形がなりをひそめているようで、喜ばしいことです」

「いぎょう?」

「人の世界にまぎれこんだ、なりそこないですよ」

 アーロンが顔をしかめる。

「あのような者を未だとどめておくとは、殿下はお優しい。早々と竜に返してやればよいものを、なぜ人に固執するか理解しがたいことですよ、本当に」

 彼の言う「なりそこない」とは、竜でも人でもない「なにか」なのだろう。

 竜は人間の姿にはなれないはずだ。本人(?)たちがそう言っていたので間違いはないはずである。

 じゃあ、それは一体なにを指しているのだろう。

「落ち武者様、あれは人の姿をしていても、その内側は人ではない。竜なのですから」

「暗がりでなにをしているんだ、アーロン・モルゼディアス」

「アドレーさん!」

 割って入った声は、アドレー・グリーブスのものだった。ゆかりはそそくさとアーロンから距離を取り、アドレーのほうへ逃げる。

 その様子を不機嫌そうな顔で見送ったアーロンは、アドレーに目を向ける。さきほどまで見せていた笑顔は消え去り、ひどく冷徹な表情を浮かべていた。

「おまえのような者が、よくも気安く落ち武者様の傍に立っていられるものだ。恥じることも知らぬのか」

「恥とかいうなら、私のほうがよっぽど恥知らずですよ」

 答えたのはゆかりだ。

 アーロンは一度口をつぐみ、けれど次に口の端に笑みを乗せて、アドレーを見る。

「落ち武者様、それ・・に対する配慮なぞ、する必要はございません」

「それってなんですか、それって」

「――やめろ」

 反論するゆかりを、低く短い声でアドレーが制止する。

 アーロンは笑みを深くして、ゆかりに言った。

「この男は、竜の世界から来た異形の者なのですよ。幼き頃、竜の巣に入り戻ってきた、人の形をした見知らぬなにかだ。アドレー・グリーブスという人間は、竜の世界で死に、そして竜に憑りつかれて人の世界に戻ったのです」



 ◇



 アドレーとは、いつもどんなふうに会話していただろうか。

 目についた物や、気になったことを口にすると、いやがりもせずに説明してくれる。ドラゴン達と時間を忘れて話しこんでいると、「いい加減にしろよ」と怒ったふうを装いながら止めて、詰所で休憩を促す。いつの間にか用意されていたカップは、じつはアドレーが置いてくれたのだと聞いたのは、日替わり担当制度になってからのことだ。

 アドレー・グリーブスはいつもさりげなく、それでいて的確にゆかりのフォローをし、適度なツッコミまでこなしてくれるパーフェクトな人間だった。

 少なくとも、ゆかりはそう認識していた。

 けれど今のアドレーは、しぼんだ風船のようだ。しおしおになって、ぺしゃんこになって、ボロボロになって――、とどのつまり落ちこんで沈んでいる。今ならば、前からさわってみたかった髪の毛にもさわれそうだった。

 誰かをなぐさめることは苦手だ。

 気の利いたことが言える気もしないため、ゆかりは黙って横に座っているしかない。

 さっきまでいた場所と違い、ここは陽当たりがよく、空も見える。時折吹く風は柔らかく、草の葉をふわりと揺らしている。アーロンが放った冷たい空気が嘘のような穏やかさだ。


(なんか、いやみっぽい人だなぁ、あの人)

 この世界に来て、あそこまであからさまな悪意に触れたのは初めてだ。どんな場所にもいやな人はいるけれど、権力を持った上の立場の人間がそうであることほど、不運なことはない。

 沈黙がつづくうち、単なるひなたぼっこの気分になってきたゆかりは、空に浮かぶ雲がなにに見えるか考えはじめた。

 あれは、なんだろう。雄大な空をゆっくりと揺蕩たゆたい、羽を広げているようなあの雲は――

「ドラゴン……」

 この世界に来て目の当たりにした、幻想生物の名を呟いた。

 そういえば、ドラゴンはどれぐらいの高さまで上がれるのだろうか。あんまり高いと寒そうだなと考えた時、ゆかりの呟きをひろったアドレーの肩がぴくりと跳ねる。

「あの雲、ドラゴンみたいだと思いません?」

 見上げたまま、ゆかりは問いかけた。

 のろのろと頭を起こしたアドレーは、ゆかりの視線を追って空を見上げた。風で緩やかに形を変える白い雲が見えるが、

「……雲は雲だろ」

「そうなんですけど。あれ? ひょっとしてこの国には、あの雲って○○みたーい的な連想、しないんですか?」

「なんだ、それ」

「おう。なんてこったい。むー、今度レンくんに訊いてみよう」

 驚き、呟くゆかりに、アドレーはそれまで抱えていた気まずさが消え去ったのを感じる。意図してやったのか、ただの偶然なのかはわからないが、いいキッカケになったのは事実だ。


「俺のじいさんは、竜騎士だった。じいさんにくっついて、よく森に遊びに行った」

 前を向いて、アドレーは口を開いた。ゆかりには目を向けず、灰色の瞳は無感情で、見えないなにかを見据えている。

「ある日、森で迷子になった。奥には入るなって言われてたのに、一体の竜を追いかけて。俺は相手に見つからないように隠れて進んで、やがて見失って、戻れなくなったんだ」

 子どもの背丈では見渡せないほどに生い茂った草むらが広がり、前も後ろもわからなくなる。方向すら見失い、戻っているのか進んでいるのか、どこへ向かえばいいのか、なにもかもがわからない。

 祖父を呼んだ。

 声は反響することもなく、消えていく。

 吹き抜けていく風がざわざわと草の葉を揺らし、その葉音は周囲一帯に音叉のように広がっていく。

 草の壁に囲まれて、ただひたすら葉音が耳を襲う。

 アドレーはついにうずくまった。

 誰もいない。

 誰もこない。

 ぼくはどうなるんだろう。

 勝手に森の奥へは行くなと口すっぱく言っていた祖父の顔を思い出し、涙がこぼれる。

 いつの間にか日はとっぷりと暮れており、空は闇へ塗り替えられていく。あと一時間もしないうちに、まっくらになるだろう。

 風の音、草の揺れる音に混じり、ずんと足元を響かせる地鳴りが聞こえた。ぺたりと付けたお尻からも、振動が伝わる。

 なにかが、来る。

 けれど草むらが高すぎて、方向がわからない。

 祖父の傍で見た大きな竜。背中に生えた羽を広げた姿はより巨大で、牙や爪だって鋭くて、近くにいるのはいつだって少しだけ怖かった。祖父と一緒だから平気だっただけで、ひとりきりで対峙するなど、本気で考えたことなどなかったのだ。

 そんな竜が、もしかしたら近づいてきているのかもしれない。

 唸り声をあげて、牙を剥いて、自分に向かってきているかもしれない。

 アドレーは恐怖で動けなかった。ただ、涙を流して震えていることしかできなかった。

 地鳴りが近づき、黒い影が落ちた。




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