12 考える人
グルルルル
ドラゴンの唸り声がして、アドレーは声の方向を見やった。
数体のドラゴンが頭を突き合わせて、会話らしきものをしている。背中に生えた大きな羽がわずかに震えていることから、嬉しいことがあったらしい。
今日も彼らは元気だ。
ドラゴン達の機嫌がいいと、アドレーもまた嬉しくなる。
いつもなら近づいて様子を伺うところだが、なんとなく遠巻きに眺めてしまうのは、彼らの傍にいるかもしれない人物――黒毛の落ち武者のことを想像したからである。
独占するなと理不尽な文句を言われたあと、エルビス団長に進言し、彼女の傍には団員達が日替わりで付くことに落ち着いた。あれから二巡して、各自三回目の落ち武者担当を迎えているはずである。
はず、というのは、アドレー自身がその巡りに組みこまれていないせいだ。自分が入っていれば、日替わりにした意味がなくなるのではないかということで辞退したせいである。それについてエルビスはなにか言いたそうな顔をしていたが、理由自体は納得のいくものであったため、結局はなにも言わなかった。だが、いずれはローテーションの輪に入ってもらうことにはなっており、今のアドレーは自由の身といえた。
朝も時間を気にせず出勤できるし、森への出入りも気の向くままだ。ノエルを伴ってパトロールに出るのも、気分転換に散歩に行くのも、休憩時間だってアドレーの好きなようにできる。
今までと変わりない、元通りの生活が戻ってきたのだ。
最初は戸惑った。すっかりペースを狂わされていることに気づいてイラついたりもした。四日目には慣れて、晴れやかな気分になったものだった。
だが、次第にモヤモヤした気持ちに襲われるようになってくる。気ままに食べられるはずの昼食も、どうにも居心地が悪いような気がするのだ。
席に着いて食べていると、落ち武者が団員と会話をしながら食事をしている声が耳に入ってくる。
ユカリちゃん、これあげるよ。
ひとつ食べるかい?
俺のプリン食べていいよ。
甘やかすなよ。
と言いたい気持ちをおさえて、アドレーは無言で席を立って食堂を出る。
飯が旨くない。これならパンを持ち込んで、ノエルの近くで食べたほうがよほどいいに違いない。
これまでも彼はそうしてきた。
色々な人が介する食堂よりも、ドラゴンと一緒にいるほうが気が休まるからだ。
すれ違う人の目が自分を追ってくる。あれはたしか、モルゼディアス家の長男だ。
いつもながらいやな目線だと思う。ライセム領主要三家のなかでも、モルゼディアス家は特にアドレーに関して偏見の目が大きく、何年経とうがそれが消えることはない。あの長男が家を継いだとすれば、次代にまで語り継がれていくことだろう。
(どうでもいいさ、そんなもん)
捨て鉢な気持ちはノエルには伝わってしまうのか、森に着いて顔を合わせた途端、心配そうに鼻面を寄せられた。緑色の瞳に映る自分の顔が揺れているのは、ノエルの不安なのか、それとも自身の不安なのか。
「……俺、どうしたんだろうな」
漏れた言葉は、自分でも驚くほどに細く、森を吹き抜ける風に攫われて消えた。
◇
またも知らない人が現れた。
ゆかりは笑顔をはりつかせつつも、混乱していた。
本日の担当団員ジェスターが知り合いを見かけて立ち話をはじめたので、先に詰所へ戻ることにしたところ、狙ったかのように長身の男性が「落ち武者様」と笑顔を浮かべて近寄ってきたのである。
ヴィンセンテの近くで見かけた顔ではないし、竜騎士団の中にもこんな人はいない。
(誰っ)
笑顔を浮かべてはいるが、どことなく威圧感のある男性だ。
「きちんとご挨拶をするのははじめてですね。私は、モルゼディアスのアーロンと申します」
「アーロン、さん」
「どうぞお見知りおきください」
優雅な仕草で一礼する姿は、育ちの良さを伺える。モルなんとかいう家は知らないが、この人もきっとお金持ちに属する人なのだろう。
ゆかりが反応しないことを肯定と取ったのか、アーロンと名乗った男性は語りはじめる。曰く、ずっと落ち武者様にお近づきになりたかったと。けれど、いつも傍に誰かが居るので、キッカケがなかった。一人で歩いていた今が好機とばかりに話しかけさせてもらったのだと、嬉しそう顔をしている。
「つきましては落ち武者様、是非、当家にもお越しいただければと思っております」
「私の一存では、なんとも……」
「落ち武者様の御意向であれば、殿下とて無下にはなさるまい」
ゆかりが一歩さがると、アーロンが歩を進める。一筋、汗が垂れた。
いっそのこと逃げようかと考えた時「悪い悪い、つい話しこんじゃってさー」とジェスターの声が聞こえ、ゆかりは安堵する。対するアーロンのほうは、ほんの少し顔を歪めたが、すぐさま表情を戻して今度は苦笑した。
「アーロン殿、なにかございましたか?」
「いえ、落ち武者様がお一人でいらしたようですので、用心のために声をかけさせていただいたまで」
「それはお手数をおかけしました。あとは我々にお任せください」
「落ち武者様、またお話させてください」
追い払うようなジェスターの態度に、ゆかりは不審感を抱く。
「大丈夫かい、悪かったな一人にして」
「いえ、べつに。あの人、偉い人なんですか?」
「あいつ自身の地位が高いってわけじゃないけど、モルゼディアスだからな」
「いい家柄ってことですか?」
「ライセムには主要三家ってのがあってな、そのひとつだ」
先日のピザ嬢がフォルケイエスだったが、残りの二つがモルゼディアスとイグナティウスだ。
御三家は内政には直接関与しない決まりがあり、ヴィンセンテの周囲にはいないらしい。
どうりで今まで会わなかったはずだと、ゆかりは納得する。
ヴィンセンテはゆかりを政治的に利用しようとは考えていないと思う。だからこそ、領内のトップに当たる三つの家とはかかわりのないノーソルデル家を選んだのだろう。グラハムであれば、ヴィンセンテの威光を効かせられるし、迂闊に手を出すこともできない。竜が近くにいれば、それだけで牽制にもなる。
なにもしていないようで、確実に手はまわされていたわけだが、不快感はなく、むしろありがたいことだと思えた。
「ジェスターさん」
「なんだい」
「ありがとうございます」
「どうしたんだい、急に」
「さっきのアーロンさんみたいな人を寄せつけないように、皆さん私に付いててくれてるんですよね」
「――べつに、それだけってわけじゃーないよ」
敢えて否定はせず、ジェスターは笑った。
「それは理由のひとつに過ぎない。ユカリちゃんは一緒にいて楽しい、俺達の仲間だ。仲間を助けるのは当然だろう?」
「当然ですか」
「違うかい?」
「……よくわかんないです」
仲間や友達を助けよう。
少年漫画のような思いは、本当に存在するものだろうか。
なんだか綺麗事で、どこか嘘っぽくも感じてしまう。
そんな自分が汚いものに思えて、ゆかりは情けなくなった。
ドラゴン達も言っていた。
「好き」は「好き」だと。
ゆかりは、そんなふうに簡単には割り切れないが、ライセムで出会った人達はみんなはっきりしているように思える。
好意を惜しみなく表現するのは、日本人には難しいのである。だけど――
「みんなのことは好きですよ……」
「ありがとうよ、ユカリちゃん」
◇
「落ち武者の様子はどうだ、アドレー」
「俺に訊いてどうするんですか」
「人によって感じ方は違うだろう?」
正論で返されてしばし口を
「元気にやってるみたいだけど」
「ならばよいが、おまえは元気じゃなさそうだな」
そんなことはないと反論しかけて、結局やめる。なにを言ったところで、無駄な気がしたのだ。気落ちしているのは事実で、今の状況を「元気がない」と言われたら、そうとも受け取れるだろう。
「おまえが望むから落ち武者から離してやったのに、逆に意気消沈してどうするんだ」
「あいつは関係ないだろ……」
「じゃあ、なにが原因だ」
理由がわかれば苦労はしない。
大体、意気消沈というけれど、彼女が団員達と話している声を聞くと、妙に気に障るのだ。消沈どころかイライラする。真逆だ。
黙りこんだアドレーを見て、ヴィンセンテは小さく溜息を落とす。
根が真面目な彼は、難しく考えすぎるところがある。もっと気楽にかまえておけばいいものを、なにを悩んでいるのやら。
ヴィンセンテは、黒毛の落ち武者を脳内に思い浮かべた。
彼女とはじめて会った時、神々しいまでの黒に目が眩みそうになったし、下働きに従事しているような服装をしていたのが印象的でもあった。
近年、確認されていたのは自分達と大差ない髪色をした落ち武者が多かったが、ライセムに初めて落ちた者が吉兆の黒毛であったことに、さすがのヴィンセンテも動揺する。
黒毛だ。
黒き獣の化身なのだ。
御伽噺のようなそれを大事にする人は少なくなりつつあるが、国の中枢に近い位置に属する者にとってそれは、重要な駒だ。
ゆえに、アドレーを傍に付けた。
竜の申し子である彼ならば、他者に対する牽制になる。
そしてもうひとつ。
現状、異物である落ち武者を見て、アドレーに己自身をもう一度見つめ直してほしかったのだ。
かつてアドレーは、竜の巣に迷いこんで姿を消し、そして奇跡的に戻ってきた。喰われもせず、怪我ひとつなく生還した姿は奇跡とされたし、同時に異物とも受け取られた。
安全のためにしばらく城に預けられていた頃、年の近いヴィンセンテがアドレーの話し相手だった。自分はなにも変わっていないのに、周囲から送られる様々な眼差しに戸惑い、落ちこみ、やがてあきらめた姿を間近で見てきた。
だからこそアドレーには、もっと自然に、楽しく過ごしてほしいとヴィンセンテは願っているのだ。
世界からなんらかの理由で排斥された落ち武者は、考えようによって異物だろう。
人は、理解できないものを恐れる。
アドレーも、シライシユカリも、ヴィンセンテが守るべき領民だ。
彼や、彼女が、やりたいと思うこと、楽しいと思うことに協力し、幸せになることを常に考えている。
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