09 人とドラゴン

 ドラゴンにまで「黒っていいね」と尊敬されたゆかりは、己の頭髪について考えるようになった。

 学生時代は勿論だが、就職しても黒いままだった。「染めないの?」と言われることも多かったけれど、必要性を感じていなかったため、そのままだったが、今となっては「染めておけばよかったかな」とも思う。そうすれば、ここまで騒がれることもなかっただろうに。


「髪を染める薬剤ってあるんですか?」

「それは勿論あるけれど、まさかユカリは染めたいの?」

「真っ黒だと外もまともに歩けそうにないし……」

「確かに目立つけど、貴女は落ち武者なんだもの。姿を偽る必要なんてないわよ」

 美容的な相談はノーラ様だろうと思ったゆかりは、グラハムに頼んでグラノーラを家に呼んでもらったのだ。

 頼みの綱のノーラには渋られてしまったため、残る手段は自力での脱色。水泳をしている人は塩素のせいで髪が茶色くなると聞いたことがある。そういう方面で「純黒」からの脱却を試みるのだ。

 だが、夕食の席でリングレンが反対の声をあげた。

「ユカリの色は今のままがいいよ」

「でも、ちょっと目立ちすぎないかな」

「目立つのがいやなら、ベールを付ければいいよ」

「ベール?」

「日除けのために着用する女性は多いんですよ」

 グラハムは言って、使用人の一人を振り返る。脇に控えていた女性が退出し、数分後に手に布を持って戻ってきた。

「私の物で恐縮ですが、参考になれば」

「ありがとうございます」

 レース素材は顔を覆う程度の短い丈だが、薄手の花柄タイプは背中まで流れる長さがあるようだ。日除けといえば帽子か日傘な国で育ったゆかりには馴染みのない品物で、使い勝手がよくわからない。

 とりあえず天井の光に透かしていると、使用人の女性――セルマが説明をする。レースタイプだと、すっかりウェディングベールといった雰囲気になる。日常生活で使うには違和感バリバリである。

 日本人的には、頭にかぶるというと、頭巾だろうか。鍔の広い帽子の周囲に布をさげて顔を隠すスタイルも、時代劇で見たことがある。

(衣を頭から被って顔を見せないとか、そういうの大昔の日本人がやってたことだよね)

 現代日本でそんなことをやるのは、容疑者がテレビカメラから顔を隠す時ぐらいだが。

 悶々と考えるゆかりが「悩んでいる」と思ったのか、セルマは親切心から申し出る。

「お貸しするので、使ってみますか?」

「でもセルマさんが困るのでは」

「皆、数枚は持っている物ですから、かまいませんよ。これは姪に貰ったんですが、私にはちょっと若々しすぎましてね」

 花柄を手に苦笑する。夏らしい淡い水色に、薄い赤やオレンジ色の大輪の花が咲いている物で、華やかな印象を与える。

「私にとっても若々しすぎるような……」

「なにをおっしゃってるんですか。お似合いですよ」

「でも、これが上半身にあると、着る服に困りません?」

「同じように柄の大きな服になりますかね」

「派手すぎないですか?」

「お若いんですから、気にしなくても」

「そうだよ、ユカリ!」

 十歳に言われても、反応に困る白石ゆかり二十三歳であった。



 似合う似合わないはともかくとして、結局ベールを借りて出勤した。

 とはいえ、なんだか恥ずかしいので鞄に仕舞ったままである。詰所に挨拶をしたあと森へ入り、そこでようやくベールをかぶってみる。顔の周囲に布がある状態は、それだけで圧迫感があり、死角が多そうだ。

 それに、森の中は木陰が多い。日除けの必要もなく、これでは単なるあやしい人である。

 布を取ろうとした時、一体のドラゴンがやって来た。


『やあ、ゆかり。素敵な物を持ってるね』

「おはよう、ハウロス。これ借り物なんだよ」

『人間達がよくかぶっているやつだね』

「黒い髪が隠れるかなーって思って……」

『たしかにゆかりの髪は綺麗だけど、危険だよね』

「危険なの?」

『黒を求めて攫う人間もいるからね。あまり出歩くなっていうのは、それを考えてのことだと思うよ』

「そうだったのか……」

 珍獣がいると騒ぎになるからだと思っていたが、まさか誘拐の心配があったとは。

「じゃあ、やっぱり隠しておいたほうがいいのかな」

『町へ出るのなら、そのほうがいいよ、きっと』

「でも、これちょっと派手じゃない?」

『そうかい? 人間の感覚はわからないから、僕からはどうとも言えないな』

 話していると、別のドラゴンも集まってくる。

『おはよう。なんの話をしているの?』

「ねえエルナ、このベールちょっと派手だと思わない?」

『あら素敵ね。ゆかりの?』

「貸してくれたの。黒髪を隠すために、ベールを付けてみようかなーって思ってさ」

『悪くはないけど、ゆかりっぽくはないかしら』

 器用に爪を立てて話すエルナは、ゆかりよりも遥かに女子力が高そうだ。

『私が一緒に行って選んであげたいぐらいよ』

「ドラゴンさんは人間の姿になったりとかはできないの?」

『敵に見つからないように、岩に擬態することはあっても、さすがにそれは無理だよ』

 だって大きさが違うじゃないか――と、ハウロスが笑う。

『僕はたまに、人間になりたいと思うことがあるよ』

 静かにそう言ったのは、アドレーの相棒・ノエルだ。

『おまえとアドレーは、兄弟みたいだもんな』

『アドレーのほうこそ、竜になりたいって思ってるんじゃないかしら』

 ハウロスとエルナの言葉に、ゆかりも同意だ。ノエルはいつもアドレーを慕いかわいがっているし、アドレーもまたノエルを愛でている。

 もっとも、アドレーが愛でるのはノエルだけではなく、森に住むドラゴンすべてなのだが、その中でも一番仲がいいのがノエルで。やはり、自分が乗る竜は特別なのだろうと、ゆかりはいつもほほえましく思っている。

「たしかに仲のいい兄弟みたいだね」

『僕のほうがお兄ちゃんだからね』

「えーでも、アドレーさんは絶対自分のほうが兄だと思ってるよ」

『それはあるな。ノエルを弟扱いしてる』

『生意気だよね、あんなに小さかったのにさ』

『人の命は短いからね。同じ時間を過ごしても、成長の度合いはまるで違う』

『もっと僕に甘えてくれていいのにさ』

 ノエルはご立腹だ。バタバタと尻尾で地面を叩いている。そういう仕草はひどく子どもっぽくて、どちらかというと「弟」っぽくもある。けれど、ノエルに言わせれば、アドレーこそが「背伸びをした子ども」ということなのだろう。

 しかし、他の年長竜からすれば、どっちもどっちであり、双方ともに「似た者同士だ」ということになる。

(仲がよくて、いいなぁ)

 ゆかりは彼らの会話を聞きながら、なごやかな気持ちになった。



  ◇



 ライセム領の首都は、そのままライセムと呼ばれている。町の名前を領名としたのか、その逆なのかはさだかではない。

 ガルセス国内における割合としては、中程度の広さといったところで、第二王子であるヴィンセンテに任せる場所としては妥当なところだろうといわれている。

 竜の森があるライセムは、ガルセスにとっては重要な意味を持つ土地だ。竜は他国に対する牽制にもなる。隣国は歴史ある大国ダールベルクだが、肩を並べていられるのも、竜がいるおかげなのである。


「ドラゴンさん達は、そんなに怖がられる存在なんですか?」

「デカイし、空飛ぶし、怖いっちゃー怖いだろうな」

「でも人を攻撃するわけじゃないのに」

「するかもしれない。それだけで遠ざけるには十分な理由になる」

「今はユカリちゃんのおかげでなにを求めてるかわかるけどさ、今まで想像するしかなかったからなー」

「こっちになにかを伝えたいと思って、例えば地面に爪を突き立てたとする。注意を引こうとする行動も、人を襲おうと構えたように見えるかもしれない」

「だから、竜を保有し、彼らを御している我々は、他国にとっては脅威なのだよ」

 あまり嬉しそうではない表情を浮かべて、エルビス団長は溜息を落とす。

 他の団員達も苦笑しているなか、一人だけ違う顔を浮かべているのはアドレーだ。仕方ないとあきらめている皆と違い、非常に不機嫌顔である。

 付き合いの浅いゆかりからみても、アドレーがドラゴンに愛をそそいでいるのは明白だ。一体一体に気を配り、毎日声をかけている。実際、ゆかりが配属されるまで、森の管理人を兼ねていたのはアドレーだったという。犬猫に癒されるのと同様に、彼はきっとドラゴンに癒されているのだろう。

 せっかくの癒しタイムを奪ってしまって、ゆかりとしては少々申し訳ない気持ちがある。

 それだけではなく、アドレーはゆかりの――落ち武者担当という役割も担わされているのだ。

 まったくアドレーには頭があがらない。

「なにかできたらいいんですけどねぇ」

「なにか、とは」

「ドラゴンさんは怖くないよ~って、みんなに知ってもらうようなこと、です」

 自分で言っておきながら、それは難しいなとゆかりは思った。檻の中にいても、虎やライオンはちょっと怖い動物だ。人によるだろうが、少なくともゆかりは怖いと思う。種族の違いは、どうしたって大きい。

 家畜やペットに恐怖を感じないのは、それらを御していると思える自信があるからだ。

 けれど、ドラゴンを制御していると言いきれる一般人は、なかなかいないだろう。

「ライセムで生まれ育った人は、ドラゴンが人を襲う種族じゃないって知ってるんだが、よそはそうじゃない」

「でも、移民の中には、ドラゴンがいるって理由で移住する人もいますよね」

「だから結局、人それぞれなんだよ」

 団員達も会話に加わり、ライセム以外のドラゴンの話題へ移行する。

 ガルセスがあるこのウェルシア大陸には、ライセムの他にあと三つ竜騎士団が存在しているが、竜が住む場所はそれよりも数が多いとされている。騎士団に属する個体は、竜という種族全体からみても、わずかに過ぎないのだ。

 崖や高い山の上など、人が住むには向かない地に生息する竜も数多く存在する。

「彼らにしてみたら、我々人間が勝手に近くに住み着いた、というところだろう。だというのに、まるで使役するように背に乗って操るのも、おこがましい振る舞いだな」

 哀しげに呟く団長に、ゆかりは思わず口を挟んで否定した。

「あ、あの。ドラゴンさんは、そんなふうには思ってないですよ」

 レイバンは言った。竜と人が共に在る時間は短い。だからこそ、その時を大事にしている、と。

 ハウロスも言っていた。好きで一緒にいるのだ、と。

「森にいるドラゴンさんは、みんな楽しそうですよ。みんなのこと、大好きなんですよ」

「そうか」

 好きだから一緒にいる。

 ひどく単純で、けれど難しいこと。

 ドラゴンさんは純粋なんだな。

 ゆかりは彼らがとても羨ましい。





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